kenroのミニコミ

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諦めないの発奮材料「NOでは足りない」と「華氏119」

2018-11-24 | 書籍

『NOでは足りない』と「華氏119」との共通点。それは諦めていないこと。佐高信が安倍政権の戦時体制化路線に対し「絶望が足りない」と喝破したが、その言からナオミ・クラインとマイケル・ムーアはあくまで楽観主義者ということになる。

ナオミ・クラインが「NOでは足りない」で言いたかったのは「YESと言おう」ということ。何に対してNOで、何に対してYESかその峻別は重要だ。NOの対象は明らかで、ブランド・イメージとしてのトランプ(的なるもの)だ。トランプは金があれば「女性器をわしづかみにできる」と言い、メキシコから来る移民に「壁を設けて」、アメリカに「イスラム教徒は入れない」とのたまう。自分は不動産経営で成功したから白人に「夢を与えられる」ホンモノとも言う。数え上げたらきりがない。差別と怨嗟を煽り、メディアを攻撃し、民主党は社会主義者の集団とまで言う。しかしその言に熱狂し、トランプがアメリカを変えてくれると本気で信じている支持者たち。アメリカはトランプ減税(もちろん企業向け)で好景気という。しかし短期的には好景気に見えても、低賃金や不安定な雇用が改善されるわけでない。地球温暖化対策のためのパリ協定を離脱し、地球温暖化は嘘だと言う。もう無茶苦茶だ。だがトランプを支持した人は一体トランプの何を支持したかも明らかではない。要は「アゲアゲ、ノリノリ」であるとしか思えない。

ナオミ・クラインはこの地球温暖化にまつわる気候変動への危機感と、それに対する(米)政府の姿勢や国際社会、人々の鈍感さに苛立っている。だから(温暖化に責任ある)企業への優遇策をあられもなく進めるトランプとそれを後ろ押しするトランプ・イメージにNO!と突きつけているのだ。同時にナオミ・クラインは言う「自分のなかにいる“内なるとトランプ”を消し去る決意を固めさせてくれたのだ。(中略)トランプ政権の誕生は、数多くの人々にとって自分自身の内に潜む先入観や偏見―過去において私たちを分断してきたもの−について考え、乗り越えようとするきっかけとなった。」

そう、単純な一点突破主義や、心地よい目先の利益、その利益の後ろにある大きな差別とその差別の前提である排外主義に無自覚であることがトランプを支え、それを拡大してきたことに自覚することができたと。

マイケル・ムーアの映像はもっと直接的だ。ムーアらしくラスト・ベルトのトランプ支持者に話を聞きに行く。そこで描かれるのは共和党支持者というより共和党からも民主党からも忘れさられた人たち。だから共和党の枠をも逸脱したトランプに賭け、熱烈に支持する。実はマイケル・ムーア自身がラスト・ベルト出身で彼らの気持ちはよく分かる。だから2016年大統領選挙でのトランプ勝利を確信してもいたのだった。しかし華氏911でブッシュの戦争を徹底的に批判したムーアは、今回トランプを産んだ背景、住民を置き去りにし金儲け主義の論理だけで展開されたアメリカ中の膿をも摘発する。ミシガン州フリントでは共和党のスナイダー知事はパイプライン建設利権のため飲料水の給源をヒューロン湖からフリント川に変更。深刻な汚染問題を引き起こす。オバマ大統領も駆けつけるが「安全宣言」。あまりにも頻繁に起こるためどの件かも分からなくなってしまったかに見える銃乱射事件。2018年2月14日のフロリダ州、マージョリー・ストーマン・ダグラス高校では退学処分になった元生徒の乱射で生徒や教職員17名が犠牲になった。銃社会に抗議し、全米からワシントンD.C.に集まった生徒たち。

ハリウッドの大物プロデューサーの性暴力事件に端を発し、世界中に広がったMeToo運動。性暴力といえばトランプもトランプが最高裁判事に指名したブレット・カヴァノーもおそらく無罪ではない。ナオミ・クラインは巨大資本による環境破壊に対するメリカ先住民の運動とそれに連帯する市民の広がりにも期待する。

ムーアもナオミ・クラインもこれら地域や様々な違いを超えた横の繋がりに希望を見出す。黙っていてはダメなのだ、動かなくてはと。まだ諦めない。安倍一強がまだ続きそうなこの国でもまだ諦めてはいられない。

 

 

 

 

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