爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

珍しい眺め

2015年11月24日 | 日記

市内Kインターから降りて国道との交差点は、信号待ちの車から捨てられたゴミが目立つところ、管理者が設置した金網や禁止看板も効無く、最近は看板に変えて、しめ縄を飾った鳥居も 効果はなさそう。

朝の通勤時間帯で、たまに出会う40歳代の男性、濃紺のブレザーにグレーのズボン、地味なネクタイにパナマ帽姿、持ってる鞄が爺の20歳代に使用していた鞄とそっくりで見るたびに懐かしい。

我が家の前の畑に毎日のように、老夫婦が隣の町内から別々の自家用車で来て野菜や果物作りに精を出している、分担があるのか作業内容も別々で、それぞれ終わり次第に帰って行く。

毎日、天候に関係なく、一日中散歩しているように見える70歳前後と思われる男性、時々腕時計を見たり、交差点では速度を落とし、直進、左折、右折の選択動作以外は、ひたすら前方を見つめ歩き続けている。


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子育て支援員

2015年11月21日 | 日記

国の子育て支援員制度が開始されたという、半世紀ほど前の事だが、爺ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、母ちゃん、年子の子供4人の8人家族で、近くにあった小さな八百屋さんを思い出す。

店番をしている爺ちゃん婆ちゃん、店でも外で見かける時も、背中には、何時も孫がおんぶされている、父ちゃんは大きなリヤカーで「八百屋でござい」と大きな声を出しながら専ら外での商売。

母ちゃんの役割だったのだろう、ある時期は入学式も卒業式も4年続いて、PTAでは4人の授業参観となると忙しいとか、ぼやきながらも明るく話していた様子が目に浮かぶ。

最後まで子育て支援員であった爺ちゃん婆ちゃん、ボケル暇もなかったであろう、我が家は、二人の息子を自身の娘4人と一緒に育ててくれた知人のおばさん、素晴らしい支援員に恵まれ真っ直ぐに成長。

 


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朗報電話

2015年11月16日 | 日記

10月13日の夕方、孫娘のYちゃんから爺の携帯に思いがけない朗報電話、結婚することになったので、一度二人で挨拶に行きたいと、次いでお相手のK君に変わって、初めましての挨拶が。

11月8日には、両家の家族一同での食事会、来春に披露宴を予定しているとか、11月22日の「いい夫婦の日」に婚姻届けをすることになり、戸籍謄本の依頼を受けて、さっそく郵送。

幼稚園の頃、愛媛の新居浜市で生活していたYちゃん、松山空港から大阪空港を経由して新潟空港まで、乗務員に付き添われて一人でやって来た時の事を思い出す、乗務員へのお礼に持参した笹団子が好評。

今は26歳になったYちゃん、小さい頃からお賑やかな子だったのに、暫く会っていないが、電話の様子からも、自分でも言っていたが、落ち着いた雰囲気になったようで、先ずは、めでたし めでたし。


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八十路の坂

2015年11月11日 | 日記

平均寿命は女性86歳、男性80歳、健康年齢となると女性が74歳、男性が71歳と低い、ましてや80代で夫婦揃って健康なカップルとなると、周囲を見渡しても数少ない。

11月4日、家内と歯医者の待合室で出会った80代だと言う2人の女性、1人は24年前、もう1人は14年前から一人暮らしだとか、爺夫婦を見て羨ましいと言う、改めて幸運に感謝あるのみ。

同日、家内の小学校の同級生で衣料品店を営むS子さんから手紙が届く、彼女も昨年ご主人に先立たれ1人で老舗を守っている、手紙には店を訪れる女性客の9割は一人暮らしだとある。

同日、予定していた93歳のご主人と87歳の奥様で手芸店を営むT夫妻を訪問、相変わらず2人ともに顔も手も肌が艶々、しわが少ないのも、食べ物と夫婦揃っての生活だからだと思う。


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結婚57年目

2015年11月06日 | 日記

結婚57年目を夫婦揃って介護なしで、穏やかな日々を過ごしている、先日地区の民生委員の訪問を受けた、介護なしで生活する75歳以上の夫婦を確認のためだとか、特に質問もなかったが。

爺25歳、家内24歳での職場結婚、結婚7年目の銅婚、25年目の銀婚、50年目の金婚を経て、‘3年後の平成30年には60年目のダイヤモンド婚も元気で迎えたいもの。

銅婚時は、共働きしながら二人の息子の子育て中、銀婚時は職場からお祝いとして爺は堆朱の花瓶、家内が堆朱の花台を、今も床の間に、金婚時は、息子夫婦から温泉への招待と腕時計を。

ことわざ「お前百までわしゃ九十九まで」は無理だが、「ともに白髪の生えるまで」には達したものの、その白髪もめっきり少なくなり、今では「禿げるまで」と置き換えて。


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