kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

銃後の民はグラデーションであるのにそれを許さない戦争とは「ぼくの家族と祖国の戦争」

2024-08-24 | 映画

不条理、不合理、残酷。戦争の実相を端的に伝える言葉はいくらでもある。しかし、それは戦闘や兵士がたくさん出てくるシーンとは限らない。むしろ直接戦闘と関係のない銃後や占領された地域も過酷な戦争の現在地でもある。

1945年4月。ドイツ本土への連合軍の空爆は苛烈を極めていた。デンマーク、フュン島のリュスリンゲ大学にドイツからの難民を受け入れるよう学長ヤコブは命じられる。200名と伝えられていたが到着したのは500名超。体育館に詰め込まれた難民らに瞬く間に感染症が広がる。しかもドイツ兵は一人残らず姿を消す。ヤコブの妻リスは飢える難民の子らにミルクを配布しようとするがヤコブは反対する。それが、難民の死者の子どもが圧倒的に多いと知り、今度はヤコブが難民に手助けしようとする。今度はリスが反対する。ドイツ人を助けることは「売国奴」と非難される。その一部始終を見ていたのがヤコブとリスの子セアン。映画はセアンの眼を通して終始描かれる。

戦争で一番被害を受けるのは子ども。現在では何度も叫ばれる「反戦」の一スローガンだが、子どもは同時に「残酷」でもある。「売国奴」の両親を持つセアンは同級生からナチス役を強いられ、酷いいじめ、辱めを受ける。日本でも少しでも懐疑心を持つ大人に比して、「小国民」世代はより戦意高揚に邁進した。セアンを助けたのは難民の少女ギセラだった。ドイツ人を助ける両親とくにヤコブに反発していたセアンは、両親をドイツ軍に殺されたパルチザン支援者のヤコブの学校の音楽教師ビルクに懐いて、手助けするようになっていたが、自分を助けたギセラが瀕死にあることを知り、思い切った行動に出る。

銃後や占領地の非戦闘市民はすぐに殺されるかどうかの瀬戸際に立たされていない分、その行動はよりグラデーションだ。パルチザンに身を挺し、徹底的に占領軍に抵抗する者からナチスの下僕になる者まで。ヤコブも当初は難民には一切関わろうとしなかったのに、それが変わっていたのはドイツを助けるのではなく、目の前で瀕死の子どもらを助けようと思ったからにすぎない。ドイツ人に手を差し伸べるのではなく、人間に手を差し伸べるのだと。

ここに宗教的観念や背景を読み解くのは容易であろう。けれど「人道」は信仰とは必ずしも関係がない。もちろん、人種や階級、階層、職業、普段の生き方とも関係がない。

ヤコブを人道主義に目覚めた素晴らしい人と称するものも簡単だが、反対に石を投げつけ、挙句には暴力を振るう者を「愛国者」と論じるのも簡単だ。同時に誰もがパルチザンたれ、あるいは、その時々でうまく立ち回れとは言えない。敵を見たら撃てるようにと訓練された兵士とは違うのだ。

ドイツの占領が終わり、瀕死のギセラを病院に連れて行くため、セアンと父ヤコブは大きな賭けに出て、ギセラは助かるが、もう一家はその地にはいられなくなった。時々の選択によって愛国者になったり、売国奴になったり。そういう一市民の営みは揺れて、また移動するのに、二種類に分け、互いを憎悪と迫害、排除の対象とする。戦争の最大の機能と言えるだろう。

イスラエルのガザ攻撃を非難したら「反ユダヤ」とレッテル貼りをされるアメリカやドイツをはじめとする西側諸国。ネタニヤフ政権の蛮行は紛れもなくパレスチナ人に対するジェノサイドであるのにどちらかを問う「蛮行」。戦争は間違いなく揺れさえも破壊する。

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HistoryではなくHerstoryが描く、忘れてはならない歴史の暗部「流麻溝十五号」

2024-08-09 | 映画

民主化する前の台湾の「白色テロ」時代を描いた映画はまず「非情城市」(1989)が思い浮かび、恥ずかしながらそれ以外は知らない。正確には「非情城市」が描いた2・28事件(1947)より後の蒋介石(と息子蒋経国)による国民党政府による弾圧が「白色テロ」時代なのだが、まさにその時代、故なき反共(反政府)・弾圧政策の犠牲が「流麻溝十五号」であった。

台湾南東岸に位置する小さな島・緑島。この島に30年以上もの間、政治犯収容の監獄が設置されていた。「火焼島」の名もある島内の「新生訓導処」(収容所)中、女性が収容されていた場所の住所が「流麻溝十五号」である。「政治犯収容」と言っても、厳密には「政治犯」はほとんどいない。今で言う自由や民主主義に触れたり、勉強会に参加、あるいはそういった運動のそばで「巻き込まれて」捉えられた人たちが多かった。「政治(的確信)犯」など一人もいないのである。

しかし、一旦収容所に送り込まれればなんとしても艱難辛苦に耐え、生き抜いていかねばならなかった。ダンサーの陳萍(チェン・ピン)は妹を守るために、年長で皆に頼りにされる看護師の嚴水霞(イェン・シュェイシア)はクリスチャンであり、強い。二人に憧れるまだ高校生の余杏惠(ユー・シンホェイ)はスケッチを欠かさず心身を保つ。嚴水霞が外の情報源として新聞を読み回したことで収容者の政治的反乱謀議を疑い、首謀者として嚴水霞が、重罪犯として余杏惠も囚われる。余杏惠は独房監禁でやがて放たれるが、嚴水霞は軍法会議にかけられ、死刑に。人の生死をたった一人蒋介石が軽くサインすることで振り分けられていたのだ。陳萍や余杏惠はやがて解放されるが、もう囚われる前に描いていた希望の時間は得られない。

本作は実話に基づいた創作という。「新生訓導処」は、1970年に閉鎖されるまでおよそ20年もの間、「政治犯」が送り込まれた。そして戒厳令が解除され、「白色テロ」が終わる1987年までの間およそ4,500人が処刑されたとされる。しかし「新生訓導処」での女性たちの聲は、無視されていたのだ。しかし彼女らの囁き、慟哭、叫びは確かにあった。たとえ創作であったとしても本作は確実にそれを伝えている。

同性婚や性的マイノリティに寛容な国として今や東アジアで最も民主的とされる台湾。しかし、その民主化の足取りは30年あまりに過ぎない。しかし、それ以前の独裁政権の暗部、それは自国の隠したい恥部でもある、を直視し描き始めている。同じ、軍事政権から民主化した韓国でも、戦後間もない頃の済州島4・3事件や光州事件への総括、断罪が進む。これらは自ら招いた汚い部分、許すべきでない歴史を葬り去らずに、後世の希望に繋げる強固な意思でもある。翻って、東アジアでいち早く「民主化」したことになっている日本では、戦前の国策の過ちや陰謀、それに伴い無辜の民が頚切られた歴史、その一つ大逆事件の真相究明や首謀者(とその体制)への断罪さえが行われていない。未だ「民主化」していいないのではないか。

本作の英語原題はUntold Herstory。男の語りだけで描かれるHisutoryでは明らかにならないものがある。

 

 

 

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「裁判をしない裁判官」が生み出す歪な現実 『「裁判官の良心」とはなにか』

2024-07-01 | 書籍

現役裁判官が国を訴えるということで、話題になっている竹内浩史津地方裁判所判事。竹内さんの言う「裁判官の良心」は明確である。民事裁判官の経験が長い竹内さんなりに「正直」「誠実」「勤勉」を重要な要素とする。この3点なら別に裁判官に求められるというより人間として求められるのと同じではないかと指摘されそうだ。が、本書ではその前提として「思想・良心の自由」(憲法19条)の「良心」とは全く同じではなくて、わざわざ「すべて裁判官は。その良心に従い独立してその職権を行」うと(憲法76条3項)あることから、「良心的裁判官」たるべき規範を改めて強調していると見る。「良心的裁判官」については、本書に何度も出てくるので、その言を確かめていただくこととして、その反対に位置する「ヒラメ裁判官」(上だけ見ている裁判官)の存在とそれを生み出す最高裁判所事務総局(その他)の「裁判をしない裁判官」という組織構造の問題点を鋭くついているのが本書の肝と言うべきだろう。

読後の印象はとても分かりやすいと言うことだ。現職裁判官らが結成した日本裁判官ネットワークが過去に出版した裁判所を憂える書籍では、どなたも硬すぎるくらい真面目に、少し控え目に書かれているように思えて、隔靴掻痒の感が少なからずあったが、本書は明快、遠慮はない。少なくとも過去の類例の書に比べて裁判所に怖気付いて?しているようには見えない。

折しも岡口基一仙台高等裁判所判事が、SNSへの投稿によって弾劾裁判にかけられ、罷免されると言う「暴挙」が起きた(2024年4月3日)。罷免判決に至るその論理構成には疑義が多々あるが、要は、「裁判官たる者、自由に発言していいわけではない」と言っているに等しい。竹内さんは、弾劾裁判で岡口さんの表現行為が罷免事由にあたるものではないと「裁判官の市民的自由」の論点から証人にもなったが、判決では一顧だにされなかった。そして著者によれば、裁判官でSNSを使用する人は自身と匿名のお一人だけになってしまったと言う。著者が憂える裁判官を目指す者がますます減るのではと危惧される不自由さの象徴である。

「裁判をしない裁判官」優遇、意思決定の歪さなど、その弊害は弁護士時代より裁判官経験の方が長くなった竹内さんの具体的なエピソードの数々で(時の所長等顕名にしているところも好もしい)納得することができるだろう。そこで、少しだけ注文もある。女性の方が心の優しい人が多いから裁判官向きだとするところや(80頁)、裁判官が男性の場合を前提として、官舎で夫の出世話でいたたまれなくなる妻の話であるとか(168頁)、ジェンダー感覚が少し古いのではないだろうか。最高裁判事の年齢を問題にしている点からも、裁判所におけるその不均衡を積極的に取り上げて欲しかった。

ところで、本書でどちらかというと「リベラル」系として名を挙げている泉徳治裁判官と金築誠志裁判官(いずれも最高裁判事)。1994年4月に司法修習を優秀な成績で終え、裁判官への任官を目指していた神坂直樹さんが「任官拒否」された際の判断機関、「裁判をしない裁判官」として最高裁事務総局人事局長だったのが泉裁判官、任用課長だったのが金築裁判官である。神坂さんは任官拒否の理由は思想差別であるとして、行政訴訟、国賠訴訟を争ったが、どちらも敗訴している。その訴訟では裁判官任用の経緯を明らかにするため泉、金築裁判官の証人採用を求めていたが、理由もなく採用されなかった。いくら判決や退官後の言論で「リベラル」であっても「裁判をしない裁判官」であるときはそのリベラルさを発揮できないという構造的問題があると言うことか。

本書は、一部の書店で平積みになるなど、大変な売れ行きとのことだ。散見される誤植の類も増販で訂正されることを望む。(『「裁判官の良心」とはなにか』2024 LABO)

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歴史は常に傷ついている 「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」

2024-06-29 | 映画

アンゼルム・キーファーは、ナチス式の敬礼を自らなし、あちこちで撮った作品に批判が上がったという。表現方法自体がドイツでは禁止されているからだ。

実はこの「ナチス式敬礼」については筆者自身とても苦い思い出がある。中学生の時野球部に入っていた。県大会の市の開会式だったか、行進する際に誰かが、「指揮台の前を通る時、みんなで右手をあげたらカッコいいんやん」と言い出し、それに従ってしまったのだ。もちろん誰もそれがナチス式敬礼だとは知らなかったのだろう。引率の教員も。日本だから許されたようなものだが、「知らない」ことは罪ではないのか。

「知らない」ことと「知っている」のに触れないこととは違う。それがナチスドイツの蛮行を経験した戦後ドイツの姿だった。それをあからさまにしたのがキーファー。ナチスの首謀者は処刑などで罰せられた。国際手配されている者もいるが、もうその復活を企図する者はいないし、ドイツ国民もあの時代を悔いている。ナチスに加担した下々全てを罰するのは現実的ではないし、それでは国が復興することの妨げにもなる。だから、記憶を喚起する、見たくないものを再び芸術表現だからといって顕にすることに対する拒否感は大きかった。

しかし1945年生まれ、ナチスの時代を経験していないキーファーに遠慮はなかった。と言うべきか、隠されたものが隠されたままで良いのかを問いたかったのだろう。ナチス式敬礼だけではない、キーファーが取り上げたナチス時代の表象は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの絶滅収容所への途を想起させる線路、雪原に無数に並ぶ名もなき墓標、さらには肉体のないのに膨らみのある白い衣服。そこには記憶と記録を呼び起こす仕掛けがある。キーファーが美術作品を発表し出した60年代はまだナチス時代を生きた世代が中心。そこに忘れたふり、なかったふりでいいのかと突きつけたのだ。

だが、おそらくクリスチャン・ボルタンスキー(※)のようにユダヤ人の出自ではないキーファーにとって戦争は、被害者の視線ではない。加害者の視点とともに傍観者の視点をも許されなかったのではないか。だからあえて物議を醸す表現を選択したのだ。

ドイツにいた頃から、大作を手がけるキーファーであったが、より広い制作環境、もうそれはアトリエというより巨大な工場と倉庫である、を求めてフランスの地方に拠点を移してますます巨大化していく。そして扱う画材!も金属やシダ類、それを燃やしたり、焦がしたり。しかし出来上がった画面は意外と重くには見えない。一昔前の絵画を評する際に使用する用語、マチエールの巧みさということになるのだろうか。スチールといった本来人工的・無機質な材料は、芸術家にとってミニマルアートやランドアートの時代、歴史とは無縁に表現を拡張するためのマテリアル(マチエールである)の一種で済んでいた。しかし、そういった無機質なオブジェクトに歴史を封入する試みは、見る者にその連関性を深く想像させる効果を持つ。もちろんハナから現代アート・マテリアルを強調した作品に興味を持てない人にとってはそうでもないだろう。しかし、先ごろ日本で個展が開催されたゲルハルト・リヒターが絶滅収容所での隠し撮りに拘ったように、何らかの歴史上の蹉跌に向き合おうとするドイツ出身の芸術家はある意味、作り出す表象の向こう側にその総括しきれない困難を込めようとしていることを考えても良いかもしれない。

映画は、終始かすかに聞こえる囁きや、ある意味壮麗な音楽に包まれている。キーファーは、ギリシアをはじめとするヨーロッパでのキリスト教以前の価値観、神話も題材にするという。人類が文明を持って、たかだか数千年。纏いきれない囁きはずっと流れていたのに気づかなっただけだ。(ヴィム・ベンダース監督「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」2023 ドイツ 公開中)※参考「圧倒的な生の不存在 クリスチャン・ボルタンスキー展」 https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/62a13d12d634f777521410f82a0488c2

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戦争をめぐる相克 忘れ去られた美術界のジェンダー視点『女性画家たちと戦争』

2024-06-25 | 書籍

画家たちの戦争責任という場合、そこでは藤田嗣治をはじめ、男性ばかりが取り上げられる。そこに女性はいない。Herstoryはなくhistoryのみだったのだ。

では女性美術家はいなかったのか。実は、明治政府が西洋の美術・文化を吸収、発展させようと設立した工部美術学校は女性に門戸が開かれていた(1876年)。日本で最初のイコン作家とされる山下りんや神中糸子がそうである。しかし、工部美術学校廃校(1883年)後、美術に特化した高等教育機関として設立された東京美術学校(1887年)には、西洋画科も設けられず、女性の入学も許されなかった。以後、女性の美術家志望者の私塾以外の公の教育機関としての受け皿は(私立)女子美術学校(女子美。1900年)だけとなった。女性が正規教育として美術を学ぶ機会を奪われた17年間に伸長したのは、「良妻賢母」思想であった。女性を家庭という私領域にとめおく今日の性別役割分業の始まりであったのだ。しかし、美術を学びたい、絵を描きたい女性たちはいたが「洋画家」になるにはさらにハードルがあった。

女性の洋画家としての活動、継続には同好の士のネットワークが必要、有用であった。やがて女子美の卒業生らも交えて、女性画家の存在を認めさせ、地位向上を図る中で時代は戦争へと突き進む。女性画家たちも当然戦時体制へと組み込まれ、奉国の証を立てんとする。そのような時代背景に描かれたのが大作《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944 原題は一部旧漢字)である。《働之図》は、〈春夏の部〉と〈秋冬の部〉の2部構成であり、いずれも多数の女性画家による共同制作となっている。藤田嗣治をはじめ男性画家が従軍し、それぞれ個人の作品を制作したことの違いが明らかである。制作は「女流美術家奉公隊」。そして軍の要請による制作である「作戦記録画」のうち、洋画が主に戦地や戦況など具体的な事件、事案をモチーフとしているのに対し《働之図》は、「働く銃後の女性をテーマにした」合作図である(桂ユキ子の回想。107頁)。制作の指揮は長谷川春子が、構成の差配は桂が主に担ったことが分かっている。長谷川春子は現在では画家としての記憶にあまり残っていないと考えられるが、戦前「女流画家」界でトップの地位にあり、ネットワークを牽引した。

《働之図》には、銃後のあらゆる場面がおよそもれなく描かれている。戦闘機、弾薬など軍需物資の工場、田植えなどの農作業、傷痍軍人への慰問、さらに女性鼓笛隊の行進や炭鉱、水運、漁業など。制作された1944年はもう戦況も悪く、男性の働き手が極端に減っている銃後において、女性も本来力仕事であるどのような職種にも参画せざるを得なかったことから、描かれている男性は極めて少ない。そして上記のような生産や直接戦意鼓舞とは関係のなさそうな家内労働なども描かれている。まさに「愛国」の発露、「総動員」「挙国一致」である。

《働之図》は、同年に開催された陸軍美術展(3/8〜4/5 東京都美術館)に出品するために限られた制作時間、3部作(「和画の部」もあったようだが所在不明とのこと)という大作では共同作業にせざるを得なかったこと、そして「女流画家」の統制と奉国の意思統一という側面があったことであろう。現在〈秋冬の部〉が、靖国神社の遊就館に所蔵されていることは象徴的である。

さて、長谷川と並びすでに「女流画家」の中では傑出した存在であった三岸節子は、制作にはスケッチ程度で実際には関わらなかった。その点を長谷川に「非国民」と罵られた三岸は(104頁)、それまで共に仲間の地位向上などに尽くしてきた仲の長谷川と袂を分かつ。

戦後になり、戦争画に関わった男性画家たちはどうなったか。藤田嗣治は日本を離れ、二度と帰国しなかったし、戦争画に関わったことに触れられるのを嫌がった小磯良平など多くは発言さえ控えた。

一方「当時の戦いを聖戦として主張していたミリタリズムの信奉者であり、この戦争への否定や疑いはなかった」とされた長谷川は(田中田鶴子の回想。215頁)はやがて美術界を引退、忘れられた存在になっていく。三岸が94歳で没するまで旺盛な制作活動を継続したことは周知の通りである。女性画家たちの戦争をめぐる相克が《働之図》制作に至る過程で窺い知れるのである。

一点、本書と直接関係はないが、神戸市立小磯記念美術館にて「貝殻旅行 三岸好太郎・節子」展(2021.11.20〜2022.2.13)が開催された際に、「画業の長さ、展示作品数からすれば「三岸節子・好太郎」展ではないか。せめて「三岸好太郎・三岸節子」展とすべきではとアンケートに書いたが、さて。(吉良智子『女性画家たちと戦争』2023平凡社)

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待っていた好著  『この国(近代日本)の芸術 〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』

2024-06-05 | 書籍

「明治期以降、徐々にその輪郭と内実が形成されてきた日本の帝国主義・植民地主義が産み落とした鬼子として現代に残る歴史否定・人種差別・異性愛規範・健常者中心主義等々が未だにこの国(近代日本)で支配的であることを改めてはっきり認識した。」「本書は、「美術」というフィールドを足場に、そうした帝国主義・植民地主義の残滓を払拭することに挑戦している」(山本浩貴「おわりに」812頁)。

本書の目的は上記のように明らかだ。しかし、それをどう論考で説得づけるか、切り口はいずれか。浩瀚な参照文献と、同時代アーティストへのインタビューでそれは成功していると言えるだろう。では編者(小田原のどか 山本浩貴)を突き動かしたプロジェクトの発端、危機意識はどこから出現したものか。それは「飯山作品の検閲」(2022年、飯山の映像作品を『In-Mates』が東京都人権プラザにより上映中止となった)であるという。

本書には、飯山由貴自身のインタビューも収められているが、関東大震災での朝鮮人虐殺を描いた動画に対し、その事実を認めたくない小池百合子都知事に都が忖度したことは明らかであった。しかし、芸術作品の検閲や出展中止、開催禁止は飯山の件だけではない。2019年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐる一連の動きがエポックメーキングとされるが、むしろそれまでに内在、顕在していた「現代に残る歴史否定・人種差別・異性愛規範・健常者中心主義等々」が「その後」展によってさまざまな事象が集成されたと言えるだろう。既知の通り、「その後」展では爆破予告が、「その後」大阪展でも不審物の郵送があった。

「その後」展は、この国(近代日本)にすでにある不可触なスティグマを分かりやすく展示したに過ぎない。「従軍慰安婦」を表す「平和の少女像」、昭和天皇の写真を燃やすシーンが映り込む動画、沖縄における米軍の駐留、横暴(に結託する日本政府)に対する揶揄などである。これらはすべて「近代日本」に端を発することだ。つまり日本に「美術」がもたらされたのは近代になってからであり、美術以前(近世の絵画芸術や手仕事を思い浮かべると良いだろう)にはあり得なかった、すなわち「帝国」の出現以降のことだからである。そこには絶対主義天皇制を基盤とするヒエラルキー、当然下位の者が存在する、に絡め取られた差別構造、「外国人」たるエスニシティ、ジェンダー、台湾・朝鮮半島・満州などの植民地支配の必然的帰結であるコロニアルの問題等々がある。しかし「美術」はそれを避けていた。少なくとも問題提起にはひどく無関心で、逆に「その後」展のように剥き出しのレイシズムが噴出した。

本書をかいつまんで紹介する任は筆者の能力を超えるが、沖縄、アイヌといったマージナルな領域の描き方、描かれ方、それに伴うヤマト=「日本」といった虚構の論考。「慰安婦像」をめぐる表象とジェンダー規範、あるいは天皇と戦争画の関係、さらには被爆地広島出身でシベリア抑留の経験もある地元の画家四國五郎の再評価、大杉栄にゆかりの美術家を取り上げた小論、ブラック・ライブズ・マター運動とアートとの関係、そしてこれらに挟まれるアクティビスト、作家のインタビューや論考も読ませる。美術関連書と言えるのだろうが、図版の少ない800頁を超える大著にして夢中になれる。これらの視点と行動力を知らなかった美術「好き」が恥ずかしいくらいだ。

個人的には、筆者も何度も見(まみ)えた彫刻家舟越保武の《ダミアン神父》の作品名変更の経緯がとても興味深かった。先ごろ、世界最多の有権者を擁した選挙と言われるインド総選挙が報じられた。インドは「世界最大の民主主義国」を自称するが、もちろんモディ強権政権にそれを信じる者は少ない。それに抗い、抵抗してきた作家、文筆家にアルンダティ・ロイがいる。ロイは反グローバリズムの立場から「帝国」を論じるが(『帝国を壊すために』2003 岩波新書)、日本も天皇制軍国主義下と戦後もその流れを断ち切れなったと言う意味において間違いなく「帝国」であり、だから人に見せ、考えてもらう契機としての「芸術」を扱う「日本美術史」も「脱帝国主義化」の必要性があるのである。(『この国(近代日本)の芸術 〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』2023 月曜社)

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無関心で居られる「怖さ」ほど「怖い」ものはない 「関心領域」

2024-05-27 | 映画

映画に怖い作品は数多あるが、ホラーや残酷ものは見ないので、よく見る怖いものというとナチス・ドイツ(の蛮行もの)だろう。しかし、「シンドラーのリスト」のように実際の殺戮、迫害シーンが続くのも「怖い」が、一見穏やかな生活を描いていて、暴力シーンが全くないのに「怖さ」を感じることは十分できるものもある。

「関心領域」とは、アウシュヴィッツ強制収容所群を取り巻く40平方キロメートルの地域。ナチス親衛隊の用語である。反民主主義国家やその指向を隠さない政権は時に婉曲表現を多用する。オーウェルの『1984年』に出てきたニュースピークしかり、安倍晋三政権の「防衛装備移転」(武器輸出のこと)、プーチンの「特別軍事作戦」しかり。ナチスが「関心」を持っているのは、そこが大量殺戮工場の現場であり、その周辺にはそれを暴こうとする反対勢力(連合国側や報道)その他が入り込んではならない「領域」であるからである。しかし、「工場」の周辺には施設従事者以外も住まう。ルドルフ・ヘス収容所長の家族である。

子どもを川遊びに連れて行き、妻ヘートヴィヒと旅行の思い出話をするヘスは、よき父、よき夫である。しかし同時に、自宅に焼却炉の設計技術者を招き入れ、新しい機械がいかに「効率的に」焼却できるかの説明を聞き、「早急に」と指示する。焼却するのはもちろん収容所の死体である。

家族、友人とプール付きの広い庭でパーティーを開き、子どもたちは走り回る。なんと牧歌的、穏やかな日常か。しかし遠くから絶え間なく聞こえる叫び声、それは看守の怒鳴り声と痛みつけられ殺される被収容者の断末魔であり、銃声には誰も気づかない。聞こえていない。

それらの音が聞こえ、遠景の煙突から絶え間なく吐き出される黒煙と臭気に耐えられない者がいた。遊びに来たヘートヴィヒの母親である。母親は突然逃げるように帰ってしまう。怒り狂うヘートヴィヒは、ヘスの性欲の吐口と暗示される下働きの女性に言い放つ。「あんたなど燃やして灰にできる」と。同じ頃、ヘスに出世が約束された転属の話が出て、妻に告げるが「こんなに恵まれた場所はない。子どもたちも健康に育っている。私は行かない」。天塩にかけて綺麗に整備した庭(もちろんユダヤ人やポーランド人の庭師らが)を手放したくないし、被収容者の持ち物であったすばらしい毛皮のコートなどが手に入る生活を手放したくないからだ。

映画の合間、合間に印象的なシーンが流れる。地元民と思しき少女が夜陰に紛れて、収容所の畑にりんごを撒きに行くのだ。そのシーンだけ暗視カメラで映されるが、実際、被収容者を援助しようとした地元民はいたらしい。また、ラスト近く、現代の世界遺産「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の日常が突然現れる。夥しい数の遺棄された靴や持ち物。その展示スペースを淡々と掃除するスタッフ。彼らの「関心」事は部屋の清掃そのものであるが、その姿は私たちに突きつける。現在続いているウクライナ、ガザ、スーダンやミャンマーなどの殺戮はあなたの「関心領域」であるのかと。

「怖い」は何も物理的、直接的暴力を見聞することではない。いや、それ自体が「怖い」のではない。その実態に無関心でいられるその心性が「怖い」のだ。そして、それに慣れ続けることがもっと、もっと「怖い」のだ。(「関心領域」2023 アメリカ・イギリス・ポーランド映画)

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警察、検察は証拠をつくる  「正義の行方」

2024-05-26 | 映画

警察、検察は証拠をつくる。その人を真犯人とするために。いや、逮捕、拘留した人物が本当の犯人かもしれない。しかし、裁判で有罪とするためには証拠を積み重ねて裁判官(所)を納得させればいいだけのことだ。しかし、そもそも証拠が作られたものであったとしたら。

