kenroのミニコミ

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麗子登場!!  日本近代画の生成

2010-06-20 | 美術
世界の美術館、特にヨーロッパの有名どころは割と行ったほうだと思うが、日本の美術館は老後でも行けると思い、足が向かなかった。けれど、これまでの常設展、企画展情報などから、ここは行ってみたいというところがいくつかある。
千葉県は佐倉市の川村美術館はマーク・ロスコの回顧展を開催するなど油断ならない?ところであるが、2番目にあげるならここ神奈川県立近代美術館だろう。それも今や3館体制となった中で葉山館は、なかなか見逃せないコレクションと企画展で惹かれるものがあった。葉山といえば、天皇の別荘があり、ただでさえ縁遠いし、神奈川県は横浜を除いて関西からは若干不便。しかし、葉山館はもちろん鎌倉にある鶴岡八幡宮そばの神奈川県立近代美術館が、恥ずかしながら日本における「近代」美術館の発祥地とは知らなかったのを再発見できるだけでも本展は有意義であった。
面白いと感じたのは、現在印象派とポスト印象派再発見とばかりに(オルセーの改修に合わせて大規模な展覧会が国立新美術館や森アーツギャラリーなどで開催されていることと無縁ではない)いろいろ開催されている中で、モネやゴッホなどものすごい日本贔屓で、作風に日本テイストが氾濫していることを確認すると同時に、20世紀初等の日本画壇が西洋画壇(とはいってもほとんどフランス、パリ)にとてつもなく影響を受けていたということ。
違うのはモネもゴッホも来日はしていないが、西洋画に影響を受けた日本人が少なからずパリに滞在した者が多いこと。早くは黒田清輝に始まり、20世紀にはエコール・ド・パリのパリにとっては異国の人に交ざって前田寛治、児島善三郎、里見勝蔵、佐伯裕三、荻須高徳などが渡仏し、そして藤田嗣治に至って日本人であるにもかかわらずフランス画壇で成功したと見なされる頂点の者まで輩出したのである。
と同時に、パリまでは行かなかった日本人画家の斬新かつ貪欲な吸収性がこの時代、すなはち日本における近代画壇の金字塔をいくつも打ち立てているのは驚きである。
萬鉄五郎のフォーブは見る者を圧倒する。マチスの真似に過ぎないという指摘もちろん正しかろうが、フランスよりはるかに裸婦像に抵抗のあった日本でここまで被写体そのものが見る側を見返す威圧感たるや傑作に恥じない。あるいは岡本唐貴(白土三平の父)や坂田一男のキュビズム・シュルレアリズムは、ロシア構成主義やイタリア未来派の影響が見られるとはいえ、驚くほど独創的である。
これら「自由な」傾向は1920年代までで、30年代以降は戦時体制、国家総動員体制への距離によって画家は進路を決せられる。戦後戦争協力故に断罪された藤田嗣治らよりはるかに戦争協力した大物、猪熊玄一郎など戦後の美術家に対する戦争責任追及は十分でないところが、同時に30年代以前の作家の正当な評価と掘り起こし、そして追及が、その画業と別のところでなされるとしたら不幸である。
第1次大戦と第2次大戦の2度の戦地体験を持つオットー・ディックスが「人間は愚かで変わらない」と述べたとき、日本人画家のいかほどがその愚かさを自認しえたであろうか。
神戸が誇る小磯良平の「斉唱」(1941年)を暗い時代の画家の自立と抵抗と評価する甘さに日本近代画の限界と到達点をにおわす展示に納得がいったのは少し深読みかもしれない。
今回、日本における近代美術館の発祥たる神奈川県立近代美術館と第2番目の兵庫県立近代美術館の「近代画」をめぐるコラボレートはかような近代画の責任の所在を明らかにする意味で含蓄深いものであると思う。(「斉唱」小磯良平 兵庫県立美術館)
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