爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

気楽な時代

2021年09月25日 | 日記
人生88年を振り返って、気楽だった時代はと問われたら、昭和28年に新潟県職員として最初の勤務地である柏崎市で5年間の下宿生活である。採用辞令が今も保存されている。

黒インクでペン書きの辞令には、「柏崎保健所勤務を命じる・4級1号(5400円)を給する」とある。諸手当を含め諸控除後の手取りは5000円少々だったと記憶している。

下宿料(3食づき)3000円を払って残りの2000円で映画(30円)や麻雀中の夜食のラーメン(30円)、 勝ち目のないパチンコ、友達とのお遊び等、給料日前には13円の銭湯代もなかった。

念願だったカメラ(12000円)とポータブル蓄音機(7000円)の月賦払いは厳しかったが存分に楽しんだ。財布の中身は常に寂しかったが、懐かしいばかりで、悔いることは何もない。

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老後への対応

2021年09月20日 | 日記
人生100年時代、何時からが老後なのか決まりはないが、改まって老後の備えなどは全くしてこなかった。米寿を迎えたこの頃になって、そろそろ考える気になったところ。

米寿同士の老夫婦であるが、要介護、要支援に至らず、自力生活中ながら、目に見えない老化が進んでる。息子からの勧めもあり、とりあえず緊急時におけるホームセキュリティー契約。

布団の上げ下ろしが、段々と厳しくなってきたので、かねてから検討していたベットに切り替えてしまった。フレームはスタンダードだが、寝心地のいい少々高級のマットレスで安眠。

運転免許証返納後の生活様式への切り替えは難しい課題である。現在のところ、遠距離、夜間 雨天、高速道路の運転は控えているが、周囲からは年齢だけを基準に返納を勧められる。

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スポーツ観戦

2021年09月15日 | 日記
大好きだった高校野球とプロ野球への関心が薄くなった。生活動作に大きな支障はないが、やっぱり88歳半ばともなると、気力が低下したのかなと、痛切に感じるこの頃である。

高校野球県代表決定戦は、暑い中を市内の野球場へ、巨人戦は欠かさずテレビ観戦を、年に一度は一人で巨人戦を観戦するため東京ドームへ出かけて行った気力は何処へ行ってしまったのか。

今は高校野球もプロ野球も、翌日の紙上で結果を見るだけ、それでも巨人か勝った記事は丁寧に読む巨人ファン。東京オリンピックもパラリンピックも実況放送は見ることは無かった。

9月場所が始まった。唯一郷土出身幕内力士の豊山関と好きな力士数人の取り組みは、一喜一憂しながら観戦している。日本人横綱が誕生して優勝する場所の来る日が待ち遠しい。

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マスク姿だらけ

2021年09月10日 | 日記
家庭用マスクは、花粉症とインフルエンザ対策として限定的に用いられていたのが、まさか、ウイルス感染予防のために全ての人が着用する時代になるとは思いもしなかった。

収束する見通しのない新型コロナウイルスに怯えながらの日が続き、いい時代とは言えない。世はファッション化したマスク姿だらけ、地味なもの、派手なもの、可愛いものまで、色々。

生活様式として定着したマスクであるが、煩わしくて、顔が見えないので相手の表情が読み取りにくい、又マスクの習慣的着用で心身に多くの症状を及ぼすリスクがあることも実証されている。

社会的距離が確保される時は、マスクを外すように言われているが、徹底されていないのか、強い日差しの中をマスクを着用して散歩している人を見かける。マスクなしの生活に戻る日が待ち遠しい。

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昔の農家

2021年09月05日 | 日記
爺が少年時代から青年時代に見た農家特有の構えや間取り、涼しかった環境が懐かしい。小さな農家でも、屋敷内で数羽のニワトリが伸び伸びと遊んでおり来訪者を知らせる存在でもあった。

家の中は床をはった部分と,土間と呼ぶ土のままの部分があり、土間には,食事の用意をするためのカマドやフロ,家族と一緒に農業をしてくれる牛馬が一角に同居していた。

また、カマやクワなど農具の置き場として、雨の日や冬の間は,麦・稲・大豆・蕎麦などの脱穀、タワラや縄作りといったワラ仕事、蚕の世話など土間は農家の仕事場だった。

便所は玄関の入り口にあり、土間に降りて下駄をはいて家の外へ出て用を足していたので、寒い冬や夜のトイレが嫌だったろう。地下に桶を置いて二枚の板を渡した簡易なものが多かった。

 

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