kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

スペイン・ポルトガル美術紀行2012(4)

2012-02-27 | 美術
飛行機で夕方着いてホテルに直行したが、ご飯のためにだけあまり遠出する気にもならなかった。バルセロナの最初の夜はホテルから歩いてすぐのバールに入ったがひどかった。食べ物はまあ許せるとしても、ワインはひね味だけ。以前からスペインのワインはクセを感じると思っていたが、供された白は旨味を全部取り除いてクセだけを飲んでいるよう。まあ、ビール、鳥団子のカレー風味、ワインで800円くらいだから仕方ない。ホテルの最寄り駅はユニベルシュタット。バルセロナ大学の近所であるので学生も多いし、観光客というより貧乏大学生が行きつけのバールも多いのだろう。件のバールでは、若いカップルがコーラだけ飲んで過ごしていた。
バルセロナの2日目は体調に自信が持てないので、朝サグラダファミリアに行った後は、カタルーニャ美術館のように市街地から少し離れたところは止めにして、ホテルまで徒歩圏内で済ませることにした。フレデリック・マレー美術館はカテドラルのそばにあり、旧市街の雰囲気は抜群。ただ、前回バルセロナを訪れた際チェックできていなかったのは、長い間改装中であったかららしい。「地球の歩き方」でも改装閉鎖中のままであったが、ウエブで調べて開いているのが分かったので訪れてみた。これがすばらしい。中世の磔刑像など彫刻がわんさか。壁一面に14世紀~15世紀の磔刑像が並ぶ様は壮観である。そのどれもが美しい。美しいとは、500、600年の歳月に耐えた木材の選定、鑿の技術、色合い、そのどれをとっても妥協を許さなかった彫り人の矜持と、作品を遺し続けてきた信者や美術愛好者、あるいは教会や部屋の片隅にあったみすぼらしい塑像を守り続けた市井の一人ひとりの思いが凝縮されていると感じるからだ。いつかドイツ中世彫刻の巨匠リーメンシュナイダーの作品を見て回りたいと思っていているが、リーメンシュナイダーまでいかないまでも、フレデリック・マレーの集めた作品群は、リーメンシュナイダーまでには到達しなかった中世の名前もほとんど残っていない作者の表現の稚拙さと心意気、それを5世紀の時空を超えて遺した先人の思いこそ美しい。
 フレデリック・マレー美術館は、中世彫刻の収集家というより、コレクターとはそこまでやるかという異常なコレクターの城である。中世彫刻以外は刀剣だの、鍵だの、ミニアチュアなど(これがまた、現在の巧緻フィギュアの源泉だと思うとその技術に感嘆するばかり)集めまくり、近代ではタバコの包装紙や、ジオラマの騎兵隊、デゲレオタイプの印画紙、爪切りや安っぽい包装紙までありとあらゆるものを集めまくっている。収集癖というのは後世に美しいと感じるものから、大量生産の時代の余計なものまでやたらめったら集めまくることだと納得。文化遺産が「遺す」という意味を持つことを実感したひとときであった。(フレデリック・マレー美術館に居並ぶマリア像)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン・ポルトガル美術紀行2012(3)

