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「魔軍の通過」 山田風太郎

2020-11-17 23:41:53 | 読書
福井地方裁判所判事、武田猛の語りから始まる。武田猛はあの武田耕雲斎の子である。福井とはまたマニアックな県だ。しかし自分自身は福井に半年ほど住んだことがあり馴染みがないわけではない。福井裁判所と聞いて思い出すのは、丁度福井に住んでいた時に裁判員制が始まり、裁判所の近くを通ったときに、まさに今ここで裁判員裁判が行われているのかと思っていた記憶がある。天狗党は水戸、茨城だが、それと福井がどういう繋がりがあるのだろうか。また、今気づいたがこの廣済堂文庫版の本書を買ったのが、20091009で安部書店だ。つまり福井の書店である。福井に住んでいて、知っていて買ったのかどうか?偶然に驚く。
山田風太郎の中でなかなか読む気が起らなかった小説で、角川文庫で出ていた時から知っているのだが買わずにいた。やっと買ったのは先に書いた通り2009年だ。それでも読まずにいて11年経ってやっと読み始めることになった。
武田耕雲斎の親族は皆処刑されたというので、武田猛というのは創作だろう。武田猛は耕雲斎の4男で天狗党の戦争の時は15歳で源五郎と称していた。牢に入れられた母や弟妹の顔をみたくなり、武田金次郎に相談する。武田金次郎は源五郎の甥だが、17歳と自分より年上だ。武田耕雲斎の長兄彦右衛門の長男なので、耕雲斎の孫になる。
藤田東湖の息子の小四郎が筑波山で攘夷の旗揚げする。同じ攘夷派の武田耕雲斎だが、藤田小四郎の暴勇には完全には同意しかねている。そこへ江戸にいた藩主の義篤の名代として松平大炊頭頼徳に鎮静化するよう遣わせたが、水戸の佐幕派に勘違いされ攻撃される。こうして小四郎達の筑波勢、武田勢、大炊頭の大発勢が歪な同士で、那珂湊に布陣することになった。そんなわけで三者は連携しているわけではなかった。大炊頭はそもそもとばっちりで戦争に巻き込まれたわけで、幕軍の旗本で目付の戸田五郎の取り計らいで離脱させてもらえることになった。全く戸田は善意でそう取り計らったのだが、幕軍総督の田沼玄蕃頭はこれを捕らえ、幕府に歯向かった天狗党の賊魁として切腹を命じた。随行した35人の家臣もことごとく処刑された。作者は述べる。日本人は契約に対して甚だ軽薄だと。部下に伝えさせたことを、上司は平気で覆す。因みに田沼玄蕃頭は、その名から推測できるように、あの田沼意次の6代目にあたる人物になる。
武田源五郎と武田金次郎、野村丑之助(藤田小四郎が大将に祭り上げた田丸稲之衛門の小姓)は、僧であり攘夷の思想に共感し耕雲斎の元に馳せ参じた全海入道のアドバイスで、漁師の子に変装して、それぞれ母や兄弟に会うため水戸に潜入した。そこで雲水に変装した田中愿蔵に声をかけられる。田中は藤田と同士であったが、袂を分かち天狗党からも除名されている。人柄は穏和だが、行動が過激なのだ。大志のためには犠牲を厭わない。家族を顧みず、民衆にも冷酷で、人々から支持されず煙たがられていた。そんな田中愿蔵が源五郎達に、今、家族が入れられている牢に近づくことは危険だと助言。それより田中隊に来ないかと誘う。田中は田沼玄蕃頭の妾と市川三佐衛門の娘を誘拐しようとしているという考えを三人に話す。田沼玄蕃は幕府軍の総領で、市川三佐衛門は水戸藩における佐幕派(諸生派)の中心人物である。田中は丑之助に市川屋敷へ田沼の使いの振りをして潜り込み、市川屋敷に居候している田沼の妾おゆんに手紙を渡すよう頼む。このおゆんは元遊女で田中のかつての色女である。手紙の内容はおゆんを誘い出す内容。うまく忍び込んだ丑之助はおゆんの他、市川の娘お豊世を連れて戻ってきた。おゆんとお豊世は、この戦争を止めるため自ら進んで人質になるべく屋敷を出てきたのだった。一行が那珂湊に着くと全海が待っていた。田中はこれから戦争で死ぬつもりだから、2人の人質を藤田小四郎への土産とするよう託して去る。
小四郎の元に届いた人質二人。攘夷派の人質が水戸で牢に入れられているので、大切に扱うよう決める。大発勢は松平大炊頭と家臣は処罰されたが、一緒に来た榊原新佐衛門以下43人の幹部も死罪となった。幕府側の久木直次郎が大炊頭同様助けようとし、こちらへ離脱してくるよう助言したが、結局は田沼によって皆殺しとなったのだ。大発勢の数百人は牢に入れられ、牢死させられた。
筑波組と武田組は合流し退却を始める。人質の効果で激しい追跡はなかったようだ。一方の田中愿蔵は、助川城へ戻る。その後幕軍に八溝山に追い込まれ捕らえられた。あのとき源五郎達と別れて6、7日後のことだ。そしてその後斬首された。
筑波勢と武田勢はこれからどうするか話し合う。どちらも意見は多少異なれど、戦って全滅しようと考えた。その時小四郎が発案したのは、せめて京にのぼり、みかどに会い自分達の志を知ってもらおうというものだ。耕雲斎は戦争するほどでもないと考えていたが、成り行きで幕府に刃向かう形となった。耕雲斎は体面を重視するタイプだそこで小四郎は、戦争に巻き込んでしまった耕雲斎にせめて体面を繕ってやろうとそう考えたのかもしれないという。上洛してみかどに志を述べるということは、天狗党にある種の希望を与えた。そして東海道を通ることなく、ただ、西へ西へと行軍することになる。初冬という季節と、作者が実際踏破してみたという体験から、山間部の道なき道を行軍するのはかなりの困難な道のりだったようだ。それでも何かしら異様な明るさに彩られている。西南戦争時の薩摩軍のようだ。
人質の2名に関して、天狗党に関する数多くの著書があるが、女人が同行していたという記述があるものの、その正体は書かれていないのがほとんどだという。一部に故斉昭公の未亡人だというものがあるくらいだ。作者の創作だと思うが、正体が、田沼の妾と市川の娘ということは、不思議なことに幹部以外には全く秘密が漏れることはなかったようだ。
行軍中は色々事件が起こる。厳しい行軍が落ち着いてきた頃におゆんが湯あみをしたいといい。天狗党も了承する。湯を用意するのはさすがに成人ではダメだということで、少年にその役目を与えた。鶴太という12歳の少年に託したが、少年の父は市川に殺されたということで豊世に仇とばかり斬りかかったのだった。人質の正体を知ってしまった以上生かしておくことはできないので薄井督太郎は無情にも鶴太を斬る。
岡部藩の茅岳天骨は軍師だが、天狗党など一網打尽と息巻いていたがいざやって来ると怯えて身を隠す。そこへ赤ん坊が泣き出し焦った天骨は赤ん坊を絞め殺した。後でその残虐ぶりを責められ自身が村人達に絞め殺され
た。
田中平八は天狗党に所属するスパイだが、幕軍がわのスパイと同業ということで情報交換するようになる。スパイの意味もないのではないかといった感じ。山国兵部は懸念する。
下仁田では高崎藩の兵が攻めてくる。先祖は田沼意次に重用されたのでその恩があり、田沼の命令を断るわけにはいかない。戦があるが、山国兵部の軍略によって天狗党は快勝する。しかし、野村丑之助が戦死する。
天狗党は大砲を15基持ってきていた。しかし途中で3基は捨て、12基にした。しかし山間部を移動するには負担が多すぎた。たしかにそうだろう。普通に歩くだけでも大変な道を 
重量級の大砲を分割はしていたがそれを運ぶとなると並大抵のことではない。
和田峠の戦争。諏訪高島藩、松本藩と幕軍に攻められる。結果は勝利であったが、全海入道が討たれる。市川三佐衛門に対してだった。天狗党は全滅を覚悟していて、その際には人質を殺すよう決めていた。哀れに思った金次郎が豊世を逃がそうとした。しかし、豊世は父に天狗党を攻めないよう頼もうとしたという。
下諏訪では今後の進路をどう取るかで軍義が開かれた。幹部で一人決定に納得できず脱落したものがいる。12歳の鶴太を斬った薄井督太郎だ。脱走してもどうせ幕府のものに始末されるだろうと思っていたら何とか生き抜いたのだった。佐久間象山の弟子になり、次に京の頼三樹三郎に弟子入りした。安政の大獄で斬られた成田の死体を小塚原で始末したのが薄井だ。この薄井は維新後薄井龍之と名を変え、北海道開拓使の役人として姿を現し、名前の一字を取って薄野(すすきの)という地名が残っている。そしてこの話の語り手である武田猛の先輩となる名古屋裁判長となったという。この真逆の運命。明治維新ではこういうことが起きるのだ。
清内路関所の事件。前日無断で抜け出し遊郭へ行った2人を関所で斬首した。それに圧倒されて天狗党の通過を許した関所の役人は後に幕府から処分された。その代わりに任に就いたのは天狗党を恐れてただ通過するのを傍観し、通過後申し訳程度に大砲を3発撃っただけの高遠藩だった。
馬籠に着く辺りで語り手の余談が挟まる。島崎春樹という明治女学校の教師の話。父親の吉佐衛門が木曽に来た天狗党の話をよくしていたという。春樹はいつかこれを小説にしようと考えていた。タイトルは「夜明け前」にしたい。勿論これは島崎藤村である。
馬籠では金次郎とおゆんが変な雰囲気になった。と当時15歳の源五郎が感じていた。少し叙情的な雰囲気の章。
下仁田町のホームページにある「天狗党行軍経路略図」を見ながらよんでいるのだが、この図が面白い。何日にどこの村にいたかが地図上に示されている上、天気まで書かれている。小説とぴったり同じ。まるでこれをもとに図を書いたのではと錯覚するくらいだ。多分天狗党内部の人物が詳細に記録していたものが残っているのだろうと思うが。
大井に入った頃、後ろから追ってきていた田沼は諦めたようだが、前方から禁裏守衛総督の慶喜の軍が向かってきているという。慶喜は水戸の斉昭の息子だから自分達の志を理解してくれるだろうと喜んだ。しかしそれは期待はずれで慶喜にも立場があるから天狗党に容赦しないのではないかという懸念もある。山国兵部はいずれにしても死力を尽くして立ち向かうべしと判断した。そうすればみかども理解してくれるだろう。鵜沼に来ると、フィクションかもしれないが中村半次郎(桐野利秋)が藤田小四郎を訪ねてくる。京の情勢を伝える。慶喜が天狗党討伐に自ら志願したというのは事実。だが軍は寄せ集めの兵隊で、これまでの勢いで行軍すれば全く敵とはならないと励ます。しかしここで耕雲斎がやはり慶喜と戦うことはできないと悩む。直前には脱走者がいて、その理由がやはり慶喜と戦わなければならないからだと言うので情けなく思っていたところだ。ただ、大軍と戦わなければならないのが恐ろしいと言うのが本心のようなので、耕雲斎と慶喜との強い関係は同情するに足りる。耕雲斎は苦肉の策としてこのまま京へ直接前進するのでなく、全面衝突を避け越前へ迂回して京へ入るにはどうかと諮る。結論としては、そのまま京にはいるのは先延ばしにし、山陰道を通って長州に入り合流することを視野に入れて、越前に向かうこととなった。
語るのは壮年となった武田猛だが、当時少年だったときの回顧をするので少年の目線であったり思考なのが面白い。つまりその時どう思ったか?と言うのが未熟と思える位の思考なのだ。その効果があってか、天狗党内部の雰囲気は子供目線の無垢さからくる明るい雰囲気。しかし外から見ると武闘的で、なぜかわからないがとにかく追手を退散させ、当事者は思っていないが暴力と略奪を行った先々で働く天狗党は悪魔の行軍と思っているだろう。
そのまま京に入ればすぐそこだったものを福井を経由するという考え、しかしそれは裏目に出た。行く手には加賀藩を中心とする討伐隊が迎える。迂回することで立場もあろう慶喜との直接対決を避けた。それをわかってほしいと思っていた耕雲斎だが、完全に顔をつぶされた形になる。それにしても慶喜の冷たさよ。司馬遼太郎の「最後の将軍」を読んだ時は好感を持った慶喜だが、この残酷さは考え物だ。天狗党のことがどう書かれていたかもう一度読み直したい。
加賀藩の良心的であろうと思われる永原甚七郎の薦めもあって結局降伏を決めた天狗党。さて人質をどうするか?これはやはり、水戸でこちら側の人質がいる。それを守るための切り札としなければならない。自分たちは死んでもいいが水戸にいる家族は守りたい・そこで、源五郎や金次郎の少年に託し、人質とともにどこかで身を隠し、水戸の家族の安全を確かめてから解放するように山国兵部は考えた。ところが金次郎は降伏する以上人質は意味がないということで、独断で人質を逃したのだった。それを知った兵部は金次郎を攻めることはなく、おゆんととよのどちらが好きだったのかと聞く。
色々気を使ってくれた永原甚七郎だが、後に精神異常をきたすという皮肉。いい人ほど不幸な人生を歩むことになる。
田沼と市川の前に引き出される天狗党員たち。そこにはおゆんや豊世もいた。おゆんは藤田小四郎を好きであったといい、また天狗党と諸生派の争いを諌めようと動いていたようだ。
鰊小屋にすし詰め状態で監禁される天狗党員たち。闇黒と飢餓と悪臭の牢獄。凄惨な牢獄。獄死するものもいた。やがて処刑の日がやって来る。武士として切腹がせめてもの温情だろうが、田沼や市川三佐衛門の私怨により主な者は皆斬首。そして遠島、追放など。武田金次郎、武田源五郎は年少のため斬首は免れ遠島と決まる。しかし、斬首の場に立ち合わせられた。武田耕雲斎や藤田小四郎の首は塩漬けにされ水戸へ運ばれ、晒されたあと、野に打ち捨てられるという惨さ。そして源五郎たちは水戸にいる家族の安否を人づてに聞く。母は耕雲斎の首を抱えさせられたまま斬首され、自分達より若い弟たちまで処刑された。源五郎は自分が人質に同情し逃してしまったことが、この結果を招いたと苦しむと共に市川三佐衛門に恨みを抱く。五島列島に遠島に決まっていたが、船の都合がつかず成り行きで小浜藩の準藩士という身分になり、数年が経つ。やがて明治維新。小浜藩の天狗党の残党は官軍として水戸へ行くよう岩倉具視の命令が来る。金次郎は田沼と市川に復讐するチャンスが来たと喜ぶ。水戸へ行くと田沼も市川も逃亡していなかった。
これも史実のようだ。時代は変わり攘夷派が官軍となりかつて追われていた武田金次郎は、水戸諸生派を追い詰める立場となったのだった。皮肉なことだが、今度は市川たちの家族達を容赦なく斬っていった。しかし市川本人はなかなか討ち取れずにいる。
ここでさらに皮肉なのは、市川は佐幕の中心人物であり、かつての天狗党の如く、激しい抵抗を示す、いや天狗党以上に。こうなると何が、誰が、正義なのか分からなくなってくる。完全に武田と市川の立場が逆になっているではないか。
源五郎はしばらく病に伏せていた。回復したとき水戸へ行こうとする。途中の横浜で田中平八とばったり出会う。田中平八は後に田中糸平として名をあげる。今はフランスの生糸貿易商の店を宿としている。そこへ源五郎は招かれる。そこであったのが山村弘義という人物。知ったかおかと思えば、正にその人物は市川三左衛門だった。田中平八の話によるとフランスに渡航しようとしているとのこと。つまり市川はフランスへ逃亡しようとしているのだ。渡航前日の夜島上源兵衛の家で送別会が催されている。市川の妻子もおり幸せそうな雰囲気。そこに金次郎は踏み込み市川を捕らえる。
田沼の居場所を見つけた金次郎たち。意外にもボロ家に住んでいた。踏み込むと姿を現したのはあのおゆんだった。田沼をひっとらえることはできないと。その理由は小沼が中風となり体も動かせない状態になっていたというのだった。おゆんは田沼を代弁して言う。田村は当時天狗党にとっては悪人だったと思われるが、幕府のために(そのくせ何もしない)幕府に代わって自分が一番よく働いた、忠臣である。そして天狗党の誰かさん(つまり金次郎だろう)は自分(おゆん)を見捨てたが、田沼はずっと自分を見捨てなかった。それを聞いて衝撃を受けた金次郎はなすすべもなく退散した。
捕らえられた市川は1か月のあいだ拷問され、最後は逆さづりにされたうえ槍で突かれて処刑された。壮絶な最期だ。恨みに燃える金次郎は娘の登世に、かつての自分がされたように、市川の処刑の名面を見せつけたのだった。ただ金次郎は武田一族がされたように一族みな処刑することはなかった。その後登世の消息はわからない。金次郎は22歳の若さで異例の権大参事という重職に任命される。ただ腑抜けのように過ごしていた。
恨みの連鎖のような最後の場面。その当時メジャーだったと思われる思想によってマイノリティを撲滅する。ただ、作者は言う。日本は当時反対派であったと思われた者が後世出世していたりする。この水戸における戦争が異例だったのかもしれないと。
20数年後裁判官となった武田源五郎こと武田猛はある事件を担当する。40代の薬の行商人が同じくらいの年齢の女郎に剃刀で喉を切られ殺害された。捕らえられた女郎は薬の行商人の墓の場所を聞いた。最後に参りたいと。そしてその墓の前でやはり剃刀で自殺したのだった。武田猛はその女郎は行商人の男を殺害したという確証はなく男の自殺だろうと判断した。つまり時間差はあるがその男女は心中したのだろう。その2人に武田猛は天狗党の影を感じるのだった。つまりここでは明らかにされていないが武田金次郎と登世のことを言っているのだ。
徳川家康の側近を調べていた。徳川四天王がいて、井伊直政はその一人。本多正信は子の正純の時に本多家は改易となったようだが、井伊の方は、かの井伊直弼が子孫になる。井伊直弼は桜田門外の変で殺害されるが、犯人たちの中で、2名潜伏ののち明治まで生きた人物がいる。増子金八と海後磋磯之介である。海後磋磯之介は井伊直弼襲撃後、水戸の天狗党にも参加していたというが、本書には登場しない。
 
20201105読み始め
20201117読了

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