kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・桂離宮 参観 ⑤「月波楼→御越寄→中門→衝立松」完

2021年06月30日 | 回想日記
桂離宮 参観 ④「舟溜まり場のある笑意軒・書院」のつづき・・・
書院を横目にして、書院と並んで池に面して建つ観月のための茶亭へ

月波楼(げっぱろう)

「楼」とは月見用の建物をいい、月波楼は池に映る月をみるための建物で
むくりをつけた柿葺の寄棟屋根に、切妻の口の間が出張った茶屋敷です。


間取りは正面中央の土間をかこむように
一の間・二の間を配し、中の間に口の間を付設した格好です。


中の間は、月波楼のなかで池に臨んで最も見晴らしがよく
池の向こうには、写真右端の「松琴亭」がみえています。
この部屋から、池に映る月を楽しんでいたのでしょうね。


月波楼の名は、白楽天の西湖詩の句
「月は波心に・・・」より引用したものです。


土間の正面奥の部屋です。


土間の西端、膳組の板間は切り込んで長炉や釣戸棚が設けられ
使い勝手よく配置され、前面が開放されています。

========== 中門から御輿寄前庭へ==========

中門(ちゅうもん)

月波楼の膳組前の近くに階段があって
下りていくと、茅葺切妻屋根の簡素な棟門形式の中門がありました。

御興寄(おこしよせ)前庭

中門を通らず左に行くと、深々とした杉苔に覆われた「御輿寄(玄関)」
が広がり、中門から御輿寄まで敷石や畳石が連なっていました。

足下には「田」の字形の石、四枚の方形の「く」の字形の切石が配置され
さらに一枚の切石は御輿寄に延びる畳石へと向かい、こうした敷石の配置は
輿の円滑な進行を意図し、幾何学模様を描いた視覚的にすぐれた意匠です。


中門を通って、黒文字垣に沿って進んでいくと
お池の方に見えたのは・・・

衝立松(ついたてまつ)

池の岬の先端に「衝立松」と呼ばれる小ぶりの松がみえました。

衝立松の名は、両側の生垣と共に池の眺めをさえぎる衝立の役目を果たすことに由来しますが、かつてここには「住吉」の松と呼ばれる大松があり、この松と相対するように対岸の松琴亭の傍らには「高砂」の松が立っていたと言われています。


スタート地点でもあるこの場所で、庭園の参観が終わりました。
書院に入れなかったのは残念ですが、素晴らしい庭園ばかりでした。

「京都・桂離宮 参観」2015年11月は、これで終わりますが
番外編の、桂離宮独特の「穂垣・笹垣」へ続きます。(^^ゞ
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・桂離宮 参観 ④「舟溜まり場のある笑意軒・書院」2015年11月

2021年06月29日 | 回想日記
28日午後3時25分ごろ、千葉県八街(やちまた)市の路上で下校中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、児童5人が巻き込まれ2人が亡くなりました。事故後、梅沢容疑者から基準値を上回るアルコールが検出されました。

アルコール検知器で、運転前のチェックをしていると思ってましたが
未だに飲酒運転をするドライバーが居るのですね。(怒!)


京都・桂離宮 参観③「賞花亭・園林堂」のつづき・・・
園林堂から、舟溜まりのある「笑意軒(しょういけん)」へ

笑 意 軒

桂離宮のほぼ南端に位置し、梅馬場から左へ行くと「笑意軒」があります。

笑意軒前の池は一隅の入江状になっているので、船着場には二箇所の石段から下りることができる、舟溜まりとして実用性の高いところです。

雪見燈籠

梅馬場の苑路脇にある「雪見燈籠」は、数多い京都名園の雪見燈籠の
なかでも安定感があって姿もよく逸品とされています。

扁額と六つの丸窓

「笑意軒」の扁額と、写真は五つですが「六つの丸窓」です。(^^ゞ

篇額は智仁親王の御次男で、智忠親王の弟宮の曼殊院門跡良尚法親王の筆。
六つの丸窓は、それぞれに下地の組み合わせを変えるなど凝ったものであり
「四季の窓」と呼ばれていますが、名前の由来は明らかではないそうです。


