月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ガンを治すことが目的ではつまらない。

2019-11-12 | 癌について
日曜の午前中に退院。
夫が迎えに来てくれて、そのまま車で買い物に行き、またスシローでお寿司を食べた。
朝8時に病院の朝ごはんも完食していたが、11時にお寿司を14貫!!
頑張ったご褒美にモンブランパフェまで食べた。(夫と半分こ)

帰宅してからも全くしんどくならず、夜はお鍋。
「え?!」とびっくりするくらいの量を二人で完食。(シメのうどんまで・・・)
さすがに早寝はしたが、元気いっぱいの「抗がん剤投与3日目」だった。

そして、昨日も朝から元気で、すっきりと起きだして家事もやり、少し頼まれごとがあったので2時間ほど集中して仕事もした。
昼ご飯は冷蔵庫の残り野菜と鶏肉で「鶏肉のトマト煮込み」と「白菜の卵とじ」を作って完食。

夕方にはまたいろいろと料理。
・サバの味噌煮
・いわしのかば焼き
・にんじんしりしり
・スープ餃子

こちらも完食。美味しかった。
夜になると、多少は筋肉痛のような足のだるさと手先のしびれは出たが、それも気になるほどではなかった。
どこも痛くないし、しんどくもない。

3年前や今回の1クール目は、4日目が副作用のピークだったが、今回はピークどころか副作用自体が「ない」。
水素吸入、高濃度ビタミンC点滴、そしてサイモントン療法(瞑想)が効いているのだろう。
もう私は抗がん剤の副作用を克服した!
無敵だ!!

今回「試したいことがある」と、ブログに書いていたのは、サイモントン療法での副作用軽減だった。
サイモントン療法の本を読んでいると、抗がん剤の副作用まで軽減したという例がたくさんあると書いてあったので、私も試してみたのだ。
入院中から毎日瞑想し、「抗がん剤は自分にとってとても有効で、私のガンにしっかりと効いている。でも、健康な細胞には全く影響がなく、副作用も起きない」というイメージを持つようにしたのだ。

見事に効いた!!

これで、もう何にも怖くないなぁ。
人間は、食欲があって眠れれば、死には近づかない。(と私は思っている)

副作用は克服したのだから、あとは私が「ガンからのメッセージ」と向き合うだけだ。
これが大変だけど、セカンドドクターとの話や瞑想の先生とのやりとり、今回の入院中に考えたことなどで、少しは進めたようにも思う。

ドクターは言ったのだ。

「ガンを治すことが目的?それもいいでしょう。・・・でも、それじゃつまらないよね?」
「・・・」
「ガンを治してからどうするのか。何をしたいのか。その目的がないとね」

ガンを治すことが目的だなんてつまらない・・・。
その言葉は私の魂にまで響いた。
「ツマラナイ」という表現も好きだった。
本当に、「ガンを治すことが目的」だなんて、つまらない!
せっかくガンになってメッセージをもらったのだから、それに気づいて、第二の人生を生きなければということだ。

入院前、瞑想の先生とマンツーマンで1時間過ごしたとき、「今回は、途中で私が『あなたが本当に望んでいるものを思い浮かべてください』と言います」と言われた。
瞑想の途中で、その言葉が発せられた時、私の頭の中に自然と浮かんできたことがあった。
それは、ガンを治すということではなかった。
ああ、そうか、私が望んでいるのはこれなんだなぁと思い、それに気づいたら涙がこぼれた。
泣きじゃくるわけでもなく、静かに目を閉じ瞑想した状態で、両目から涙がすーっと落ちていた。

目を開けたあと、先生が「何か思い浮かびましたか?」と聞いた。
「はい。少し涙が出ました」
先生は優しく微笑んで、「私は一時期、泣くために瞑想していたことがありますよ」と言った。この自然な涙でスッキリするらしい。
そして、「今思い浮かんだことをシェアしますか?シェアしてもいいし、まだしなくてもいい」と言われたので、少し考えてから「いや、まだ自分の中に持っておきたいです」と答えた。

夫にも話していない。
誰ともシェアしていない想い。私の一番望むこと。

今の私はもう「ガンを治すこと」を目的にして生きてはいない。
治すことは当たり前で、その先を見ている。
治って、再発前と同じ生活に戻るなんて、そんなのつまらないから、今のこの自由な時間を大切にしてしっかり力を蓄えよう。