2012-02-26 | 美術
実は今回の旅行では、風邪をひいて、おなかを壊してしまい、結構大変な旅になってしまった。夜行列車でリスボンに着いた日は旧市内を回る路面電車に乗り、夜はよいワインバーに行くなど充実していたのだが、翌日にダウンした。結局お目当てだったうちグルベンキアン美術館と国立古美術館には行けたのだが、それ以外は行けなかった。まあ、リスボンにはそもそも大きな美術館はないようであるが。
グルベンキアン美術館はおそらくポルトガルで一番有名、かつ所蔵作品も秀でているが、規模はそれほどでもない。アルメニア人の富豪カロウステ・グルベンキアンはアメリカの富豪と同じように石油で財を成し、蒐集したのはバロック期をはじめ印象派、近代のヨーロッパ絵画、中国磁器をはじめ東洋の作品の数々。なかでも絵画ではなく、ルネ・ラリックのガラス作品群は一室をなし目を引く。冬期であったためか、閉鎖している部屋も多く、すべてが見られなかったのが残念。
国立古美術館はグルベンキアンより大きい。テージョ川を見下ろす高台にあり(リスボンは坂の街で大変だ)、建物の雰囲気もいい。メムリンクなど北方ルネサンスの画家、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなど隣のスペイン巨匠、そしてボッシュやデューラーの作品もあって、プラドなどと比べればもちろん規模は小さいが十分楽しめるコレクションである。ポルトガルは鎖国していた日本とも交易があった国。南蛮美術として狩野派の屏風絵や掛け軸もあるが、門外漢でさっぱり分からない。ポルトガルを代表する15、6世紀の絵画もあるようだが、恥ずかしながらポルトガルの画家は全く知らなくて、キリスト教美術の巾の広さを改めて思い知るばかりだ。
バルセロナにはカタルーニャ美術館という中世キリスト教美術の殿堂があるが、ポルトガルもカソリックの国。初期ルネサンスの祭壇画や装飾品もあるが、装飾品は絵画以上に鑑賞が難しいというのが実感。キリスト教的寓意が彫られているとは限らず、その巧緻を時代区分によって確認できる眼力が試されるがもちろんギブアップ。グルベンキアンもそうであるが、館内の配置や照明、係員の所作などが洗練されているとは言いがたい。係員が通路でおしゃべりしていて邪魔になったり。まあ、それもお愛嬌。ポルトガルはおそらくは二度と来ることはないだろう。今回、体調を崩したのは、ポルトガルに来たのに、聖地ファティマに詣でなかったからと冗談で言っているが、偶像崇拝を許す国?の美術は何回見ても興味深い。(ルーベンス「ヘレナの肖像」グルベンキアン美術館)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン・ポルトガル美術紀行2012(2)

2012-02-19 | 美術
テッセン・ボルネミッサ美術館はパリで言うところのオルセー、ソフィア王妃芸術センターはポンピドゥー・センターであると以前記したが、今回改めて感じたのは少なくともソフィアは規模でもポンピドゥーに負けていないということである。
ソフィアを訪れる人のお目当てはもちろんピカソのゲルニカである。ゲルニカは制作後、アメリカに渡ったり、プラドに預けられたりしながら公開されなかったりとその安住の地を得るまでに数奇の運命を辿ったのは有名だ。が、ソフィアはゲルニカのおかげでというか、ゲルニカを展示するからにはとの意気込みのもとで現代美術の収集、展示に力を入れていてその目論見は見事成功しているように思える。あまりの広さに最後のドローイングの間などはほとんど素通りしたような状態だったが、ポンピドゥーと同じように一日かける価値がある。現代アートを主とする美術館は、企画展を中心とするとビデオインスタレーションとか、背景や言葉がわからないと全然理解できない場合も多いのに比してソフィアは絵画、造形中心。大きく、ヘンな作品が魅了する。
テッセンはベルリン以外ではこれほどそろっていないのではと思うほど、ドイツ表現主義、それもキルヒナーをはじめとするブリュッケの作品群を擁している。バウハウスのイッテンの作品まであってうれしくなってしまう。オルセーが近代美術ながら圧倒的に印象派のイメージが強いのに比して、テッセンは世紀末前後、それも20世紀初頭のキュビズム、フォービズム以降に強いようだ。イタリア未来派、そしてドイツ表現主義とナチに追われた作品群が、スペインの地まで流れてきたのかもしれないなどと根拠なく勝手に来歴を想像するのも楽しい。そしてピカソ、ミロ、ダリを生んだスペインはもともとシュルレアリズムの肥沃地帯。そしてピカソ、ミロ、ダリはいずれもカタルーニャ地方と深い縁がある(バルセロナの項で後述)。
むしろ面白く思ったのは、テッセンもソフィアもアメリカ美術が多くないことだ。テッセンが蒐集する時代区分にアメリカ美術が入るかどうか微妙だが(20世紀最初のアメリカは、新興財閥・資本の力でヨーロッパ美術を買いあさる時期であって、自前の美術作品養成・蒐集には必ずしも熱心ではない。)、ソフィアになると明確で、戦後美術を牽引したアメリカのミニマリズムやコンセプチュアリズム作品が美術館の規模に比してきわめて少ない。むしろ陸続きのヨーロッパ諸国の近代作品を熱心に集め、それらを体系的に紹介しているあたり、抽象芸術を牽引するピカソらを生み出した意地と矜持が見て取れる。しかし、マドリードはカタルーニャ地方とは一線を画す。そしてやはり王室のお膝元。シュールなアバンギャルドはバルセロナに任せて、行儀よく近代絵画を堪能するために、プラド、テッセン・ボルネミッサ、ソフィアという並びは重要なのである。(マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス) ソフィア王妃芸術センター)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン・ポルトガル美術紀行2012(1)

