岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

インターバル速歩

2022-02-25 18:05:08 | いなか暮し

冬場を中心に、農作業のない間は、努めて運動(散歩)を心がけている。
 賢治記念館近くの360段余りの長い階段を登ったり、晴れれば胡四王山や大森山にも登る、時にはコンビニまで歩いて、コーヒーを飲んで帰ることもあるが、大分歩いた積もりでも到底1日1万歩に満たず運動したつもりでも、どうしても納得できない。
 毎日のように散歩で通る新幹線の高架下の道路沿い、2月始め頃までは大きなつららがいっぱい下がっていたが、暖かさとともに、新幹線が上を通るたびにつららが1本落ち、2本落ちして3月近くなってほとんどのつららが落ちてしまった、春はそこまで来てる。
 先日病院で見るともなしに見た雑誌に「インターバル速歩」という記事を見つけて、帰り際、スマホで見出し部分だけ撮って帰ってから見たら、散歩の方法は「3分急ぎ足、3分ゆっくりを5回繰り返し、週に5回」と書いてある。
 早速試してみたら、結構きつい、歩いた後は軽い息切れもして、最初の晩は少々体も痛んだ、一セットの歩数も約4000と手ごろ、週に4~5回を2週も続けたら快調、いつもの3日坊主でないかもしれない。
 「インターバル・・・」ネットで調べてみたら準備運動や、注意点なども書いたあった。
 雪どけが進んで、春彼岸過ぎれば農作業が始まる、せめてその頃までは続けてみよう。
 目的は体力増強・・という年齢でもない、せめて今の体力を維持したいとの願いから・・

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遠野へ

2022-02-14 14:37:58 | いなか暮し

農作業のない冬は、ようやく本を手にとる。
空いている図書館もコロナ禍のせいだろう、たまたま借りた遠野物語関連の本、さわりだけは知るが読み始めたら中々やめられない遠野物語の世界。
 そうだ、遠野博物館には色々と展示されているし、物語を知るには一番、車で行っても4、50分のところを旅人を気取って釜石線で出かけた。
 博物館は何回となく訪れてはいるが、当時はいつも幼い孫たちと一緒、まだオムツをつけたままとか、途中で眠ってしまう子、大きなスクリーンが怖いと泣きだした孫もいた。
 そんな孫たちと一緒だからゆっくり見たことがない。
 今日はゆっくり、真冬の寒い季節、広い館内にお客は一人、それでも色々の展示やマルチスクリーンはいつも通り、一人で暖かい館内に恐縮しつつ遠野物語を堪能した。
 「此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」の柳田國男の遠野物語、その佐々木鏡石(喜善)の関連本に、遠野から50キロも離れた我が郷の胡四王山の話があった。
 早池峰山の見える岩手県南部地方には、美しい早池峰の主になるべく姉妹が競う三山伝説が多いが胡四王山にも伝説がある。
 あらすじは大方似ているが、その本は佐々木喜善が自分の目で見たと思われる描写があった。
 「この神は「呼石」の地が恋しくて、いつもそちらを眺めるために神社は北向きに建てられている、また早池峰の方も始終眺められるように・・・・」胡四王神社の社殿はまさに、その向きに建てられ、北向きの社殿は珍しいと言われている。
 佐々木喜善は実際に登ってみたんだろうか・・とすると遠野から約50キロ、当時の軽便鉄道は時速15㌔というから遠野から2時間もかけて矢沢駅へ、そこから歩いて胡四王山に登ったに違いない。
 軽便鉄道時代の矢沢駅、「やさは」昭和初めの頃の頃の写真と言われる。
 もっとも遠野物語の柳田國男は初めて遠野を訪れたときは、花巻から人力車を乗り継いで向かったと言われるから、それに比べたら、軽便鉄道も相当、便利なものだったに違いない。

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リクエスト

2022-02-05 11:51:40 | いなか暮し

二十四節気 
  初候 東風凍を解く (とうふうこおりをとく)
 暖かい春風がふいて、川や湖の氷が溶け出すころ。およそ2/4~8日ころ)
                  東邦出版「日本の七十二候を楽しむ-旧暦のある暮らしー白井明大、文」から利用させてもらっています。
   郷はまだ雪が一面に広がるが、日ごとに空の青が濃くなり、リンゴ農家はもう畑に出て剪定を始めた、春の足音がそこまで来ている。
 農閑期のいま、日ごろ無沙汰している友人を訪ね歩いては思い出を語り合ったり、消息を確かめたりしている。
 現役時代に一緒だった友人を訪ねた帰り道、かって通勤の朝晩通った総合病院前を通った。
 大分昔の事ではあるが、ここの病院には思い出がある。
 手首にできた腫物は1円玉大から次第に大きくなってくる、痛みは全くないが、どうにも気になり、ここの病院で診てもらった。
 たしか、「脂肪の塊」とか言われたと思う、「切り取りましょう・・・」 「手術・・・?」
「いやいや、たいしたことではありませんから楽にしていてください」
 と言われても、少々不安で顔色に出ていたのかもしれない、若いお医者さんだったように記憶している。
「音楽、聴きますか?」
「・・・・?」
「どんな音楽にしましょう?」 手術中に音楽・・・?「ビリーボーンなんかが好きですが・・」そのあとビリーボーンが聞こえたかどうかは忘れたが、確かに手術の間、音楽が聞こえていたように記憶している。
リクエストに答えて、看護婦さんがCDもない時代にレコードでも、探し出して鳴らしていたんだろうか?
お医者さんにかかる機会は数知れないが、音楽のリクエストを聞かれたことはもう、ない。
若いお医者さんだっと思うが、県立病院だから、
どこかに転勤か、あるいはどこかで開業しているんだろうか。
 機会があれば、もう一度診察を受けたい先生ではある。

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