kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「私は政権に仕えているのではない。国民に仕えている」  オフィシャル・シークレット

2020-09-13 | 映画

イラク戦争の開戦要件の疑惑については、たくさん解明、論述されているのでここでは触れない。ではない。大量破壊兵器がなかったことをブッシュ政権も認めているし、イギリスも真相解明が進んでいる。しかし、アメリカが主唱した有志連合の一角を占め、自衛隊を海外派兵した小泉純一郎政権の判断に対する検証は一切行われていないからだ。今となっては、小泉首相の「自衛隊が活動している所は非戦闘地域」という迷言くらいしか残っていない(ただし、筆者も原告に参加した「イラク派兵違憲訴訟」では、違憲との名古屋高裁判決が確定している。2008年)。

イラク派兵の理不尽さは、当初から明らかであった。その理不尽さの一端を明らかにしたのが、イギリス諜報機関の一職員が見つけたアメリカのNSA(国家安全保障局)から送られた一通のメールであった。メールには国連でイラク派兵の可否が論議されている中、非常任理事国メンバーを盗聴するよう求めるものだった。これはアメリカが主導し、イギリスがそれに続くが、中国、ロシアは反対、フランスは保留とするイラク派兵への国連決議を左右する非常任理事国の動向を把握し、場合によっては圧力をかける政治的駆け引きの産物で、実際に攻撃を受けるイラク市民の現状を想像した上での判断ではなかった。イラク攻撃が国連決議されれば、無辜の民が殺される。その決議をこんな風に歪めて取ろうとしていることを知った一諜報部員は、そのメールをマスメディアに託す。困難を経て、英大手オブザーバー紙にメールは暴露されるが、待っていたのは諜報部員の公務秘密法違反の罪であった。

事実である。映画は、イラク戦争の是非ではなく、一職員の葛藤にスポットを当てる。

結局、彼女の勇気ある行動は有志連合軍によるイラク攻撃を止めることはできなかった。しかも、彼女が公務秘密法違反に問われた場合、抗弁する手立てはないという。戦争で多くのイラク市民の命が奪われていく上に、法的に彼女を助ける手立てもない。英国当局は、彼女の配偶者がクルド系トルコ人で永住権を求めていたことを逆手にとって、いきなり強制送還しようとさえする。大量破壊兵器の存在という不確かな情報だけで、イラク市民が殺されていくのを許せないと思った彼女の素朴な正義感も揺らいでいく。ところが、彼女の弁護を引き受けた人権派弁護士が、彼女の行為は「不法な戦争を止めさ、人命を救うための、止むなき事情がある」とする答弁を主張、さらに、彼女のリーク記事を載せた記者が、開戦直前に渡米し、イラク攻撃は不法としていた司法長官がその意見を180度変えたことも突き止める。起訴された第1回公判廷で検察は「裁判を続けることは税金の無駄遣い」と言って起訴を取り下げてしまうのだ。自由の身になったキャサリン・ガンの胸の内は晴れない。

雑感が2点。イギリスには明文憲法がないため、違憲訴訟というのは考えにくいと思っていたら、このような戦い方があるのだなと感心したのがひとつ。一方、「恥ずかしい憲法」だから「改憲」と騒いでいた安倍政権の退陣は決まったが、そのコピペである菅政権。こんな政権下であるからか、いや、日本の裁判所は違憲判断について極めて抑制的であることからか、自衛隊や在日米軍などに関わる訴訟で原告側が「平和に生きる権利」(平和的生存権、憲法前文)を理由に求めてもほとんど認められたことはない(先述のイラク派兵違憲名古屋高裁判決と、長沼ナイキ事件一審判決のみ。)。憲法のないイギリスの方が進んでいるようにも見えたのがもう一つ。

安倍晋三首相の内輪優遇、私利私欲優先の典型と思われる森友学園疑惑では、近畿財務局が公文書を改ざんし、その作業に携わった赤木俊夫さんは自死をもって、その事実を訴えた。しかし、赤木雅子夫人が財務省に再調査を求めているのにも、菅新首相はしないと明言。公務員の倫理とは何か、内部通報者の保護と取材源の秘匿、論点は多岐にわたるが、キャサリン・ガン氏の言「政権は変わる。私は政権ではなく、国民に仕えている。国民に嘘はつけない」は、赤木俊夫さんの「僕の雇用主は国民です」と相通じるものがある。しかし、ガン氏は生きながらえ、赤木さんは亡くなった。事実を葬り去ろうとするこの国の闇は深い。

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沖縄戦を語ることは現在の状況を直視すること 『証言 沖縄スパイ戦史』

2020-09-10 | 書籍

新書でありながら750頁の大部である。その多くを沖縄戦を体験した人たちの証言に割く。中でも戦況も芳しくない1944年9月に沖縄で配置された秘密部隊、第一、第二護郷隊に動員された少年兵らの証言が多く占め、その実相を明らかにする。少年の年齢は15〜17歳。その任務は遊撃隊としての活動、即ちスパイ活動である。まだ中学生くらいの年齢の少年に戦闘員としての射撃や擲弾筒の技術のほか、スパイ、テロ、ゲリラ戦・白兵戦の訓練を短期間に課した近代戦争の歴史上類例のない秘密作戦であった。秘密であるから資料は少ない。そして正規の軍人ではないから戦後の補償も一切ない。著者はこの数々に明らかにされてきた沖縄戦の歴史の中での空白を体験者の証言を通して一つずつ繙いてゆく。

護郷隊を指導、指揮したのは陸軍中野学校を出たばかりの22、23歳の青年将校や下士官ら。中でも第一護郷隊長村上治夫と第二護郷隊長岩波壽(ひさし)は少年らの尊敬と羨望を一手に集める陸軍の超エリートにて優れた指導力の持ち主だったようだ。帝国陸軍には「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が絶対であるほど、敵に囚われるような事態になれば自刃しろとの定めがあったが、スパイは囚われてからの行動こそその真価を問われた。であるから「死ぬな」というのが絶対的命令であったというのが皮肉だ。村上隊長と岩波隊長は性格的に動と静、行動型と沈思黙考型と正反対のようだったが、いずれも少年らの信頼厚く、戦後は二人とも沖縄に通い、慰霊と追悼、元少年兵らのへの気遣いなど、二人を非難したり、悪く言う人は少ない。著書の三上智恵は考える。この二人の戦争責任を問うには、「悲惨な沖縄戦」や「捨て石にされた沖縄」と言った通り一遍の言説だけで説明はつかないと。わずか15歳ほどで戦場に放り込まれ、死んでいく仲間を嫌という程見た一人ひとりの思いを聞き取ってこそと。

しかし、いくら元少年兵らが二人の隊長を「立派だった」と評しても、戦場が過酷であったことには変わりない。そこには、沖縄ゆえの地域的特性、すなわち日本軍がそもそも沖縄の人間を信用しておらずスパイ視する素地があったこと、実際、米軍が上陸し、敵軍との攻防は眼前で展開される喫緊、実際にある事態であったことなど。本書では皇軍兵士に敵軍のスパイとして殺される沖縄住民らの実態も明かされる。そして、スパイを征伐したと褒めそやされる「敗残兵」や、スパイ視されてあわや殺されかけた少女など。しかし、凶暴な敗残兵も、スパイリストを作成し住民殺戮を指導した兵士も、別の側面からは尊敬され、愛された存在であったことも明かされる。人間の多面性と簡単には分析できないが、多くの善良な男子が、中国その他侵略した地では、悪魔と化したことと同根であるかもしれない。戦地、戦場は人から善良さを奪い去ってしまう事実。

ただ、著者も押さえておかなければならないとする。「戦争末期とはいえ、(護郷隊創設という)こんな法も道義もかなぐり捨てた無茶な作戦を当時の大人たちが東京(=大本営)から平然と下命したことに驚きを禁じ得ない。間違いなく日本戦争史に残る大きな汚点」で「大本営の過ちは厳しく追及されるべきである」と(330頁)。ところで、著者は証言者の隊長、下士官、正規の軍人らに対するアンビバレンスな感情を丹念に拾い上げるとともに、指導した隊長や住民虐殺に関わった軍人らの責任についても言及するが、そういった皇軍が本源的に内包していた不合理性、住民は守らないのは国(体)を守るため、と言う構造としての責任にはあまり触れない。いや、著者が明らかにしたかったのは、一人ひとりの兵士そのものが死ぬために戦地に赴くという絶対的な不合理性、そのようなことはあり得ないが、生き残るのは天皇のみと言う非科学性への射程ではない。しかし、天皇制軍国主義の思想では、合理性や科学性は捨象される。ここでは住民は人としてではなく、武器・弾薬と同じ消耗品であったことを明らかにすることによって、著者の立場を明らかにしているのであろう。現に、沖縄戦の最中、本土でも護郷隊の計画が進んでいたことも著者は調べ上げている。

本書を読むきっかけは三上と大矢英代が共同制作したドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018)を見たことであった。大矢はマラリアが蔓延して危険な地であることが分かっている波照間島に住民を強制疎開させ多くの犠牲者を出した事件、強制疎開を指揮したのもまた中野学校出身者であった、も認めている(『沖縄「戦争マラリア」 強制疎開死3600人の真相に迫る』あけび書房 2020)。こちらも併せて推薦したい。

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