kenroのミニコミ

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危険な時代の直截な警鐘 『ルポ良心と義務 「日の丸・君が代」に抗う人びと』(田中伸尚著 岩波新書)

2012-05-29 | 書籍
作家の赤川次郎さんが、「朝日新聞」の読者の声欄に、何人かの大阪府立学校の副校長は、処分されるべきだと投稿していた。それは、副校長が卒・入学式で教職員が「君が代」を「きちんと」歌っているかどうか口元をチェックするのに腐心して自分は「きちんと」歌っていなかったからと。
この赤川さんの大いなる皮肉は、大阪をはじめ現実に起こっている教員に対する過酷な処分、もちろん「日の丸」「君が代」以外ではありえない、の異様さをあぶり出してはいるが、それら処分攻撃に対し、今のところ言論では打ち勝てていない現実も示している。
田中伸尚さんの前著『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書 2000年)では、1999年の「国旗・国歌法」成立にいたるこの国での「日の丸」「君が代」の取り扱われ方、接し方に焦点をあて、国家が、あるいは右派勢力が「日の丸」「君が代」の存在と実施過程をいかに法制化するか、国民の義務と普遍化しようとしたかとそれに抗う人たちを描いた。しかし、田中さんが、本書で幾度か触れる橋下政治のとてつもない危険性とそれに至る、数々の「君が代」判決の判断の愚かしさに比べれば、前著で指摘された「日の丸」「君が代」強制のもたらす反民主主義性は、今回報告されている現実に比べれば、まだ反抗の光があったようにも見えるのだがどうだろうか。
前著から12年。その間、石原慎太郎都知事のもとで施行された「10.23通達」(2003年)。この通達によって都立学校では、教員に対し苛烈な処分攻撃がなされ、本書で取り上げられたさまざまな訴訟が提起され判決に至ったのは言うまでもない。提起された訴訟の原告のすべてが自らの「良心」の問題と位置づけているのに対し、都側は公務員の服務規律=校長の職務命令に従ったかどうか、その職務命令が校長の裁量の範囲を逸脱していないかどうかという問題に貶め、多くの判決は処分を妥当とした。特に2011年以降、堰を切ったように出された最高裁判決は「君が代」起立斉唱の職務命令は憲法19条に反しないとした。それら判決は、ピアノ伴奏拒否判決などに典型的に見られるように、「君が代」伴奏、斉唱、起立などの際「内心の自由は内心にあるかぎり侵されておらず、(斉唱などの)外的行動によって内心の自由が侵されたわけではない」旨の判示であった(「間接的制約」は違憲ではない)。冷静に考えれば、教員それぞれの内心の自由を守るため、不起立などの外的行動に出るのであって、起立しても内心の自由は守られるなどとしては、なんのための内心の自由か不明であるし、およそ精神的自由権が保証されているとは言い難いのに、最高裁判決は憲法裁判所としての地位を自ら貶めたといわざるを得ない。しかし、最高裁判決反対意見の中には宮川光治裁判官のように、本件を「少数者の思想及び良心の自由に深く関わる問題」と明確にとらえて、現憲法下「思想及びその良心の核心に反する行為を強制することは許容されていない」と断じ、高裁に差し戻すよう述べていることはほんの一縷の光である。
本書に出てくる抗いの主人公らの中には、筆者がささやかながら支援してきた人たちもいる。その中には、生徒に卒業式において「君が代」に対する立場の選択権を明示したために処分された東豊中高校の中野五海さんもいる。中野さんは生徒に「君が代」に反対せよなどともちろん言っていない。職員会議での決定を生徒に伝えた上で、生徒に考え、選択する権利を保障したにすぎない。橋下大阪府知事(当時)は、「君が代」強制を「マネジメントの問題」と言い切り、民主主義の本質である少数者の権利保障と、選択の自由を否定し、教員やその姿を学ぶ子どもらの思想及び良心を無視している。そして、大阪府に続いて、大阪市においても「教育基本条例」と「職員基本条例」といった、上記憲法的価値を真っ向から否定する条例まで成立させてしまった。
田中さんは善悪、当否を考えず、上からの命令だから言い逃れたアイヒマンをあげておられるが、これは上記2条例や(大阪府・市の)公務員の政治家活動について、橋下政治を支持するのは自らアイヒマンと同視できると筆者が指摘したことと重なる。暗い時代は、不況や失業率のことだけではない。良心が侵されるときは、すべての人権侵害を集約した戦時気分を欲する時代を引き寄せるのだ。
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ホロコーストを忘れない「アンネの追憶」

2012-05-12 | 映画
上映の間、実は「沖縄」のことを考えていた。「沖縄」と記すか、オキナワと記すか、はたまたOKINAWAと記すか。ヤマトの人間にとっては沖縄であり、ヤマトやウチナ、はたまた日本語ネイティブでない人にとって分かりやすいのはオキナワ。そしてアメリカから見える、基地を置いている地はOKINAWAである。
「沖縄」のことを考えていたと記したのは、ほかでもない。日本にとって「沖縄」の意味とはなにかということである。それは40年前日本になった(「復帰」した)沖縄であり、65年以上前の戦争中には日本によって殺された沖縄である。
持って回った言い方をしたのは、ドイツにとってホロコーストとは、過去のドイツ、国としてのドイツはもちろん、ドイツ民衆自身が、自国民を殺戮した歴史を思い浮かべるからである。そして、日本。この国におけるホロコーストは沖縄である。し、ドイツがホロコーストをしつこく自省しているようには、日本は沖縄を自省しているようには到底思えない。
現在の沖縄県に在日米軍基地の74%が集中していることをここで書きたいのではない。そのような実態にいたった、65年以上前のヤマトのウチナに対する姿勢、思想を忘れてはいけないと思うのだ。そう、米軍上陸前に、皇軍が沖縄の民に手をかけたことを、自死を強要したことを。
「アンネの追憶」を見て沖縄への追想を重ねたのは、映画の世界で、ドイツのホロコーストを描く商業作品は繰り返し制作されているのに、日本では一部のドキュメンタリーを除いて沖縄を描いた作品は皆無という現実を実感したからだ。ドキュメンタリーというのは作品の巧拙もあり、多くの人が見るものではない。しかし、ひめゆりをはじめ、1945年3月の米軍上陸から6月の日本軍陥落までなにが起こり、人々がどのように生きたか、あるいは死んでいったかが明らかになっているにもかかわらず、沖縄の実相を伝える映画(商業ベースに乗る作品)は生まれていない。文化の貧困や政治の未熟というのはたやすい。しかし、明らかなのは、当時の日本軍はほかでもない皇軍であったという事実が、今日まで映画として描かさせることを躊躇させているに違いない。
アンネ・フランク映画であるのに沖縄のことばかかり書いてしまった。アウシュビッツに送られた父オットー・フランクだけが生き残り、アンネらが死んでしまった訳は、オットーが語るように「なぜ」だかわからない。しかし、祖国を持たなかったユダヤ人が(バルフォア宣言はさておき)、ドイツをはじめヨーロッパの国々でシチズンとして生きる基盤を確立していたのに、ユダヤ人というだけで隔離、逮捕、殺戮された歴史を、ドイツは少なくとも日本よりは直視しようとしている証しとして本作を位置づけられると思う。
一方「なぜ」に至らない現実を沖縄は示している。いや、「なぜ」を言ってはだめなのだ。知らない、考えない、想像力をはたらかせないことで沖縄はホロコーストとは違うし、日本はそのような非道に手を染めたことはないと思いたいの一心で今日まで来たのだから。
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分かりやすさを支える技術の魅力  ウィーン国立劇場バレエ団「こうもり」

2012-05-05 | 舞台
恥ずかしながらウィーン国立劇場には行ったのだが、よく覚えていない。演目は「眠れる森の美女」。奮発してボックス席をとったのだが、手前のボックス席の男性がかなり身を乗り出していて、こちら側からは舞台がよく見えなかったので、注意しようと思ったがドイツ語もできないし、泣いた覚えだけがある。そして幕前のシャンペンも高かった。
そのウィーン国立劇場バレエ団のおかぶ「こうもり」がやってきた。もともとはオペレッタ作品が本家だそうであるが、バレエになっても単純明快、他愛もない喜劇であることに変わりはない。倦怠期の夫婦は5人の子どもに恵まれ、幸せなファミリーを演じているが、夫ヨハンは妻ベラのベッドを抜け出し、夜な夜なこうもりとなって華やかな世界へ。ヨハンの愛を取り戻すべく共通の友人ウルリック(実はベラを愛している)のけしかけで、美しく変身したベラは、夫の入れ込む酒場で他の女性らを出し抜いて男性客を魅了する。ヨハンもベラとは知らずに求愛するが。
こうもりに変身するための羽をベラに切り取られたヨハンは、妻の尻に敷かれる哀れな夫になり、家族の平穏は保たれ、めでたし、めでたし。はたしてウルリックはそれを望んでいたのか難しいところだが、彼とて、ベラの家族の崩壊を望んではいないだろう。貴族社会はあくまで建前的にはすべて平穏無事、うまくいっていことが前提。ウルリックにとっては、ヨハンとベラがうまくいっていること、すなわち、ベラが幸せであることは望んだことだから。
ストーリーはさておき、ウィーン国立劇場バレエ団のパフォーマンスはどうか。同団のプリンシパルもソリストもロシアや東欧出身が多い。概して大柄である。今回西宮公演のベラ役はマリア・ヤコヴレワ。貞淑な妻、善き母から妖艶なレディ、悩殺女(悪女)に変身する様は、ジゼルや白鳥の湖などと同じく、両極端・好対照な女性像を演じる恰好の題材で、ダンサーの実力が問われる難しい役柄。貫録十分のヤコヴレワは長いスカートの主婦姿から太もも露わのピスチェのいでたちへ。そのピスチェ姿を覆っていたのはこうもりを想起させる黒いマント。悪女のマントにかかれば子どもじみたヨハンなどひとたまりもない。であるが、ヤコヴレワも見れば、ロシアはマリンスキー出身。決して小柄とは言えない迫力が、大きな衣を脱いだところで明らかになり、この魔女をどう遇せばというところで、やはり東欧はスロバキア出身のヨハン役、ロマン・ラツィクがこれまたかなりの体躯。ヤコヴレワをひょいとのリフトのシーンが幾度もあるが、貞淑、妖艶、蠱惑、欲情を自在に変化(へんげ)するベラに合わせたラツィクのパフォーマンスもとても高い。
そして、身体能力の高さを見せつけたのがギャルソンを演じた面々。さすがに難度の高い早いダンスの後は肩で息をしていたが、今回の演目そのものが、貴族が出入りする酒場や舞踏会を中心になされていることもあり、衣装が通常のバレエより重たく、複雑であったのにそれをものともせず踊り切るのはすごい。
楽しく、変化に富んだ演目の根底にあるのは観る者を「楽しませたい」との基本に徹した先ごろ亡くなったローラン・プティの振り付けによるところが大きいという。本家のオペレッタのエッセンスを欠かすことなく、バレエというサイレンスの世界に「粋」と「洒脱」を練りこんだプティの振り付けは、座ったままのボディラングエッジですべてを表現してみせる落語にも擬せられる。
先にあげたジゼルや白鳥といった演目は、有名ではあるがダンサーの実力を測り窺うにはそれなりの経験と審美眼がいるという。オペレッタがオペラという形式主義、重厚な芸術から庶民のものとして尊ばれるならば、オペレッタを起源とする本作も軽く、分かりやすいものがいい。その素人好みを満足、満喫させるのがウィーン国立劇場の「こうもり」である。
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子ども視線に気づくべき大人の目線   ダルデンヌ兄弟「少年と自転車」

2012-04-30 | 映画
20代のころから随分長いあいだ付き合いさせてもらっている『We』という小雑誌がある(フェミックス刊 http://www.femix.co.jp/)。『We』にいま「ジソウのお仕事」との連載で、児童相談所の勤める児童福祉司の青山さくらさんが執筆している。『We』誌には悪いが、記事の中では特集よりも一番青山さんの連載を気に入っているし、ときに涙を禁じ得ない。
「ジソウのお仕事」では、暴力を受けた子(もちろん性暴力もある)、ネグレクトされた子らがジソウにやってきて、その子らとの壮絶なかかわりの一端が紹介されるが、現実は文字面で分かることを超えている。青山さんは、ジソウが持つ限界=児童養護施設など児童を保護する施設への連携や権限、入所期間などさまざまな限界、がある中でも、一人ひとりの児童にどう付き合ってきたか、その実態と悩み、希望を吐露されていて頭が下がる。
「少年と自転車」もダルデンヌ兄弟が来日した際に「赤ちゃんの頃から施設に預けられた少年が、親が迎えに来るのを屋根にのぼって待ち続けた」というエピソードを聞いたことで脚本執筆・映画化となった作品である。このエピソードは少年犯罪で付添人などとしてかかわってきた石井小夜子弁護士の話でもたされたものであった。(石井さんの『少年犯罪と向き合う』岩波新書は必読)
シリルはもうすぐ12歳。ホーム(児童養護施設)に預けられるが、父に会いたいし、また一緒に暮らしたい。しかし、行き先も告げずに転居してしまい、シリルの大事な自転車を売り飛ばした父は、やっとのことで会えたのに「もう会いに来るな」「電話もしない」。
週末だけの里親であったサマンサしかもう頼る人はいない。しかし、体の割にけんか強いシリルに目を付けた不良グループに引き込まれ、強盗を犯すことに。窮地に陥ったシリルを助けたのはやっぱりサマンサだった。
おそらくは貧困層が住む団地で父と暮らしていたシリルだが、祖母にはやさしい不良のボスにも両親はいなそうだ。団地の近所で美容店を営むサマンサがたまたま団地の診療所に来ていたため二人は出会うことになる。これは運命的とも言える。しかし出会いは運命でもそれを持続させ、よい方向に向かわせるには努力や相手への思いやりが必要だ。シリルとサマンサには深い信頼関係ができたように見えるが、「親に棄てられた」シリルの心の傷は簡単には癒えまい。それは一人サマンサだけの力でない。ホームの教師をはじめ、大きな社会的後見が必須だ。ベルギーのこの地域の福祉はどうだろうか。
ダルデンヌ兄弟は「子どもの視線」を描くのが本当にうまい。「息子のまなざし」「ある子ども」と恵まれない家庭環境、犯罪に手を染め、その更生をサポートする人などが描かれるが、決して美談で終わらないし、むしろ子どもたちはこの先どうなっていくのか心配の種を大きく残したままで途切れる。そう、アンチエンディングなのだ。「少年と自転車」も終盤、シリルが強盗を働いた少年に襲われ、危うく命を落としそうになるなど前途は多難である。しかし、その多難をサマンサとの生活でうまくいくなどと回収しないところがダルデンヌ兄弟らしいし、それが実際なのだろう。愛では解決できない現実と、お金では解決できない心情と。簡単な「解決」ではなく、息長く見守る社会こそをとダルデンヌ兄弟は示唆しているように見える。そう、子どもの視線を見逃さない大人や社会の目線こそが問われているのだと。
翻って、日本では「二重行政」批判、国の出先機関を統廃合しようという「小さな政府」志向が強まっている。子どもの視線に気づく大人の目線がこれら「小さな政府」路線でますます脅かされると思うのだが、それは「自己責任」だというのだろうか。

