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キリシタン洞窟礼拝堂



『波千鳥』の引用を続けます。

 キリシタンの隠れ礼拝堂は竹田荘(ちくでんそう)の近くです。
 竹やぶの奥の岩壁に彫りこんで、かなり広い洞窟です。
 サンチヤゴの鐘には、1612 SANTIAGO HOSPITAL の文字があります。
 竹田の昔の領主がキリシタンだったのです。

写真の左下が洞窟礼拝堂。
右下が洞窟です。
例によって、ひっそりとしています。




9万年前の阿蘇大噴火で降った火山灰土が堆積して固まった
阿蘇凝灰岩の地層を彫った小さな小さな礼拝堂。
幅3m、奥行き3m、高さは3m50cm。
14世紀ローマの洞窟礼拝堂に似ているという。

「藩主中川久盛(二代)の家老古田重治は
この洞窟にひそかに神父ペトロ、パウロ、ナバロ及び
フランシスコ、ブルドリノの二人を保護していた」
と書かれた古い標識が立っています。

昨日ご紹介しました古田家のお屋敷から
歩いて2分程度のところに洞窟はあります。
それにしてもこの小さな町で、異人さんを隠すなんて
どうしても不可能だと思います。
すぐにばれるはずです。

藩主中川久盛公もキリシタンだったし
多くの人々がキリシタンでした。
キリスト教が禁じられたあとも、この町では
1万5千人ものひとが隠れキリシタンだったという話もあります。
だから家老古田重治が、かくまっていたのではなく
町ぐるみでかくまっていたのでしょう。




内部の祭壇です。
先日の竹楽の祭のとき設置された竹がそのままになっていました。
こういう十字の仄かな照明、この町のひとの
遠い記憶にあるものかも知れません。




小さな礼拝堂の右手にある洞窟の内部から撮りました。
当時はもっとこの孟宗竹がうっそうと茂っていたかも知れません。


『波千鳥』は『千羽鶴』の後編ですが
全編通して、何か微妙にキリスト教的な表現が見られます。

 「ゆるして。ああっ、おそろしい、なんて罪深い女なんでしょうねえ」
と、登場人物の太田夫人に語らせています。

 「おれを罪人にするのはなにものか」とか
 「あこがれというのは、罪人の言葉でしょうから・・・」
と、主人公・菊治に語らせます。
菊治の心象をこんな風に表現したりもします。

 ゆき子の静かな寝息とほのかな匂いだけで
 甘い赦免を感じた。
 それは身勝手な陶酔なのだろうが、
 しかし女だけが極悪の罪人にもゆるしてくれる恵みであった。
 一時の感傷か麻痺かもしれないが、異性の救済だった。


 罪人の手がそっと聖処女を抱いたのか、
 菊治は不意に熱い涙を目に感じた。

文子が菊治に宛てた手紙にはこんな表現も使われます。

 私の愛は行きつくところまでゆきついて
 一つは死、ひとつは罪でした。


 もののまぎれなどと自分で言えるでしょうか。
 また、他人のしたことをはたから見ても
 もののまぎれなどと言えるでしょうか。
 神か運命かが人間のしたことを赦す時に
 もののまぎれというのでしょうか。

 
 紅葉の色の濃い山は、ステンドグラスでも見るようです。
 そうして私は大きい自然の天堂にいるようです。

 松かげにじっとあなたを思っていて
 ここが屋根のない天堂なら
 このまま昇天しないものかと
 私はいつまでも動きたくありませんでした。

久住の紅葉をステンドグラス
雄大な久住を天主堂つまり大自然の教会と見立てているわけです。
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