一昨年大きな話題を呼んだテレビドラマ「エルピス〜希望、あるいは災い〜」は明らかに飯塚事件をベースにしたものだった。被害者の遺体が見つかった八頭尾山は、飯塚事件の八丁峠。不正確なDNA鑑定、目撃証言の信憑性など。しかし、飯塚事件では被疑者の久間三千年さんは一貫して否認していたのに死刑に。そして確定後わずか2年で執行された。

映画は、ある意味、極めて公平である。福岡県警の捜査員らの言い分、弁護側の見方、そして事件を報道した西日本新聞の記者たち。捜査員は絶対久万が犯人で間違いないと揺れることなく言い切り、弁護側は先述の証拠を訝り、報道は難航していた事件解決のスクープを打った。しかし、西日本新聞の編集キャップに当時の担当記者が一から洗い直そうと、担当していなかった記者らに命じ、長編の調査報道が掲載され、NHKドキュメンタリー、そして本作に繋がった。

この原稿執筆時点で、袴田事件の再審公判が結審し、9月には無罪判決が予想されている。この間、さまざまな再審無罪案件があるが、死刑囚の再審事案であり、その重要度は言うまでもない。袴田巌さんは、執行の恐怖のもとでの長期勾留で精神に障害をきたしている。しかし飯塚事件は執行されているのだ。もし無辜の民を国家がくびきっていたとしたら、取り返しがつかないどころの話ではないのだ。そして飯塚事件はその可能性が大である。足利事件でDNA鑑定の新方式で再審無罪が出る直前に、古い鑑定方式で有罪となった久間さんの死刑を急いだのではとの疑念が拭えないからだ。確定から2年での死刑執行は異例中の異例である。オウム真理教事件でも7年の期間がある。さらに、再審却下の理由はDNA鑑定の証拠能力を無視しても「総合的に判断して」久間さんが真犯人と推定できるとする。確定判決の依拠するところはDNA鑑定だけであったはずなのにである。

映画を見ていて感じるのは、捜査側の人たちが退職してずいぶん経ち、取材を断ってもいいのに、皆誠実に対応していることに驚いたことと、揺るぎない久間=犯人への強固な確信だ。多分、迷いを一ミリでも入れれば自己を保てないという整合性への自己納得(暗示)なのではないか。一方、スクープを打った西日本新聞の記者は逡巡そのものの体である。あの久間=犯人報道は正しかったのか、警察に沿った報道で良かったのか。だから検証がなされたのだ。

実は、虚実不明であるが、安倍政権下で政権からの圧力、最大限政権に忖度したNHKをはじめとするメディアが圧を感じず、以前と比べると報道の自由さを取り戻したという。それが今般の正義の行方NHK版に繋がったとも。ならば、次は司法の誤りにも真実追求の刃を向けるべきである。袴田事件再審公判と並行して、日弁連をはじめとして刑事再審法改正の機運が高まっているところでもある。

狭山事件では鴨居の上にペンが、袴田事件では味噌タンクから衣類が。郵便不正・厚労省元局長事件ではフロッピーディスクの日付書き換えが。大川原化工機事件では報告書改竄が。

警察、検察は証拠をつくるのだ。

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あなたは何をしているのか? 何ができるのか?「マリウポリの20日間」「人間の境界」

2024-05-17 | 映画

ガザではすでに死者3万5000人と、まだ瓦礫の下に残されている1万人と報道されている。ガザ報道が中心になり、ウクライナのことは忘れられたのだろうか。スーダンは、ミャンマーは。

「マリウポリの20日間」は、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻し、ロシアが掌握しようとした最大の激戦地の開戦後のわずかな期間を写すものだ。しかしそのわずかな期間にこの戦争の全てが語られていると感じるほどの濃密な映像だ。破壊される街、次々と受傷者が運び込まれる病院、道路には遺体が横たわる。爆撃された産科病院でカメラは瀕死の妊婦を映し出す。しかしあろうことかロシア側は「アクターだ」と言い放つ。ならば戦場に残ったAP記者らはなんとか映像を域外に持ち出さなくてはならない。電気も通信もほとんど通じない中で、もし記者らが拘束されれば、ロシア軍の前で「動画はフェイクだ」と言わされるからだ。しかし、記者が逃げ出すということは、その後も続く市民の被害、虐殺を伝える術がなく、見殺しにすることになるのだ。

2022年5月に「陥落」したマリウポリはロシア支配下となり、ロシアが破壊した街を「復興」の象徴として宣伝しようとしている。既成事実化だ。そこに住まう人は今どうしているのだろうか。(「マリウポリの20日間」公式サイト https://synca.jp/20daysmariupol/

 

ウクライナからポーランドへ避難民が押し寄せる前の2021年、ポーランドへはベラルーシ経由でシリア、やアフリカ、アフガニスタンなどからの難民が押し寄せていた。ベラルーシ・ルカシェンコ政権が、EUの足並みを乱そうと自国に難民を引き寄せて、国境を接するポーランドに大量に送り込む「人間兵器」を展開していたからだ。しかし、ポーランド側も人道的とは程遠い政策を展開していた。送り込まれた難民をベラルーシ側に送り返すのだ。「ボールのように蹴り合われた」難民は疲弊し、命を落とす者も。国境地帯は氷点下近い藪、沼地帯で「死の森」なのだ。ポーランド政府は「立入禁止地帯」を設定し、難民を助けようと入った人は「密入国を助ける人身売買業者」として拘留、罰せられるようにした。映画はフィクションだが、難民出身の俳優も出演し、難民を助ける人道グループや地域からの綿密なリサーチにより迫真に迫る者となっている。名作(「いいユダヤ人ばかりではないから助ける ソハの地下水道」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/18ec0a26d957afef2caf6bf887b5dfd0)のアグニエシュカ・ホランド監督は、自国の暗部を何の憚りなく描いた。この点でもポーランドではまだ民主主義が根付いているという証だろう。作品は、難民、援助者、近所に住んでいたため援助者となる、一人暮らしの女性、そして人間を虫けらの如く扱う国境警備隊の若き青年それぞれの視点で描かれる。その群像的映像が秀逸だ。

沼で命を落とすシリア難民の少年とその家族、少年を救えなかったと自責するが自身も重傷を負ったアフガン女性は退院するとすぐに警察に連れ去られ安否不明となる。過大なストレスのため精神を病む国境警備隊の青年。それぞれが一所懸命に生を全うしよとする中で、国家、グローバル世界が個を押し潰す。難民危機の後、ウクライナから200万人の難民を受け入れたポーランドは優等生扱いされるが、その1年前にはこのような国だったのだ。そこには同じ白人のウクライナ人とは違う扱いの人種差別が明確にある。(「人間の境界」公式サイト https://transformer.co.jp/m/ningennokyoukai/

 

ナチス・ドイツの蛮行を描く映画を多く見てきた。「シンドラーのリスト」をはじめ、再視に絶えないキツイ作品もあるが、どこか過去のこととして、冷めた姿勢で観ることができた。しかし、実写のドキュメンタリーとフィクションの違いはあるが、この2作品は現在起こっていることだ。あなたは何をしているのか? 何ができるかのか? と問われているようでとても苦しい。

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近代美術史の結節点 「キュビスム展 美の革命」を愉しむ

2024-03-29 | 美術

美術作品を分かりやすさのためにとても大雑把に分類すると、具象か抽象か、写実的かそうではないか(表現主義的か)と分けることができるだろう。もちろん作者の意図として、作者にはそう見えたから描いたが、鑑賞するものにはどう見てもその通りには見えないということもあるだろう。

西洋絵画中心の話にはなるが、印象派が生まれたのは19世紀前半に登場した写真技術に対し、画家が対象の再現性という点では写真に敵わないと感じ、新たな表現方法を模索し始めたからというのも理由の一つだろう。後期印象派の代表格とされるセザンヌは客体の解体を推し進め、キュビスムへの道を開いた。有名な言葉「球と円筒、円錐で描く」はその表現主義的精神を余すことなく伝えている。セザンヌに傾倒したピカソがブラックとともに試みたのがキュビスムであり、3次元の対象を如何に2次元で表現するかの格闘の末、多視点にたどり着いた。

「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」は、50年ぶりの大キュビスム展とうつ。これは、1976年に東京と京都で開催された「キュービズム展」以来だからだ。そしてポンピドゥー・センターが来年末から5年間改修休館することから徐々にその準備として、収蔵品を世界中に貸し出していることで実現した大企画である。50点を超える初来日作品等もある。

展示の章立てが粋だ。セザンヌがキュビスムへの嚆矢とわかる「キュビスム以前」、ピカソがアフリカ美術に傾倒していた「プリミティヴィスム」、ブラックがセザンヌへのオマージュとして描いたレスタックの地で始まる「キュビスムの誕生」、ピカソとブラックの邂逅による「ザイルで結ばれた二人」、キュビスムを新様式として評価、ピカソを後押しした画商のカーンヴァイラーが認めたキュビスト「フェルナン・レジェとファン・グリス」。憎いのはキュビスム好き?には、たまらないセレクトであるドローネー(ロベール、ソフィア)やデュシャン兄弟(ピュトー・グループ)、リプシッツの彫刻、あまり知られていない東欧のキュビストや立体未来主義にも触れられていて圧巻の14章だった。

東京展ではブランクーシの彫刻作品もあったようで京都展にはなかったのが残念だ。しかし、ピカソとブラックがはじめてわずか数年で他の展開へとつながっていったキュビスムの役割がいかに大きく、歴史的画期であったかがよく分かる流れとなっていることは否定できない。第1次世界大戦前夜にパリに集ったピカソはじめ異邦人ら、グリスも、ブランクーシも、シャガール、モディリアーニ、アーキペンコ、リプシッツらが切磋琢磨した技と試みはやがて大戦中に生まれたダダ、その後の抽象、シュルレアリスムへ、さらにアンフォルメルまでにつながっていく表現主義の門戸を開いたのだ。

ところで、キュビスムは作者にそう見えたこととそう表したいことの結節点としての表現であり、作品名は「座る女」など具体的であって、抽象画のような「作品」や「無題」はあり得ない。具象そのものだったのだ。しかし、たとえば東京展のチラシに採用されているロベール・ドローネーの《パリ市》(1910-1912)は、割れた鏡に映った像のようで一見「具象」には見えないかもしれない。しかし、中央の裸体像は明らかにギリシア神話の「三美神」である。キュビストも前近代の画題に敬意を表し、かつ逃れられない部分もあったのだ。だからキュビスムは面白い。(「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」7月7日まで 京都市京セラ美術館)

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ガザこそホロコーストである  岡真理『ガザとは何か』

2024-03-06 | 書籍

ちょうど、大阪府堺市にて毎月主要駅前でイスラエルのガザへの侵攻を抗議するスタンディング・アクションをしている地元の市民グループが岡真理さんをお呼びしての講演会を開催した。岡さんは、いくら時間があっても足りないように熱く語られた。強調されたことは、いくつかあるが昨年(2023)10月7日のハマースによるイスラエル攻撃だけをフィーチャーして語るメディアが信用ならないこと、ホロコーストによってドイツなどから逃れたユダヤ人がイスラエルを建国したという神話の誤りなどだ。そして、反イスラエル=反ユダヤの淵源が、ユダヤ教を排除するという宗教的観念が、ユダヤ人排除という血、人種の問題にされたことにあるという歴史的文脈だ。

講演は、本書に沿う内容だが、ガザでの犠牲者が3万人を超える現在(講演の3月3日時点)、恐ろしい意味でアップデートされている。しかし、古代から流浪の民として言及されたユダヤ民族のお話と、第2次世界大戦後に建国されたイスラエルの歴史とはほとんど関連性がないし、その事実は変わらない。ディアスポラであることと、パレスチナの地からアラブ人を抹殺しようとする国があるという現実は併存するのだ。ドイツのようにホロコーストの加害者の歴史ゆえに現在のイスラエルの蛮行を黙認することは許されないということでもある。

岡さんが本書であげる要点は「1 現在起きていることは、ジェノサイド(大量虐殺)にほかならないということ。2 今日的、中期的、長期的な歴史的文脈を捨象した報道をすることによって、今起きているジェノサイドに加担しているということ、3 イスラエルという国家が入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基礎とする国家)である。4 何十年にもわたる、国際社会の二重基準があり、それを私たちが許してしまっている。」ということ。

少し解説が必要だろう。2は、前述のユダヤ人の歴史に関わることだ。キリスト教がヨーロッパ(ローマ)で「国教」となった以降、ユダヤ教が迫害されてきたのは事実だ。そして第1次世界大戦中、イギリスがシオニズム(ユダヤ人国家建設)を支持し、パレスチナをユダヤ人居住地と認めたこと(1917 バルフォア宣言)、ホロコースト、第2次大戦後の1948年国際連合によるパレスチナ分割決議によりイスラエルが建国されたこと。さらに、イスラエルが建国後早い段階からパレスチナ先住民を滅殺しようとしてきたこととそれに対抗するパレスチ人との戦い(第1次〜第4次中東戦争)と、イスラエルによるヨルダン川西岸への入植と、それらに対する抵抗(第1次インティファーダ(1987)、第2次インティファーダ(2000〜2005)とイスラエルがガザを「天井のない監獄」と化したガザ封鎖(2007)の歴史がある。これが「今日的、中期的、長期的な歴史的文脈」の一部である。そして4はアメリカの他国侵略を筆頭に、例えばアフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権は民衆を抑圧しているからと瓦解にまで追い込んだが、イスラエルがパレスチナ人に対する殲滅政策には一貫して目をつぶってきたことに明らかだろう。

「ガザとは何か」。それはイスラルによるホロコーストである。ホロコーストはナチスドイツの被害者としてのユダヤ人(国家としてのイスラエル)の専売特許ではない。ジェノサイドもホロコースト決して許してはならないはずだ。と、岡さん講演および、著作の感想をまとめてみたが、日本政府による沖縄に対する仕打ちも心理的にはホロコーストやジェノサイドに値する。「蹂躙」では生やさしすぎると思えたのだがどうだろうか。

(『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』2023 大和書房)

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言葉を奪われた女性たちのシスターフッド 『誓願』

2024-02-22 | 書籍

マーガレット・アトウッドによる前作『侍女の物語』があまりに優れていたので(「分断、虐げられた女性のモノローグが秀逸 フェミニズムが推す『侍女の物語』」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f43509c4a15e12bdd5958b59692cc84c)、

アトウッドの30年後の続編にものめり込んだ。女性を産むか産まないかだけに分け、一切の政治的・社会的権限から排除した独裁国家ギレアデの末路を描くが、その全体像を示しているのではない。分断された女性らのシスターフッドを背景に、脱出を試みる者たちのモノローグやダイアローグが連なる。それも3人の視点、女性社会のトップに立つ「リディア小母」、地位の高い司令官の娘「アグネス・ジェマイマ」、そしてジェマイマの異父妹であるカナダの平民出身の「デイジー」。特に後半の脱出劇はスリリングで読むのを止められない。

訳者の鴻巣友季子さんが解説するように、女性に限らず、人間の地位や尊厳を奪うというのは「言葉を奪う」ことである。ギレアデでは最上級の地位にある女性以外、文字を読み書きしてはならない。言葉を封じるというのは、発言させない、無視するということだ。現実の社会でも見られる実態だ。世界を見渡せば、女性の地位が男性のそれより低い国の方が多い。日本でも伊藤詩織さんやColaboの仁藤夢乃さんへの嫌がらせ、罵倒、攻撃を見れば分かるだろう。そしてギレアデのモデルであるアメリカでは、前大統領トランプによって、最高裁判事の構成が保守派に偏り、自身の信条である中絶禁止を合衆国に広げている。これは、産む、産まない、を女性自身が決めることを禁止するものであり、そういった生殖や生き方そのもののへの女性の発言を封じるものだ。

ギレアデはカルト宗教国家でもある。中絶を禁止しているからカソリック的に見えるが、カソリックは異端だ。中絶を禁止するということは、危険な出産で命を落とす女性も多いということである。そして、国民に死がとても近い。それは公開処刑の多さや、「侍女」に与えられる発散行為=違法をなした男性を文字通り「八つ裂き」にする、を含む。恐ろしく血生臭い行為だが、処刑も含めて彼女らは粛々とこなす。もちろん、それは「正しい」行為だからであり、命や人権といった民主主義における普遍的価値が一切ないからである。しかし、民主主義とはそれぞれ個性を持った一人ひとりへの差別や迫害、あるいはその内面に侵襲するそれらの自己正当化とのたたかいそのものでもある。であるから、アメリカの幾州や日本をはじめ、死刑を存置、執行する国の実態と地続きと言えるものでもある。さらに、鴻巣さんが紹介するように、アトウッドは「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」というから、未来・SFとジャンルされるディストピア小説とは、実は現実のルポルタージュであるのだ。

作品のエンディングは、ギレアデ崩壊後、その調査・発掘に勤しむ歴史研究者の講演で締められる。ということは、ギレアデの悪夢はとうの昔ということだ。ここに希望がある。2024年秋に行われる米大統領選では、トランプの復活の情勢とも。トランプの煽動のもと議事堂を襲い、ペンス副大統領らを本当に殺そうとした連中はカルト信者そのものだったが、トランプの復活でまた現れるかもしれない。しかし、ディストピアはいつか終わる。そして終わると言い続けなければならない。全ての人が言葉をもってして。(『誓願』2023 ハヤカワepi文庫)

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民主主主義とは永遠の革命  「○月○日、区長になる女。」

2024-02-16 | 映画

日本では国政選挙で50%を超えるくらい、地方選挙は30%を割ることもあるという。これで民意の反映と言えるだろうか。投票率の話だ。東京特別区の杉並区は人口57万、有権者は47万人、地方では大規模な市になるスケールだ。区長選挙では、3期12年つとめた現職に、2ヶ月前に日本に帰国した女性が挑む。その選挙運動と候補者に密着したのが本作だ。

杉並区は緑が多く、古く安価な賃貸住宅も富裕層が好みそうな区域もあるいろいろな人が住みやすいと感じる人気の区だそうだ。しかし、区が進める駅前再開発、道路計画などに異議を唱える住民らが区長選を見据えて団体を立ち上げる。道路ができれば立ち退かざるを得ない地域の住民や、児童館の廃止によって子どもの行き場をなくす保護者らがいるからだ。しかし、肝心の区長候補が決まらない。立ち退き対象の地域に住むペヤンヌマキ監督が市民団体を訪れカメラを回し始める。そして区長選2ヶ月前にやっと決まったのが岸本聡子。ヨーロッパに20年近く在住していた公共政策の専門家である。岸本にはオランダで民営化した水道を公営に戻した著作もある。だが、杉並区と縁があったわけではない。果たして「落下傘候補」が固い地盤の保守系現職に勝てるのか。

岸本が訴えるのは「ミニュシパリズム」。地域主権(者)主義とでも訳すそうだが、馴染みもないし、分かりにくい。それを岸本は自分の名前の漢字、「耳へんに、公共の公、ハムの下に心、と書いて聡子」「みんなの心を聞く」という意味ですと翻訳する。でもみんなの心を聞くとは具体的にどうすればいいのか、どうであればそういう現実に繋がるのか。

地方選挙、特に市町村など小さな自治体の議員の多くは「地域の声を聞きます」と訴え、時に市政などに反映させている人もいるだろう。でも、都市開発、道路拡張、福祉やコミュニティ施設の統廃合は、本当に住民の意思を反映しているのだろうか。そこに住民自身が立ち上がる契機がある。

地方自治は民主主義の学校と言われる。憲法にも「地方自治」の項がきちん設けられている。ともすると住民自治が置き去りにされる中にあって、杉並には古くから住民運動に携わる元気な(主に)女性たちがいた。岸本陣営を支えたのがこれらの人たちで、ノウハウとネットワークを活かして運動を広げていく。そう、東京都でも西部は昔からその素地があったのだ。そして岸本も「みんなの心を聞く」を実践する。街で自転車を押して駆け回る岸本に話しかけてくる女性。岸本を応援するからこそ、時に厳しい注文もつける。でも、どこかのおじさん候補のように笑顔で握手を繰り返すのではなく、岸本は聞くのだ。

岸本も支援者もこの選挙では勝てると思っていなかったらしく、次の4年後を考えていたという。しかし開けてみれば岸本が当選。わずか187票差だった。岸本の選挙戦は、「区政を変えよう」と集まった人たちが本当に手弁当で、個々の役割を担ったからの勝利だった。そして、有権者もそれを見ていた。すぐに金をばら撒くどこぞの人たちとは全く違うのだ。ミニュシパリズムが芽吹いたのだ。

岸本の区長就任の翌春、支えた住民らが区議選に立ち、見事当選。新人15人が全員当選、現職12名が落選した。杉並区議会は、女性比率が50%を超え、議長にも女性が就任。パリテを実践した素晴らしい構成となったが、その成果はこれからだ。

折しも、群馬県前橋市長選では自公推薦の現職に野党系女性新人が圧勝、京都市長選でも共産党系新人が肉薄した。地殻は自ら変動しなければならない。

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ホロコーストの記憶を永く 「メンゲレと私」『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』

2024-02-08 | 映画

「メンゲレと私」は、「ホロコースト証言シリーズ」の制作を続けるクリスティアン・クレーネ監督とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督の3作目である。1作目の「ゲッベルスと私」(「「あなたがポムゼルの立場ならどうしていましたか?」 ゲッベルスと私」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f0d385cd52dac4df57216f08e3169402)のポムゼルのようにナチスの宣伝相ゲッベルス側近のポムゼルのように、アウシュヴィッツの悪魔の医者ヨーゼフ・メンゲレの一挙手一投足を垣間見たわけではない。ダニエル・ハノッホは当時少年で、労働力にならない老人、女性、子どもは到着後すぐにガス室送りになったのに、その容姿をメンゲレに好まれ生き延びたからだ。アウシュヴィッツを生き延びたからといってすぐに解放されたわけではない。彼は、アウシュヴィッツで遺体を運ぶ仕事に従事させられ、戦争末期にはマウトハウゼン強制収容所やグンスキルヒェン強制収容所も経験している。そこではカニバリズム目撃も。「過酷」と一言では言い表せないほどの体験を生き延びた12、3歳の彼の支えは何であったか。リトアニア出身のハノッホは、ドイツ国内以上のユダヤ人差別を目の当たりにし、アウシュヴィッツでは己を無感情にして過ごした。「アウシュヴィッツは(よき)学校だった」とも。それはいつかユダヤ人の希望の地、パレスチナに辿り着けると思ったからという。そのパレスチナの地を奪ったイスラエルがガザを始め、アラブ人世界に何をなしているか、現在の状況は語るまでもない。

『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(岡典子 2023新潮選書)は、表題の通り、ナチス政権が倒れるまでベルリンをはじめドイツ全土で潜伏し、生き延びたユダヤ人およそ5千人を助けたドイツ人との物語である。もちろん入手できる範囲の史資料を渉猟した史実だ。

ある者はユダヤ人の潜伏ネットワークを駆使して、ある者はナチス高官、ゲシュタポの警察官など政権のユダヤ人滅殺を遂行する立場の手助けさえあった。中でも、大きな力となったのがキリスト教関係者である。ユダヤ人だからといってキリスト教と敵対的であるとは限らない。そもそも両宗教は同根だ。もちろん教会の牧師一人が援助できるわけではない。その教会を支える多くの地元ドイツ人たちが役割を担ったから起こし得た救助ネットワークであったのだ。あの時代、ユダヤ人を匿ったりすれば自身も大きく罪に問われる。そのような危険な立場になぜ置けたのか。それは、困っている人を助けたいという純粋に「手を差し伸べる」認識で「できる範囲で」手伝った者が多かったからであろう。そして潜伏していたユダヤ人をはじめ、ドイツ人の中にもこのようなひどい時代はいつか終わる、と信じていたからと思える。

オスカー・シンドラーや杉原千畝のように後世に名の残る、何らかの決定権を持った人たちではない、市民が一人ひとり隣人を支えたのだ。ただ、潜伏を始めたユダヤ人はおよそ1万から1万2000人。半数は生き延びられなかったという。それでも10数年にも及んだナチス政権を生き延びた人がこれほどいたことに驚きを覚える。

アウシュヴィッツを生き延びたハノッホは、自身をささえる糧に希望を語った。シベリア抑留を生き延びた小熊英二さんの父親も「希望」を胸に生き延びたという。「希望」がない、語れない国は滅びる。少子化がどんどん進み、次世代を生まず、育てないのは希望がないからという小熊英二さんの言葉を噛み締める。

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スリリングさは現実の証し 「ビヨンド・ユートピア 脱北」

2024-01-29 | 映画

世界には内情が不明な国も多い。例えばアフリカの多くの国で報道も少なく、国としての発信もあまりない。そもそもソマリアなど中央政府が機能していないとされる国もある。中央政府が強固に機能していて日本とも広い国境を接しているのにその内情、特に一般の市民生活の様子が不明なのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だ。

本作は「脱北者」が中国、ベトナム、ラオスを抜けて強制送還しない安全なタイにまで逃れる行程を追うドキュメンタリーだ。作り物か思えるほどとてもスリリングに事態は動いていく。その困難の大きな理由は脱北者が80代の祖母、幼児を含む5人という一家だからだ。タイにたどり着くまで絶対に存在を知られてはならない。そのスタートが、中国との国境の川を渡り、韓国でずっと脱北者の支援をしているキム・ソンウン牧師。キム牧師自身、支援の過程で首の骨を折る大怪我をし、ボルトが入ったままの体で無理をするべきではない。しかも、キム牧師の活動を快く思わない国からは入国も拒否されている。だから、タイを目指すロー一家、中国からタイまで同行する親戚のウ・ヒョクチャン、そしてキム牧師も同行する地域では密入国なのだ。国境を越えるにはさまざまなブローカーの手を借りねばならない。高額な手数料はもちろん、騙されることもある。越える場所は、ジャングルであったり、落ちると助からない川など。ロー一家を追う映像とともに、自身脱北者で、何年も会えていない息子の脱北支援に奔走、その報告に心痛めるリ・ソヨンやかつての脱北者やその支援、北朝鮮の内情を知るジャーナリストらのインタビューが映される。

ソヨンは、収監されたことがあり、地獄のような刑務所生活から生還し、親子で脱北を試みたが息子は果たせなかったのだ。ところが、息子を脱北させようとすすめていたところ、ブローカーの裏切りで息子が強制送還されたというのだ。捕まった脱北者は過酷な強制収容所に収監され、時に命を落とすことも。

新型コロナ・ウィルス感染症予防のため、国境を封鎖した中国へ入るルートは限られる。そして北朝鮮国内は海外への通信回線は遮られ、国境付近もとても安定したものではない。もし見つかれば厳罰対象だ。それでも一縷の望みをかけてブローカーに連絡をとり、送金するソヨン。厳しい現実がさらされる。

時折挟まれる資料映像は、多くは北朝鮮国内の撮影実績のあるアジアプレス(石丸次郎)が提供したものだ。そこには、ガリガリに痩せた国民や処刑のシーンも含まれる。しかし、前述の中国の国境封鎖で近年の撮影はできていないという。ただ、現況が極端に改善しているということはないだろう。ミサイルにお金はかけても、国民の飢餓解消やより自由の保障には無関心と思える国だからだ。

だが、十分な食を欲し、外の世界へ出でようとする試みを抑えることはできない。それが、対外的には差別がない平等な世界の共産主義国家であったとしても。日本でも著名なドキュメンタリー監督で、先ほど関東大震災における一般人による虐殺事件「福田村事件」の劇映画を撮った森達也。森は北朝鮮への渡航の思い出を語りながら言う。「言語や民族や信仰が違っていても人の内面は変わらない。」

そして外の世界を知ることを禁止し、全国民を挙げてたった一人の人間(その時は「神」)に命を捧げる一致団結を誓った前歴は日本にこそあるのだ。かつて日本の領土(植民地)であった彼の国で、その「伝統」が強固に息づき続けているのが皮肉だ。

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