kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

子どもに必要な「自由」と「平和」  「ぜんぶ、ボクのせい」

2022-08-24 | 映画

「子どもたちをよろしく」(http://kodomoyoroshiku.com)は、このブログで紹介したかったのだが、あまりにキツイ内容であったためもあり、書けなかった。「ぜんぶ、ボクのせい」はある意味、それ以上の苦さである。救いはないが、この国の現実を描いているのは明らかである。

児童養護施設で暮らす優太は、中学生になったら母親が迎えに来てくれると聞いていたのに一向に現れない母。施設の説明にも不信感を増し、飛び出した優太は、自分を邪魔者とする母に直面し、ホームレスの「おっちゃん」、おっちゃんを話し相手に来る訳ありそうな女子高生詩織と居場所を見つけたに思えたが。

ここでは施設の現況や課題を伺わせる場面は明確には描かれない。しかし、職員の数に比して子どもの数の多さは明らかだ。優太を気にかける職員も優太にだけかまっているわけには行かない。そして、優太は自分のことを、考えるところを全く話さない子である。優太が生まれ、幼かった時は母親も本当に可愛がり、甲斐甲斐しく愛したのだろう。けれど、男に頼って生きるしかない母親は、次第に優太が邪魔になった。話は飛ぶが、大阪で小さな子どもを自宅に置き去りにして、男友だちと過ごしている間に子どもらを死なせてしまった母親がいた。彼女にはさまざまな批判の声があがったが、彼女自身、スポ根で厳格すぎる父親からとても厳しく育てられ、その反動として若いうちから自立、幸せな結婚を演じようとした無理がたたったことが事件の背景にあることが明らかになっている。優太の母親にこの大阪の女性を見た。幸い優太は施設に入り、命の危険には晒されなくなったが、優太には優しく、自分を愛しく接してくれた頃の母親の記憶しかない。だからだらしない母親の姿を知らないし、それを実感するには幼すぎたのだろう。

でも、責められるべきは母だけなのだろうか。大阪の事件では、子どもらの父親は何をしているのだ、関わらなかったかのか、との追及の意見もあったが、結局、「父親」は不在だった。

父を知らない優太に、時に父のように接する「おっちゃん」は自由だ。そして優太にお姉さんのように接する詩織も、優太のあれこれを詮索しない。けれど、ホームレスへの差別や排外、地域社会の均衡を大事にする現実から、優太も詩織もおっちゃんも自由のままではいられない。ほんの束の間の自由だったのだ。

「8月のジャーナリズム」という言葉がある。広島・長崎の原爆忌や終戦(敗戦)日を中心に8月だけ戦争モノが取り上げるメディアの姿勢を揶揄していう。その中に被爆者に「平和とはなんですか?」と訊くシーンがあり、被爆者の方が「普通に過ごせること」と答えていた。私がもし問われたら「子どもが、食事ができて、屋根のある住居があって、信頼・安心できる大人に囲まれていること」と答えることを勝手に想定していた。優太には、一応、食事も屋根のある寝床も、おっちゃんもいた。が、優太は「平和」を享受できていただろうか。

できていたかもしれない。しかし永遠ではなかったのだ。「自由」と同じく、ずっと得られるものではなかったのだ。だから、現実にいる優太らに「平和」は必要だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知ったふりを自戒、知らないことに含羞 『中学生から知りたい ウクライナのこと』

2022-08-11 | 書籍

どこかの記事で読んだ「ゼレンスキーは西側に『武器をくれ』ばかり言うが、ポーランドをはじめ大勢の避難民を受け入れた国に一言感謝述べてもいいのではないか」に、うんうんとうなずいた覚えがある。ゼレンスキー=祖国を守るため力強く訴え続ける英雄、プーチン=悪魔の単純な構図にも疑問を持っていたからだ。

短絡的には、プーチンの言うNATOを拡大しないという約束を破った西側が、ウクライナというロシアの隣国にまでその版図を拡げようとしているに対し、防衛のため、ウクライナのロシア系住民を守るため侵攻(「特別軍事作戦」と言うらしい)したという論理は、NATO約束破りまでは理解できても「侵攻」は正当化できない、と言うのが一般的ではないだろうか。しかし、この理解もソ連の崩壊とウクライナの独立、1991年からの30年余りだけを前提にしているに過ぎない。歴史理解とは、それ以前の歴史に対する理解を含むと言うことを本書は教えてくれる。

藤原辰史さんは『[決定版]ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(2016 共和国)でその緻密な実証主義的手法に歴史学者の矜持を見たが、その藤原さんさえもドイツの隣国ポーランドの歴史にはあかるくないと述べ、だからウクライナからも見ても隣国であるポーランド歴史家から見たウクライナという観点を提起する。小山哲さんはポーランドに留学経験もあり、ウクライナの地政学的な歴史に通暁している。そこで明らかにされるのは、前述の「短絡的な」理解では収まらないウクライナ史の複雑さと、それが現在に連なる一筋縄ではいかない関係性の錯綜だ。藤原さんは、本書を「中学生から知りたい」と冠した理由を、中学生が授業で習ったロシア、ウクライナあるいは東欧の版図を大人は理解、咀嚼できていないのではないかとの思いからとする。そう「分かった、分かっている」気で理解していてはだめなのだ。

ボルシチはロシアかウクライナか、コサックはどうか。ウクライナ正教はロシアの東方正教と違うのか、ユダヤ系と言われるゼレンスキーだが、そもそもウクライナにおけるユダヤ人の立ち位置、構成、民族的割合はどうであるのか。断片的に想起されるウクライナの「豆」知識が、有機的に説明され、そしてますます「ウクライナ」と一言で括るのが難しいくらい「ウクライナ史」の有機性、多様性が語られる。小山さんの話では3大宗教の併存期、ウクライナ公国の勢力圏、オスマン帝国の伸長、ロシア帝国の時代、第二次ポーランド分割、そしてその度に境界線が引き直される曖昧で不安定な「ウクライナ」の様が活写される。そう、「ウクライナ」を一言で言い表すこと事態が困難なのだ。

中学生の教科書に載っているウクライナの版図を仮に知っていても、ウクライナを「知った」ことにはならない。そして、現在のウクライナ「情勢」も知った、分かったと納得することでこれからも続く「歴史」を切り取り、知識の一部分に留め置くことに警鐘を鳴らしている、と本書を読めた。戦争はいつか終了するだろうが、どの戦争もスッキリした形で、どういう形がスッキリかもあるが、終わった試しがない。だから、今起こっている事態を理解するため、後世につなげるため「歴史」を学ぶというのは大切なのだ。

(『中学生から知りたい ウクライナのこと』小山哲・藤原辰史 2022.6 ミシマ社)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする