岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

春、競馬

2024-03-11 16:55:40 | いなか暮し

 村には「馬はかどこ」と呼ばれる場所が何か所かある。馬のお墓である、昔からどこの家でも馬は大事な家族として大切に飼われ、戦時中は軍馬として育成されてお国のために役立ったとか。
 大切な家族の一員とされた馬は、亡くなれば立派な墓石を立て、お盆には人間と一緒の供養するのが今でも当然とされている。

 子供のにぎり拳ほどの”あんこ玉”をたっぷりのお餅でくるんだ大きな大きな彼岸まんじゅう、村には何かの大きさに驚いたとき「彼岸まんじゅうのようだ」という言葉があるから我が家独特の大きさではなかったんだろう。
 母の作った彼岸まんじゅうを風呂敷に包んで北上川渡舟場に向かう。渡舟場はかって時の幕府の巡見使が花巻の鳥谷ヶ崎城へ向かう要所だったと言われている。
 桑畑や麦畑が広がり、松林や、カブトムシのいっぱいいるサイカチの木があって広い広い渡舟場付近は子供にも人気の川原。今日は一帯を利用しての「村の春競馬」の日。
 当時、何人かは競馬用の馬の調教をしていたが多くは農耕用の馬である。普段、田や畑に駆り出される馬や、中には、そりや馬車を引く大きな馬も参加しての競馬・・・素直に言うことを聞く馬や牛はすっかり調教されていたんだろう。
 競馬の日、普段、慣れぬ背中に主人を乗せての競馬、1,2位は到着したのに次の馬はまだ遠くの山陰でぐずっているとか、コースを間違えたとか、見てる方は大笑い、楽しいのは乗馬ならぬ、乗牛、その頃から買い始められていた牛に乗っての競争、馬と違って牛の背中には乗らずに牛の後方、後足付近に乗って走らせるから騎手は大揺れに揺れて落ちないように必死に手綱を持つが振り落とされる、それを見ては観客は大笑い・・・・それでもケガをしたという話も聞かなかったと思う。
 風呂敷包みの「彼岸まんじゅう」を食べながら楽しい春の一日だった。
 大人は間もなく始まる激しい農作業を前にしての楽しい一日だったに違いない。
   穏やかな楽しい、春の一日 昭和の22,23年ごろの出来事だったように思う。
        郷に今は、馬も牛も一頭もいない。

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