kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都のそば処・河道屋倖松庵の年越しそば

2018年12月31日 | 食楽
京都のそば処・河道屋倖松庵は
老舗そば屋「総本家河道屋」より、のれん分けを許されたお店です。


今年の年越しそば「京名物 にしんそば」

昨年の「えび天」が美味しかったので迷ったのですが
人気の「京名物 にしんそば」にしました。(^^ゞ

今年は、地震・台風と色々ありましたが
よいお年をお迎えくださいね。(^^♪
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高知県・南国市「生きた杉の木の鳥居」

2018年12月30日 | 花・草・木・鳥 他

12月22日土曜日 ABC放送「ビートたけしの超常現象Xファイル」の
番組で放送されたものです・・・


高知県・南国市「桑の川地主神社」

村に伝わる話によると
土佐藩主の山内一豊が、この場所で病に倒れた時に
村人の介抱に感謝して造営された桑の川神社(約400年)

石段をはさんで、二本の杉の大木が茂り
一本の枝が横に伸び連結してH状となって
生きた鳥居の形をしているように見えます。


杉の木推定樹齢 約300年から400年で
地上4m付近から左の木の枝から延びて
右の木にくっ付いたようにで連結しています。

地元の人は「生きた鳥居」または「連理杉」と呼んで神格化しています。
(連理木=樹木同志の枝や幹が癒着結合すること)

昭和58年 高知県緑化推進委員会の説明板によると
大きい方は、高さ40m周囲6mもあり
どちらも樹勢は、旺盛で約300年をへている日本一の生きた大鳥居です。 

桑の川神社が造営された後に、杉の木は植えられたそうです。
何処から見ても、この杉の木は「生きた鳥居」としか見えませんね。
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ライブカメラで「雪化粧した絶景の金閣寺!」

2018年12月29日 | Weblog
冬型の気圧配置が強まり、昨日(28日)の早朝に世界遺産「金閣寺」が
この冬初めてうっすらと雪化粧した記事がありました。

今朝の雪化粧したライブカメラの金閣寺です。

2018年12月29日土曜日 6時50分

どちらの画像でも、クリックするとライブカメラがご覧いただけます。

2018年12月29日土曜日 7時03分

以前から雪化粧した金閣寺を見たいと思っているのですが・・・
残念ながら、いまも金閣寺に行って見ることは出来ていません。
でも、2014年からライブカメラで金閣寺をチェックしてます。

京都から遠くても、このライブカメラで (5時~20時の3分ごとに配信)
雪化粧した金閣寺がご覧頂けるので、雪の日はこの金閣寺を思い出して
ライブカメラでご覧下さい。
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智頭線のピンクピンクした「恋山形駅(こいやまがたえき)」

2018年12月28日 | Weblog

この写真は、JR京都駅の電車を待っているホームからです。

ホームの向かい側に停まっている電車を
何度も行ったり来たりして、何枚も撮っている姿があったので
私も便乗して撮っておいた写真です・・・が

名前が分からないので、この写真をメールに添付して
物知りの友人に教えてもらうことにしました。


すると、上写真と一緒に

京都~鳥取・倉吉を走るスーパーはくとです。
途中、智頭急行の線路を走ります。

添付の写真はその智頭急行の恋山形駅で写したものです。
この駅 ピンクピンクで、恋人の聖地 として売り出しています。

の、写真左に少し見えるピンク色した駅の情報も頂きました。(^^♪

智頭線(ちずせん)は、兵庫県赤穂郡上郡町の上郡駅から
鳥取県八頭郡智頭町の智頭駅に至る智頭急行の鉄道路線です。

京阪神と鳥取を結ぶ短絡線、山陽地域と鳥取を結ぶ高速路線として
特急「スーパーはくと」や特急「スーパーいなば」が運転されています。

そしてがつく鉄道駅は、全国に4つありました。
・智頭急行:山形駅(こいやまがたえき)
・JR北海道:母駅(ぼこいえき)
・三陸鉄道:し浜駅(こいしはまえき)
・西武鉄道:ヶ窪駅(こいがくぼえき)

ピンクピンクした恋山形駅のホームページはこちらでご覧ください。
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京都・東福寺「750年鳴り続く゛送り鐘”の開山堂と普門院」

2018年12月27日 | 京都

紅葉で知られる通天橋の先に(北側)
開山堂、普門院があります。


通天橋へ続く門を、普門院前から振り返って見ています。

開山堂(かいさんどう) 重要文化財

開山堂(別名 常楽庵)


開山堂は、東福寺の中心伽藍の北にあり
東福寺の開山である聖一国師(円爾)を祀る開山塔院です。

伝衣閣(でんねかく)

開山堂の上層部は「伝衣閣」(でんねかく)と呼ばれ
京の五閣は京の三閣と言われる金閣寺、銀閣寺、飛雲閣(西本願寺)
呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並ぶ「京の五閣」の一つでした。

普門院 重要文化財

開山堂の西側に位置し
開山円爾(聖一国師)が常住した方丈と伝えられる普門院。


普門院を背にして、普門院の縁側に座る人々が見ているのは


江戸中期の名園で、碁盤の目のように描かれた白い砂紋です。
門重森三玲による作庭と言われています。


苔がフワフワです。


開山堂の西に建つ普門院


右手側の池泉鑑賞式庭園は元は江戸時代中期に造られたとされる庭園です。
昭和年代に台風により荒廃したため、重森三玲によって修復・整備されたもの。

🔶七五〇年鳴り続く、深夜の送り鐘
毎夜11時45分ごろから18回、開山堂・常楽庵鐘楼の鐘が鳴ります。
この深夜の鐘は、東福寺開山・聖一国師(しょういちこくし)以来の習慣です。

聖一国師は、同じ京都五山・建仁寺の住職であったため、東福寺でのお勤めがすめば建仁寺へ移動します。このとき東福寺では「送り鐘」でお送りし、建仁寺では 「迎え鐘」でお迎えします。東福寺に750年欠かさず続く習慣です。

※聖一国師こと円爾(えんに)は、天皇より初めて国師号を贈られた禅僧です。
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京都・マンホール蓋「御所車(ごしょぐるま」

2018年12月26日 | 京都

古都京都にちなんで「御所車」をモチーフにデザイン化したもの。
(昭和63年から使用)

雨で濡れた場合などの、滑り止めの機能を持たせたいと
職員さんのアイデアでつくられたそうです。

年末にかけて、寒波到来の大荒れ天気になりそうです・・・
暴風雪や高波、大雪による交通障害などに注意して下さいね。
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クリスマスイブに初演してから200年を迎える「第二十七章 クリスマス・カロル」

2018年12月25日 | Weblog
世界で最も有名なクリスマスキャロルの一つ「きよしこの夜(Silent Night)」が
今年、クリスマスイブに初演してから200年を迎えるそうです。


2009年12月に、平安女学院のクリスマス カンタータで撮ったものです。

昨年は、いつも訪問させて頂いてるJFKさんのブログ ♪きよしこの夜♪ が生まれた教会 で、誰でもが知っているクリスマスの名曲が19世紀の初め、ザルツカンマーグートのオーベンドルフという小さな村にある「聖ニコラス教会」の司祭が作詞し、司祭の友人であるオルガン奏者がギターで作曲して、あの名曲が生まれたことを知りました。

昨日の24日は、まさにちょうど200年前に「きよしこの夜」が初めて演奏されたオーベルンドルフ(Oberndorf)村の礼拝堂で、記念行事が行われる予定でした。

世界的に知られ、300の言語や方言に翻訳されるまでになった「きよしこの夜」の起源は、ナポレオン戦争後の貧困に苦しんでいたオーベルンドルフの村人たちを癒やそうと考えた、ヨゼフ・モール(Joseph Mohr)司祭が1816年に書いた6行詩という、つつましやかなものだったそうです。 この記事はこちらでご覧ください。
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大阪吹田市・仙洞御料庄屋を勤めた「旧西尾家住宅の 茶室と四腰掛 」

2018年12月24日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
吹田市には、もう一度行きたいと思っている「旧西尾家住宅」があります。
旧西尾家は、仙洞御料庄屋を勤めた伝統と茶の湯の精神を感じるお屋敷です。


庭園の木立の中を歩いて行くと・・・
この左手の方に、緑を愛でながらお茶が点じられる茶室「積翠庵」がありました。

茶室「積翠庵(せきすいあん)」

この茶室は薮内流10代家元・休々斎の指導で明治26年(1893)に建てられたもので、薮内家を代表する名席「燕庵」と「雲脚席」を模して造られています。
燕庵を模して造ることが許されるのは、薮内流皆伝を授かった者だけなのです。

写真の茶室「積翠庵」は、当主の号に因み積翠庵と名づけられたそうです。離れて造られているのですが、水屋を介して巧みに結合させ一棟になっていました。


お一人のお客様の時に使われていたそうです。(積翠庵の写真右側)

年に数回ある積翠庵でのお茶席は特に人気があって
抽選なので何度も申し込まれて、遠くからも来られるそうです。

抽選に当たった方は、お庭にある「四腰掛」でご亭主のお出迎えを待ちます。
順番が来ると、お茶室の前にある手水で、左手、右手、口の中を清め
勺を立てて持ち手に水をかけ元通りに置いてから、お茶室に向かいます。


四腰掛の説明によると

四腰掛(よつこしかけ)

桂離宮にある卍亭の写しとほぼ同じと言われる「四腰掛」は
どの腰掛に座っても、他の腰掛に座っている人と
正面から顔を合わすことがないように卍形に配された腰掛でした。

宝形屋根

明治三十九年(1906)ごろの建築だと
庭園に関する記録から推定されています。

行きたいと思いホームページを見ると・・・
平成30年6月18日(月)午前7時58分に発生した大阪北部地震及び9月4日(火)の台風21号の影響により、旧西尾家住宅では瓦の落下や塀が傾く等の被害があり
安全確保を優先し災害復旧に万全を期するため当面の間、臨時休館いたします。

数寄屋風の主屋、茶室に四腰掛のあるお庭がどうなっているのか心配です。
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今年8月にオープンした生田神社から一つ通りを入ったお店

2018年12月23日 | 食楽
Aちゃんのパパが、知り合いの人から「8月にオープンしたお店があるので
行って欲しい」と言われていたお店が近くなので一緒に行ってきました。


先付け


これからのお料理は、色んなお料理が頂きたくて一口づつに・・・




















最後に頂いた「鯛めしの焼きおにぎり」は
一人に一個づつ頂きました。

二回行ったので、同じお料理は省いています。
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京都・護王神社は来年の干支 「雌雄一対の 狛 猪 (コマイノシシ)」

2018年12月22日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
京都御所蛤御門前の「清麻呂公を祀る護王神社」

ハイキングで京都に行った帰りの写真です。(12月11日 火曜日)


来年の干支は「猪」ですが、護王神社は珍しい「雌雄一対の 狛 猪」です。
護王神社の前を通ると、いつも思い出すことがあるので再投稿します。(^^ゞ

🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶

古代インドで、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたのが
狛犬の起源とされてますが・・・


護王神社は、京都御苑「蛤御門」の南西に位置し
こぢんまりとした境内には、狛犬ではなくて
狛イノシシを守護獣としている神社でした。


護王神社の鳥居の前には、狛犬の代わりに一対になった狛猪です。


手水鉢にもイノシシが・・・


そして拝殿の前にも、狛犬の代わりに一対になった狛猪が建てられていました。

一緒に行っていた女性が突然
「狛犬はオスだけでメスはないけど・・・イノシシにはメスがあるのかな~?」

私:えっ! そうなの狛犬にはメスがないの・・・考えたこともなかったわ。

一緒に行っていた女性が
「あっ! 見て~こっちがメスだわ。コマイノシシにも、オスとメスがあったわ~」

私:えっ~! うん。 メスみたいね・・・


こちらのイノシシは、彼女が言うようにオスのイノシシでした。

こうして見たら、オスの方は大きな口を開けて何となく強いように見えます。
一緒に行った女性に「お勉強になりました! 教えてくれてありがとう~」
交わした言葉は覚えているのですが、この女性が誰だったのか思い出せません。

♢♦♢♦♢

「日本後紀」によると
和気清麻呂(わけのきよまろ)が、京より宇佐へ向かわれた時に300頭のイノシシが現れて、清麻呂公をお護りしたことから、清麻呂公のお社には狛犬でなく、明治23年に狛イノシシが建てられたそうです。

護王神社のホームページは こちら をクリックしてご覧下さい。
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