口の間に続く六畳の二の間は 南側に肘掛窓があります。
天井は一つのつながりで室内を広くみせる配慮と考えられています。


その中敷居下の腰壁には、市松模様の部分に金地にエンジ色のビロード
その他の部分に金箔が斜めに貼り付けられています。

襖の引き手は「櫂 (カイ)」の形になっています。
入り江状の池は舟溜りとして使われたので「櫂」の形が選ばれたようです。


口の間の杉戸の引き手は「矢」の形になっていて
手をかけるところは「矢羽」になっています。


この手水鉢には「浮月(うきつき)」の名前がついています。
手水鉢の水面に映る「月」を楽しんでいたそうです。


笑意軒の紅葉した庭先から「園林堂」がみえてます。

松琴亭と同様に茶屋建築の一つで、智忠親王の代に造営されたのですが
笑意軒だけ「軒」が使われているのは、中の間・次の間・口の間・膳組の間
など母屋の主な部分が、桂の茶屋の中で最も大きいからと言われています。

園林堂と園林堂前の橋

「笑意軒」の帰りに
園林堂と渡れなかった橋を一緒に撮りました。


これは、園林堂前から見た「書院」へ渡る進入禁止の橋です。

========== 四つの書院 ==========

書 院 全 景

桂離宮の書院群は
東から古書院(写真右端)、中書院、楽器の間、新御殿が雁行形に連なって並んでいます。この形状は各書院が時を違えて次々に増築された結果、軸をずらし日当たりや風通し、建物からの庭園の眺望に配慮したそうです。


残念ながら書院の中には入れないので、通りすぎるだけでした。(;_・)

古書院の「月見台」

二の間の正面に、広縁から池に突き出すように竹簀子で作られた月見台は
月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望できるところでした。


東側からみた、古書院と月見台です。

京都・桂離宮 ⑤「月波楼から中門、衝立松」へ続きます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・桂離宮 参観③「賞花亭・園林堂」2015年11月

2021年06月28日 | 回想日記
京都・桂離宮 参観 ②「天の橋立・松琴亭」のつづきです・・・
「にじり口」のある松琴亭を出て、茶屋風の賞花亭に向かいます。

蛍 橋

賞花亭へ向かう「蛍橋」を渡っています。

水蛍燈籠

蛍橋を渡り飛石伝いに斜面を登ってゆくと
途中に「水蛍燈籠」があります。

水蛍燈籠は
源氏物語に出てくる大堰川畔の明石の上の庭に、木立の奥からかがり火の影がちらちらとして、遣水の蛍にも似通う面白さを述べているのを、石灯籠を以って意図したもので命名は第七代家仁親王と言われています。

賞花亭前の手水鉢

小高い場所に位置する「賞花亭」の手水鉢から、左下に書院が見えます。
鉄鉢形の手水鉢は、五輪塔の水輪を転用したものです。

賞花亭(しょうかてい)

松琴亭と同じようにほぼ北に向かい、消夏のための小亭で南側の竹の連子窓
(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(しんざんゆうすい)の趣きで
土間を真中にして、コ字形に畳四枚を腰掛けにして、篭と炉がありました。


正面と右側面の前寄一間を吹き放ちにした開放的なつくりで
建物の軒先には、龍田屋の暖簾が掛かっていたそうなので
眼下に書院群、遠くに愛宕山を望んだ峠の茶屋風の風情です。


この写真は、一緒に参観した友人から提供して貰った
現在の「賞花亭」の全景です。


そして、この写真は以前の「賞花亭」の全景です。
以前の壁の色はもうありませんでした。

この亭は今出川本邸にあった龍田屋を、智忠親王の時に移されました。


==========園林堂(おんりんどう)へ ==========


園林堂に向かう道で、橋の先に書院が見える橋がありました。
でも、その橋は進入禁止なので横目にして・・・


池沿いに歩いていくと「園林堂」がありました。

園林堂

園林堂は賞花亭の山裾に西面に建つ、本瓦葺宝形造り屋根の持仏です。
正面に唐破風の向拝を有した観音開きで、智忠親王の代に造営されました。

初代智忠親王の尊影と、その師 細川幽斎の尊像が納められていましたが
いまは安置されているものはなく、後水尾上皇宸筆の「園林堂」の扁額と
建物だけが残っています。

京都・桂離宮 参観 ④ 舟溜まり場のある「笑意軒・書院」へ続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・桂離宮 参観 ②「天の橋立・松琴亭」 2015年11月

2021年06月27日 | 回想日記
東京都の26日の新規陽性者数は534人でした。
蔓延防止等重点措置に移行し「PCR検査等の検査数を減らし感染者数を少なくしている。」と聞きますが、人の流れも増え感染者は再拡大しています。


桂離宮・参観① 「御幸門から外腰掛け」 のつづきです。
外腰掛を後にして・・・池に沿って歩いていくと

州浜と天の橋立

写真右上に「古書院」が見えてます。

州浜(すはま)は
黒く扁平な石が敷き詰められ・・・池につきだしています。
先端に灯籠が置かれ岬の灯台に見立てて海を演出しています。

天の橋立は
北岸の出島と二つの低い中島を水面すれすれに架けた石橋で結んだ景で構成されています。智仁親王の奥方、智忠親王の母堂にあたる常照院(じょうしょういん)が宮津藩の京極高知の息女であったことから「天の橋立」を意匠化されたそうです。(写真左側の中央)


======= 石橋を渡って松琴亭(しょうきんてい)へ=======

松琴亭

正面に見えるのが「松琴亭」です。
石橋を渡り石段を下りると「流れ手水」があります。


松琴亭は、桂離宮で唯一の草庵茶室です。
松琴の銘は「琴の音に峯の松風通ふらし」の句から採られています。

茶室「詫の囲」

松琴亭の東側に「にじり口」があります。


一の間は、L字形に曲がった十一畳敷きの座敷で室内には
暖をとるための一畳大の石炉が、袋棚の下に設けられています。


襖障子の、青と白の大柄の市松模様が圧巻です。


松琴亭の池側に、このような鐘楼が掛けられていたそうです。


賞花亭へ渡る「蛍橋」がみえてますが
お舟が通れるようになっているのが分かります。


賞花亭から見える「松琴亭」の全景です。
別荘だった頃はお舟に乗って、この景色を楽しまれたのでしょうね。

京都・桂離宮 参観 ③「賞花亭から園林堂」へ続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・桂離宮 参観 ①「御幸門から外腰掛け」 2015年11月

2021年06月26日 | 回想日記
コロナ陽性のウガンダ選手団2人が、インド由来の「デルタ型」に感染。
成田空港で感染が確認されていたウガンダ選手団を受け入れた泉佐野市では、職員やバスの運転手ら7人が濃厚接触者と認定されています。
オリンピックを控え、新型コロナ感染を広めた水際対策の不備が心配です。


「京都迎賓館」参観(2015年8月11日 火曜日)した後、桂離宮に行くことが決まり、3か月後に同じメンバーで「桂離宮」へ行ってきました。

桂 離 宮  2015年11月12日(木)

京都の西の郊外を流れる桂川の西岸、旧丹波街道に通じる桂川大橋を渡った北西に位置する桂離宮は、後陽成(ごようぜい)天皇の弟君・八条宮(はちじょうのみや)初代 智仁(としひと)親王により、1615年に宮家の別荘として創建されましたが、十二代 淑子内親王が亡くなられるとともに絶え、明治16年(1883年)宮内省所管となり「桂山荘」から「桂離宮」と称されることになりました。


参観者の出入り門を通り、参観がスタートしました。


土橋を渡って御幸門へ向かいます。
写真の左に見える屋根は「御舟屋(おふなや)」です。

御幸門(みゆきもん)

最初の御幸門は 後水尾上皇の御幸を迎えるために設けられたが
現在の門は第七代家仁親王の時代に作られたそうです。

御幸門は、茅葺切妻屋根(かやぶききりつま)で柱と桁には太い
皮付き丸太(アベマキ)が使われ、門扉は割竹を簀子状に並んでます。
(アベマキはワインの栓に使われることもあるそうです。)

写真右下に見える四角い石は その上に御輿を置いたと言われ
「御輿石(オコシイシ)」と呼ばれていますが定かではありません。


その先に御成門(表門)があります。


御幸道(みゆきみち)は、御幸門から先ほど通った土橋への道です。

この道は青黒い小石をが敷き詰められ、やや中高に反りがつけられたことで
水はけがよくなるようにつくられていました。これは後で分かったのですが
先に見える土橋を渡って左に行けば、後書院の中門への道だったのです。


======= 御幸道の土橋手前を左折して外腰掛へ =======

二重枡形手水鉢 (にじゅうますがたちょうずばち)

外腰掛の手前に背の低い石灯籠と、外枠に対して45度ずらして
方形の水穴があることから呼ばれています。

外腰掛 (そとこしかけ)

外腰掛は松琴亭の待合所として使われたもので蘇鉄山に面して
間口三間の茅葺寄棟造で、内側は二間の腰掛がありました。

蘇鉄(ソテツ)山

外腰掛の前庭として作庭された「蘇鉄山」の風景は
桂離宮の繊細なお庭としては、異質な感じに思いますが・・・
当時は蘇鉄のもつ南国的な雰囲気が珍重されたそうです。

※ 毎夜「堺に帰りたい」とすすり泣く怪しげな声が聞こえる「ソテツ」の
お話がありますので、いつかご紹介させて頂きますね。

京都・桂離宮 参観 ②「天の橋立・松琴亭」へ続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都迎賓館 参観⑤水をテーマにした船底天井の「水明の間」完

2021年06月25日 | 回想日記
米南部フロリダ州マイアミ近郊で24日午前1時半ごろ、40年前に建設された屋根の工事も行われていたマンション(12階建て高級マンション)の一部が崩落しましたが、崩落の原因はいま不明のようです。

大阪市西成区天下茶屋東の住宅地で、25日午前7時15分ごろ崖の上に建っていた住宅1棟がのり面の下に4棟が倒壊しましたが、避難していたのでけが人はいませんでした。


京都迎賓館 ④「和舟(わせん)で舟遊びのおもてなし」のつづきです。
水明の間(すいめいのま)

「和舟」を通りすぎると、京都迎賓館参観の最後のお部屋です。

一昨年に来られた人が、『あの時は、この部屋は公開されてなかった。』
と言われてましたが、今年度は開館10周年を記念して特別公開のようです。


水明の間は、国の元首と元首が会談する
首脳会談のための格式の高い部屋です。

この部屋は水がテーマになっていて、水の上に乗り出した釣殿(つりどの)
のような形の部屋になっています。


首脳会談の、小泉総理とブッシュ大統領です。


船底天井のオブジェは、美濃和紙(みのわし)を使用し
京指物(きょうさしもの)の技法で製作されています。

和紙の間に、琵琶などの楽器が描かれていますが・・・
見えるでしょうか?


首脳が座られた安楽椅子(有職織物 ゆうそくおりもの)と
卓子 (蒔絵、螺鈿)


敷物の絨毯は、柄の一部に切り込み(濃い部分)が入っています。


「水明の間」から見えるお庭です。

外観は伝統的な日本建築ですが、構造は鉄筋コンクリート造りで
庭園と建物の「庭園一如」の設計になっています。


水明の間をでて、正面玄関に向かいます。


平成17年4月17日に、開館披露式典が行われました。


敷地面積:20,140㎡ 地上1階・地下1階
「京都迎賓館参観」は、これで終わります。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都迎賓館 参観 ④「和舟(わせん)で舟遊びのおもてなし」

2021年06月24日 | 回想日記
最高裁で6月23日、夫婦別姓を認めない民法と戸籍法は「合憲」でした。

昔のことですが夫婦別姓の国へ行った時に、その国の女性から「子供と姓が違うのは寂しい。」と聞いたことがありました。その国では結婚しても姓は変わらないですが、子供の姓は選ぶことが出来ないので夫の姓になります。
この国が別姓なのは「男尊女卑」からだと思いましたが・・・?


京都迎賓館 ③「京料理でおもてなしする 桐の間」」のつづき・・・
桐の間を出て進むと 「ここは玄関です。」と説明がありました。


ここは玄関で、出入口は写真右側のようです・・・

そういえば、私たちは「藤の間」から「桐の間」へ来ましたが
お客様は、この玄関から入って「桐の間」へ通されるのです。


玄関から入った時の左側です。

玄関は通れなくなっていて撮影禁止でしたが
ここから左へ行くと「桐の間」です。

軸装「嵐峡」

嵐山を流れる桂川の水音に心を託した漢詩。

誰かが 古橋(こきょう)を称して 聴琴(ちょうきん)と名付けた。
杖を止めて 往時の音を 静かに思う。
桂川は 宝石のように 水がさらさらと 流れ響く。
耳を清めて ゆかりの地を訪ねれば 故人を弔う心が 寄せては還す。

露地

玄関前を通り過ぎると、黒い陶板が敷き詰められた露地に出ます。
撮影禁止のためパンフレットより

私たちが歩く陶板の上には、敷物が敷いてありました。
そして「立ち止まらないで下さい。」の言葉が・・・

琵琶の間

露地から見えたのは「琵琶の間」でした。
撮影禁止のためパンフレットより

立礼式の呈茶を行う部屋で、随行者が賓客を待つ際の待合室として使用。
奥の琵琶床に「楽琵琶」がおかれ、奥中央は「神楽鈴」です。

和舟

撮影禁止の廊橋を渡ると、廊橋から見えていた和舟が・・・

海外からの賓客に、日本の文化「舟遊び」を楽しんでいただきます。
写真右側に渡ってきた廊橋が見えてます。


ブータン王国の国王陛下と王妃陛下のお写真でしたが
テレビ放送では、ウガンダ共和国のお客様が乗舟されてました。(^^ゞ

京都迎賓館 ⑤水をテーマにした船底天井の「水明の間」へ続きます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都迎賓館 参観③「京料理でおもてなしする 桐の間」」

2021年06月23日 | 回想日記
京都迎賓館②「人間国宝の金とプラチナの技がある 藤の間」の続きです

「桐の間」

京都迎賓館に行くきっかけになったのは
日本の匠とおもてなしの「桐の間」の写真でした。


部屋の入口上部に見える「五七の桐」

桐の間は、和食を提供する「和の晩餐室」です。
表面が鏡のような大きな座卓は、全長12mの一枚板で
漆も繋ぎ目が出来ないように仕上げられています。


天井は四つに区画され、長い区画部分は12mの一枚板です。

木目の揃ったこの長い天井板は、奈良県吉野郡川上村の樹齢300年位の
40m近くまで真っ直ぐに伸びた杉の木でした。
その杉は、節のない美しいピンク色でとても美しかったそうです。


畳は、畳表の材料であるイグサを迎賓館のために栽培し
「中継表(なかつぎおもて)」の技法で製作しています。


座椅子の背面、肘あての脚部分にも蒔絵で「五七の桐」が描かれています。

「五七の桐」は、明治時代より日本国政府の紋章として使用され
京都迎賓館の紋章になっています。


上写真を見ると・・・
テレビ放送で見たのは、ウガンダ共和国の方たちでした。


そして、いま私が写真を撮っているこの「桐の間」でした。

釘隠

釘隠も「五七の桐」


襖の唐紙(からかみ)にも「五七の桐」

この襖の上部分の欄間に、あの藤の間の「きりかね」が
あったそうですが、残念ながら見落としていました。


従来の日本の障子は高さは、1m73cmですが
迎賓館の障子の高さは、大柄な外国の方にも鴨居に頭を
ぶつけないようにと、2mの高さになってます。

普段は、美術品も何も置かず空っぽの状態になっているそうです。
お客様をお迎えするとき、お客様に合わせた絵画や壺などの作品を
幾つかの美術館に出向いて借りてくるそうです。


「夕映の間」の廊下で右側に見えていた廊橋が、左に見えてます。

京都迎賓館 ④「舟遊びを楽しんでいただく和舟(わせん)」へ続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都迎賓館 参観②「人間国宝の金とプラチナの技がある 藤の間」

2021年06月22日 | 回想日記
9都道府県(北海道、東京、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡)の7都道府県が、20日の期限で緊急事態宣言解除され、21日から7月11日まで「まん延防止措置」に移行されました。


京都迎賓館①「夕映の間」からの続きです・・・
藤の間 (2015年8月11日 火曜日)

テレビ放送されていた「藤の間」です。


G8外相会合 (平成20年6月)は
放送されていたので、ご覧になられた方も・・・


晩餐会で使用される洋食器です。


西陣織


藤の間は、京都迎賓館で最も大きな部屋です。

洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使用され、櫛形にテーブルを並べた宮中晩餐方式でおよそ60名、円卓を並べたばあいにはおよそ120名の会食が可能です。

春の桜

右端の華やかな側面装飾は
日本画家の鹿見喜陌(しかみ きよみち)氏の、下絵を基に綴織りの技法を用いて製作された織物です。縦3、1m、横1、6m。


そして中央には、藤・牡丹・菊など日本の花39種類の草花が

藤の間の舞台

藤の間の舞台では、舞・能や琴の演奏、雅楽などが披露され
訪れた方々へ日本の伝統文化を紹介しています。

舞台扉 「截金(きりかね)」

人間国宝の故 江里佐代子氏の作

テレビ放送で見たときは
金とプラチナを使った装飾は気の遠くなるような繊細な細工で、1ミリほどの極細に切った金の線で描きながら、筆の先のニカワで細かくとめていました。 

釘隠(錺金物)



藤の間に入る廊下から見えるお庭です。


右側に、東西の建物をつなぐ「廊橋」が見えています。

長くなりますので、京都迎賓館 ③「桐の間」へ続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都迎賓館 参観 ①「正門から聚楽の間→夕映の間 」2015年8月

2021年06月21日 | 回想日記
今日は、1年で太陽が最も空高く昇り、最も昼の時間が長くなる夏至です。
昼の長さが最も短い”冬至”と比べると「4時間30分~5時間」の差があり、日の出が最も早いのは夏至の一週間ほど前で、日の入りが最も遅いのは夏至の一週間ほど後でした。


「京都迎賓館」参観 (2015年8月11日 火曜日)

京都迎賓館に行かれた友人からの写真がきっかけで
友人4人と一緒に「京都迎賓館」へ行きました。

京都迎賓館 正門

京都迎賓館は御所の東に位置します。


海外からのお客様は、車列を組んでこの正門から入ります。
・・・が、私たちは南門から入ります。


正門玄関の扉は
樹齢700年の欅(けやき)の一枚板が使用されています。


お客様をお迎えする際は、正面に屏風を置いて
その前に「いけばな」がしつらえ歓迎の心を表します。


玄関を入って廊下を左に行くと「聚楽の間(じゅらくのま)」です。


聚楽の間は、ロビーとして位置付けされる空間です。

晩餐会や大臣会合などが行われる際に、随員の待合とする多目的に利用され「京指物(きょうさしもの)」の技能と、有職織物を用いた安楽椅子が並んでいます。


部屋名の「聚楽」は、16世紀に京都に造営された聚楽第で知られている
「楽=心が安らかで楽しいこと」を集める
「聚=寄り集まること」の意味で、人が集まった都を指します。

釘隠し

錺金物 (かざりかなもの)

これは聚楽の間の釘隠しですが、別の間にも素晴らしい釘隠しがありますので、京都迎賓館の「釘隠し」も楽しみにしてください。

「夕映の間 (ゆうばえのま)」

大臣会合などの会議や立礼式(りゅうれいしき)の
お茶のおもてなし、晩餐会の待合いとして使用されています。

愛宕夕照(あたごゆうしょう)

西側の側面には
京都の西に連なる愛宕山に夕日が沈む様が描かれてます。

比叡月映(ひえげつえい)

東側の側面は
京都の東にそびえる比叡山を月が照らす様が描かれています。

東西の側面は、日本画家の箱崎睦昌(はこざき むつまさ)氏の下絵を基に、綴織りの技法を用いて製作された織物で、縦2、3 mで、横は8、6mです。

東西の壁面は可動式になって、部屋を三分割して使用することができます。

坪庭


螺鈿(らでん)飾台



部屋の中央に「京都迎賓館について」の説明があり
平成26年8月 インド共和国モディ首相、安倍総理のお写真や


平成17年11月 アメリカ合衆国 ブッシュ大統領と小泉総理のお写真も


「夕映の間」を出て振り返った時の写真です。

この廊下の先、左側が「夕映の間」です。
右側はお庭だと思いますが、障子が閉じられていました。
長くなりますので「京都迎賓館 参観 ②」へ続きます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする