岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

負の遺産・・?

2020-11-27 11:05:08 | いなか暮し

 晩秋、岩手山の雪も白く下に広がり始め、里にも雪が近い。
 田んぼや畑に人影は見えない。あちこちから登る煙は屋敷林の杉の葉を焼いているのだろう。
 家の周囲の庭木の手入れを済ませて、落ち葉を焼いて雪を待つ。 
 農村ののんびりした、いい風景ではある。

 居久根と呼ばれる屋敷の杉林、かって財産として不時の出費に備えて活用されたが、今は逆にお金を払って伐採処理してもらう。
 かって雪の前に稲を運び込み、脱穀した大きな作業小屋も平成初期まで利用されたが今は収穫されたお米はまっすぐライスセンター行。無用となった大きな作業小屋は物置になり、軒下には若い人たちのピカピカの乗用車が並ぶ。
 自家用野菜を作る人もすくなくなった。畑に限らず、子孫のためにと競って広げた田んぼ、後継者は殆どがサラリーマン、農業のやり方は知らない。
 年寄りが元気なうちはいいが、その後はどうなるんだろう。
  刈り残した稲が残る。中山間地地帯を中心にポツポツ見受けられる。
 今年の稲は倒伏が多かったから、年老いた農家は刈り取れなかったんだ
ろう。

 昔、長男は家を継げるからと二、三男に羨やましがられた時代があったなんて信じらられない。

 近在の、資産家の当主が膨大な資産を残して亡くなった。
 所有する一部土地が公共用地に買収されたがその代金を子供たち、誰も受け取らないという。
 残された膨大な資産の相続税負担が問題らしい、資産家でさえ後を継いでくれる人がいない。
 相続税の心配もないが、農家特有の大きな家、作業小屋、広い屋敷周りの居久根の大木、先祖が一生懸命働いて増やした広大な田んぼ、山林など若い人たちには魅力がない。
  負の遺産になりつつある。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伽羅木

2020-11-25 18:02:56 | いなか暮し

郷の「白鳥の湖」 湖面が凍るまで間、多くの白鳥が夜、羽を休めて、朝早くに近くの田んぼの、こぼれ籾を漁りに飛ぶ。

 平成の中頃だったと思う、見知らぬ方から、70年も前に亡くなった祖父宛てに一通の手紙が届いた。
 
   昭和14年、教育召集の際、餞別を頂戴いたしました。〇○家〇○の弟、〇○であります。
   昭和16年、満州に渡り、北朝鮮平壌で終戦、後に抑留生活を送り、昭和23年10月舞鶴に到着復員いたしました。
   本来この時に、ご挨拶申し上げるべきところ、今日までの長きにわたり御無礼をいたしました、心よりお詫び申し上げます。
  私の思いを同封いたします。・・・と、確か5千円が同封されていたと思う。
  ・・・であります、御無礼を・・・・昔人の律儀さにあふれた文面に感動し、都会にお住いのようだと郷土の米、野菜を送り、その後数度の文通をした。

 その後の手紙の文面に気になることが記されていた。
 「学校への行き帰りにお宅の前を通りました。お宅の長い伽羅木(キャラボク)の垣根が整然として美しく、今でも思い出されます」

 分家になった時に植えたとすれば、もう150年も前に植えられた伽羅木は、昔から庭に植えれば疫病を除くと言われるから、先祖が子孫に想いをこめて植えたものだろう。
 祖父が毎朝、伽羅木の手入れをしていた記憶はある、その祖父が昭和20年代に亡くなり、手入れ管理を引き継いだ父も亡くなって20年、整然としていた伽羅の垣根は、いい加減な管理で見る影もなく、肥えた豚が、のたうつ背中にも似て、まさに目も当てられない始末だった。
 人の言うことを聞かない生来の頑固さがたたり、誰も管理法を教えてくれなかったが、この秋、見かねた知人が詳しく教えてくれた。
 四苦八苦しながら、元通りとは遠く及ばないが、糸を張り、葉を刈り、枝を切り取り、やせた豚が背伸びしているほど位はと、何とか目が当てられるほどになったと自己満足している。
 褒めてくださった〇○さんも、もうこの世の人ではないとは思うが、今一度見てもらいたい・・・
 枝を切られた伽羅木は、もともと新しい芽が出るまで年数を要する、3年いや5年、すっかり元気になった我が家を取り巻く伽羅木の垣根は、果たして自分のこの目で見ることができるかどうか
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔むかし、大昔・・・・②

2020-11-20 17:06:49 | いなか暮し

早池峰草紙 大迫地方の伝説から
 権現堂山の神話② ①から続きます。

 権現堂山の神様は驚いて、そのまま西のほうに走ったが、とうとう夜が明けてしまったので、そこに置いた。それが紫波の南昌山である。
 権現堂山の神様は口惜しくて、どうしても大山にしなくてはならないと、今度は天の神様にお願いしないで、真夜中に西根山の山奥に飛んで行って、また山を抱えてきた。
 ところが帰る途中で一番鶏の鳴き声が大きく響いたので、驚いて採ってきた山をそこにおいて飛んで帰ってしまった。それが今の石鳥谷町新堀の戸塚森である。 
 権現堂山の神様は二度まで失敗したが、さらに諦めなかった。あるとき、三人姉妹の神様が集まった時に権現堂山の神様は
 「わたしたち三人のうち、誰かの枕元に蓮華の花を咲かせてくださるように、天の神様にお願いして、眠っている間に枕元に咲いた蓮華の花を持って行ったものが、早池峰山の主になることにしましょう」 と言い出した。
 そこで三人の神様は、めいめい天の神様にお祈りして眠った。
 権現堂山の神様がふと目を覚ましてみると、末の妹の枕元に蓮華の花が咲いていた。二人の妹はよく眠っていて、それを知らない様子である。そこで、そっとその花を取って、「わたしの枕元に咲きました」といって、とうとう早池峰山の主となった。
 そのため、早池峰山の神様は、一生一度はどんな無理な願望もかなえてくれる神様であるという。

 (この話は姉が妹を出し抜いて早池峰山の神になる伝説であるが、ほかの地域に伝わる早池峰山姉妹伝説は、すべて姉の枕元(胸)に咲いた蓮華の花を、ずる賢い妹が取って早池峰山の神になるという構成になっている)
     写真は①②とも、晩秋の晴れた朝、新花巻ふきんから

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔むかし、大昔・・・・①

2020-11-18 09:59:40 | いなか暮し

早池峰草紙 大迫地方の伝説から
 権現堂山の神話

 昔むかし、大昔であった。
 亀ヶ森と石鳥谷滝田の境にある権現堂山の神様は三人姉妹であった。この神様が一番上の姉で、二番目は胡四王さま、末の妹は湯本の羽山の神様であった。
  権現堂山の神様は、この権現堂山は小さ過ぎて、どうかして大きな山をを見つけて、その神様になりたいと、いつも思っていた。
 大山になるには、沢が四十八沢なくてはならない。
 権現堂山には四十七沢しかなかった。その上、低くて、大山の位になるには足りないので、どうしたらよいだろうかと考えた。
 そこで、思うには、早池峰山の神様になると、一番良いが、二人の妹神様たちも同じように早池峰山の神様をお望みなので、それも容易に出来そうもなかった。
 それで、自分一人で大山にしてやろうと思って、いろいろ考えた。
 ある晩のこと、西根山山中の東根山の 半分を取ってきて、この権現堂山の上に盛り上げて、大山にしようと思いついた。
 そこで、天の神様にお祈りして、真夜中の一番鶏の鳴き声を合図に取ってくることをことをお願いした。
 そして、直ちに牛の刻(午前2時頃)に飛んで行って、東根山の半分を取って抱え、一番鶏の鳴き声を今か今かと待っていたが、さっぱり鳴きださない。
 そうして待っているうちに東の空がだんだん明るくなってきた。

          昔むかし、大昔・・・・②へ続きます

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胡四王蘇民祭は「中止」

2020-11-09 17:36:19 | いなか暮し

  今年も柿は大豊作、あちこちからいただく、おすそ分けにうれしい悲鳴。
 鳥たちもお腹いっぱいにして、やがて雪。

 五穀豊穣、疫病退散を願う、小さな郷土の大きな祭り、胡四王神社蘇民祭は、疫病コロナの前に降参、1月2日のお祭りは中止となった。
 水沢、黒石の蘇民祭はすでに中止が決まっており、胡四王に続く各地の蘇民祭も、中止が予想される。

 胡四王蘇民祭は150年余り前の1865年、慶応年間に始まったとされているが、戦後の一時期中断を余儀なくされたが、ちょうど100年後の昭和39年、地元の20~30代の氏子青年会が中心となり復活させた。
 復活当初は、予算とて厳しく、地元有志の篤志に頼り、青年会の手による準備作業は全て手作り、復活初年度は、参加者も少なくさびしい祭りだったが、のち年々参加者、観客は増え続けて、数年後には主催した氏子青年会が、全国氏子青年協議会の全国大会で、お祭りを復活させた功績が認められて全国表彰を受けた。
 お祭りは、次第に知れ渡り、日本各地から、そして海外からも参加者が増えている。
 全国的に知られる、岡山西大寺、会陽グループとも交流を続け、参加者、選手の派遣を続けている。
 11月ともなれば、地元の青年会の手により、年明け1月2日のお祭りに向けて、祭り看板を立て、大きな幟が風にはためく季節だが、今年は無い。
 さびしい師走を迎える。
       コロナは退散を・・・・

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする