kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

『メリケンパーク ファンゾーン in 神戸』 の大型ビジョンでラグビー観戦

2019年09月30日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
Yファミリーのお誘いで『メリケンパーク ファンゾーン in 神戸』に行ってきました。

メリケンパーク ファンゾーン in 神戸

外国の人は珍しくない神戸ですが、海外からの来場者でいっぱいです。
明日の「スコットランド対サモア」の応援に、民族衣装の姿もありました。
※ 神戸市御崎公園競技場  9月30日(月)キックオフ:19:15

飲食ブース

地元神戸・兵庫の食が味わえる飲食ブースですが
一番人気は、私も並んでいる長い行列のビール売り場でした。(^^ゞ

パブリックビューイングへ

平尾誠二選手フィールドが同時開催されています。
どちらも入場無料

300インチの大型ビジョンで観戦

オーストラリア 対 ウェールズ(東京スタジアム)

海からの風が心地よいです・・・
こんな観戦も良いですね!

Yファミリー

誘ってくれてありがとう~(^^♪

ラグビー体験コーナー?

Aちゃんが上手にトライできました!


お姉ちゃんと同じことをしたい妹のYちゃんも
頑張ってトライ出来ました。

小さな子供も楽しめる『メリケンパーク ファンゾーン in 神戸』でした。
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ラグビーW杯1次リーグA組で「日本が世界2位のアイルランドに初勝利」

2019年09月29日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
1次リーグA組で世界ランク9位の日本が、同2位のアイルランドに勝利しました。

前半終了

日本は田村優(キヤノン)がPG3本を成功させ
9―12と3点ビハインドで折り返し・・・

ゴール手前から左に展開


福岡選手の逆転トライ

肉離れから復帰したばかりの福岡選手が決めてくれました。

嬉しい逆転トライです!


田村選手のコンバーションも成功


田村選手のPGで追加点を挙げて逃げ切り


開幕2連勝

過去10戦全敗だったアイルランドから歴史的な初勝利!
おめでとう~

次の試合は10月5日(土) サモア戦  愛知・豊田
サモア戦に勝利して決勝トーナメント進出へ・・・応援してます!
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高槻市・ 全国で初めての府県を超えた合併でニュースになった「合併記念碑」

2019年09月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
特認校 樫田小学校の前を右折すると「樫田支所」です。

樫田支所

樫田支所でお昼にしてお弁当を食べることになりましたが
その目の前にあったのは「診療所?」です。
後で分かったのですが・・・樫田支所には診療所もあったのです。

樫田支所の前にある「合併記念碑」

この地区は、丹波国桑田郡の一部で
江戸時代は亀山(亀岡)藩が治めていました。

昭和28年(1963)に町村合併促進法が施工され、その翌年、樫田村が合併への希望を表明しました。しかし、両者による合併へ向けた話し合いは、府県が異なる合併の例がないため進展しませんでした。

その後
昭和31年(1956)に新市町村建設促進法が施工され、「昭和の大合併」と言われるほど、市町村合併が盛んにされ、明治時代の町村合併で京都府南桑田郡樫田村となり、昭和33年(1958)に高槻と合併し平成30年(2018)は、合併60周年でした。

協定書には
樫田村は古くから人情・風習ともに似通っており、地域間の一体感も強く、交通面でも高槻市営バスによる利便性が図られていることを主な合併理由としています。

この時の合併は
地方自治法施工以来、全国で初めての府県を超えた町村合併(越境合併)として
当時、全国的なニュースになったといわれています。

※越境合併のことは、2008年に樫田支所へ来た時に教えて頂きましたが・・・
 あれから11年も経っているのです。 
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高槻市樫田地区・ 特認校 樫田小学校

2019年09月27日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
高槻のまちかど遺産「板碑型の町石と巡礼者供養の道標」 のつづき・・・

由緒古き種善館 祝 樫田小学校創立145年周年

明治10(1877)年4月 校舎を改築し
「種善館(しゅぜんかん)」と名づけたそうです。

かしたようちえん

小学校へ向かう道の右には、幼稚園もあります。

特認校 樫田小学校

子供が通う学校は、通学区域により指定していますが、校区の違う地域からでも入学できる運営体制をとっている公立学校を特認校といい、豊かな自然に恵まれた環境と少人数の特徴を活かし、「特色ある教育活動」の取り組みをしています。

このような教育環境の中で、子供を学ばせたい、学びたいという保護者や児童に、一定の条件のもと、他の校区からの入学・転学を認めています。

高槻市立樫田小学校もそのひとつで、高槻市内全域から入学が可能です。
現在(2018年)全校児童47名、内33人が校区外の児童です。

同校校長の今泉弘さんのお話では
毎年、9月末に児童の募集を開始し、10月から11月には見学会と体験入学を行い、12月には面談を行い、1月には入学決定の案内が送られるそうです。
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高槻市樫田地区・高槻のまちかど遺産「板碑型の町石と巡礼者供養の道標」

2019年09月26日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
「しるべ石に挟まれた4体のお地蔵さまと、道標」 のあと
民家の五葉松(高槻市指定保護樹木)を見て、高槻まちかど遺産へ・・・
※五葉松の葉は3~6cmと短かく、側面は白く5本ずつ束になっています。

高槻 まちかど遺産

高槻市では平成24年度から、生活に密着したまちかどの文化財や歴史などを市民から公募し「高槻 まちかど遺産」として選定、市内の111箇所に説明板があります。

高槻 まちかど遺産の「板碑型の町石と巡礼者供養の道標」


まちかど遺産 NO.22「板碑型の町石(いたびがたのちょうせき)」

板碑とは、主に鎌倉時代から室町時代にかけて建てられた供養塔です。
上部が山形で、その下に二条の溝が刻まれるのが特徴です。
この板碑は、12人の僧が法華経を千回読経したことを記念して建てられました。


また、西国三十三所の第21番札所である穴太寺(亀岡市)を案内する町石も兼ねており、寺までの距離が90町(約10km)あることを示しています。
室町時代の宝徳3年(1451)の年紀は町石としては市内最古のものです。
平成29年3月 高槻市教育委員会

まちかど遺産 NO.23「巡礼者供養の道標」

西国三十三所巡礼の21番札所の穴太寺(京都府亀岡市)と、日蓮宗の霊場・能勢妙見山(能勢町・兵庫県川西市)を案内する道標です。
この道標は、出羽国秋田郡川尻村(秋田市)から来て、この地で亡くなった男女2人の供養塔も兼ねています。


文化9年(1812)1月23日に亡くなった「亀之助」、翌日に「はつ」が亡くなっています。遠国からの巡礼中に力尽きた2人を不憫に思い村人たちが建てたものと思われます。 平成29年3月 高槻市教育委員会

近畿各地の観音霊場を巡る西国三十三所巡礼は、奈良時代に長谷寺の徳道上人が創始し、平安時代中期の花山法皇が中興したと伝える霊場巡りです。
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高槻市樫田地区・中畑「しるべ石に挟まれた4体のお地蔵さまと、道標」

2019年09月25日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
中畑「大神宮社のアカガシとスギ(高槻の古木)&警官鳥」 のつづき・・・

樫田地区

高槻市大字中畑・田能が所在する樫田地区は
旧国名では丹波国(たにわのくに)桑田郡に属します。

鎌倉時代初期には、田能庄と呼ばれ
皇室領荘園群の中の七条院(後鳥羽上皇の母)領38個庄の1つであり
12世紀院政期に形成された皇室領荘園群の一角でした。

道標

かつて、この地にあった道標と考えられています。

上写真 左の道標

上「従是」  右「東中畑村」  左「西田能村」

しるべ石に挟まれた4体のお地蔵さま

この地域の人々を見守り続けられているお地蔵さまは
旅人の守護神でもあったようですね。

右の道標

上「従是」  右「中畑村」  左「田能村」  下「次場」

昭和33年から大阪府高槻市になっていますが
江戸時代のほとんどは、丹波亀山藩領で田能村・杉生村・出灰村・二料村・中畑村
に分かれ、明治以降は京都に属していました。
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高槻市樫田地区・中畑「大神宮社のアカガシとスギ(高槻の古木)&警官鳥」

2019年09月24日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
高槻の古木 スギ

樹 高:28m
幹周り:3.08m

スギという名の由来は諸説ありますが、幹がまっすぐに伸びることから
「直木(スクキ)」と呼ばれ、スギに変わったという説が根強いです。


階段を上がったところに見える、本殿前のスギの木です。

高槻の古木 アカガシ

樹 高:10m
幹周り:1.87m

かしの一種で、シラカシ、アラカシ、ウバメガシなどのカシ類に比べると
材が赤みを帯びているため、アカガシと名付けられました。


日本以外でも中国や韓国に分布し、材はシラカシよりも優良とされ
非常に堅く建築材はもとより木刀、下駄の歯、楽器(三味線のサオ)
船舶、シイタケの原木など幅広く使われています。
 ※キジ、コジュケイ、マガモが実を好んで食べるそうです。

警官鳥と俗称される「コジュケイ」

全長27cm。体は丸っこく尾は短い。足は太くしっかりしています。
胸は赤褐色で、その中に青灰色の班があります。

本州以南の、冬に積雪の無い、温暖な地方の平穏や低山地の人家周辺、農耕地、雑木林などに住んでいます。身体に似合わぬ大きな声で鳴き、それが「チョットコイ チョットコイ」と聞こえることから「警官鳥」と俗称されるそうです。

コジュケイの鳴き声

ボランティアガイドさんに、コジュケイの鳴き声を聞かせて頂いたときに
「チョットコイ チョットコイ」と聞こえたので、You Tube で探しました。
警官鳥が鳴く「チョットコイ チョットコイ」と聞こえてますね~
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高槻市樫田地区・中畑「豊受姫命がお住まいを決められた大神宮社」

2019年09月23日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
「築100年の古民家を改装した日本料理店 心根 の・・・つづきです。

中畑・大神宮社(だいじんぐうしゃ)

ここを本拠として中畑村宮座の仏事、神事が行われていました。




参道の灯籠に、灯をともす時に上がる石段が付いています。

2008年に訪れた時の参道と鳥居

あの時は、真新しい鳥居でした。

2019年の参道と鳥居

そして、真新しい鳥居の11年後の姿・・・
10年ひと昔と言いますが、鳥居も私も変わりました。(^^ゞ


大昔、丹波の国が湖であった頃、氏神様が田能の明神ゲ嶽の頂上にある大岩の上でお休みになり、さらに中畑の居神谷の腰掛岩でお休みになり、その後、お住まいを定められた場所に現在の大神宮社をお祀りしたとの言い伝えがあります。

高槻の古木 杉

中畑では、台風で被害の倒木が多く見られましたが
大神宮社では高く伸びている杉の木以外にも、被害は無かったようです。
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高槻市・中畑「築100年の古民家を改装した日本料理店 心根(こころね)」

2019年09月22日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
窯元を出たあと、案内されたのは1~2分坂道を上がった左の古民家です。


心根・・・ここはコースに入っていない所です。

日本料理店「心根(こころね)」

「心根」は築100年の古民家を改装した
日本料理店でした。


中に入ると、古民家だったとは思えないほど
上質な空間を感じるお店です。

栃の木の一枚板カウンター

個室とカウンター席(全席23席)があります。

朱塗りのおくどさん

中畑に、こんなお店があったのと驚きましたが
私が知らないだけ・・・( ..)φメモメモ


心根の焙じ茶、山椒油、つくだ煮、松前漬け など

次に来るときは、ぜひご馳走を頂きたいです。(^^ゞ
心根はこんなお店でした・・・こちらでご覧ください。
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高槻市樫田地区・中畑「11年ぶりの女性陶工家を訪ねて・・・②」

2019年09月21日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

勝ちましたよ! 応援ありがとうございました!

次回は、優勝候補でもあるアイルランド戦
9月28日(土) 小笠山総合運動公園エコパスタジアムです。
みんなと一緒に応援したいので、よろしくお願いします。

くなりましたが
高槻市樫田地区・中畑「11年ぶりの女性陶工家を訪ねて・・・」のつづきです。

中畑バス停

JR高槻駅前から市営バスに乗り「中畑バス停」で降りました。

倒木

中畑バス停へ着くまでに
昨年の台風で倒木した場所が何か所もありました。


そして中畑にも倒木被害が・・・

台風15号(9月9日)で、千葉県の莫大な被害が思い出され胸が痛みます。
現在も広い範囲で停電が続き、全く報道されない地域の被害もあるそうです。

そして、また「台風17号で沖縄県全域で3万3850戸が停電」のニュースが
ライフラインがいかに脆弱であるのか・・・早く復旧することを祈ります。

女性陶工家の古民家

11年前にも撮った同じ場所からの写真です。

古民家の玄関横

あの時は、土と藁をまぜて築130年の古民家を改修していました。


女性陶工家の平井友美さんは結婚されていました。
この方がご主人です。


手作りで作られていた窯場の現在です。


その後ろに、あの時には無かったもう一つの窯があり
焼き物の説明などがありました。


この窯を使うことが多くなり


私が見た窯で焼くのは、年に3~4回ほどだそうです。


11年前は、外側しかなかった窯ですが
今日は窯の中を見ることが出来ました。


この場所で焼かれた湯呑で冷たいお茶を頂きました。

女性陶工家はお留守で、お会いすることはできませんでしたが
9月度のハイキングで、2008年に撮った写真をご主人にお渡しして
11年前の未完成だった窯を見ることができました。
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