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50年前のアメリカの話ではない  分離は差別と敏感たれか  The Help

2012-04-15 | 映画
黒人の大統領が誕生したこの国の出来事、ほんの50年前まで黒人の地位とはこのようなものだったのだと驚かされる。ローザ・パークスがバスで白人に席を譲らなかったために逮捕されたのが55年、翌年にはキング牧師によるバスボイコット運動が起こっていた。しかしミシシッピ州では60年代に入っても、黒人差別のジム・クロウ法(人種分離法)とそれを社会が従順に!執行し、幅を効かせていたということに驚かされるのだ。
主要なキャラクターは、とても分かりやすい。白人でありながら、黒人メイド(白人の子育ても担うHelpと呼ばれる)の境遇に疑問を持ち、記者として聞き書き・執筆を始めるスキーター、スキーターの同級生らはスキーターが大学に行っている間にどんどん結婚、出産し、その狭いコミュニティで女王然とするヒリー、ヒリーの元カレと結婚したシーリア、そして本作の主役たる黒人メイドのエイビリーンとミニー。
スキーターにメイドの話を聞かせてと取材依頼され、最初はけんもほろろのエイビリーンだったが、息子を白人に殺されたも同然の仕打ちを受けたことを思い出し、スキーターに語り始める。嵐の夜に室内の雇い主用トイレ使ったことでヒリーにクビにされたミニーはもともと肝が据わっていて、これも書けと大胆に。メイドらが協力するなかで完成したスキーターの『The Help』はベストセラーに。しかし、そこに書かれたのはミニーのヒリーに対する笑える復讐劇や、スキーター自身の自分の家で長い間雇っていたメイド、コンスタンティンのクビの本当の理由も書かれていた。
人種差別に否定的だったケネディ大統領が暗殺された後、ジョンソン大統領の時代になって成立した公民権法。しかしキング牧師は68年に暗殺、公民権運動が沈静化し、人種差別がおさまったかにも見えたのに実は収まるどころかベトナム戦争などにより黒人も多く「平等に」志願し、顕在化しにくかっただけ。91年にはロドニー・キング事件、それを引き金に92年「ロサンゼルス暴動」、さらにNYにおける黒人暴行事件など。冒頭で述べたように黒人大統領が生まれたこの国では、もはや、黒人は最下層ではない。しかし、オバマ氏のような超エリートもいるだけで、現在でも最下層の黒人はいるし、その間、中間層もどんどん厚くなっている。それは、イギリスから渡ってきた白人層がアフリカから連れてきた奴隷としての黒人層という構図から、ヒスパニックをはじめ、アメリカに多民族が移り住んだことの証左である。言い換えれば、グローバリズムとは、自国が他国へ進出することではなく、自国に他国の人たちをどう受け入れていくかが問われていることなのである。
陸続きのヨーロッパ諸国では、自国に入ってくる膨大な移民層とどう付き合っていくか、どう自国民として遇していくかに腐心し、「シチズンシップ」概念のもとに現在もその関係を模索している。自由の国アメリカにも多くの人が渡ったが、無理やり連れてきた黒人の人間としての本来の人権を顧みず、その後の移民にもWASP優位を押し付けたことは歴史の事実である。
エイビリーンやミニーに黒人メイドの置かれている境遇について口を開かせたのはおそらくスキーターの情熱ではない。むしろ、スキーターがいなくとも、機会があれば、エイビリーンらは訴えたであろう。なにしろ、ミシシッピは特に遅れた地域であったし、このままいけばエイビリーンやミニーは暴力的な手段に出ざるを得ない(出ても、もちろん事態が好転するわけではない)からだ。バスの乗ることをボイコットするなどおよそ平和的に続いていた公民権運動さえも、かの地では遠い手段であったことこそ60年代初頭のアメリカの社会運動が地勢的情勢に左右されていたことを実感せねばならない。
終盤、事実を明らかにされたヒリーは、友人をけしかけ、エイビリーンをクビにさせる。お茶会、パーティ、ブリッジ、結婚相手探しにくれるむなしい保守的な地盤、田舎の白人女性社会のルサンチマンをこのような形でしか発散できなかったヒリーを笑うなかれ。人権、人間の愛情や友情などといった人にかかわること以外の価値観を守ろうとするものがあると、余計にその価値観にしがみつき、人をないがしろにする。それは60年代アメリカの保守的な地域の話ではない。より「いい思いをしている」人を引きずりおろそうと狂騒する現在のこの国のメンタリティーとも相通じるものであるのだ。
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戦争の民営化の実相  ケン・ローチ「ルート・アイリッシュ」

2012-04-08 | 映画
ジャーナリストの安田純平さんがイラクで取材中武装勢力に拘束され、日本で「そのような危険なところ行くから」「自己責任だ」とすさまじいバッシングを受けたのが2004年。安田さんはその後、民間会社の手による軍事進攻の象徴たる米軍展開後のイラクの実相をルポしようと、料理人として入り込んだ。『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書)としてイラク戦争がいわば国家の戦争ではなく、ある意味私企業主導であること、公務員たる軍人を派遣するより「民間人」を募ることによってはるかに安くつくこと、そしてその「民間人」にも明らかな人種格差、貧困の実態が深層にあることを明らかにして好著だった。
ケン・ローチの最新作は、イラクでの民間(軍事)会社(PMC)のすさまじい関与の実態と、そこに雇われたコントラクター(民間兵)の傷をあますところなく描いていると思う。戦争が国家による国軍兵士による、国家の責任と管理・統制によって行われていたのは20世紀の話。イラク戦争はアメリカの石油関連企業が自己の営利目的を遂行するのにサダム・フセインが邪魔であるからおこしたとまことしやかに言われていたが、あながちウソではないと思う。イラクに展開した米軍を支えたのはPMC、石油利権が大きいハリバートンであるとか、ベクテルであるとか、昨年NYを席巻した貧困デモ「我々は99%だ」の対極に位置する年収が億単位の経営者たちの会社だ。
ストーリーはローチらしく複雑なものではない。イラクでコントラクターの経験のあるファーガスは会社を興し、イギリスに帰国している。幼馴染の親友フランキーがイラクで襲撃され死ぬが、その死に疑念が。フランキーの遺された妻レイチェルとも惹かれあうが、フランキーの死を調べていくうちに恐るべき真相が。自車の走行中、無実のイラク民間人を殺してしまったフランキーは自責の念にかられ、会社の罪を告発しようとするが、それをもみ消したい勢力にフランキーは消されたのでは。
主人公のファーガスもイラクでコントラクターとして働き、派兵するなどきれいな人間ではない。フランキーの仇討とファーガスはフランキーの汚い同僚のコントラクターやPMCの経営者や直接関係のない人まで手にかけるが、ファーガスにも正義はない。そう、ローチが描きたかったのは、戦争の暗部ではなく、戦争には暗部以外はないということだ。
イラクで展開した「多国籍軍」のリーダーは当然米軍である。その米軍兵士がイラク民間人に対しテロリスト探しを理由にすさまじい拷問をくり返す。アブグレイブなど、早い段階から米軍の蛮行は明らかになっているが、彼らにとってイラク人は同じヒトではない。イラク戦争での民間人犠牲者は8万人とも10万人とも言われるがもちろん正確なところは分かっていない。アメリカは「数えていない」そうであるから。戦争の民営化は国際法規さえも無視する。民間人がしたことだからということで真相究明も、被害に対する補償もないがしろにされ、従軍したコントラクターの年金、精神疾患など正規兵なら当然のアフターケアが不要であるからこれほど安くつくことはない。
戦争はするべきではないし(アメリカはけしかけたのが明らかであるが)、民間に任せてはいけない。そういえば、イラク戦争に参加すると決定した小泉首相は「民間でできることは民間で」が口癖であったような。イラク帰りの自衛隊員が国会議員になり、憲法9条や対中、対北朝鮮などで強行な主張を繰り返すこの国では、ケン・ローチのような作品は生まれまい。ましてや支持率の高い橋下大阪市長率いる「維新の会」は9条を廃棄、軍事強化を企図しているような昨今。
ローチが本作を撮った動機は明快だ。イラク戦争で無辜の民を殺したブッシュもブレアも責任をとらないことを告発したいためと。小泉首相を戦争犯罪人として国際法廷にかける動きはどうなったのだろうか。「カルラの歌」「大地と自由」「麦の穂を揺らす風」など主に過去の戦争を描いてきたローチが初めて現代の戦争を描いた本作は「許さない」ことを「忘れない」というメッセージだと思えたのだが、どうだろうか。
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近代絵画の新しい楽しみ方  「美術をみる8つのポイント」展

2012-04-06 | 美術
美術館が常設展の入れ替えで勝負するとき、要は収蔵作品の豊かさとそれをプレゼンテーションできる学芸員の力量によるものが多いと考えられる。
「美術をみる8つのポイント」展は、県立美術館が「原田の森」の地にあったときから集めた作品群が豊かであること、それらをみせる工夫を学芸員が知恵を絞っていることがとてもわかって好もしい。日本の近代化絵画の渓流、暖流を切り取ってみてみようという試みは、日本の近代絵画が、西洋のそれと比して決して遅れていないことを表す証となっていることを示すものだ。8つのポイントの一つひとつをみてみよう。
「1 いちばんリアルな絵はどれ?」。リアルとはここでは、現実の対象をいかに表現し得つくしているかにある。たとえば、神戸が誇る近代絵画の巨匠、小磯良平の絵は(今回は取り上げられていないが)、分かりやすいリアリズムの極致である。いかに近代技術の粋である写真に近づけるか、写真に負けない画を描くか。写実とはかくありなんとの筆致に画家の実力が問われていると、美術初心者にも分かりやすい題材ではある。
「2 イズムを読みとれるか?」。キュビズム、フォービスム、シュルレアリスム、未来派。展示ではどの絵がどのカテゴリーに分類されているかクイズ形式になっているが、クイズそのものは難しくはない。むしろ日本の近代絵画だけを取り上げているのに、日本に「未来派」が勃興していたとは驚きである。言うまでもなく未来派はイタリアの前衛芸術運動。絵画の世界では「カンヴァスに我々が再現するのはもはや止まった瞬間であってはならない…」(未来派宣言)と高らかにうたわれたことからも分かるように機械的な連続画で、ボッチョーニ、カッラやバッラなど極端な展開構成である。イタリアではないフランスのドローネーにおいて、一応の完成を見るが、ドローネーの手法は戦後アメリカのミニマリズムにつながっていくことから分かるように一時の実験的描法でないことは明らかである。
「3 どんな事件/体験? どんな記憶/記録?」。いろいろな作品が出展されているが、体験の重みという点では浜田知明の「初年兵哀歌」が秀逸である。20代のほとんどを軍隊生活で費やした浜田は、軍隊の不条理を簡明なタッチで余すところなく伝えている。線画ともおぼしき銅版画は、浜田の経験した過酷な体験を突き刺すような細い線、シンプルであるからこそ伝わる痛さ、みたいなものを十二分に表現しつくしていて、それでいて滑稽さをさそう。兵庫県立美術館であるから当然、阪神・淡路大震災をテーマにした作品も多い。ただ、説明がないと分かりにくいのであれば、鑑賞者が作品に共感、思い入れを込められない場合もあり、作家とその表現方法・能力が問われる。
「4 どんな動きがかくれている?」。具体のメンバー白髪一雄が足で描画をはじめたのは有名なので、大きな筆とはまた違う迫力にいつ見ても感心させられる。アクションペインティングの流れをひく嶋本昭三(絵の具の入ったガラス瓶を投げて飛び散らせる)、今井俊満(フランスでアンフォルメ運動に参加)らの実験は、時代を意識させるが、今となっては具体ほどの新しさはないように思える。
「5 どれがいちばんモダニズム絵画?」。これは結構難しい。モダニズムという場合広義ではパリを中心としたアカデミズム画壇に対抗するものとして始まり、印象派以降、フォービズムやキュビズム、戦後のミニマルアートまでその守備範囲は広く、日本では主に戦前からの抽象絵画を指すものとして「モダニズム」と一口に言っても、想起する範囲が違うからである。そういった「抽象」の範疇で考えるなら、具体がなしたハプニングなどよりももっと描画や立体に徹底したものと言え、その時々の新しさというよりむしろその後の画壇を牽引するかもしれない普遍的な香りがモダニズム作品には不可欠にように思える。そういった目で見ると菅井及はいたってモダンで、ミニマルアートぽいし、今見ても古びないのは、ミニマルアートは極限までそぎ落とした分、簡明さや印象は絵画の普遍を構成するからだろう。
「6 どんな考えかを考えてみる?」。ここでは高松次郎、河口達夫、植松奎二ら見る者の想像力をかき立てるときに不思議な空間、映像、立体が現出する。それは、抽象ではなくきわめて具体的かつ現実的なものだ。高松の影(絵)、河口の星の軌跡を追った写真群、植松の金属やその他の素材を使った彫刻など作者の意図するところを推し量ると、こっちが迷宮に入り込みそうで心地よい。
「7 何のイメージ?」。森村泰昌ら現在活動、活躍するコンテンポラリーな話題提供として現実を切り取って見せた試みを楽しめるが、おもしろさが前面にでている分、「6 どんな…」に比して深さに足りない部分があると感じるのはいたし方ないことか。
「8 景色をどう切りとるか?」。西洋で風景画・風俗画が発達するのは、美術を楽しむ層が宗教画をありたがる教会や王侯貴族から庶民に移ったバロック期以降であるのに比べて、日本では仏画などとは別に花鳥風月を楽しむ歴史があるという。そういったバックボーンが日本の現代絵画や建築にどう影響しているかいないか分からないが、少なくとも美術が王族その他の一部の特権階級のものでない現代、楽しみ方はさまざまで、その前提として見やすさ、気安さ、近寄りやすさは美術に対する裾野をますます広げるに違いない。
今回の「8つのポイント」は、前述のとおり県美の財産が豊富であるのが幸いの楽しい企画であるとともに、見せる工夫のための切り取り方に感心してしまう。自分なりに8つ以上のポイントを探し出して近代絵画を楽しみたい。(坂田一男 「女と植木鉢」)
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解剖と変容 アール・ブリュットの極北へ 兵庫県立美術館

2012-03-13 | 美術
「理解する」とはどういうことだろうか。たとえば日本では印象派以降の絵画や、それより古いフェルメールなどは描いている対象などが「理解できる」が、西洋絵画の本流、キリスト教絵画は理解できないからそれほど人気はない。あるいは、近代以降の抽象芸術は同じく「理解できない」から受け入れられない。もちろんダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」であるとか、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」であるとかはあまりにも有名なので、キリスト教や抽象芸術に造詣がなくともありたがって鑑賞するが、それとて「理解している」とは言い難い。そしてそもそも芸術、特に美術に「理解」は必要なのか。
アール・ブリュットとはフランスのジャン・デュビュッフェが命名した主に知的障がい者や精神障がい者など正規の美術教育を受けたことがない人たちの創作活動を指す。そこには「作り手が鑑賞者を意識することなく、自らのためだけに制作したのであるから、それを展示する行為には矛盾があるのではないかとの批判が一部にはある」。(本展図録より 兵庫県立美術館学芸員服部正氏の「はじめに」)しかし、根本的に見られることを欲しない表現活動(美術)に一度触れた者は、商業ベースに乗るかどうかは人によるとしても、放ってはおかないだろう、アール・ブリュットを。
アール・ブリュットは「生の芸術」と訳される。「生」を「せい」と読むか、「なま」と読むか、はたまた「き」と読むか。「き」と読むのが、一般的ともされるが「せい」ではだめなのか、「なま」ではだめなのか。要するに、正式な美術教育を受けていない、ことを指すために「き」と呼び、いわば手垢のついていない、処女地のような芸術と言い表したいのだろう。
ルボシュ・プルニーもアンナ・ゼマーンコヴァーもそういった意味では「き」を十分に感じさせる。プルニーは人体解剖に異様なまでと思えるほど興味をもち、自身の像もカップルも、ファミリーもすべて細かな血管で結ばれている。ときに性器を強調したそのさまは、「き」ではなく「せい」にとてつもなく興味があるようにさえ思える。ただ、性器を強調しようが、自らの肉体に縫い針を打とうが、人体に興味があったことの結晶であり、血管を紡いでいるよう見えて、そこにはあたたかなつながりさえ感じられる。カラフルさも含めてそこにはグロテスクさはない。それは、アール・ブリュットの本質、見せるためのドローイングではなく、自分ための歴史記述であるからなのだろう。ゼマーンコヴァーの画業はうって変わって、大地に根付く植物など、生き物への畏敬にあふれている。それは時に植物を超えて、おどろおどろした妖怪、奇怪な食虫植物とも見え、ジョージア・オキーフのエネルギー倍加した絢爛豪華な造形にあふれている。そして、プルニーにしてもゼマーンコヴァーにしても、ヒンズーやチベットの細密画も違う意味で脱帽の人間技とは思えない細かな筆さばきに驚嘆するばかりだ。
展覧会と同時開催(上映)の映画「天空の赤―アール・ブリュット試論」は、アール・ブリュットのコレクター、ブリュノ・ドゥシャルムがアール・ブリュットの作家たち、それらを評する人たちを描いたドキュメンタリーだが、そこに出演するのはおよそ常人の想像の域を超えている。しかし、精神障がいや知的障がい、発達障がいなどと「障がい」ひとくくりでアール・ブリュットが語り尽くせるほど、その奥が浅くはないことを思い知らされる。
スイスはローザンヌのアール・ブリュット美術館はジャン・デュビュッフェが母国フランスでのアール・ブリュットに対する理解のなさやごたごたですべてを寄付した曰くあり、興味深い美術館だが、規模は小さい。しかし、先述の細密画や大胆な造形など、それがアール・ブリュットとは分からないほど「美術」世界に溶け込んだ作品の数々で日本人作家のものも多い。美術を評価するのはだれか、理解するのはだれか。それは作り手を高みで見ているあいだは正当な立ち位置にはなり得ないことを示しているのが、今回の「解剖と変容」展の感想である。(ルボシュ・プルニー「無題」)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(5)

2012-03-08 | 美術
今回、スペインに再び行こうと思ったのはここに来たかったから。バルセロナからフランス国境近くまで2時間半。思ったより都会だったが、帰りの道は迷ってしまい地元の人が行き交う青空市場は周れず仕舞。それでもここまで来てよかったと思わせる何かがある。カタルーニャが生んだ奇才ダリの劇場美術館があるからである。
サルバドール・ダリ。シュルレアリズムの巨匠と呼ぶか、近代絵画のディスコンストラクションかの評価はさておき、ダリの絵は、発想は人を惹きつける。別にダリにとても興味があったわけではないし、ダリの一つひとつの作品が好きであった訳ではない。ぐにゃりとした時計とか、なんなのかよく分からない物体の連続とか、ダリの絵は別に美しくはない。美しいとはきわめて主観的感想なので、絵画に限らずダリの作業そのものが美しいか、そうでないかと問われると難しいが、少なくともダリの作品群たる劇場は面白い。
劇場というくらいであるからここは美術館ではなくダリの劇場である。ダリが愛した一番は妻であるガラ。そして奇妙に思えるかもしれないがキリスト教。当時パリの画壇を詩人の妻でありながらエルンストと愛人関係をつくっていたガラが10歳年下のダリを夢中にさせる。そして、ダリと結婚し、若い愛人を渡り歩いたのにガラは生涯ダリのもとを去らなかった。ダリにとってインスピレーションの源であったガラは、言わばダリにとってのミューズであり、聖母。マリアに模した肖像画や昇天するさまを描いた絵も多い。興味深いのは、ダリがガラを聖母視していたためかどうかは分からないが、あれだけ猥雑な作品を遺したのに、性器をフィーチャーしたり、あからさまにセックスを想起させるようなものは少ないということだ。もちろん、人間とも実際には存在しない怪物とも見える異形の生き物が自らを引き延ばし、苦痛にもだえるあの有名な作品(たしかポンピドゥーセンター蔵)は性衝動の快感とも解釈できるが、ピカソなどキュビズム(期)の画家が、ときに性器を誇張したのに比べ、ずいぶん保守的である。とはいえ、ダリのディスコンストラクションは自らが持っていた信仰キリスト教にも及ぶ。繰り返し描かれるガラは聖母、磔刑像に違いないと思える彫刻、最後の審判で阿鼻叫喚を示すさまざまな群像(彫刻あるいはレリーフ)。ダリ自身は自分の信仰について詳しく語ったとことはないとされる割には戦後カソリックに帰依し、シュルレアリズムの激烈な紹介者アンドレ・ブルトンと袂を分かったあとは、フィゲラスの地でガラが中心の生活を静かに過ごしたことからも分かるように、表現の珍奇さとは裏腹にある意味保守的な人であったのかもしれない。
ダリの画業は「劇場」である。その劇場を構成する要素と、アイデアにあふれていたからこそ劇場が完成したのであり、ときに、唯我独尊、独りよがりとまみえるダリの世界は、ここフィゲラスでこの美術館まで来なければ味わえない代物でもある。筆者が訪れた際には、結構高校生くらいの若い人たちが学習のために?来ていた。超現実主義とは「現実」があってこそ理解できる「主義」であるならば、ダリを見据えて「超」が以外に身近に感じられるダリ劇場美術館なのである。(卵でおなじみのダリ劇場美術館) この項おわり






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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(4)

2012-02-27 | 美術
飛行機で夕方着いてホテルに直行したが、ご飯のためにだけあまり遠出する気にもならなかった。バルセロナの最初の夜はホテルから歩いてすぐのバールに入ったがひどかった。食べ物はまあ許せるとしても、ワインはひね味だけ。以前からスペインのワインはクセを感じると思っていたが、供された白は旨味を全部取り除いてクセだけを飲んでいるよう。まあ、ビール、鳥団子のカレー風味、ワインで800円くらいだから仕方ない。ホテルの最寄り駅はユニベルシュタット。バルセロナ大学の近所であるので学生も多いし、観光客というより貧乏大学生が行きつけのバールも多いのだろう。件のバールでは、若いカップルがコーラだけ飲んで過ごしていた。
バルセロナの2日目は体調に自信が持てないので、朝サグラダファミリアに行った後は、カタルーニャ美術館のように市街地から少し離れたところは止めにして、ホテルまで徒歩圏内で済ませることにした。フレデリック・マレー美術館はカテドラルのそばにあり、旧市街の雰囲気は抜群。ただ、前回バルセロナを訪れた際チェックできていなかったのは、長い間改装中であったかららしい。「地球の歩き方」でも改装閉鎖中のままであったが、ウエブで調べて開いているのが分かったので訪れてみた。これがすばらしい。中世の磔刑像など彫刻がわんさか。壁一面に14世紀〜15世紀の磔刑像が並ぶ様は壮観である。そのどれもが美しい。美しいとは、500、600年の歳月に耐えた木材の選定、鑿の技術、色合い、そのどれをとっても妥協を許さなかった彫り人の矜持と、作品を遺し続けてきた信者や美術愛好者、あるいは教会や部屋の片隅にあったみすぼらしい塑像を守り続けた市井の一人ひとりの思いが凝縮されていると感じるからだ。いつかドイツ中世彫刻の巨匠リーメンシュナイダーの作品を見て回りたいと思っていているが、リーメンシュナイダーまでいかないまでも、フレデリック・マレーの集めた作品群は、リーメンシュナイダーまでには到達しなかった中世の名前もほとんど残っていない作者の表現の稚拙さと心意気、それを5世紀の時空を超えて遺した先人の思いこそ美しい。
 フレデリック・マレー美術館は、中世彫刻の収集家というより、コレクターとはそこまでやるかという異常なコレクターの城である。中世彫刻以外は刀剣だの、鍵だの、ミニアチュアなど(これがまた、現在の巧緻フィギュアの源泉だと思うとその技術に感嘆するばかり)集めまくり、近代ではタバコの包装紙や、ジオラマの騎兵隊、デゲレオタイプの印画紙、爪切りや安っぽい包装紙までありとあらゆるものを集めまくっている。収集癖というのは後世に美しいと感じるものから、大量生産の時代の余計なものまでやたらめったら集めまくることだと納得。文化遺産が「遺す」という意味を持つことを実感したひとときであった。(フレデリック・マレー美術館に居並ぶマリア像)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(3)

2012-02-26 | 美術
実は今回の旅行では、風邪をひいて、おなかを壊してしまい、結構大変な旅になってしまった。夜行列車でリスボンに着いた日は旧市内を回る路面電車に乗り、夜はよいワインバーに行くなど充実していたのだが、翌日にダウンした。結局お目当てだったうちグルベンキアン美術館と国立古美術館には行けたのだが、それ以外は行けなかった。まあ、リスボンにはそもそも大きな美術館はないようであるが。
グルベンキアン美術館はおそらくポルトガルで一番有名、かつ所蔵作品も秀でているが、規模はそれほどでもない。アルメニア人の富豪カロウステ・グルベンキアンはアメリカの富豪と同じように石油で財を成し、蒐集したのはバロック期をはじめ印象派、近代のヨーロッパ絵画、中国磁器をはじめ東洋の作品の数々。なかでも絵画ではなく、ルネ・ラリックのガラス作品群は一室をなし目を引く。冬期であったためか、閉鎖している部屋も多く、すべてが見られなかったのが残念。
国立古美術館はグルベンキアンより大きい。テージョ川を見下ろす高台にあり(リスボンは坂の街で大変だ)、建物の雰囲気もいい。メムリンクなど北方ルネサンスの画家、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなど隣のスペイン巨匠、そしてボッシュやデューラーの作品もあって、プラドなどと比べればもちろん規模は小さいが十分楽しめるコレクションである。ポルトガルは鎖国していた日本とも交易があった国。南蛮美術として狩野派の屏風絵や掛け軸もあるが、門外漢でさっぱり分からない。ポルトガルを代表する15、6世紀の絵画もあるようだが、恥ずかしながらポルトガルの画家は全く知らなくて、キリスト教美術の巾の広さを改めて思い知るばかりだ。
バルセロナにはカタルーニャ美術館という中世キリスト教美術の殿堂があるが、ポルトガルもカソリックの国。初期ルネサンスの祭壇画や装飾品もあるが、装飾品は絵画以上に鑑賞が難しいというのが実感。キリスト教的寓意が彫られているとは限らず、その巧緻を時代区分によって確認できる眼力が試されるがもちろんギブアップ。グルベンキアンもそうであるが、館内の配置や照明、係員の所作などが洗練されているとは言いがたい。係員が通路でおしゃべりしていて邪魔になったり。まあ、それもお愛嬌。ポルトガルはおそらくは二度と来ることはないだろう。今回、体調を崩したのは、ポルトガルに来たのに、聖地ファティマに詣でなかったからと冗談で言っているが、偶像崇拝を許す国?の美術は何回見ても興味深い。(ルーベンス「ヘレナの肖像」グルベンキアン美術館)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(2)

2012-02-19 | 美術
テッセン・ボルネミッサ美術館はパリで言うところのオルセー、ソフィア王妃芸術センターはポンピドゥー・センターであると以前記したが、今回改めて感じたのは少なくともソフィアは規模でもポンピドゥーに負けていないということである。
ソフィアを訪れる人のお目当てはもちろんピカソのゲルニカである。ゲルニカは制作後、アメリカに渡ったり、プラドに預けられたりしながら公開されなかったりとその安住の地を得るまでに数奇の運命を辿ったのは有名だ。が、ソフィアはゲルニカのおかげでというか、ゲルニカを展示するからにはとの意気込みのもとで現代美術の収集、展示に力を入れていてその目論見は見事成功しているように思える。あまりの広さに最後のドローイングの間などはほとんど素通りしたような状態だったが、ポンピドゥーと同じように一日かける価値がある。現代アートを主とする美術館は、企画展を中心とするとビデオインスタレーションとか、背景や言葉がわからないと全然理解できない場合も多いのに比してソフィアは絵画、造形中心。大きく、ヘンな作品が魅了する。
テッセンはベルリン以外ではこれほどそろっていないのではと思うほど、ドイツ表現主義、それもキルヒナーをはじめとするブリュッケの作品群を擁している。バウハウスのイッテンの作品まであってうれしくなってしまう。オルセーが近代美術ながら圧倒的に印象派のイメージが強いのに比して、テッセンは世紀末前後、それも20世紀初頭のキュビズム、フォービズム以降に強いようだ。イタリア未来派、そしてドイツ表現主義とナチに追われた作品群が、スペインの地まで流れてきたのかもしれないなどと根拠なく勝手に来歴を想像するのも楽しい。そしてピカソ、ミロ、ダリを生んだスペインはもともとシュルレアリズムの肥沃地帯。そしてピカソ、ミロ、ダリはいずれもカタルーニャ地方と深い縁がある(バルセロナの項で後述)。
むしろ面白く思ったのは、テッセンもソフィアもアメリカ美術が多くないことだ。テッセンが蒐集する時代区分にアメリカ美術が入るかどうか微妙だが(20世紀最初のアメリカは、新興財閥・資本の力でヨーロッパ美術を買いあさる時期であって、自前の美術作品養成・蒐集には必ずしも熱心ではない。)、ソフィアになると明確で、戦後美術を牽引したアメリカのミニマリズムやコンセプチュアリズム作品が美術館の規模に比してきわめて少ない。むしろ陸続きのヨーロッパ諸国の近代作品を熱心に集め、それらを体系的に紹介しているあたり、抽象芸術を牽引するピカソらを生み出した意地と矜持が見て取れる。しかし、マドリードはカタルーニャ地方とは一線を画す。そしてやはり王室のお膝元。シュールなアバンギャルドはバルセロナに任せて、行儀よく近代絵画を堪能するために、プラド、テッセン・ボルネミッサ、ソフィアという並びは重要なのである。(マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス) ソフィア王妃芸術センター)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(1)

2012-02-10 | 美術
ソ連の時代、取材等が十分できなくて、エルミタージュ美術館のことがよく分らなかった頃は、「世界3大美術館」にはプラドが入っていた。エルミタージュの全貌が明らかになって、「3大…」にはプラドに代わってエルミタージュが入ったが、プラドの偉大さは変わらない。念のため記しておくと、あとの二つはルーブルとメトロポリタンである。規模の上からこの3つが入ることに異議はないだろう。ただ、「3大」などという必要があるのかどうか別にして。
プラドのすごいところは、18世紀末から19世紀初頭にかけてスペイン王室の実情に肉薄しながらも、フランスとの戦争に代表される戦争や内戦で多くの命が失われたことに対する怒りと悲しみ、反戦の思い、そして晩年には人間の業に正面からまみえた巨匠ゴヤを完全網羅しているところだ。
フランシスコ・デ・ゴヤ。時代区分的にはロマン主義、フランスのブルボン王朝が崩壊し、第二共和制後ナポレオンが権力を掌握し(第一帝政)、民主革命の余波を恐れたスペイン、カルロス王朝はナポレオンと手を結び、フランスのような民衆革命の勃発を押さえようとしたが、スペイン国民の反仏感情は高く、フランス軍兵士に市民が殺されてゆく。また、スペイン王室内では王妃マリア・ルイーサの愛人ドゴイが若くして首相の座に上り詰め、政権を私物化し、民衆の怒りも頂点に達するが、ゴヤはこれら王室・政権内の肖像画も数多く手がけ、主席宮廷画家として蓄財を築きながらも決して、王室に帯同することなく、また、大病し聴力を失い、最晩年には視力も失いながらも版画に取り組むなど飽くなき好奇心を発揮した。ゴヤが82の長年を全うし、宮廷画家としての地位を追われなかったのには、ゴヤの類希な画才と雅量、そして世の動きを察知する政治的な勘があったからに違いない。美人でない王妃マリア・ルイーサを美人ではなく、尊大なドゴイを尊大に描きながら、その人間の内面にまでせまる技量をして宮廷から追われなかったのではないか。ゴヤが崇敬していた、あるいは愛情を持って接していた肖像画のモデルたち、アルバ侯爵夫人やチンチョン夫人(ドゴイと政略結婚っさせられる)らは、政治的には力は弱かったが、その悲哀を美しく見事に描いているのも同時に画家の内面を投影させている。
 プラドはゴヤを網羅しているからすばらしいと記したが、逆に言えば、プラドにまで行かなければ、ゴヤの作品には出会えないことが多いからだ。あくまでまとめてという意味であるが。そしてゴヤの最晩年の力作「暗い絵」シリーズはここでしか見られない。ゴヤに出会うにはプラドに行かねばならないのである。プラドにはスペインのもう二人の巨匠、ベラスケスとムリーリョもそろっているし、ボッシュの「快楽の園」とフラ・アンジェリコの「受胎告知」もここでしか見られない(「受胎告知」はフィレンツェに壁画バージョンがある)。新館も開設されて、3大に入ろうが入るまいが、プラドは偉大な美術館であることは間違いない。

ゴヤのなかには、コローもいればルノアールもい、また超現実主義や非具象への契機も含まれてい、ピカソに至る道筋もすでに用意されている。(堀田善衛)

(ゴヤの生涯については『ゴヤ スペインの栄光と悲劇』(ジャニーヌ・バティクル著 堀田善衛監修 創元社)を参考にした)(プラド美術館正面にたつゴヤの銅像)
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向き合う覚悟が問われている   「サラの鍵」

2012-01-27 | 映画
ホロコースト映画はなるべく見るようにしている。「シンドラーのリスト」(93年)以降、繰り返し描かれるホロコーストとそれにまつわる人々の姿を描いた作品は少なからず胸打つものが多い。「ライフ・イズ・ビューティフル」(97年)「アンナとロッテ」(02年)「戦場のピアニスト」(02年など。ほかにも広い意味でナチスの蛮行、それを支持、黙認した民衆を描いた作品、そして抵抗した者も描かれてきた(「バティニョールおじさん」「レセパセ」(02年))「愛を読む人」(08年)など)。「シンドラー」がアウシュビッツをはじめとした強制収容所での殺戮を直接的に描いたのに対し、その後の作品は、アウシュビッツに至るまでの人々の暮らしや周辺の人々、アウシュビッツ後の思いにも想像を働かせているように思える。そして、ヨーロッパ映画(イスラエル映画でないところが注目)がしつこく、ホロコーストを描く背景には、「許さない(赦さない)」というより、忘れない、忘れてはいけない、その前提として直視し、常に、向き合うという姿勢、矜持、があるように見える。
翻って、「村山談話」をいまだに国辱だの、誤った歴史認識の上での「土下座外交」などと攻撃する勢力、論壇が一定巾を利かせているこの国の状況は恥ずかしいばかり。ヨーロッパのあの戦争、ナチスとそれに従った者への直截なまなざしといかほど違うものか。
シラク大統領が、ユダヤ人を迫害、収容所送りとした「ヴェルディヴ事件」を、ナチスドイツにやらされたからではなく、自国の犯罪としてフランス国家としての責任を認めたのが1995年。「ヴェルディヴ事件」では1942年7月16日、フランス警察がパリのユダヤ人を一斉検挙、ヴェルディヴ(屋内競輪場)に押し込め、劣悪な環境の中、自殺、病死者が続出、その後強制収容所に送り込み、およそ7万人が犠牲となった。10歳のサラは警察に踏み込まれた朝、幼い弟を納戸に隠し、弟の収容所送りを免れさせる。両親はアウシュビッツで虐殺され、収容所脱走に成功し、助けてくれたフランス人老夫妻の手助けで、パリの納戸に閉じ込めたままの弟を助けに行くが。
老夫妻に育てられ、成長し、アメリカに渡ったまでを調査で明らかにしたのは、サラのアパートに住むことになるジャーナリストの現代のジュリア。「ヴェルディヴ事件」の実相、アパートが夫の祖父母が購入したことも分かり、調べるうちにサラの足跡を執拗に追うようになるが、同時に、夫が望まない自身の(高齢)妊娠も分かる。夫やその家族との距離も離れ、「過去をほじくるな」との責めにもひるまないジュリアだが、サラのその後を調べないわけにはいかない。アメリカに渡ったサラは20代で事故死したことも分かったが、サラは夫や子どもたちに自分のことをどう、どれくらい話していたのか。ジュリアの追跡は終わらない。
ジュリアとサラのオムニバスのような描き方は、次にジュリアはどうなるのだろう、サラは、と見る者のはやる心を見透かして展開する。「イングリッシュ・ペイシェント」や「ずっとあなたを愛してる」など過去の訳あり姿が堂に入ったクリスティン・スコット・トーマスは結局、夫と別れ、自己のこだわりに正直に生き、高齢出産も経験する姿を演じていてかっこいい。それにしてもサラを演じたメリュジーヌ・マヤンス(99年生まれ)のほうが末恐ろしいほどの演技力だ。弟を守るため納戸に隠したのに、あまりにも悲劇的な再会。それがトラウマとなり、育ててくれた老夫婦のもとを何も言わずに去り、渡米後結ばれた夫にも心を開かなかった(息子は母がユダヤ人であることを強硬に否定するが、アメリカのユダヤ人観もまみえてとても興味深い)まま自死にいたるサラ。一筋の光明はユダヤ人排外が当たり前の中で脱走したユダヤ人の子どもを守り続けたフランス人老夫婦の存在。シチュエーションは異なるが、満州に渡った日本人のこどもを「日本鬼子」としてではなく育てた中国人も多かった事実。絶望のなかでも愛はあった。
歴史を学ぶということと、事実を追うということは同じではない。ジュリアの探索は、ジュリアの家族に亀裂をもたらし、わだかまりをつくったが、それ以上に事実に向き合うという真摯な自己探求をそれぞれにもたらした。ジュリアの夫の父、サラの息子、そしてそれらを取り巻く多くの人たち。サラの過酷な歴史に思いはせるとき、忘れるということと、忘れたふりをすることの違いと罪を改めてつきつけるのは、現代に生きる私たちのあまりにも浅薄な現状認識だ。
二度とサラをつくってはいけないし、サラの記憶を消し去ってもいけない。向き合うつらさと覚悟を引き受けてでしか、歴史の過ちを自覚できる術はない。
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愛が生む自由、自由が生む愛  ー草間彌生  永遠の永遠の永遠ー

2012-01-23 | 美術
草間彌生の作品を見ていて、前から感じていたこと、そして、今回改めて確認したことがある。それは草間の作品に流れるアール・ブリュットのテイストである。アール・ブリュットとは、ジャン・デュビュッフェが精神障がい者や知的障がいのある子どもらの描くアートを「生の芸術」と名付け、その独創性を紹介、発表の場をつくった障がい者芸術へ世間の目を向けさせた成功譚である。成功譚と記したが、デュビュッフェの功績は美術の世界以外ではもちろん知られていない。ローザンヌにあるアール・ブリュット美術館に行けば、障がい者芸術の深さと広さにまみえることができるのだけれども(アール・ブリュット美術館探訪は残念ながらスイス美術紀行では触れていないが、魅力ある小さな美術館である。)
で、草間彌生である。強迫神経症だとか、偏執狂疾患であるとか草間を精神(医または心理)学的に解説する言説も少なくないが、ある部分あたっていて、また、であるからどうなのだというのが、今回の展覧会でも明らかになった。
草間はかなり早い時期から水玉、ドットにこだわりその緻密さたるや凡人が思う根気を超えて強迫神経症と診断されても無理もない。点描派のスーラは34歳で亡くなったのを、あのような根を詰めてすることがよくないと、半ば冗談で言っていたが、草間は現在82歳。そして、いつまでも生き! 作品に愛を込めるという。今回の展覧会のために連作された「愛はことしえ」。細密画のごとく丹念に筆を入れ、「永遠の魂」を実感し、平和を愛し、地球を思う。草間は絵描きであるとともにすぐれた詩人でもある。アメリカ生活が長い人だが、もちろん日本語能力も高い。いや、20代で親の反対を押し切って渡米し、ニューヨークを拠点に芸術活動をはじめた草間にとって日本は長らく遠い存在だったに違いない。アメリカでハプニングや既成のイクシビションに殴り込みをかけた苛烈さとは反対に驚くべき繊細さを持って2次元画面にも没頭してた姿勢がよくわかる。2次元画面と言ったが、草間の長年のパートナーはジョゼフ・コーネル・そう、コーネルのボックスのコーネルである。ボックスという3次元で、それでいて、限られた空間で表現をつくしたコーネルとパートナーであったことはなにか意義深い。
コーネルの死後帰国した草間は精力的に活動を続けるが、前衛美術は一般的に日本で分が悪い。横浜トリエンナーレでの複数回の出展、各地の芸術祭でのあの水玉カボチャの出現などで、徐々に名声を高めた草間の82歳の挑戦。今回、出展されたほとんどの作品が本展のためにドローイングされた新作であるというのであるから驚く。美しく、分かりやすく、楽しい。
草間という人は色、そしてフォルムについてはタブーや固執がないと思えるほど、色とりどりの自由さに、それらを彩る形態の自由さに感嘆させられる。過去にはザーメンや男根にこだわったかのようにまみえた男性性偏執狂と評された作品も多かったが、もう草間には「愛」があるだけである。
変な言い方だが、アール・ブリュットはちょっと、まだ、ついていけないと審美眼において自己の壁を作るご仁にぜひ見てほしい。草間のアブストラクトは十分に踊っていると、感じられるだろう。(「人間の一生」)
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