岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「御祝い」

2019-01-31 15:06:45 | いなか暮し

 花巻近在では、祝い事があれば、必ずと言ってよいほど「御祝い」唄が披露される。
 「御祝い」の間は、老若男女、正座して手拍子を合わせる。

 1、御祝いは 繁ければ お坪の松は そよめく
  お祝いの宴が、たけなわになったので、坪前(庭園)の松もお祝いするようにそよめいている。

 2、上り舟に花が咲く 下り舟に実がなる
  当時の北上川は物資を運ぶ唯一の輸送路であった。南部の国は産物の多いことを自慢した。

 3、まるき銭は 数知れぬ 黄金の倉は九つ
  まるき銭とは穴のあいた銭を紐で連ねたもの、南部の国は金の産地で金が沢山あることを唄った。

 4、雫石は名所どころ 野菊の花は二度咲く
  南部の国は美人が多い事を自慢した。雫石のお菊と言う美女は二度目に殿さまの奥方となり花を咲かせたと伝えられる。

 5、おゆる、おゆるとお控えなされ 大沢川原に舟がつくまで
  交通が不便で輸送機関の発達しない当時は舟がつくのは大変めでたい事であった。ゆっくりとお控えください、大沢川原(盛岡市)に着くまで

 6、お喜びは み喜び み厩の馬は仔を持つ

 7、お立ちをば、忘れて お酌にまぎれて、今立つ
  立つ時刻を忘れて、お酌にまぎれて、今立つ。

 歌詞は地域によっては幾分の違いはあるが、1、2番は多くの地域で歌い継がれている。

  復元された花巻城、西御門
 慶長5年(1600)、伊達に煽動された和賀忠親が一揆(和賀一揆)を起こし、花巻城を責めたが撃退され、翌年春には南部利直により和賀城は落城した。

 その時、花巻城で、お祝いを兼ねて、お国自慢を唄ったのが「御祝い」の始まりと伝えられている。
 

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我が「ルーツ」は・・・・

2019-01-27 15:59:49 | 日々の暮らし

 運動不足の解消、体力の老化防止に近くの大森山に登る。
 標高差100メートルほど、家から歩いて頂上まで往復する、所要1時間、歩数5000歩ほどが調度良い。
  北上山地の最西端の大森山から、
 北上平野越しに奥羽山脈のパノラマが拡がる。

 標高差、100㍍が昨今、200㍍にも300㍍にも感じることがあるが・・・・。
 「我が郷の三浦雄一郎」を目指して・・・・・

 

 岩手には菊池姓が圧倒的に多いとか聞く。
 その多くの菊池さんは、漠然と先祖は九州熊本産と思っていることだろう。
 地区内に10数戸ある、我が菊池一族も 「先祖は多分、九州」 と言い伝えられてきたが、どうして九州から、熊本からとなると誰も知らない。
 たまたま図書館で見つけた本に、ヒントがあり、おそろしく分厚い本や関連した本を見ているうちに、我が集落の菊池一族の「総本家」にたどり着いた。

 南北朝に始まる熊本から、吉野南朝、宮城牡鹿、そして、岩手に至り、集落の菊池一族が現在も続く菩提寺との関係、単なる系図ではない物語が楽しい。
 物語は、出世あり、裏切りあり、脱藩出奔、はては切腹までも・・・時折、歴史上の有名人も登場する。
 下手な「大河ドラマ」にひけをとらない先祖の活躍。
 自分のルーツ、それが想像混じりで、正解でなくとも先祖に想いを寄せるのは楽しい。
  せっかく、読んだ記憶を、あの世に持って行っては勿体ないと一念発起して、10数ページの冊子にまとめた。
 膨大ともいえる資料を10数ページにまとめるには到底無理、ちぐはぐ、浅学菲才・・・・。
 後世、この冊子をたたき台にして、補正、修正して自分たちの先祖に誇りを持ってもらえたらと思う。

 秀吉、信長、 龍馬等々漫画を好んで読む、小4生の孫が将来開いてくれることを願って・・・・

 

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初舞い

2019-01-22 17:41:18 | いなか暮し

 日曜日 花巻市東和町の「石鳩岡神楽」を、ゆっくり楽しみたいと、誰も誘わずに一人で正月初舞いに出かけた。
 天保年間から続く、長い歴史を持ち、ヨーロッパ公演の経験や、又、盛岡南部家のご祭神、桜山神社の専属神楽も務めるだけあって見応えは充分、つい熱中して最後の権現舞まで見てしまった。
  演目の合い間に話してくれる、小正月行事や地域に伝わる風習、これがなかなか。
 いつか、このお話だけでも聞かせて貰える機会があればと思う。
 観客も地元の集落の人たちが多いんだろう、送る拍手の間合いも、良く心得ていて、舞う人、観客が一緒に楽しんでいる。
 良く鳴る横笛が気になり、幕の間にチラッと見えた笛の吹き手は若い女性かな?
 「山の神舞」に撒かれた、拾いきれないほどの、お菓子、中でも集落の産なんだろう、小袋に入った栗を沢山頂いた。
 おかげで家への土産も・・・お神酒や甘酒も振る舞われて会場は和やか。
 4時間も続くお神楽の間、きっちり座って、熱心に神楽を見つめる男の子がいた。
 帰り際、たまたまその子と一緒になり
 「何年生・・・?、神楽が好きなの?・・・・・」
 「はい、四年生です、神楽が大好きです・・・・」

 話してる時に、「・・・・私の孫です」、声の主の視線と合ってびっくり。
 「あっ、〇さん・・・・?」
 「〇〇ちゃん・・・・?」 何と、おそらくは20数年ぶりの出会い。
 数年、同じ会社で働いた、とっても明るい性格がみんなに好かれ、休み明けにはお団子やまんじゅうなど作ってきてはご馳走になった思い出がある。
 おまけに、可愛かったから、「倅の嫁さんを貰うときは、〇〇ちゃんのような人を・・・」と思っていた。
 かわいいおばあちゃんになっていた。

 早速、念願の神楽の御利益があったのだろう、懐かしい人に出会えた。
 後期高齢者と言えど、可愛かったり、美しかったりすると胸がときめく。
  決して、不整脈のせいではない。

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小正月

2019-01-16 17:50:11 | 日々の暮らし

 旧暦の頃の小正月行事だから新暦の2月の中頃だったと思う。
 旧正月15日は、各地と言うより、どこの家でも、小正月行事が行われていた。
 おじいさんが去年の夏には、目をつけていた、手ごろな「みず木」を伐り、枝をつけたままで、天井の高い常居と呼ばれる間に、入れて、 引き石臼(上下の石のギザギザ面に籾を入れて、摺り合わせ、籾からモミガラを取り除いて、玄米にした石、使った記憶はないから大正末期から昭和の初めごろまで?)の穴を利用して「みず木」を立てる。
 子供たち相手に、おばあさんが、うる粉に赤、緑の色を付けて丸める。
 出来上がった団子を子供たちが、一つ一つ「みず木」の枝先にさす 「みず木団子」とも「繭っこ団子」とも言われる小正月行事。
 「みず木」は枝先が上を向くので運が上向くとも、色とりどりに飾った「みず木団子」は花とも実とも、みられるので五穀豊穣を祈る行事だった。

 冬休みの孫たち相手におばあちゃんが、久しぶりにミニミニ「みず木団子」に挑戦した。
 意外や意外、」中学生の孫まで大喜びして手伝ってくれて、 たまたま訪れた、近所のおばさんも「なつかしい」と大喜びしてくれた。

 小正月の夜、色とりどりの端切れを縫い合わせた、きれいな米の袋を持ち、子供たちが数人単位でグループをつくり、家々を回り、「舞い込んだ、舞い込んだ、福の神が舞い込んだ」と大声をあげると、家人が、みかんや餅、中にはお金を、米の袋に入れてくれる。
 どこかの国の「ハロウィーン」とかにも似ている。
 ある家で、「舞い込んだ・・・」を繰り返しているのに、誰も出てこない。
 悪がきとも、声をそろえて「舞い込んだ、舞い込んだ、貧乏神舞い込んだ」・・・・・

 何軒かの家々を回り、暗くなった頃に、家に戻り「みず木団子」の下で、貰ったお餅やみかんなどを分配、「みず木団子」を、木から取って、コタツの炭火で、こんがりと焼いた、うる粉の団子は美味しい、甘酒もいただいて解散 おやすみなさい。

 

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我が郷の権現さま

2019-01-13 12:00:40 | いなか暮し

 新春松の内に、我が郷では、地元胡四王神楽の権現さまが、家々を回り、その年の災いを祓ってくれます。
 権現さまは神様が、仮の姿として現れると言われ、獅子頭にはその神様が宿ると言われています。
 朝から、家々を回る神楽の太鼓、笛、手平鉦の音が、遠くから聞こえてきます。
  氏神さまの前に、権現さまを迎える準備ができた頃、
 神楽衆が冷たい北風の中を、歩いてきてくれます。
 昔からの農家では、大抵、庭の一角に氏神さまがあります。
 氏神さまの前でお神楽奏上の後、玄関に向かい、家人と年始のあいさつの後、権現舞を行いますが、昔の農家は土間が広く、悠々と舞うことができましたが、昨今の玄関は手狭になり権現さまも少々、窮屈に舞います。 
 子供がいれば権現さまに頭を噛んでもらい、健やかな成長、健康、学業成就などお願いします。
 舞が終わって、手桶に入った水を、家や車庫などの建物に柄杓で水をふり掛けて防火を祈念します。
 昨今は家族数も少なくなり、せっかく権現さまがおいでになっても、留守と言うことも多々ありますが、家人がいなくとも権現さまは、「ちゃんと」厄除け、お祓いをしていただけます。
 こちらからお詣りに行くのではなく、神様の方からおいでいただき、今年一年の災いから護っていただく。
 お祓い済ませて、松の内の行事が終わり、見上げる空は幾分明るく、暖かさも感じますが春はまだまだ・・・・
 専業稲作農家のお年寄りは、まだまだ、「冬眠」が続きます。

 

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