爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

穏やかな余生

2019年12月25日 | 日記

余生とは第二の人生とも言われているが、何をしても、何もしなくてもいい自由の身になって間もなく20年になる。薬を服用しながらも、夫婦ともに介護不要の日々である。

今日があるのも、両親から貰った体質と、爺は心筋梗塞、家内はくも膜下出血で命拾いをした大きな幸運に感謝している。更に規則正しい生活習慣を積み重ねた賜物だと思っている。

近頃は、食事、排泄、着替え、洗面、掃除、洗濯、買い物、入浴など、毎日の平凡な生活動作が自分で出来るだけで幸せを感じている。遠くから孫の成長を見守りながらの穏やかな余生である。

 今年も、長いこと健康の証として続けている新潟名産のスイカ、茶豆、梨、ブドウを楽しみに待っている孫や友人知人に送ることができた。送る喜びと、喜んでもらう喜びを楽しむことが出来た。


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幼子の安全

2019年12月20日 | 日記

昔々のこと、今時の若いもんは云々と先輩から言われて、抵抗もしてきた最も使いたくない言葉だが、親の不注意で貴重な幼い子供が亡くなる事件が起きる度に一言申したくなる。

室内や車内に幼子を残して買い物したり、遊びに興じたり、片手でベビーカーを押しながらのスマホ、幼子と手も繋がずに歩きスマホ、左手に赤ちゃん右手に買い物等々、安全に対する気配りが薄い。

この頃では珍しい亀の甲で赤ちゃんを背中におんぶしていたお母さんと出会った。自身は車道側を歩き、もう一人の子供と手を繋いで歩いていた。賢いお母さんだこと、幼子を守る安全の基本である。

暑い日差しの中を地面から反射熱を受け、砂ぼこりを吸い込みながらベビーカーに乗ってる幼子を見る度に可哀想になる。母親の背中に縛っておくのが合理的で安全だと思うのに。


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家庭の暖房

2019年12月15日 | 日記

小さな借家住まいの幼い頃は、寝る部屋も、食べる部屋も、遊ぶ部屋も一緒だった。寒い季節は、昼間は炬燵を囲んで食べたり遊んだり、夜は親子4人が炬燵を囲んで寝る生活だつた。

昭和28年から5年間、独身で下宿生活時代の暖房も炬燵だけだつた。寝る前に近くの銭湯や居酒屋で体を温めたり、今では知る人も少なくなった蚊帳を利用することで寒さを和らげていた。

家庭の暖房が炬燵だけだった生活から、ガスストーブを併用することになったのは、結婚した昭和33年に新築の職員アパートに入居した年の暮れだった。寒さしらずの生活の最初である。

今は老夫婦だけの居間には、ガスファンヒーターが、床には電気カーペットが敷かれてる。寝間にはエアコン、寝床には電気あんか、暖かい環境が当たり前のように過ごしている。

 


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不機嫌な顔

2019年12月10日 | 日記

寄る年波には勝てず、行動範囲が狭くなったこの頃、人との出会いは病院かスーパーが殆どの日々。特に病院では眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔をしている男性シニアに会うことが多い。

体調が優れないのは分かる。性格にもよるが、不機嫌な顔をしていて良いことはないだろうに、ことわざに「笑う門には福来る」とあるように、あんな顔では、福も寄りにくいであろう。

テレビやパソコンで落語や漫才や漫談など笑いの話芸を聴いたら少しは穏やかな顔になると思うが。趣味がない人、人との関りが苦手な人にとっても、一石二鳥ではないだろうか。

爺は、年寄りから赤ん坊まで気軽に声をかけられる性格なので、病院の待合室でも、スーパーのレジに並ぶながらも、声をかけてしまう。時には、迷惑そうにされて気まずい思いもする。

 


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年末ジャンボ宝くじ

2019年12月05日 | 日記

12月3日は大安、ささやかな縁起を担いでジャンボ宝くじを買いに、いつもの売り場へ。当たりそうな宝くじを50枚を見繕ってくださいと言ったら、「ハイ分かりました」と言って渡された。

当選確率2000万分の一の1等が当たるとは思っていないが、もしか「3等100万円でも当選としないかな」と淡い希望を抱きながら、6等300円が5枚、たまに5等3000円が一枚当たる程度で終わる。

東京ドーム(55000人収容)364個分の人の中から一人当選するという途方もない確率では、負け惜しみになるが、運が良くて当たるのか、運が悪くて当たるのか、どちらとも言えない気もする。

もしも当たったらどうしようと、リアルに考えたりして、取らぬ狸の皮算用を楽しみながら、果たして今年の大みそかに発表される結果は如何なるやら。結果が出たところで新年を迎える。

 


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