いつもの時期にいつもの場所で咲くクロッカスやミニアイリスだが春一番の花は特に美しい。
集落では年一回の総会に併せてその年の厄年や年祝いの該当者を招いてお祝いをすることが恒例となっている。
初めの頃は米寿などは珍しかったが、今では米寿どころか卒寿や白寿に近い人もいてお祝いを受けたお年寄りは涙ぐんでることもある。
ところが昨年3月お祝いの2週ほど前に集落に不幸があって中止となった。
そして今年こそはと集落の若手を中心に準備を進めていたが、またまた半月ほど前に不幸があってお祝いは自粛し中止となってしまった。
楽しみにしていた今年の該当者12名はがっかり・・・・・
集落に不幸があればお祝いに限らずスポーツ大会などの行事も自粛するという麗しい(?)習わしがある。
それではどの辺に線引きをするのかはいつもの議論である。
不幸があるたび地区なり集落の行事を中止いていれば今の世の中、お年寄りが多くそれにつれて不幸も多くなり色々の行事が出来なくなる。
「喪に服す」のは当事者、家族だけに限るべきではないか・・・
いや、それでは仏さまに失礼にあたる 忌明けまで集落はともに「喪に服す」べき・・・
「忌明け供養」はしているのだから・・・
せめて三七日(みなのか 21日)は集落も行事を自粛・・・
どちらも正解、さて? 議論は続く・・・・・