kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

雨の嵐山・・・

2019年11月30日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
戦後7位の長期政権を運営した中曽根康弘元首相が、2019年11月29日に逝去されました。享年101歳の中曽根政権といえば、「三公社民営化(国鉄→JR、電電公社→NTT、専売公社→JT)」と、日米同盟の強化「ロン・ヤス」時代を思い出します。安らかな眠りをお祈りいたします。

11月度歴史クラブは、京都・嵐山の「嵯峨嵐山文華館」に行ってきました。
(令和元年11月28日 木曜日)

阪急 嵐山駅

雨の中でも、たくさんの人が嵐山を訪れています。
私も、その中の一人ですが・・・(^^ゞ


嵐山駅から歩いて、初めての撮影スポットです。


雨の嵐山は風流ですが・・・


紅葉の見ごろは霧の中・・・


でも、すぐ横には色鮮やかな紅葉が!


今日は歴史クラブに参加したので目的地は
渡月橋から川沿いの道を上流へ5分ほど進んだこの建物です。


階段を登ってみると、テラス席もあるカフェが見えます!



小倉百人一首の魅力を伝える博物館「時雨殿」が、日本美術を広く紹介する「嵯峨嵐山文華館」として生まれ変わり、2018年11月1日にリニューアルオープンしました


嵐山は、100人の歌人の和歌を一人一首ずつ選んでつくった
秀歌撰「小倉百人一首」のゆかりの地です。


入館券を購入して「夢二のてしごと展」へ・・・
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赤煉瓦建築の「尼崎レンガ倉庫」

2019年11月29日 | Weblog
阪神尼崎駅から尼崎城へ向かう、南東すぐの場所に赤煉瓦建築がありました。


その赤煉瓦建築は
明治初期の阪神電鉄創業時に火力発電所であった煉瓦造りの建物でした。

阪神電車の電力供給用の火力発電所として、明治37年(1904)に建てられ
ここで電気を起こして電車を走らせていたそうです。

阪神電鉄は、明治38年に阪神本線(神戸三宮~大阪出入橋)を開業させ
当初は本社を尼崎工場内にあったそうですが、現在は大阪市に本社があります。

発電所は尼崎と御影(現在の神戸市東灘区)の2箇所にあり
電車の走行用の他、沿線で一般向けに配電していたこともあるそうです。

発電所として使われていた期間は短く、大正4年には発電所としての役目を終え
以後、現在まで資材倉庫として使われているそうです。

「鉄道の日 はんしんまつり」が、2019年11月2日土に開催され
招待された7000名は、体験イベントで楽しまれたそうです。
鉄道ファンには嬉しい体験ができたイベントだったのでしょう。(^^♪
はんしんまつり:https://www.hanshin.co.jp/hanshinmatsuri/

近年は、歴史ある「尼崎レンガ倉庫」の名で注目を集めており
尼崎市から歴史的建造物として顕彰されているそうです。
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当時の姿そのままに再建された「尼崎城」

2019年11月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
4月に発生したフランス・パリの世界遺産ノートルダム寺院(大聖堂)大火災で消火活動に当たったパリ消防局指揮官から、首里城火災に対応した那覇市消防局長宛てに見舞いの手紙が届いた。火災発生日の10月31日付の署名で、今月13日に市消防局が受け取った。 この記事は・・・こちらでご覧ください。

2019年10月31日木曜日、早朝のニュースが「沖縄・首里城の火災」ショックの中、頭に浮かんだのは・・・世界遺産ノートルダム寺院(大聖堂)大火災でした。

10月31日は、2019年3月29日開城した「尼崎城」へ行く日でもあり
複雑な気持ちで、尼崎に向かったのを昨日のように思い出されます。

庄下橋(しょうげばし)

阪神電車尼崎駅 南へ徒歩5分
庄下川に架かる庄下橋から見える尼崎城です。


大坂夏の陣後、江戸幕府は大坂を直轄地として西国支配の拠点とするため、元和3(1617)年、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)に尼崎城を築城させ、大坂の西の守りとしました。

登城

尼崎城は、3家12名にわたる城主
戸田氏、青山氏、(櫻井)松平氏と、代々、譜代大名が城主を務めました。


入城料は、一般・学生500円  生徒児童250円

1階受付前には、実際にハガキや手紙を郵送できるポストがあり
ここから送ると、お城デザインの消印が押してもらえるそうです。

5階 展望ゾーン

ヒノキの木板に囲まれ、3方向に大きな窓が設けられています。

窓際に備え付けられた可動式のタブレット端末には、同方向の窓から見た場合の江戸時代の城下町の様子が映し出されるので、今と昔の風景を見比べることができます。

4階 ギャラリーゾーン「名城手拭百城」

尼崎が生んだ城郭画家、荻原一青の作品を常設展示しています。

尼崎城をはじめ、全国各地の城郭を描き、城郭画家として有名な荻原一青(1908-1975年)。氏が後年手掛けた「名城手拭百城」は、自らデザインを描き、日本の伝統技法・注染(ちゅうせん)で染め上げた手拭作品です。
知っているお城を探し、見つかると歓声が起こってました。(^^♪

3階 なりきり体験ゾーン

お姫様、忍者、兜&陣羽織、武士のコスプレが体験できます。

大人用・子供用サイズを用意されて、広々空間に金の襖が背景で豪華です。
お姫様気分になって(写真左がkiko)記念撮影してきました。(^^ゞ

2階 尼崎城ゾーン

VRシアターや、剣術&鉄砲の体験コーナー、槍や刀の重さ体験など、
遊びながら学べるイベントが満載のエリアです。

槍・刀・弓矢・鉄砲の重さを体験してきましたが
想像以上に刀が重かったです・・・(^^ゞ


解説パネル・歴代藩主の家紋スタンプもありました。

迫力満点の尼崎城VRシアター
幅約10mにもなる巨大画面で、江戸時代の尼崎城や城下町の賑わいぶりなどを、尼崎が誇る人間国宝・桂米朝さんのご子息で落語家の桂米團治さんが、近松門左衛門に扮して当時の様子が情緒たっぷりに語られています。


江戸時代初期に築城、明治6(1873)年の廃城令後に取り壊された尼崎城は、石垣および土塀が模擬復元され、平成30年(2018年)には資産家の寄贈による外観復元天守が完成しました。


庄下橋川に見える石垣、尼崎城の奥(写真右)にみえるのは中央図書館です。
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本物の「神功皇后札」を見ることができました!

2019年11月27日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
「両陛下が27日午前、奈良・神武天皇陵参拝 即位の礼と大嘗祭報告」の
記事がありました・・・記事はこちらでご覧ください。


信会館の常設展示室に入った時から導かれる場所がありました。
そこは・・・日本近代紙幣コレクションです。

日本近代紙幣コレクション

ここには明治、大正、昭和、平成の4代にわたって発行させた
紙幣のほとんどを発行順に展示しています。


紙幣コレクション「明治の紙幣」のところを見ると(写真の左上から三段目)
10月度のハイキングで行った「神功皇后」のお札が・・・(驚)

神功皇后札 壱圓


神功皇后札 五圓


神功皇后札 拾圓



10月度ハイキングで、奈良の「神功皇后陵」にいった時に、日本における最初の女性肖像紙幣「神功皇后札」が、明治14年~明治16年まで発行されていたことを知り、このブログに残していました・・・(その記事はこちらです。)

「神功皇后札」はwebで見たことはありますが、10月に「神功皇后陵」へ行き
11月に本物の「神功皇后札」を、尼信会館で本物を見ることができました!
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尼崎城に行く前に行きたい「尼信会館」

2019年11月26日 | Weblog

尼崎信用金庫創業80周年を記念して2001年に創設されました。

尼崎に3つしか残っていない明治時代の赤煉瓦建築の一つで
創業当時の本店の赤煉瓦を使用して昭和期に復元したものです。

平成2年1月5日「尼崎市都市美形成建築物」に指定され
平成23年3月29日に「兵庫県景観形成重要建造物」の指定を受けました。


それでは、地域の文化財などを展示する会館に入ります。


尼崎城の歴史的資料が展示されています。

太刀、甲冑

太刀
 鎌倉時代中期の備前畠田の刀匠、初代守家作の太刀
 国の重要文化財に指定されています。

甲冑
写真左:「金子札白糸威二枚胴具足」8代忠重が所用したもので兜の吹返し
    胴の胸板には三つ葉葵が据えられています。

写真右:「浅葱糸威二枚胴具足」家祖信定が着用のもので甲冑にはところどころに
    桜の紋が打ってあります。その甲冑からは古式の手法がみられます。

朱地葵紋染抜大旗

桜井松平家の再興の印として、桜井家に代々伝えられてきた大旗です。

桜井信定の父であり、徳川家康四代前である松平長親(ながちか)の代に
決めた家紋「葵」を染め抜いてあります。


家康が六十七歳のとき、三河安城(現愛知県安城市)を巡察していると
この大旗を立て、赤子を抱く一団が目にとまりました。

不思議に思ってたずねた家康は
この赤子こそが松平忠頼の嫡子・忠重だと知ります。

忠頼は先の浜松城主でしたが、旗本同士の囲碁論争に巻き込まれて、若くして死去。城地は没収されていました。その事情を察した家康は、同族の情から桜井家のお家再興を許し、武州深谷八千石に取り立てました。その後、桜井家は遠州掛川四万石を拝領し、大名の地位を確立していきました。

摂津国 尼崎城 歴代藩主


尼崎城に行く時は、先に「尼信会館」に行く事をおすすめします。(^^♪
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京都・仁和寺 「御殿 霊明院と池泉式の北庭」

2019年11月25日 | Weblog

黒書院前庭と


板戸絵を後にして・・・霊明殿へ


白書院、宸殿、黒書院、霊明殿は


渡り廊下で結ばれています。


霊明殿は、1911年(明治44年)に建立された
歴代門跡の位牌を安置する御堂です。


宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ


南庭とは対照的な池泉式の庭園です。


築山に飛濤亭(重要文化財の茶室)
その奥には五重塔もみえています。


世界遺産「仁和寺」を駆け足で歩いてきましたが

観音堂修復落慶記念の「千手ひも」と「風神・雷神像」に
貴重な仏像や浄土図などを見ることができたので満足です。


仁王門から、嵐電「御室 仁和寺駅」までは徒歩約3分でした。
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京都・仁和寺「旧御室御所と呼ばれる御殿の 白書院→南庭→黒書院」 

2019年11月24日 | Weblog
観音堂から金堂→鐘楼→御影堂→観音堂前を通り、最後は御殿に行きました。


仁王門門から入った西側が御殿です。

仁和寺の御殿(本坊)

宇多法皇の御所があった辺りに建つことから「旧御室御所」とも呼ばれています。
写真右の方にシートで囲まれているのが、修理中の宸殿のようです。

桜おみくじ

おみくじの桜は「御室桜」?

世界遺産


登録有形文化財


白書院

1887年(明治20年)に御殿が焼失したことから
1890年(明治23年)に仮宸殿として建てられましたが

 
宸殿が再建されると「白書院」と呼ばれるようになりました。

襖絵は松を主題にしたもので、松の絵が部屋全体に描かれています
日本画家・福永晴帆氏 1937年(昭和12年)の作品です。

南庭

「白書院」前の庭園は宸殿の南側にあることからと呼ばれ 
白砂と松や杉を配した、簡素の中にも趣のある庭です。

勅使門(ちょくしもん)

大正2年(1913年)竣工。設計は京都府技師であった亀岡末吉。

檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造。
また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など
伝統的和様に、亀岡独自の意匠を取り入れたものです。

白書院、宸殿、黒書院、霊明殿が渡り廊下で結ばれています。

黒書院

1909年(明治42年)京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移築して改造。


内部は竹の間・秋草の間など6室からなり
現在、印象が付けた画題の名がそのまま各室の名称となっています。
襖絵は1937年(昭和12年)日本画家・堂本印象氏の作品です。

堂本印象氏は「きぬかけの路」を歩いてきた時に、ひときわ目立つ「堂本印象美術館」を設立され、所蔵作品とともに京都府に寄贈された「故 堂本印象氏」でした。

この後の霊明殿・北庭は、明日へ続きます。
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京都 仁和寺・御所から移築された宮殿建築を伝える「金堂と御影堂」

2019年11月23日 | Weblog
仁和寺「観音堂」の貴重な仏像や浄土図などを見た後は、国宝の金堂へ・・・

国宝の「金堂」

仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂は
京都御所から紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。


桃山時代の宮殿建築を伝える貴重な建物です。


金堂の屋根瓦に・・・
亀の上に乗っている仙人がおられます。


亀の上に乗っている仙人は、黄安(こうあん)という仙人です。

この亀は3000~4000年に一度、水面に顔出すといわれ
黄安はその亀を3~4回見たそうです。
永遠の象徴として安置されています。(仁和寺HPより)


京都御所から移築されたので、菊の御紋ですね。


金堂を後にして、鐘楼のある西へ向かいます。

鐘楼

鐘楼の階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ
下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。


周囲を板で覆われているので、外から鐘楼は見ることができません。

鐘楼横の道を北に行けば、石造の不動明王が安置されています。
不動明王に水を掛けて祈願する事から、水掛不動とも呼ばれています。

御影堂 重要文化財

鐘楼の西に位置し
弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置。


約10m四方の小堂ですが
檜皮葺を用いられ落ち着いた仏堂です。


京都御所から清涼殿の一部を賜り、寛永年間に再建されたもので
蔀戸(しとみど)の金具なども、清涼殿のものを利用されています。


御影堂から観音堂へ戻っていきます。


石段の横から、かわいい季節外れの桜が・・・
私が仁和寺で初めて見た桜は、この11月に咲いていた桜です。(^^ゞ
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京都 仁和寺・秋季特別内拝 「本尊千手観音菩薩立像と風神雷神」

2019年11月22日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
11月のハイキングが「きぬかけの路」を歩き、仁和寺で解散と知った時から
世界遺産「仁和寺」の、特別内拝ができる観音堂に行こうと決めてました。

仁和寺(にんなじ) 仁王門 (重要文化財)

京都市内では一番遅咲きの御室桜(おむろざくら)で知られる仁和寺です。

御殿と観音堂秋季特別内拝の共通券

金堂も・・・と思いましたが、来春の楽しみに残しました。


観音堂修復落慶記念品などが入った袋です。

中門

仁王門を入ると、その先に「中門」が見えます。

仁王門

中門から見た「仁王門」です。

名勝 御室桜

中門をくぐった西側一帯に国の名勝に指定されている「御室桜」の林があります。現在の「御室桜」は1696年の伽藍再建の際に植えられた約200株の桜です。

五重塔 重要文化財

五重塔は1644年(寛永21年)、徳川三代将軍家光の寄進によって建立されました。
塔身32.7m、総高36.18m

秋季特別内拝の「観音堂」

観音堂は寺の創建の約40年後の928(延長6)年に造営され、応仁の乱(1467~1477年)など度重なる火災で焼失。

現在の建物は江戸初期の1640年ごろに再建されたが、平成24年12月から半解体修理を行って6年に及んだ観音堂の保存修理が完了しました。

観音堂

観音堂前で、ひもを握ってお祈りされている姿が・・・

観音堂修復落慶記念 「千手ひも」



この五色のひもは観音堂の本尊である千手観音さまの御手と繋がっております。
どうぞ千手ひもを握り真言を唱えてお祈りください。
真言 オン バザラ タラマ キリク  と書かれています。


音堂の内部に入って、本尊の千手観音菩薩立像の御手と観音堂前のひもが繋がっているのが見えました。
33体の仏像と躍動感あふれた風神・雷神像、そして仏像を取り囲むように描かれた障壁画を見ることができました。

本尊千手観音菩薩立像と二十八部衆立像など全三十三体

修理完了で、再び堂内に安置された「本尊千手観音菩薩立像」などです。
(これは観音堂修復落慶記念などの袋に入っていた写真からです。)

風神・雷神図は見ることはありましたが、風神・雷神像は初めて見ました!
●風神:その恐ろしげな表情に、暴風に対する人々の畏れが現れています。
    手の指は4本で、東西南北を表しています。

●雷神:この神は水利や日照りを支配するとされ畏れられた神。
    手の指は3本で、過去、現在、未来を表しています。
  足の指は風神と雷神は同じく2本で、天地を表しているそうです。

仁和寺観音堂内部の写真撮影はできませんでしたが、貴重な仏像や浄土図などを実際に見ることができたので大満足です。


仁和寺 観音堂修復落慶 秋季特別内拝 9月7日〜11月24日ですが
好評により、12月8日(日)まで公開期間延長となったそうです。
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京都・金閣寺~仁和寺まで「きぬかけの路」を歩く

2019年11月21日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
北野天満宮の北口から向かったのは・・・

平野神社

境内を抜けて、西大路通りへ出ます。

大文字山

西大路通りの「金閣寺前」を左折して
「鞍馬口通」に進むと、右手に見えるのは
五山送り火で知られる「大文字山」です。

きぬかけの路
 金閣寺から衣笠山に沿って龍安寺前を通り、仁和寺へと続く道です。

「きぬかけの路」の名前の由来
 宇多天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い
 雪化粧に見せかけたという故事からその名が付きました。

 しかし、世間には知られていないもうひとつの説があります。
 古くは埋葬の地とされていた衣笠山の山麓。白い衣をかけて埋葬された亡骸が
 絹の笠のように見えたことがその名の由来という、少し不気味な言い伝えも・・・

金閣寺(鹿苑寺)前

「鞍馬口通」の正面が「金閣寺」です。
そして、信号から左の道が「きぬかけの路」になります。

京都府立堂本印象美術館

「きぬかけの路」を歩いていると、右に見えるひときわ目立つ建物は
文化勲章を受賞している「故 堂本印象氏」が設立した美術館で
現在はその所蔵作品とともに、京都府に寄贈され開館されています。

立命館大学 衣笠キャンパス

左には「立命館大学 衣笠キャンパス」があり
お昼は、キャンパス内の食堂で頂きます。


構内を進んで行くと


6月の時と違って、秋の気配を感じます。


イベントが開催されているようです。


カツカレーとサラダで519円です。
柔らかいお肉のカツはとっても美味しかったです。


学生気分になってお昼を頂いた、地下1階の学生食堂です。

中期後期ジュラ紀付加体」の地層

立命館大学を出ると「きぬかけの路」の右側に見えたのは
約2億年以上も前の地殻変動で波状に隆起した、褶曲地層の断面です。

龍安寺の駐車場

1450年開山で、石庭が有名な龍安寺。
6月に来た時は、この駐車場から入りました。

龍安寺の参道

ここは、6月に龍安寺から龍安寺駅に向かう参道ですが
「きぬかけの路」に繋がっていました。(6月の写真使用)

仁和寺前

真言宗御室派の総本山 世界文化遺産。
多数の国宝、文化財などを所蔵し、遅咲きの御室桜が有名です。
仁和寺で、今日のハイキングは解散です!

このハイキングのあとには、続きがありますが・・・
長くなるので、明日にします。(^^ゞ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

6月に歩いた時の「きぬかけの路」をまとめてみました。

京都・いつもライブカメラで見ていた「金閣寺が目の前に!」

京都・平野神社に紫宸殿と同じ「右近の橘 左近の桜」

京都・平野神社の気になっていた南門は「御所の旧門」

京都・きぬかけの路に「岩石:チャート 中期後期ジュラ紀付加体」の地層

京都・枯山水の石庭で有名な世界遺産「龍安寺①」

京都・枯山水の石庭で有名な世界遺産「龍安寺② ミニ石庭と方丈と石庭」

京都・枯山水の石庭で有名な世界遺産「龍安寺③つくばいと侘助椿」

京都・枯山水の石庭で有名な世界遺産「龍安寺④ 鏡容池(きょうようち)」
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