カンボジアの子どもの身長と体重

正臣会を2月6日土曜日にして頂くことになりました。
もう1年が過ぎ、時間の早さを痛感しています。
今回も「カンボジアの子どもたちの身長と体重」の話をさせて頂きます。
今年は、学生さん14名が参加し、大学のグローバル化の一環として実施されました。
久しぶりに若い皆さんと一緒に行動し、時代の変化も感じました。
他にも、カンボジアの教育界の動きなどを紹介します。

早川さんや磯貝さんの発表もあるとのことです。楽しみにしています。
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今年の正臣会

皆様

ご無沙汰いたしております。
最近また忙しくなり、更新をさぼっていました。
2月15日に、正臣会をして頂くことになりました。
当日発表の載せておきます。


カンボジアでの調査の経緯や様々なことは、後程報告することにします。


カンボジアの子どもの成長  2015.02.15.   金森正臣



カンボジアの子どもたちの調査のきっかけ
昨年の6月26日に、中部空港でお会いしたカンボジア教育省の長官たちとの会話から、カンボジアの子どもたちの成長の調査が始まることになった。
 丁度そのころ、愛知教育大学では、カンボジアのNIEとの学術交流協定が進められていた。
 この結果、NIEとの学術交流協定の中の課題として、「カンボジアの子どもたちの成長を調査」することが大学内で認められた。

調査の実際
 調査期間は、2015年1月4日ー16日の間。
 調査者は、大学から6名の先生、ほかに金森がアシスタント。最初の3日間は、後藤ひとみ学長、清水秀己センター長、伊藤事務官も参加、総勢10名。現地では、長沼名誉教授も参加。
 カンボジア側からは、NIEからマン・チャンセン、ホー・キム(両名とも、愛知教育大学修士課程に留学経験あり)がカウンターパートとして参加。他に、カンボジア語ー日本語通訳2名。

調査日程
 1月5日午前。カンボジア教育省に、担当のキム・セタニー長官を訪問。実施に関する各種協議。愛教大学長から提案があり、カンボジア側でもNIEの中に養護教育課程を作ることに努力するとのこと。
 午後は、NIE付属小学校で調査開始。男女に分かれて調査し、約3時間で120-130人ぐらい調査できることが分かった。この結果、今回は中・高等学校の調査は断念し、小学校に限定。夜は調査結果の入力や写真のプリントアウトに追われる。
 1月6日午前。JICA事務所訪問。井崎所長、次長、教育担当者と懇談。調査の概要や今後の方向について意見を交換。その後名古屋大学のカンボジアオフィースを訪問。
 午後は、NIEの付属小学校の続きを調査。昨日と合わせて362名(1年生から6年生まで、ほぼ全校生になる)の調査を終了。
 1月7日は、カンボジアの祝日。プノンペン解放記念日で調査できず。虐殺博物館など市内見学。
 1月8日午前、午後。プノンペン市内のチャトモック小学校において調査。大きな学校なので、各学年2クラスだけを調査。325名の調査を終わる。
 1月9日午前。プノンペンから地方のプレイベンに移動。州の教育局を訪問。
 午後、プレイベンPTTC(小学校教員養成所)付属小学校の調査。
 1月11日午前。プレイベンPTTC(小学校教員養成所)付属小学校の調査。昨日と合計でほぼ全校生の396名を調査。
 午後は、かなり田舎のクミチャイミヤ小学校(日本から、千葉県松戸市が応援していた)の調査。
 1月12日午前。クミチャイミヤ小学校の調査続き。ほぼ全校生285名を調査。
 午後はプノンペンに戻る。
 月13日ー15日。シェムリアップに移動し、シェムリアップPTTC、アンコールクラウ小学校、バイヨン中学校などの見学。アンコールワット、アンコールトム、バンティアスレイ遺跡、地雷博物館なども見学。
 15日夜行便で、中部空港に帰国。

調査結果の概要
 児童の成長は、地方の貧しい農村は、遅れている。
 各学年の年齢構成は、地方ほどばらつきが大きい。
 問題点として、年齢が不確かであり、今後調査の継続によって正確さを高める必要がある。

