月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

抗がん剤治療2クール目 ~入院

2019-10-04 | 癌について
2クール目が始まり、昨日から入院している。
相変わらず昨日は何の意味もない放置プレイの日。
院内ならうろうろしても良いので、座り心地の良いソファとテーブルがある待ち合いスペースを探し求め、仕事をしていた。

入院前日は夜中2時まで原稿を頑張ったが終わらず、6時に起きて出発までに続きをやったがそれでも終わらず、眠気と疲労でふらふらのまま採血。
好中球数もなんとか2000を超えていたので、治療OKとのこと。
ほっとした。これで治療は無理だから来週に延期なんてなったら、何のための追い込みかわからない。

しかし、気づけばもう10月。今年も残すところ3ヶ月を切った。
早すぎひん?!
振り返ると、今年の仕事も微妙だったなと思う。
1つ、2つ、新たな分野の仕事もあったけど(酒の裏ラベル、動画ナレーション原稿)、パッとしない1年だった。
特に8月以降は病気のことで心穏やかでなく(当たり前!)仕事に集中できなかった。
それに、ガンの本を読んだり治療を調べたり、ウィッグや水素吸入機や食事やら、生活に必要なものの選定と手続き、実行に多くの時間を費やした。
9月に治療が始まると、さらに心身ともに仕事にかける時間が減った。
そしてこれは、年内続くのだ。
実質、今年は7ヶ月しかまともに仕事ができなかったということになる。

なんだかなぁ、、、と思う。
「凪のお暇」じゃないけど、完全に断捨離して新しい自分で生きられたらどんなにいいか。
(ちなみにドラマは見ていない。マンガだけ)

48歳にもなって、まだ自分探し。
凪みたいに28歳なら、まだまだやり直しがきくけれど。

昨晩、夜中の病室で目が覚めた。
副作用がおさまってからどこも痛くなかったのに、昨日入院してからまたお腹がシクシクする。
ガンが暴れている。

ガンを克服したいろんな人の本を読んで、ガンになった意味(それは原因ということでなく)をわからなければならないと思っていた。
ガンは愛情に弱いとか、ガンは自分が作ったものだから自分で治せるとか、ガンになって2つの人生を生きられるとか、ガンに感謝するとか、いろんな人の「悟り」を聞いていた。
私もそれが、わかるようでいて、本当にはわかっていなかったように思う。

昨日の夜中、急にシクシクしだしたお腹をさすりながら、光が射したみたいに、急にわかった。
あ、そういうことか、と。

「大人だろ 勇気を出せよ」
清志郎の歌詞も浮かんだ。

生きていくのは大変だとつぶやいていた7歳の自分を思い出した。

あの時、こどもの私はどうしたんだっけ?
ただ、泣いて、逃げた。
とにかくずっと逃げ続けた。

大人になってもそうだ。
ラッシュの電車には乗りたくない。
毎日同じ場所に通いたくない。
社会性ゼロだから組織に入るのは無理。
誰でもできる仕事はしたくない。

私ってこういう人だからと宣言することで、闘うことから逃げ続けた。

でも、大人だから、逃げられないこともたくさんある。
3年前も、今回も、私はガンに助けられたんだなあと、そのことが急にわかってしまった。
学校行きたくない子供が本当にお腹が痛くなったり熱が出たりするやつ、あれだ。
ガンは悪いヤツではなかった。むしろ、私の救世主だった。

これを読んだ人は、なんのこっちゃと思うだろう。
私は共感も理解も求めていない。
おそらく書ききれていないし、書ききっても、本当にわかるのは私だけだと思うから。

でも、書き留めておく。
私が忘れないように。

そうだ。
本当に不思議だけど、悟って、心の底から本気のありがとうをガンに伝えたら、お腹のシクシクは消えた。
ファンタジーか!って?
案外、細胞ってファンタジーで宇宙的なのだよ。