私の広場~写真大好き

相変わらず好奇心は旺盛です。
目標はユネスコ無形遺産に登録された全国33件の
山車祭りを見歩くことです。

【秩父の氷柱】

2022-01-24 09:56:19 | 季節

【秩父の氷柱】

秩父三大氷柱と言われる氷柱は

  ①「尾ノ内百景(ひゃっけー)氷柱」

   両神山を源流とした尾ノ内沢から500mものパイプを引いて

   人工的に造った氷柱である。

  ②「三十槌(みそつち)の氷柱」

  ③「あしがつぼの氷柱」

   幅200m高さ30m幻想的な氷の世界が広がる。自然の中の玉手箱の

   耀きが、西武線「蘆ヶ久保駅」に近く、国道299号線沿いにあり、

   交通の便も良く最も多くの人を集める。ライトアップされる夕方からは

   入場者は予約制になり入場を制限する人気スポットだ。

「尾ノ内氷柱」奥秩父両神山の麓にあるこの地区は特に寒い地区である。

入口の前では地元の人たちが、暖を取りながら訪れる人達に地元で採れた

山菜など売ったり、氷柱の説明をしていた。

周囲250m高さ60m・・・小鹿野を代表する観光スポットだ。

墨絵の世界に飛び込んだような気分にさせてくれる。

滝壺に流れ落ちる水音が寒々としていた。

流れ落ちる水がツララになり岩に絡みつく・・・寒い。

「あしがくぼ氷柱」はスポットライトに浮かび上がる夕方からが幻想的だ。

自然の中の玉手箱のような演出をする氷柱、

スマホをかざし写真に収める人影が、幻想の世界に溶け込んでいた。

小枝のツララが光を浴びてダイヤモンド流れ落ちるの耀きのようだ。

変化する色合いが、おとぎの国へ飛び込んだような気分にさせてくれる。

近くを走る西武線の車窓には人影がチラホラ見えた。

何年振りかの早い寒波の襲来に、地元の小父さんたちが喜んでいた。

寒さが長く続けば、町の財政を潤してくれる。

寒い中嬉々として愛想よく動き回っていた。

秩父の奥にある集落は自然豊かだ、とは言え生活するには不便なところが多い、

人口減も続き学校も廃校に追い込まれている、秩父夜祭で賑わう表顔とは

違う厳しさがある。私の娘夫婦は月に何回か秩父の限界集落に足を運び農家の

手伝いをしている、その関係で私も秩父に出かける回数が増えてきた。

自然の美しさを保ちながら、伝統文化を守り続ける秩父であって欲しいと

願って已まない。

 

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【’21 青梅だるま市】

2022-01-18 10:28:10 | イベント

【’21 青梅だるま市】

日本三大だるま市と言われる「だるま市」は、

 ①静岡・富士のだるま市(吉原・毘沙門天大祭だるま市)

  ・・・幼少のころ親父さんに連れられ何度か行った記憶がある。

 ②東京・調布の「深大寺だるま市」

  ・・・だるま市で小さなダルマを買った後、深大寺そばを食べるのが楽しみだった。

 ③群馬・高崎の「高崎だるま市」がある・・・まだ行ってない。

それに比べると些か小振りの「青梅のだるま市」ではあるが、近郷近在から

多くの人が子供を連れて、だるま市を楽しみに出かけて来る。

JR青梅駅前に鎮座する大ダルマ。

山上にある住吉神社の大鳥居前のお焚き上げ所では、古いダルマが火の中に

投げ入れられていた。

名物小父さん、今年は黄色のシャツ、前に見たときはピンクだった。

オッちゃん決まってるね~格好いいぞ!

無造作に並ぶダルマ達、時節柄合格祈願ダルマが目についた。

赤いジャンバーのおばちゃま、5才の時からここに立ち続けて63年だそうだ、

奮闘ぶりを意気に感じ、おばちゃまのダルマを買って、左目を入れて家に飾った。

青梅にはかって三つの映画館があったが、1973年までに全て閉館となった。

一方商店街には映画看板絵師”板観さん”手書きの映画看板を掲げ、昭和レトロ

の雰囲気を演出してきた。3年前”板観さん”が無くなり、老朽化した映画看板

が一部撤去された。

今では青梅駅ホームの地下道に、懐かしい映画看板が何枚か残されていた。

「映画看板のまち」に無かった映画館が半世紀ぶりに復活した。

地元商店主がミニシアター「シネマネコ」をオープンさせた。

その名にちなんだ「ネコ看板」が町のあちこちに掲げられた。

400年前の文禄5年頃(1596年安土桃山時代)に青梅で始まった六斎市が

だるま市の起こりと言われている。

六斎市は毎月2と7の付く日に、青梅の町での織物を主とした物々交換の市だった。

青梅の市は、正月2日と7日は松の内と言うことで市が開かれず、正月の12日

に年の初めの市が開かれた。その時に青梅周辺の産業の中心であった養蚕の

繁栄を祈って「まゆ玉」と言って、米粉を繭の形に団子にしたものを、つげの木

(通称・だんごの木)にいくつも付けたものが売られていた。

そして今から200年前ごろより縁起物として「だるま」も売られる様になった。

昭和に入り「まゆ玉」は段々と姿を消し、露店とともに「だるま」だけが残り

「青梅だるま市」として、年の初めの12日が冬の風物詩として現在に続いている。

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【続: ’21報道写真展】

2022-01-13 15:28:31 | イベント

【続: ’21報道写真展】

”いいね”で続報をリクエストを頂きました。

年越しになりまたが熱狂、興奮、感動を再び・・・

心を揺さぶる一枚を見て頂きたい。

(オリパラ・東日本大震災後10年・コロナ・・・)

赤坂御用地の、新しいお住まいを視察された上皇ご夫妻。

愛子様が成年皇族に・・・コロナ禍で苦難の国民を思われ

新しいティアラを注文せず、叔母の黒田清子様のティアラを

借りて成年行事に臨まれる愛子様。

東日本大震災から10年を迎え、追悼式でお言葉を述べられた天皇陛下。

震災の日に生まれた後藤ちよちゃんも、

”流された家を帰して”  当時のちびちゃんも、

こんなに大きくなりました。

10年前と今の青年。

震災当時も今も、変わらぬ笑顔が可愛らしい。

自衛隊員に伍して瓦礫の片付けをしていた若者が

今は消防隊員として活躍している。

コロナ禍で家族に看取られて・・・さいごのお別れ。

老人ホームに入居中の終末期の母親を、防護服を身に着けて「母の日」を祝う。

コロナ「緊急事態宣言初日の夜」午後8時に店を閉める小料理店の女将さん。

第100代内閣総理大臣に指名された自身の写真にサインをする岸田首相。

史上最年少四冠・・・藤井聡太竜王

日本ハム「ビッグボス」の成果は如何に。

”サー勝つぞ!”・・・人馬一体とはこのことか?

ダチョウさんは、丸刈り頭が大好きだ!

「ホワイトアウト」吹雪による多重事故が発生、約1㎞にわたり130台が

立ち往生した。

今年も多くの有名人が鬼籍に入られた・・・ご冥福を祈ります。

「アイーン」で親しまれた志村けんさん、コロナには勝てなかった。

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【令和4年・今年も宜しく】

2022-01-07 20:58:01 | 富士山

【令和4年・今年も宜しく】

明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えましたが、コロナの不安は今年も続きそうです。

各地の祭りが中止となった昨年でしたが、今年は少しでも再開してくれる

祭りがあることを祈っております。

雲一つない元旦の朝の富士山です。

マンションの上に上弦の月が、夜明けを誘うように妖艶な姿を見せていた。

今年の初詣は、昨年に続き秩父神社だった。

重要無形民俗文化財に指定されている、秩父神社の「神代神楽」が、

境内にある神楽殿で行われていた。

願いが叶うようにと、おみくじが花のように飾られていた。

正月の日の入りは速い、奥多摩の山陰に沈んだ陽が富士山を茜色に染め上げていた。

巣に帰るのだろう、ヒヨドリが群れを成して富士山を横切って舞って行った。

今年も皆さんに私の拙い写真ブログを見て頂こうと頑張っていきます。

暖かく見守り応援してください。

 

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