今後の課題
 大学はまだ国際化に慣れていない。今後様々な教官が外国を体験し、学生を外国に連れて行く力をつけないとならない。
大学がグローバル化として出てゆく場合に、特に相手国の観察や話し合いによって、相手国側に利益のあるプロジェクトを作る必要がある。観察不足、文化の不理解が目立つ。
文化の理解ができない原因として、自国の文化について十分な理解がなされていない。
 今後継続するためには、大学は十分な予算を持っていないから、外部から資金を得なければならないが、その方法に疎い。
 文部科学省に学生の派遣費用(インターンシップなどで旅費の半額程度出る)の請求、JICAの「草の根技術協力」などの資金を模索する必要がある。
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ご無沙汰いたしております

ご無沙汰いたしております。

正臣会が行われてから、もう2ケ月が経ちますがまだまとめが出来ていません。
皆様からご心配いただき、メールや電話を頂いています。
ご心配をおかけしていますが、元気にしております。
2月から始めたことが忙しく、時間が取れないために報告が遅れています。
3月24日には、10年ぶりに大学の卒業式にも出てきました。一緒に野外で遊んだ松田学長が任期が終わるので、お祝いを申し上げに出向きました。
またいずれ少し時間を取って書きます。
とりあえず、ご報告いたします。
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第11回 正臣会

第11回 正臣会  2014.1.25.


明日、13:30から、安城市市民交流センターで、11回目の「正臣会」を開いて頂くことになりました。
あれこれ迷いましたが、「生きる力」について報告させて頂くことにしました。なかなか決まらず、報告が遅くなりましたが、よろしくお願いいたします。
なお、後ほど会での報告をやや詳しく掲載する予定です。


生きる力を育てる

生きる力を育てることが注目されてから久しい。しかし物事が複雑なために、核心からズレルことが多い。
ここで言う「生きる力」は、生活科などで扱う生きる力とはやや異なる。


1)生きる力とは何か
 基本的には、食べること、性など本能的なものに依存する部分。
 しかし社会では、本能的部分は悪として、協調性が求められる。
 (動物は、群れを成す前には単独で生活しており、全ては自己責任で、善悪は無かった。群れを作るようになってから、群れを破壊に導く行動が悪となった)

2)本当の生きる力は、本能の行動に有る。
現在の日本の社会では、社会に対する協調性が強く求められ、本能の要求が押しつぶされている。そのために生きる意欲が弱い。途上国の子どもたちが生き生きと見えるのは、生きる力が押しつぶされていないからであろう
本能行動が前面に出ると、争いが多くなし、社会としては成り立たなくなる。そこで学校では、友人との協調が強調され、本能行動が抑えられる。


3)チンパンジーは、成長の過程で、本能をぶつけ合いながら仲直りをすることが見つけ出された(フランス・ドバール。「仲直り戦術」)

ヒトにも同じことが当てはめられ、仲直り戦術を獲得することが求められる。

4)喧嘩の必要性
仲直りを獲得するには、喧嘩をして仲直りをすることを繰り返さないとならない。
年齢的に精神状態や身体の発達が異なるから、順次学んで行く必要がある。
5歳ぐらいまでは、関節の成長が終わっていないために、拳などが柔らかい。殴っても大けがはない。
10歳を過ぎると、異性を意識するようになり、外聞を重要視する。人前で怒ってはいけない。
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偏平足


偏平足 2013.12.21.  金森正臣
この文章は、カンボジア日本人会の会報のために書いたものです。既にこの記事が発行されたあとですから、載せました。

偏平足 親の心配を防ぐ

カンボジアで発行されているフリーペーパーの広告に、タイの病院の広告があった。その中に赤ちゃんの足の写真があり、偏平足は将来、ひざ、ふくらはぎ、背中の痛みを発症する要因になると書いてあった。1歳から15歳の子どもは、無料で診断を行っていると宣伝している。更に、偏平足の70%は子どものころから形成されている、と言う記述もある。
これを読むと、自分の子どもの足を見た親は心配し、検診を受けようかと思うようになる。ここが病院の思うつぼであろう。偏平足は、赤ちゃんには普通の現象で、1歳の子どもの足を診断して、偏平足ですと診断するのは明らかに誤っている。足の裏が、アーチ形になるのは、歩き始める1歳ごろから5-8歳ごろまでに徐々になるのであって、1歳児ではほぼ全員偏平足である。この様な現象を説明せずに、親の不安を煽って、病院に導くやり方は、日本では明らかに問題になる。

