大阪万博の頃、京都宇治郊外の巨椋池周辺にいっぱい咲いていた。
当時なんと言う花かも知らず、あまりきれいでもないなと見過ごしていたが、それから何十年かして岩手でも珍しくもない季節の花となった。
毒々しい黄色も晩秋を彩ると言えなくもないが、にくいほど増え続ける。セイタカアワダチソウとか。
今、ネットでどの時代の曲も自在に聞けるいい時代、S20~30年代、歌謡曲が大人気だった。
♪覚えているかい、故郷の村を
便りも途絶えて幾年すぎた・・・
♪わらにまみれてよー、そだてた栗毛
今日は買われてよー 町へ行く・・達者でなー 三橋美智也
ランドセルの子が、大きな声で「チャンチキおけさ」を歌って通るほど歌謡曲、流行歌は人気だった。現代の若い人たちに歌の情景が浮かぶだろうか、、、
♪長い旅路の航海終えて
船が港に泊まる夜・・・美空ひばり
古いラジオから流れるこの曲が気にいり、友達から借りた当時人気の雑誌「明星」か「平凡」の付録だったろう、流行歌詩集を見て、その夜懸命に暗記した。
翌日から音痴を顧みず、峠を越える学校の道のり、歌いながら通学した。
多分、その頃だったと思う。「絶唱」という映画があった。のちにヒットした百恵、友和コンビのその前、若き日の小林旭、浅丘ルリ子コンビの「絶唱」は映画大人気の頃で映画館は満員、席は二階に見つけた。
映画終盤、小林旭扮する大地主の息子順吉が戦地から帰ってくる、待ち焦がれる浅丘ルリ子の小雪は瀕死の床にあり、順吉の帰りを急ぐ足と、息絶え絶えの小雪の顔が交互に映し出される。やがて順吉が戻る直前に小雪は息を引き取る。そして亡くなった小雪に花嫁衣裳を着せて結婚式と葬式・・・・当時純朴な少年は大粒の涙で見ていたが、やがて映画が終わり館内に電気が点き、慌てて涙をぬぐった思い出がある。
なぜか隣の席には女の子がいた。偶然ではなかった、当時中学2年か3年頃、しめしあわせて文化祭を抜け出していったように記憶している。思えばあれが初めてのデートとかなんだろう。
歌謡曲の暗記に努力したり、サボッて映画を見に行ったり、あのエネルギーを勉強に向けていたら・・・60年も前の後悔ではある。