「うめもどき」この秋、沢山の実をつけた。気候のせいだろうか、柿も大豊作だが、リンゴはこの秋不作という、色ずきが悪く、小玉が多い、11月下旬になっても寒くはならずに「ミツ」の入りが悪いと聞いた。
居久根と呼ばれる屋敷林をすべて伐採した。3、4年ほど前に居久根の杉、30本ほど切り倒し、今年はヒバ15本と氏神様近くの杉の大木を伐採した。
これからは奥羽の山並みから吹き降ろす北風が、まともに吹き付ける、そばの氏神様も寒さに震えるかもしれない。
径60~70㌢の株元の年輪は115本ほど、明治の末頃に植林したものらしい。
3~4代前の先祖が、いつか子孫の役に立つようにと、せっせと植えたものだろう。
倒した木を見て「よい木だ」「もったいない」と言ってくれる人は多い「差し上げますからどうぞ」と言えば「いや、いらない」欲しいと言ってくれる人はいない。
多くの杉を切り、残るヒバもすべて切り倒して、これからは落ち葉の掃除も不要と、せいせいしたはいいが、後ろめたさも残る。
明治初年に分家し独立して30年余りして家庭も落ち着いた頃に、子孫のためにと多くの木を植え、庭木もそろえたことだろう。
果たして100年ほど後の子孫は、先祖の丹精込めた自慢のキャラ木の生垣数十本、40㍍あまりを切り倒して駐車場に、さらには大きな土蔵も解体し、中の多くの什器はゴミとして焼却場行、3K×5Kに下屋を持つ作業小屋も解体し更地にしてしまった。
今年に入ってから、やはり明治末頃に掘り当てた、美味しい水自慢の井戸も埋め立ててしまった。
時代が違う、、と言い訳して、井戸も、土蔵も、作業小屋も周囲の居久根も切り倒して更地にしたところで、使い道があるわけでもない。
只々、広い敷地が残り、これからは生い茂る雑草との戦いが始まるだけ。
切り倒した木は、2㍍前後に細断されて、市内のバイオ燃料会社に運び込まれて、発電に利用され、電気となって世の役にたつと思えば、子孫のために、木を植え、こまめに手入れをしてくれた先祖さまへの後ろめたさも幾分、薄らぐ。