物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

京都南座観劇ツアー

2011-01-14 13:04:19 | 芸能ネタ

毎年この時期になると土日と京都南座に前進座の観劇ツアーに出かけている。今年も明日から明後日にかけてである。これは松山市民劇場の恒例の行事の一部なのだが、これを世話している妻たち3人の方々の方針で一応今年を最後にしようということになっている。

これは30人の参加者を集めることがだんだん難しくなっているからである。バスには36人まで乗れるのだが、36人は無理としても30人を越えないと採算がとれない。ところがこの30人を集めることが極めて難しい。

はじめ募集を始めた11月頃には優に30人を越えて集まるのだが、そのうちに12月半ば頃までに毎年キャンセルの連絡が相続くのである。はじめは募集人員の30人を越えているので、計画はスタートしているので、途中で中止するわけにはいかない。途中でキャンセルが出て、30人を切るという事態になるとその穴埋めは世話人の重要な仕事になる。

日本人はグループで行動するという習性があるので、グループの数人が行くことを止めるとそのグループは誰も行かないという現象が起こるのである。

ところがお願いして無理にでも誰かに参加をお願いできる能力をもった世話人は残念ながら妻を除いてはいない。それで、妻の心労は少なくない。だから、観劇ツアーを今年で最後にしようという妻の気持ちは痛いほどわかる。

もちろん、旅行の途中では別の世話役のNさんがバスの出発時にちゃんと人数がそろっているかを数えたりする等の世話をかいがいしくされるし、休憩やバス旅行の途中でのアナウンス等のお知らせ役は世話人代表のHさんの仕事である。

彼は旅行の途中で集団がはぐれないようにとの配慮から真っ赤なセーターを着込んでいて、途中の見学等でグループのメンバーがはぐれそうになったりしたときなどにその赤いセーターは目印になる。

昨年だったか、宇治の平等院を見学したときにメンバーの数人が構内に入ったところの出口ではなく、別の出口から出てしまった。そのためにバスが10分くらい彼らがバスまで帰ってくるのを待ったが、そのときにはメンバーが胸につけていたオレンジの記章が役に立った。平等院の係員からその記章をつけた方々が別の出口から出て行きましたよとの情報を得て、間違って数人の方々が別の出口から出たことがわかった。

それとそのはぐれた方がもっていた携帯電話でなんとか連絡がついて、世話人はほっとしたものだった。事情がわかって、全員がほっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

ということで明日のブログは休みます。


約数の求め方

2011-01-13 12:47:17 | インポート

「約数の求め方」のエッセイをこの2週間ぐらい書いていたが、ようやく完成した。

毎日、今日は完成するだろうと思い出してからでも1週間ぐらいは経った。何回書き直したことだろう。

また、こういう簡単なことでもいくつかの考え方というか求め方があるということを知った。約数の求め方について書いておきたいなどと考えることは因果なことで、余計な仕事を自分に課したことになる。

はじめのうちは読んで意見をくれていた妻も忙しいとかで、最後には読んでくれなくなった。それで、自分で読むのにも飽きていたのだが、昨夜読んでいくつかの言葉を削除したりして文章を直して、先刻完成させた。後は時間をおいてから、再度見直して愛数協の機関誌「研究と実践」に投稿するつもりである。

約数を求めるということは小学校の算数の授業に出てくるテーマなので、これは小学校の先生に読んでもらうのがいいだろう。このテーマに関心をもったのは四国数学教育協議会の冬の合宿に出て、約数の求め方についての「はさみこみ法」を知ったからである。

これを含めて数学エッセイは私のすでにどこかに発表したもの、および、未発表のものを含めて28編になった。この数は「数学散歩」に収録した33編に近づいてきた。

もっとも「数学散歩」では長いエッセイもあったから、今までに書き溜めてきたエッセイはまだ数が少し足りないだろう。だが、それでもかなり書き溜めたエッセイ数が近づいてきたので、「続数学散歩」の発行の実現がそろそろ射程に入ってきた。

(2011.11.18付記) 約数の求め方は上のエッセイで書いたものは3つの方法である。

1.タイルを使う方法

これは実際には実用的ではないが、約数の意味を教えてくれる。約数を求める数の数(すう)のタイルを用意して、それからどのような長方形をつくれるかを調べる方法である。そして縦に並んだタイルの数と横に並んだタイルの数が約数になる。ここに図を描けないのが残念である。図を描くとすぐわかってもらえるのだが。

2.はさみ込み法

 これは約数を求める数と数1を離して書いておいて、その間にその数を割り切る数を大きいものから中に向って書いていく方法である。例として数として24をとると

 1                    24

   2               12 

     3           8

       4       6

この1, 2, 3, 4, 6, 8, 12, 24は24の約数である。

3.素因数分解による方法

この方法は新しいものではないので、特に説明はいらないだろう。

これ以外にも約数を求める方法はあるのかもしれないが、私は知っていない。

 


政治は経済を導けるか

2011-01-12 14:49:11 | 社会・経済

社会の閉塞感は厳しい。それを政治が打破できるかというとどうもそうは行かないのではないか。私たちは成治にすぐ幻滅を感じるが、政治に期待するのはそもそも間違っているのではないか。

政治がどうであれ、経済は経済として動いているようだ。そうだとすると政治が経済を導けるというのは幻想なのではないか。1929年の世界大恐慌の後にアメリカで試みられたニューディール政策が有名であるが、こういうことで過去はいざ知らず現在では成果を上げることはできないのではないか。

子ども頃にTVAというダムはこのニューディール政策の結果としてできたと図書館の本で読んだ覚えがある。また、数学者を雇用するために数表の作成が行われたともこれは大学に勤めるようになって何かで読んだ。もっとも数表は対数表にしても三角関数表にしてもその他の数表にしても関数電卓やコンピューターの普及で必要がなくなってしまった。

アメリカのオバマ大統領も懸命に働いているが、アメリカで雇用が改善したとは言われていない。これは日本でも同様であろう。非正規労働者とか非正規雇用者という言葉が一般的になっている。

このところ、新聞等で無料塾(タダゼミ)とかが家庭があまり裕福でない高校受験生の中学生のために開かれていると報じられている。私もそのことを直接的に意図したわけではないが、医療生協活動の一環として無料塾を松山でも企画して2度ほど行った。が、まだほとんど知られていない。

こういうものが必要でない社会であればいいが、残念ながら本当は必要とされているのだろう。だが、世間的に周知されていないので、松山での広がりはいまのところない。

無料塾とは別にフリースクールという活動が考えられるが、これもインターネットで検索したところでは全国では結構活動がされている。しかし、これも松山ではインターネットに載っているような情報はない。フリースクールの場合には何かを教えるということよりも学校への登校ができなくなった生徒や児童をどういう風に一日そこで過ごさせるかということが重点があるようである。

だから、フリースクールで何かを教えるというよりは社会にどうなじんで行けるようにするかということに重点がある。だから、世話好きでなにか行事を計画するのが好な数人の世話役がいないとフリースクールは成り立たない。

また、教育の内容がまだ教科書や指導要領、また校長や教育委員会等の統制によって、必ずしも合理的でなかったりするが、この点については私なりの意見があるが、いまのところその意見を実現したりする環境にはない。


夏は暑く、冬は寒い

2011-01-11 13:39:16 | 日記・エッセイ・コラム

「夏は暑く、冬は寒い」などと言っても当然のことではあるが、昨夏はことのほか暑かったし、現在の冬の寒さもかなりのものである。特に私たち瀬戸内海地方に住んでいるものにはわからないのが日本海側の積雪のすごさである。

2mも雪が積もると聞いても私たちにはその雪下ろしの労働のきつさは想像ができない。その雪下ろしのために命を落とす人がいるのである。

Uさんは昔の知り合いであるが、福井県に住んでいる。雪下ろしをしたくなくても家がつぶれてはいけないので、どうしても雪下ろしをせざるをえないのだと話をされたのはもう何十年も前のことである。

Uさんは水泳で鍛えた立派な体をもっている方だが、その彼でもへこたれることがあるくらい日本海側の雪のすごさはあるのだと身にしみては想像できないながらも、感じ入ったものである。

Aさんは金沢に住んでいるが、雪の日本海側に住みたくないというので、太平洋側に職を求めていたのだが、結局金沢に職を得て、金沢に住みついた。金沢は都会なので、雪はそれほどではないかもしれないが、それでもかなり影響はあろう。福井出身のAさんでさえ日本海側の都市には住みたくないと思うのだから、日本海側の積雪はすごいのだろう。

最近ではしかし積雪の利点も言われるようになってはいるが、それでもこの冬の積雪のための苦労は並大抵ではない。従兄のKさんは勤めが富山県であって、長年高岡市に住んでいた。晩年には千葉市に自宅があったが、70歳ちょっとで亡くなった。これは長年の高岡暮らしが寿命を短くしたのかどうかは定かではない。


スープの食べ方

2011-01-10 11:01:08 | 外国語

何十年も前にドイツに留学していたころ、住んでいたマインツの日本人の中に私の卒業した大学の先輩だった化学者がいた。

このTさんは私の住んでいる松山の出身でもあった。そういうことで親しくしていただいたのだが、この人の話にスープの食べ方というのがあった。

Tさんは彼を受け入れてくれたドイツ人の教授にあるとき聞いた。自分は猫舌で熱いスープを食べられない、ドイツ人はあの熱いスープをどのように食べているのか。

その教授はスープはスープ皿の縁のほうが相対的に早く冷えているから縁の方からスプーンですくって食べなさいと言ったという。そのうちに真ん中の方も次第に冷えて食べられるようになると。

これは話の面白かったTさんが作った話かもしれないが、多分実話であろう。なかなか合理的な話である。

もしかしてドイツの家庭でお父さんやお母さんにそのように教えられたのかもしれない。一般のドイツ人家庭ではこんな教えをしているのだろうか。

その話をしてくれたTさんが亡くなってもう久しいが、昔の話を昨夜急に思い出した。Tさんは私より2歳ぐらい年上だから今生きているとすれば、まだ73歳くらいである。京都大学原子炉実験所に在職中に亡くなった。

Tさんは原子炉を使って研究している、いわゆる核化学者であったから、原子炉から出てくる中性子のせいでガンになったのかもしれない。

私がドイツで知り合いになった友人には化学者が多い。エジプト出身の核化学者シャバーナ氏だとか、イタリア人の有機化学者ロラー氏等である。

ところで、外国ではスープは食べるというが、日本ではスープは飲むというのが普通である。スプーンを使うときはいつでも食べると言うのだと聞いた。

フライブルクのゲーテ・インステュートでは皿がなぜ立っている(der Teller steht)というのかという質問が出たことがあった。これは南米のペルーから来た哲学志望の学生からの質問だったかと思う。

困ったWagensonner先生は皿の下に小さな円形の足があるので、立っているのだという説明を黒板に絵を描いてされた。しかし、誰もがその説明にはあまり納得しなかった。

皿は一般にテーブルに横たわっているから、横たわっている(liegt)という方が正しいではないかというのが質問した学生の言い分である。

ところが「新聞に何か新しい記事があるか」というようなときに、stehtという語を使う。Steht etwas neues in der Zeitung ?とか聞く。この場合にstehenはもちろん「立っている」という意味ではなく「ある」という意味だろう。


頭の働き

2011-01-08 13:12:52 | 日記・エッセイ・コラム

「約数の求め方」というエッセイを書いている。昨夜遅くに付録の部分を書いて寝たのだが、朝方の自意識的にはまだ眼が醒めていないときにこの付録の部分が不十分であると思っていた。そして最小公倍数の部分について書き直しをしなければとうつらうつらしながら考えていたらしい。

こういう頭の働きは自分自身で意識的にしているわけではないので、私のもっている無意識が私の頭をそうさせている。こういう頭の働きは誰にでもあることなのだろうと思うが、私自身もずっと以前からそういう風な頭の働きをしている。

怠け者の私だが、一面で几帳面なところがあって、頭が勝手に働いているらしい。もっともこんなことをいうと、嫌味に思う人もいるだろう。

日本、いや、世界的な数学者だった小平邦彦さんが「僕は算数しかできなかった」(ダイアモンド社)とか「怠け数学者の記」(岩波書店)とかいうような本を書いたのを知った、私の知り合いの数学者Yさんが「嫌味ですね」と言っているのを聞いたことがある。

Yさんは率直ないい方なので、彼が小平さんの本の書名を嫌味に感じたというのもある意味でうなずけるが、私はだからといってこの本の書名をあまり嫌味には感じないのである。その点がこの敬愛する数学者Yさんと私の感覚の違いである。

別に小平さんが勤勉な方でないとは思わない。多分、人一倍勤勉でないと世界的な数学者になることは単に頭のよさだけでは難しいだろう。だから、客観的には確かにこの小平さんの本の書名はうそ、いつわりだということになる。それはある人々には嫌味ととられるかもしれないが、それでもいいのではないかと思うのである。


タイルの威力

2011-01-07 12:03:06 | 数学

タイルの威力を知った。これはもちろん数学教育協議会で使うシェーマとしてのタイルのことである。なんのことかというと、たとえば324が9の倍数かどうかは3+2+4=9が3で割り切れるから、324は9の倍数だとわかる。

ところがなぜこういう便法が成り立つのかの理由はあまり聞いたことはない。タイルでは、300は100のタイルが3枚(3つ)あるが、100のタイルは99+1と考えられるが、もちろん99は9で割れることはすぐわかる。

つぎに10のタイルは2本(2つ)あるが、これも10のタイルは9+1と考えられ、9は9で割れることは明らかである。

そうすると1枚のタイルから出てきた、3個のタイルと1本のタイルから出てきた2個のタイルおよび最後の4個のタイルの9個のタイルがある。すなわち、9で割っていないタイルは3+2+4=9個が残っている。この9個のタイルはもちろん9で割れるから、324は9の倍数であることがわかる。

もちろん、この方法を知っていたが、その理由がよく分かっていたわけではない。だが、タイルで説明をすれば、誰にでも一目瞭然というわけである。

ここで、タイルについて詳しくない人のために付け加えておこう。

正方形のタイル1つを1個と呼ぶ。また、その10個のタイルを縦に積み上げたものを1本のタイルという。また、1本のタイルを横に10本集まったものを1枚のタイルという。もちろん、1本のタイルは10個のタイルが集まってできており、1枚のタイルは10本のタイルからできている。それで1枚のタイルは100個のタイルからできている。

この考えを拡張すれば、10枚のタイル、すなわち、“1かたまり”のタイル、を考えることがでしきる。これは1000個のタイルであることはいうまでもないが、小学校ではここまで進んで考えられてはいない。それは3桁の数を考えるくらいで小学校の算数はほとんど用が足りるからであろう。

1個はチビ、1本はノッポ、1枚はフトッチョとか小学生が愛称がつけたとか言われている。愛称の方は間違って私が覚えているかもしれない。


年初の計画

2011-01-06 12:00:31 | 日記・エッセイ・コラム

年初の計画などというものはあまり毎年考えたことがない。だが、70歳を過ぎると一年一年が大切である。いつ寿命が来てあの世へということにならないとも限らない。

PPK(ピンピンコロリ)などということを10年以上前に聞いたときには冗談だったが、このごろは政府の要人がテレビで口にするくらいだから、もう冗談などと思うこともできなくなっている。

何をやるにもスロモーにしかできない私だから、てきぱきと自分のやりたい仕事を片付けるなどということはできない。それでも、昨年は数学・物理通信を第5号まで発行したし、毎月1回だが、雑談会を開いた。それにドイツ語のクラスの要約を毎回つくることができた。

それに11月には旧著「数学散歩」の改訂抜粋版の「物理数学散歩」の編集をした。また、まだ発表にいたっていないが、いくつかの数学エッセイを書いた。書いた数学エッセイのあるものはすでに数学・物理通信に載せたものもある。また、5年かかってようやく高校数学の代数部分の一部をレビューするe-Learningをつくった。これはプリントすると255ページにもなった。

愛媛県数学教育協議会の会誌「研究と実践」にもその数学エッセイのいくつかを投稿したが、それらのごく一部は載せられたが、まだその大部分は掲載されていない。これは実際に印刷発行する人が忙しいので発行が遅れているのでしかたがない。

電子書籍で「続数学散歩」とでもいうべきものを今年は発行できたらと考えている。それには積み残しになっている、数学エッセイが一応どこかに発表されることが望ましい。

いま考えつくことはそんなところである。


正月ボケ

2011-01-05 17:02:30 | 日記・エッセイ・コラム

正月ボケである。あれほど正月明けを望んだのに、正月が明けて仕事を始めようとすると体が重たい。昨日テニスに行くと案の定メタメタである。毎日やっているラジオ体操を1週間ほどしなかったために体が硬くなってしまっている。

昨年の正月ほどではないが、それでも体重がいくらか増えたのか、ひざが少し痛いし、がくがくする。また、今日は仕事場に来て「約数の求め方」というエッセイの入力をしようとしたのだが、どうもいままでに書いたところの手直しくらいで新たに書き加えたところを入力する気にならない。

テレビでのどなたかのインタビューか何かでその方は体があまり丈夫でないので、明日はないと思って毎日を精一杯生きているという人の話を見た。私などは今日することができなくても明日があるさという考えで生きて来ている。人によって違うものの見方をするものである。

Never put off till tomorrow what you can do today. というのは中学校か高校の英語でならったことわざだが、スペインには「明日できることを今日するな」という正に正反対のことわざがあるらしい。なまけものの私などには都合のいいことわざである。

そうはいっても、3日の深夜3時くらいまでかけて2ページほどの文章の草稿をつくった。そして昨日はその入力をしたのだから、ある意味では怠け者でもないことになるだろうか。だが、そういう急ぎの仕事が終わるとつぎの仕事にとりかかるまでに、一休みも二休みもしないとつぎが続かない。

逆格子ベクトルのエッセイの補足も書こうとして、カリティという人の本の付録の逆格子のところを読んだりしている。これが私の正月である。

いや2日には I 市まで帰って兄の家で正月の宴会に出たりもした。元旦には出した年賀状のうちで住所等が変わっているので、出すのを見合わせた年賀状を書いたし、近くの椿神社まで初詣に妻と一緒に車で行こうとさえした。

ところが元旦の午後3時過ぎだったのに椿神社の裏参道の初詣待ちの車の列が予想外に長かったので途中で断念して帰ったという不信心者である。

どっちみち無神論者で、初詣に行くのも気分転換などという不純な動機だから、どうでもいいのだが、それにしても正月ボケである。


仕事はじめ

2011-01-04 13:34:17 | 日記・エッセイ・コラム

ようやく今日1月4日にこのブログを再開する。12月30日、31日、1月1日~3日の丸々5日を休んだ。昨年どうだったか覚えていないが、途中で自宅でどうも手持ち無沙汰で困った。

ただ、12月30日、31日は大掃除をしたので、それほど手持ち無沙汰というわけではない。特に30日は恒例の風呂場とトイレの掃除を行った。これらにはもう何年も妻は関わらないので、私の仕事となっている。

こういうことを妻に言われたら、する気がなくなってしまうが、妻はただひとこと「大掃除よ」というだけである。風呂を沸かすとか風呂の掃除するという気持ちはまったくないらしい。トイレの掃除を年に一度でもするという観念を彼女はもっていないと思う。

こんなことを言うと、いかにも悪女のようだが、そうでもない。また、威張った恐い妻であって大変のことよと私は世の男性に同情をされそうな気もするが、それにはまったく及ばないのである。

ただ、言うことは面白いが、あまり文章を書くのが妻は得意でない。昔は手紙を書くのが趣味だとか称していたのだが、このごろは携帯で大抵用が済んでしまう。

そのせいか日ごろのべつまくなく電話をしていることが多いのだが、さすがに3ヶ日は電話が少なかったので、助かった。それでも前進座の京都南座の新春公演の切符の件でなんどか電話をしていた。