kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

スリリングさは現実の証し 「ビヨンド・ユートピア 脱北」

2024-01-29 | 映画

世界には内情が不明な国も多い。例えばアフリカの多くの国で報道も少なく、国としての発信もあまりない。そもそもソマリアなど中央政府が機能していないとされる国もある。中央政府が強固に機能していて日本とも広い国境を接しているのにその内情、特に一般の市民生活の様子が不明なのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だ。

本作は「脱北者」が中国、ベトナム、ラオスを抜けて強制送還しない安全なタイにまで逃れる行程を追うドキュメンタリーだ。作り物か思えるほどとてもスリリングに事態は動いていく。その困難の大きな理由は脱北者が80代の祖母、幼児を含む5人という一家だからだ。タイにたどり着くまで絶対に存在を知られてはならない。そのスタートが、中国との国境の川を渡り、韓国でずっと脱北者の支援をしているキム・ソンウン牧師。キム牧師自身、支援の過程で首の骨を折る大怪我をし、ボルトが入ったままの体で無理をするべきではない。しかも、キム牧師の活動を快く思わない国からは入国も拒否されている。だから、タイを目指すロー一家、中国からタイまで同行する親戚のウ・ヒョクチャン、そしてキム牧師も同行する地域では密入国なのだ。国境を越えるにはさまざまなブローカーの手を借りねばならない。高額な手数料はもちろん、騙されることもある。越える場所は、ジャングルであったり、落ちると助からない川など。ロー一家を追う映像とともに、自身脱北者で、何年も会えていない息子の脱北支援に奔走、その報告に心痛めるリ・ソヨンやかつての脱北者やその支援、北朝鮮の内情を知るジャーナリストらのインタビューが映される。

ソヨンは、収監されたことがあり、地獄のような刑務所生活から生還し、親子で脱北を試みたが息子は果たせなかったのだ。ところが、息子を脱北させようとすすめていたところ、ブローカーの裏切りで息子が強制送還されたというのだ。捕まった脱北者は過酷な強制収容所に収監され、時に命を落とすことも。

新型コロナ・ウィルス感染症予防のため、国境を封鎖した中国へ入るルートは限られる。そして北朝鮮国内は海外への通信回線は遮られ、国境付近もとても安定したものではない。もし見つかれば厳罰対象だ。それでも一縷の望みをかけてブローカーに連絡をとり、送金するソヨン。厳しい現実がさらされる。

時折挟まれる資料映像は、多くは北朝鮮国内の撮影実績のあるアジアプレス(石丸次郎)が提供したものだ。そこには、ガリガリに痩せた国民や処刑のシーンも含まれる。しかし、前述の中国の国境封鎖で近年の撮影はできていないという。ただ、現況が極端に改善しているということはないだろう。ミサイルにお金はかけても、国民の飢餓解消やより自由の保障には無関心と思える国だからだ。

だが、十分な食を欲し、外の世界へ出でようとする試みを抑えることはできない。それが、対外的には差別がない平等な世界の共産主義国家であったとしても。日本でも著名なドキュメンタリー監督で、先ほど関東大震災における一般人による虐殺事件「福田村事件」の劇映画を撮った森達也。森は北朝鮮への渡航の思い出を語りながら言う。「言語や民族や信仰が違っていても人の内面は変わらない。」

そして外の世界を知ることを禁止し、全国民を挙げてたった一人の人間(その時は「神」)に命を捧げる一致団結を誓った前歴は日本にこそあるのだ。かつて日本の領土(植民地)であった彼の国で、その「伝統」が強固に息づき続けているのが皮肉だ。

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現代アートの最前線と現在地 香港 M+

2024-01-21 | 美術

5年半ぶりの海外、初めて香港に行った。2021年、コロナ禍に開館した現代アートの美術館M +(エムプラス)がお目当てだ。ここ数年新たに開館したものも含め行きたい美術館はまだまだあるがあれだけ訪れたヨーロッパは円安、原油高(燃料サーチャージ)でとても行けない。香港ならそれより安価、4時間ほどで行ける。しかし行ってみるとその物価高に驚いた。それも飲食代金がとても高い。日本が低賃金・非正規労働者を背景に安すぎるのかもしれないが。

さて、M +。新営の美術館は常設展を持たないケースも多いが、コレクションが半端ない。現代アートに特化しているため、コレクションもドローイングや立体、インスタレーションのほか、「現在」を想起させるアーキテクチャ、プロダクツ、ファッションといったデザインをキーワードに世界を縦横無尽に横断する。それは、アジア的混沌の象徴でもある香港であるからこそふさわしいプレゼンテーションであるかもしれない。人類の歴史とともに始まったアートが、一部の限られた層のためのアートか、そうではなく全体、全人類のためのアートか、あるいは、アートが奉仕するのかアートに奉仕するのかといった答えのないアートそのものの歴史をまざまざと見せつけられるようだ。そう、デザインという観点で見ると現代の私たちの周囲はアートで埋め尽くされている。都市空間から交通、電気製品、通信、デジタル環境に至るまで考え尽くされているのだ。だがその考えは尽きない。だから、全体の規模の割に映像作品が少ないのは意外であり、また観覧しやすい。というのは、ドクメンタなどの世界規模のアートフェスティバルでは時に長尺の映像作品が多く、とても1日で回れるものではないからだ。

都市や建築、工業製品などは馴染み深く、親しみも感じられる。それは、成長過程にあった日本で生み出されたものも多いからだろう。丹下健三の建築、ダイハツミゼット、ソニーのウオークマンなどどれもモノづくりで日本を誇った証言者であり、遺言者でもある。しかし、デザインはいずれ陳腐化し、機能はどんどん高性能に上書きされる。と同時に、人が好むデザインとは時に普遍的であり、地球の歴史から考えるとほんのミリ単位に過ぎない人類の歴史では変化とはさほどのことでもないのかもしれない。そのような「悠久」から遠い位置に存するように思える「モノ」で人類史、アート史を語ることが許され、面白いのが現代の美術館の存在意義でもあるだろう。だからここではモノに魅せられ、囚われた現代人たる自身を振り返りつつ楽しむことが、このM +の廻り方である。

映像作品が少なく観覧しやすいと述べたが、展示数はとんでもないのでじっくり回ればとても時間は足らない。そして企画展は中国出身のファッションデザイナーのマダム・ソングで、もともとモードには無知の自分はそれほど時間をかけなかったのが幸い?した。マダム・ソングは中国共産党とも良好な関係を築いていたのでこのような展示に至ったが、現在の中国・習政権に批判的とされる艾未未(アイ・ウェイウェイ)は、北京オリンピックの功労者であるのにいくつかの作品が外された事実は、中国という体制下でのアート空間の限界と厳しさも感じられるだろう。

ロッカーが有料なのは不満だが、シニア入場料は半額というのは嬉しい。ぜひまた訪れたい空間である。ただし香港に再び行くことがあればだが。(ちょうど日本人「虹のアーティスト」)靉嘔(Ay-O)のミニ企画もしていた。)

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