岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

60年目の後悔

2022-10-28 15:08:37 | いなか暮し

  大阪万博の頃、京都宇治郊外の巨椋池周辺にいっぱい咲いていた。
 当時なんと言う花かも知らず、あまりきれいでもないなと見過ごしていたが、それから何十年かして岩手でも珍しくもない季節の花となった。
 毒々しい黄色も晩秋を彩ると言えなくもないが、にくいほど増え続ける。セイタカアワダチソウとか。

 

今、ネットでどの時代の曲も自在に聞けるいい時代、S20~30年代、歌謡曲が大人気だった。
♪覚えているかい、故郷の村を 
    便りも途絶えて幾年すぎた・・・
♪わらにまみれてよー、そだてた栗毛
    今日は買われてよー 町へ行く・・達者でなー 三橋美智也
 ランドセルの子が、大きな声で「チャンチキおけさ」を歌って通るほど歌謡曲、流行歌は人気だった。現代の若い人たちに歌の情景が浮かぶだろうか、、、
 ♪長い旅路の航海終えて
    船が港に泊まる夜・・・美空ひばり 
 古いラジオから流れるこの曲が気にいり、友達から借りた当時人気の雑誌「明星」か「平凡」の付録だったろう、流行歌詩集を見て、その夜懸命に暗記した。
 翌日から音痴を顧みず、峠を越える学校の道のり、歌いながら通学した。
 多分、その頃だったと思う。「絶唱」という映画があった。のちにヒットした百恵、友和コンビのその前、若き日の小林旭、浅丘ルリ子コンビの「絶唱」は映画大人気の頃で映画館は満員、席は二階に見つけた。
 映画終盤、小林旭扮する大地主の息子順吉が戦地から帰ってくる、待ち焦がれる浅丘ルリ子の小雪は瀕死の床にあり、順吉の帰りを急ぐ足と、息絶え絶えの小雪の顔が交互に映し出される。やがて順吉が戻る直前に小雪は息を引き取る。そして亡くなった小雪に花嫁衣裳を着せて結婚式と葬式・・・・当時純朴な少年は大粒の涙で見ていたが、やがて映画が終わり館内に電気が点き、慌てて涙をぬぐった思い出がある。
 なぜか隣の席には女の子がいた。偶然ではなかった、当時中学2年か3年頃、しめしあわせて文化祭を抜け出していったように記憶している。思えばあれが初めてのデートとかなんだろう。
 歌謡曲の暗記に努力したり、サボッて映画を見に行ったり、あのエネルギーを勉強に向けていたら・・・60年も前の後悔ではある。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハッピーバースデー

2022-10-17 09:06:04 | いなか暮し

  庭の餌台で冬の餌のない間、いたずら雀どもに餌をやる。
 行儀の悪い雀は餌をこぼし、こぼれた餌は春になって芽を出す。やがて秋、大きな穂をつけたころから、かの雀どもが稗の穂を食べにやってくる。
 そして冬、再び餌をやる、心優しい頑固親父ならぬ、「頑固じじい」ではある。

 つい、数日前まではもうすぐだな・・・思っていたが当日、すっかり忘れていた。
 何気なく開いたスマホ画面に「〇〇さんお誕生日おめでとうございます」、あっ、そうだ今日は誕生日だった。
 スマホには時折、フォトも送られてきて何年も前の懐かしい写真に感動したり、タイムラインとかが送られてきて以前に自分が移動し、立ち寄った先までもがスマホにすべてが記録されている。
 器械のやったこととはいえ、よくできているとは思うが常に誰かに尾行されているようで、少々の薄気味悪さもないでもないが。
 幼いころ、悪さをすると「誰も見ていないと思っても神様が見てる」とよく言われたが、今では神さまの出番がない、現代はGPSとか各地に無数に設置されたカメラに見られている。
 便利な(便利すぎる?)世に生まれたものだ。

 朝、家人は誕生日に気が付いていないようだ。その日一日も田んぼに出て、秋の取入れに忙しく働いた。
 夕食、「おっ肴が豪勢だな・・」おまけに小さなケーキと、昨今、やみつきの徳之島の黒糖焼酎まで、誕生日のお祝いをしてくれた、やっぱり誕生日を覚えてくれていた。
 遠くに住む娘も「死ぬまで元気でいて・・・」と、ラインをくれた。
 同い年のアントニオ猪木さんは先日亡くなったが、同年代のバイデンさんは来期も頑張る様子らしい、健康寿命こそ大分過ぎたが、抱えた病と仲良く付き合いながら、これからも田んぼに出て頑張っていこうと思う。
 神さま、仏さま、お医者さま、やさしい看護婦さん、どうぞお守りください。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼ、もらっちゃった・・

2022-10-06 15:14:38 | いなか暮し

 今年もミニはせ(稲架)で稲藁を乾燥している。元旦に氏神様に備える「しめ縄」に新しい藁を使うために。
 我が家には石碑に刻まれた沢山の氏神様がいらっしゃる、山の神様、物置を建てるときに埋め立てた池の龍神様、良い水の湧く井戸を掘りあてたときの感謝の水神様、親類一族の繁栄を祈るお稲荷様、いずれも120年以上も前の建立・・年末、老妻が数日かけて、しめ縄をつくる。

 先年亡くなった知人の奥さんと、ご長男が「東京バナナ」みやげに訪ねてきた。法務局うんぬんを言うから、空き家と田んぼの相続の事だろうと聞いていたら話が合わない。
よく聞いてみると知人が残した田んぼをもらって欲しいという。
 空き家は欲しい人があって譲ることにしたが残った田んぼ、区画整理の時に私の田んぼと同じ区画に入れた分を貰って欲しいとのこと。

 農家は高齢化、後継者は減る一方、特にも水田農家は日本の人口減、老齢化等で米の消費量は年々減り、米価も下がり続けている。こんな情勢下で水田を増やしてお米を沢山作ろうという人も、まず見当たらない、近在でも昔、10a(300坪)100万超えと言う事もあったが50万になり30万になり昨今10万でも買い手がないとも聞く。

 知人は小さな農家に育ち、学校卒業後は上京し会社のトップまで登りつめて、そろそろ引退を考えていたようだ。
 いつか、故郷に帰って、両親の残した家や田んぼ、畑を耕やして、のんびりした老後をと考え、岩手の家の管理も業者に依頼し、いつでも住める状態にしていた。
 老後の楽しみに「我が家のルーツ」なども調べたいとも言っていたが、2年前急死、夢は消えた。
 残された家族は、農業はおろか時折の帰省以外岩手に住んだことがない。
 手入れの行き届いた家、屋敷は買い手があったが、いろんな規制のある田んぼはどうにもならない。
 思いついたのが今まで管理していた人に、登記、諸手続きその他の費用も負担して「さしあげよう」となったらしい。
 私以外の、もう一人、まとまった面積を管理している人もいるが「差し上げます」には苦笑していた。
 昨今、農家の若い後継者でも田んぼは、負の遺産ととらえる向きもあるらしい、田んぼは財産、広さは豊かさの象徴という時代もあったが、我が一代、僅か5、60年ほどの間に世の中変わってしまった。

 田んぼや畑、あげたとか貰ったという話は聞いたことがない、ただで貰っていいものだろうか?

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする