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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

愛するのは民族ではない、家族、友人だ    ハンナ・アーレント

2013-12-24 | 映画
与党自民党は、教科書に検定以外にも、歴史的事象についていくつかの説がある場合など「政府の見解を踏まえて」記述させるよう改めるという。尖閣諸島、竹島、北方4島(いずれも日本名)などの領土関係、従軍慰安婦、南京事件などのさきの戦争期に日本が関わったことを念頭においているのであろう。ここで「戦争期に日本が関わった」という奥歯にものがはさまったような書き方をしたのは、従軍慰安婦については強制性の否定、南京事件についてはその存否あるいは犠牲者数についてかなり「通説」(日本軍が行ったことは事実で、犠牲者数については8~20万人程度)より少ない数字を前提にしているのではないかと勘ぐっているからである。
一方、学校現場では卒・入学式における「君が代」「強制」は猖獗を極め、教員はどんどん処分されているし、学校によっては生徒に起立を命じているとの報道もある。教員に対する「君が代」強制は、教委による通達、校長による職務命令だから「立って、歌え」というものであり、「君が代」がどういう意味で、その歴史的背景はどのようなものかは関係がない。少なくとも処分理由としては。そして「君が代」の意味を授業で教えることもない。
冒頭で記した「政府の見解を踏まえて」教えよ、あるいは前述の「君が代」にしても、要するに生徒には一切考える機会を与えていないことで共通している。何故かではなく、一体本当はどのようなものではなく、とにかくそのとおりにしろ、ということだ。考えるな、ということだ。
本稿は実は「ハンナ・アーレント」の映画評なのだが、冒頭からかたい話をしてしまった。が、アーレントがアイヒマン傍聴記で誤解にともなう攻撃を受けたことに対して、講義で生徒たちに語った真意、それは「考え続けろ」ということであったから。
ハイデガーの教え子にして愛人。そのような男女間の関係がフィーチャーされるアーレントは、思考の巨人であった。ナチスに入党したハイデガーを見限ったアーレントは、ユダヤ人であったため、逃れたフランスでも抑留される。アウシュビッツ等強制収容所に送られる既のところで旅券を入手し、コミュニストの夫とともにアメリカに逃れる。ニューヨークで雑誌記者として生計を立てながら徐々に研究者として頭角をあらわし、遂に『全体主義の起源』で時代の寵児となったアーレント。アーレントに舞い込んだ仕事はイスラエルのモサドに見つかり、捕われイスラエルで裁判を受けることになったアイヒマンの裁判を傍聴し、その報告記事を執筆すること。のちに『イェルサレムのアイヒマン』として結実するアーレントの仕事は、しかし、すさまじい反発を呼び起こす。
それは、まずユダヤ人600万人を殺戮した責任者たるアイヒマンが怪物でもなんでもなく凡庸な一官吏であったことを明らかにしたこと、そして、ユダヤ人指導者の中にはすすんでナチスの片棒を担いだ者がいた事実を指摘したこと。まずアイヒマンが法廷で述べたことにアーレントは驚愕する。「(絶滅収容所にユダヤ人らを送ったのは)命令だった」から。「(収容所でユダヤ人が殺されることは、分かっていたが)送るのが自分の職務であり、命令をこなしただけだ」「命令に背く選択肢はなかった」…。恐るべき無思考、無自覚さ、想像力のなさ。カリスマ性のある、あるいは史上類を見ない悪人がそこに立っているのではない。一官吏がなした業、それがホロコーストである。しかし、アーレントは気づくのだ。このような「凡庸さ」こそ「悪」を導き出すのだと。それはアイヒマンに限らない、誰もがアイヒマンになりうる悪の要素を抱え、そして、そのような現実世界でこそ巨悪は現出するのだと。
次にユダヤ人指導者の中にも「悪」があったこと。被害者に「悪」はない、としてきたユダヤ人世界に大きな反発を呼び起こしたことは間違いない。なにせ、シオニズムは正しいとされる価値観のなかで、ユダヤの側に瑕疵などありようもないはずであるから。
大学も追われそうになり、自身として講義で反論する様が圧巻だ。「私はナチスを肯定するものではない」「アイヒマンの死刑は支持する」としながら、「悪」について、アイヒマンの悪、ユダヤ人指導者の悪、について、人間の悪について思考を止めるなと。考えろと。考え続けろと。
そして、長年の友人がアーレントに反発し、決別を告げる際にも毅然と答える。「私は一民族を愛したことはない」。もう言うべきことはないだろう。冒頭に記した国家の愛国感情押しつけや「君が代」強制は、幻想の共同体としての国家に「愛」を強いるものだ。
アーレントに倣いたい。私も国家や一民族は愛する対象ではない。家族、友人らだけであると。
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生業としての屠畜に生きる姿が清々しい   ある精肉店のはなし

2013-12-19 | 映画
内澤旬子さんの『世界屠畜紀行』(解放出版社2007)では、日本の屠畜現場も親しみやすいイラストと丁寧な解説で紹介されていた。屠畜に絞った好著で、世界中のその現場が臨場感をもって伝えられるとともに、とりわけ日本ではそれが今や差別とは違うところで(もちろんそこにも触れられているし、完全に解消したわけではない)作業をこなす(多くの)おっちゃんたちの肉声が伝えられている。私たちが日頃「美味しい」「美味しくない」との一言でその食材が私たちの口に納まるまでの背景に思いを至らせずにいることに対する警句となった本書は、この映画で警告される安易なフーディズムに対する警句でもあった。
「ある精肉店のはなし」はそこまでも、いや実は『世界屠畜紀行』でも深刻に描いているわけではない差別される職業としての屠畜を、差別を前面に押し出すのではなく、むしろ人間が大昔から関わってきた普遍的な職業の一つとして取り上げているところがいい。そして北出家では7代にわたり、牛を飼い、屠り、切り分け商品とするまで一家の生業としてきた歴史を丹念に追い、また、当事者のインタビューや地域の祭りも交えて淡々と描いている良作だ。北出精肉店が地域に根付き、商いをずっと続けてこられたのは、技術に裏打ちされた信用そのものである。北出精肉店の先代、現在の店主北出新司さん、弟の昭さんの父親である静雄さんは小学校で教師に差別され、学校に行かず読み書きができなかったという。しかし、現金商売を続けていれば生活には困らないという世界観があったと。それは、金さえ持っていれば差別に負けないといういわば、歪んでいるけれど現実的な選択であったのだろうと。回想する真司さんらは地域の解放運動を牽引し、教育、住環境、地域交流からの排除などそれまでさまざまになされてきた差別と闘い、改善させていく。映画では詳しく触れられていないが、筆者も少しだけ知っている解放運動とは、毎日が運動である。生活が運動である。例えば同じ学区であるのに川の向こうとこちら側で日常的に交わされる「川の向こう側やから」という言葉。その前提として揉め事があれば、学校や地区の行事に決められた寄付ができなければ、あるいは政治的発言をして「浮いている」と見られれば、「川の向こう側やから」。
北出家に休みはない。それは実態的な休みというのではなく(静雄さんの代は元日以外休みがなかったという)、精神的なそれだ。それは一日の作業において明らかだ。生きている牛を今から割る(「殺す」ではなく「割る」という言葉が、生き物をいただく言葉として優しい)緊張感は、それを欠いて一つ間違えれば大事な牛を傷め、作業者も大怪我をしかねない。昭さんは「オヤジ(静雄さん)によく殴られた」という。今で言えば児童虐待だ。殴るのはもちろん良くないが、屠畜の際、しっかり牛を押さえていなければ、皮をはぐ人も、押さえている人も危険だ。それを防ぐために言葉で伝える技術を知らず、殴ることで体で覚えよということなのだろう。屠畜の現場に限らず多くの生産現場であったことだ。
貝塚市営の屠畜場が閉鎖されることになり、飼育、屠畜、解体、販売の一貫作業をこなしてきた北出精肉店はその任を終え、今後は新司さんが小売に徹し、昭さんは太鼓製作に勤しむという。だんじりの街に太鼓は欠かせない。そして太鼓の革は言うまでもなく牛のそれでできている。太鼓の重く乾いた響きは、北出の人の一歩一歩の歩みをも伝えているようで心に染み入る。
フードマイレージが極端に低かった北出家の商いが消えたことで、私たちは食以上に隣の人とのつながりをも消失させてしまった。そんな気がしてならないが、新司さんらの前向きさは、差別はきっとなくすという終わらないたたかいへの決意に見えてとても清々しい。
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線で表せる人の営み    ベン・シャーン展

2013-12-09 | 美術
「ラッキードラゴン」とは第五福竜丸のことである。たしかに福と竜を訳せばそうなるのかもしれないが、皮肉である。第五福竜丸にとって、日本にとって核は福でなかったからである。
ヨーロッパ在住のユダヤ人の多くが20世紀初頭から第2次対戦集結までの間、迫害を逃れてアメリカに渡った。が、ベン・シャーンは、もともろロシア生まれで父について子どもの頃アメリカに渡っている。であるからベン・シャーンの作品にはナチスの蛮行やヨーロッパ全土で吹き荒れたユダヤ人迫害を告発する作品は見当たらない。しかし、ベン・シャーンは戦中・戦後のアメリカで多くの美術家が人権や戦争のテーマを取り上げなかった中で、いわば直球勝負でそれらを取り上げた。ラッキードラゴンシリースは、アメリカの核実験によって被曝した第五福竜丸、そして亡くなった久保山愛吉さんを描いた、差別や戦争、現代社会の問題に正面から取り組んだベン・シャーンの答えである。
ベン・シャーンは人間を描く。それは人を選ばない。ある程度上流階級の人から労働者、そこいらの洗濯婦やたんに街で見かけた人まで。しかし、それらの人を書き分けているわけではない。みんな同じ、ベン・シャーンの眼からは同等、同列なのだ。だからいい。人を描くということは、その人の生きている証を描くということ。やがて、ベン・シャーンは無辜の死刑囚となったサッコとバンゼッティや第五福竜丸の久保山さん、キング牧師まで描き始める。それも線画で。そう、ベン・シャーンは線画が美しく、またその画力・力量を見せつけるものはない。
西洋絵画の世界ではキリスト教絵画のあと肖像画が流行り、また、崇高と見なされ、ヤン・ファン・エイク、レンブラントをはじめダヴィッドやルブランなど肖像画の名手と呼ばれた画家たちを輩出するが、印象派以降肖像画はたちまち人気をなくした。しかし、旧来の肖像画ではないがゴッホやピカソなど人を描くことにこだわった画家が20世紀に出て、ベン・シャーンもその系列につながるかどうかは分からないが、人を描くということにこだわる。線画といえども、その深い表情、劇的な眼差しは見るものを圧倒する。ケーテ・コルヴィッツが単純かつ明快に太い線画をものにしたのに対し、ベン・シャーンの線画はそれほど太くはない。それでいて見ているこちら側の戸惑いと想像力をかきたてて止まないのは、単純なその造影が描かれた者の本質をずばりと衝いているにほかならない。そして描かれる対象はこちらを見ているのも、まるで非現実的なアイドル写真が、どの方向からもこちらを見ていると感じさせる錯覚に似ていて、キング牧師も労働者も描かれているのではない、あちらがこちらを見ているのだとの驚愕に落とし込む。
肖像画の名手ベン・シャーンは広告全盛のアメリカで、デザインの世界でも成功する。それは出版物の扉絵であったり、挿画であったり、演劇のポスターでもあったりするが、やはりベン・シャーンの真骨頂はテーマではなく、線画そのものにあったのではないか。そして、自己の出自との関わりであった旧約聖書の題材など。
ベン・シャーンを社会性や反差別の文脈で語るのは容易いし、それは一面的を得ているであろう。しかし、線画やデザインの力で何が表現でき、見る人に何を想像させるのか。絵画の向こうにあるもの―時にそれは差別の問題であるかもしれない―にどれだけ興味を抱かせるか。第五福竜丸で明らかになった核の問題は、福島第一原発事故で今や日常で身近な問題となった。現代を描いたベン・シャーンの問題提起として「現代」は私たちの手に負えないものになってしまっている。
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「あなたの肖像」のあなたとは私である   工藤哲巳回顧展

2013-12-03 | 美術
草間彌生の初期作品に無数のビニール製の突起物が咲いている!作品がある。見ればすぐ分かる。男性器だ。草間には無数の精子を想起させる作品もあり、作品を作る上で男性「性」にただならぬ関心があったことが窺われる。芸術家にとって性の位相は作品を創造するときのテーマであり、根源であり、もっとも描きたい真理であるのかもしれない。そう言う意味では工藤哲巳が男性器をしつこく作製、表現形態としたことは彼の言う「あなたの肖像」という、えぐって欲しくない個の性的存在、と同時に人間の本質的表象を鏡に映し出すようでいて、あまりにも現実的そして居心地が悪いものである。
「あなたの肖像」とは何か。それは、工藤が描く作品を見ているこちら側である。では工藤の描くあなたは、ペニスであり、皮膚だけになった腕であり、足であり、眼球であり、脳であり、唇である。要するにヒトを形作るのに典型的な表層と機能、をフィーチャーして「これがあなたです」と言っているに等しい。不思議に思ったのは、男性芸術家(というか男性が多いが)がわざと、あるいは、執拗に描く女性性器がないこと。工藤にとってペニスは重要であったがヴァギナはさほど重要でなかったということか。それはそれで、工藤のこだわりでいいのだが、圧倒的なのはそのしつこさである。
繰り返し、繰り返し乱立する男性器。乱「立」どころか、小さな、しょぼい?ものまである。しかしこれこそ現実で、それは皮膚を表す手や足型、脳皮、眼球にいたるまで人間がこれらの要素で出来ているにもかかわらず、それに無関心、無感覚で特に性器や眼球、唇は性行為と不可分の対象で、それらこそ人間を形作っている本質であると、工藤は訴えるのであろう。
ところで、工藤が活動し始めた1950年代といえば、阪神間で旧来の美術からアートへの萌芽が開いた戦前世代の具体の面々が活動し始めた頃。しかし、具体としての活動は60年代になってから。工藤の先進性、先取性、アバンギャルドなテイストが窺われる。
なぜ、芸術家は性器にこだわるのか。それは、人間の本質を絵画や彫刻で表わそうとするとき、自己の表現意欲が性欲と不可分であるからとの説明が可能である。70歳を超えて結婚したピカソをはじめ、衰えることを知らない欲望の発現は性欲がもっとも表現しやすい自己実現であったのかもしれない。ただ、工藤にとっては、実は性器は腕や眼球、唇、いや、繰り返し出てくる毛髪や、なにかよく分からない工業製品と等価である。それは、工藤と同時代に活動した荒川修作や、篠原有司男などと同じく現実破壊の前提として現実直視があるに過ぎない。アバンギャルドが「前衛」と訳されるとき、その前衛が現実を直視しない旧来の美術表現に対する対抗言説に過ぎなかったこと、旧来の美術の本質を暴露するものとしての機能ゆえに存在したことで「前衛」たりえたことを、工藤の挑発的な表現は物語っている。
今や、形を変えこそすれ、性器を前面に押し出すことなどある意味普通である。パリで長く過ごし、帰国後東京芸大の教授に就いた工藤はわずかその3年後この世を去った。工藤が受け入れられ、あるいは、受け入れられなかった前衛は60年経った今でも古びることなく、私たちの眼前に前衛であることを確認できたいい展覧会であった。
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