2012-02-10 | 美術
ソ連の時代、取材等が十分できなくて、エルミタージュ美術館のことがよく分らなかった頃は、「世界3大美術館」にはプラドが入っていた。エルミタージュの全貌が明らかになって、「3大…」にはプラドに代わってエルミタージュが入ったが、プラドの偉大さは変わらない。念のため記しておくと、あとの二つはルーブルとメトロポリタンである。規模の上からこの3つが入ることに異議はないだろう。ただ、「3大」などという必要があるのかどうか別にして。
プラドのすごいところは、18世紀末から19世紀初頭にかけてスペイン王室の実情に肉薄しながらも、フランスとの戦争に代表される戦争や内戦で多くの命が失われたことに対する怒りと悲しみ、反戦の思い、そして晩年には人間の業に正面からまみえた巨匠ゴヤを完全網羅しているところだ。
フランシスコ・デ・ゴヤ。時代区分的にはロマン主義、フランスのブルボン王朝が崩壊し、第二共和制後ナポレオンが権力を掌握し(第一帝政)、民主革命の余波を恐れたスペイン、カルロス王朝はナポレオンと手を結び、フランスのような民衆革命の勃発を押さえようとしたが、スペイン国民の反仏感情は高く、フランス軍兵士に市民が殺されてゆく。また、スペイン王室内では王妃マリア・ルイーサの愛人ドゴイが若くして首相の座に上り詰め、政権を私物化し、民衆の怒りも頂点に達するが、ゴヤはこれら王室・政権内の肖像画も数多く手がけ、主席宮廷画家として蓄財を築きながらも決して、王室に帯同することなく、また、大病し聴力を失い、最晩年には視力も失いながらも版画に取り組むなど飽くなき好奇心を発揮した。ゴヤが82の長年を全うし、宮廷画家としての地位を追われなかったのには、ゴヤの類希な画才と雅量、そして世の動きを察知する政治的な勘があったからに違いない。美人でない王妃マリア・ルイーサを美人ではなく、尊大なドゴイを尊大に描きながら、その人間の内面にまでせまる技量をして宮廷から追われなかったのではないか。ゴヤが崇敬していた、あるいは愛情を持って接していた肖像画のモデルたち、アルバ侯爵夫人やチンチョン夫人(ドゴイと政略結婚っさせられる)らは、政治的には力は弱かったが、その悲哀を美しく見事に描いているのも同時に画家の内面を投影させている。
 プラドはゴヤを網羅しているからすばらしいと記したが、逆に言えば、プラドにまで行かなければ、ゴヤの作品には出会えないことが多いからだ。あくまでまとめてという意味であるが。そしてゴヤの最晩年の力作「暗い絵」シリーズはここでしか見られない。ゴヤに出会うにはプラドに行かねばならないのである。プラドにはスペインのもう二人の巨匠、ベラスケスとムリーリョもそろっているし、ボッシュの「快楽の園」とフラ・アンジェリコの「受胎告知」もここでしか見られない(「受胎告知」はフィレンツェに壁画バージョンがある)。新館も開設されて、3大に入ろうが入るまいが、プラドは偉大な美術館であることは間違いない。

ゴヤのなかには、コローもいればルノアールもい、また超現実主義や非具象への契機も含まれてい、ピカソに至る道筋もすでに用意されている。(堀田善衛)

(ゴヤの生涯については『ゴヤ スペインの栄光と悲劇』(ジャニーヌ・バティクル著 堀田善衛監修 創元社)を参考にした)(プラド美術館正面にたつゴヤの銅像)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする