kenroのミニコミ

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「国」とは無縁のアイデンティティを   追悼 徐京植さん

2023-12-20 | 書籍

私が「中世最後の彫刻家」ティルマン・リーメンシュナイダーの名を知ったのは、徐京植(ソ・キョンシク)さんが「日曜美術館」で取り上げていたからだ。徐さんには『私の西洋美術巡礼』(1991 みすず書房)ほか、西洋美術にまつわる著書がいくつもある。その中には、20世紀美術、それもナチスによる迫害の時代強制収容所で命を落としたユダヤ人画家のフェリックス・ヌスバウムや二度の世界大戦の十分経験があり、戦争の悲惨さ、愚かしさを描いたオットー・ディックスも詳しく取り上げている(いずれも『汝の目を信じよ! 統一ドイツの美術紀行』(2010 みすず書房)。さらにご自身が在日コリアンであり、言葉をはじめとする置かれた環境に対する複雑さゆえ、その視座はユダヤ人に象徴的なディアスポラへの洞察へと続く。徐さんが、今年の7月31日東京で関東大震災100年、朝鮮人虐殺を取り上げた集会で講演されると知り、聞きに行った。そこで新著も購入した。

その徐さんが12月18日に亡くなった。ほんの5ヶ月前に講演されていたのに。報道では循環器系の持病とある。あの時も体調を押して話されていたのだろうか。とてもとても残念だ。

徐さんの姿は「美術評論家」だけではもちろんない。韓国に留学していた兄二人が当時の軍事政権にスパイにでっち上げられ、収監され、拷問を受ける。二人の救援活動を続ける中で同時に思索を深めた在日コリアンという立ち位置の複雑さ、不安定さ。徐さんをはじめ、在日コリアンがいるのは日本による植民地支配が原因で、第二次大戦後敗戦国日本は植民地であった朝鮮半島の南には韓国の国籍を認め、北には野晒しにした。ゆえに韓国籍を選択しない人々は無国籍者となった(国としての北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を表すのではない「朝鮮」籍を日本は認めていない)。徐さんも韓国籍がなかったため海外渡航もできなかった。しかし、後に欧州に出国でき、さまざまな国と美術作品と見え、したためた。その中で、自己にとって国籍とは何か、母語(自国語、祖語の概念も含めて)とは何か、そもそもアイデンティティはどこに存するのか?を問い続け、その明確な答えがないからこそ問い続ける意味を書き綴ってきた。その中で、ユダヤ人としてのアイデンティティゆえに殺されたヌスバウムや、アウシュビッツから生還したもののその経験と、イタリアを含め戦後ヨーロッパがその総括を個々のレベルできちんとできていない齟齬に悩み続けて自死に至ったプリーモ・レーヴィの生き様を追い続けた。そう、ヨーロッパの深い桎梏であるユダヤ人とともに、徐さん自身「在日朝鮮人」という国や言葉から規定できない、規定できるはずもないアイデンティティの存在としてのディアスポラを自認していたのだろう。

7月の集会で徐さんが紹介されたのは、韓国人映画監督が制作したルワンダの戦後を描く作品であった。ルワンダは1994年に多数派のフツ族が少数派のツチ族らおよそ100万人を虐殺した内戦の歴史を持つ。ルワンダは今やアフリカの新興国の筆頭で、イギリスは経済援助と引き換え自国の移民を送り込もうとしている件でも知られる。では、「内戦」後人々はどう暮らしているのか? 虐殺の歴史はどう継承されているのか? カメラは淡々とルワンダの人々の日常を追うが、虐殺の歴史が克服されていないこと、歴史のアーカイブ化、記憶の継承自体が困難な現状が垣間見られる。しかし、その現実を映像化することが大切なのだ。営みはすぐには始まらないし、遅々として進まないが、営みそのものを止めることは記憶の暗殺に繋がりかねない。

徐さんが問うたのは、アイデンティティの不安定さゆえに、個々のアイデンティティが問われない、問うことをやめてしまう思考停止。集団主義、全体主義の危険性ではなかったか。徐さんには寄るべき「国」がなかった。兄弟は内戦の果てに生まれた国に生を脅かされた。ディアスポラゆえに国を想い、国を欲すると同時に自分を助けてくれる国もない。ガザを無差別攻撃するユダヤ人の人工国家イスラエルはもちろん徐さんの欲する国の姿ではないだろう。

国とは一体なんなのか。徐さんの著作で考えたことを勝手に思い、書き続けるとキリがない。

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