もう35年も以前に、住んでいる隣の市にある小学校に良く行っていた頃、2年生の担任のベテランの先生から相談を受けたことがある。「最近、偏平足の子どもが多いような気がする」と。それまであまり関心を持ったことがなかった偏平足について、以前に勤めていた大阪市立大学医学部の小児科の先生に相談してみた。結果は、小さい時は足の裏は平らで、2歳ごろから足の裏のアーチが形成されることが判明した。これは解剖学的な機能性を考えると明らかで、直立するようになって、足を使いだすと、足の指を引っ張っている足裏の筋肉が発達し、先端の末節骨(指の先端の骨。爪がある節)や中節骨(指の先端から2番目の骨。但し親指は2節しかないから、2節目は基節骨と呼ばれる)が引っ張られるようになり、アーチ形が造形されてくる。さらに運動することによって、アーチ形は高くなり、素晴らしい弾力を持つようになり、長時間の歩行に耐えられるように進化する。偏平足の子どもの多い原因は、靴やスリッパを使うことによって、足の指が十分に使われず、足の指が足のかかとの方に強く引かれる機会が少ないと考えられた。小学校では、このことを話して、草履か素足で生活するように指導した。もちろん怪我をする可能性が高くなるので、父兄にも目的と方法を通知し、理解を求めた。2年後の5年生の時には、偏平足は10%以下に減り、大きな問題にはならなくなった。これは訓練の成果と子どもの成長による結果であって、素足がどの程度効果を発揮したかは明らかではない。しかしその年の他の学校での5年生の偏平足率は、指導した学校より数%高かったように覚えている。
素足で生活する習慣をつけると、意外なところに効果が表れた。子どもたちはそれまで、教室の床が汚れていても、さして気にしていなかった。素足になると、床の上の埃や汚れ(給食をこぼしたものなど)が気になりだし、掃除を頻繁にするようになった。父兄からも、子どもに指摘されて家の廊下の汚れがきれいになり、子どもが良く掃除をするようになったと報告があった。もっと驚くことは、風邪をひいて休む子どもが明らかに少なくなったことである。これは保健室の先生から指摘され、調べてみると、素足になり始めて3か月ぐらいで効果が表れている。冬になっても靴下をはかない子どもも増え、明らかに子どもの健康状態が良くなった。以前の小児科医に報告すると、多分足の裏の刺激で、体の活性が高くなり、いろいろなことに対応する能力が高くなったのであろうとのことであった。確かに、足の裏には、色々なツボ(日本式・中国式のマッサージや針、お灸の効果的な場所。多くは、リンパ液の流れる交差点に当たる。中国の医学は、生きた人体の解剖:黄帝の捕虜の解剖から始まっており、リンパ液の動きを観察している。西洋の医学は、死体の解剖から始まっているので、リンパ液の観察は遅れた)があり、素足によって刺激を受け、体の活性が高まったのであろう。

歩き始めて間もない、ヨチヨチ歩きの1歳児では、足の裏は扁平が普通で、この段階で偏平足を診断することはできない。病院の宣伝にある「偏平足の70%は、子どもの頃から形成されている」と言う記述も、問題がある。確かに子どもの定義によるが、私の経験からすると、現在では7-8歳では30%ぐらいの子どもに偏平足は残っている。上のカッコ内の記述は、誤りではないが明らかに親の不安心を煽っている。この様な書き方によって病院の患者を増やそうとするような診療は、信用に値しない。手術や投薬はしないと書いてあるが、自宅でなるべく素足で歩かせることによって、この病院ぐらいの効果は十分に発揮できる。

私の子どもの頃は、靴などほとんどなく、小学校3年生の時(昭和23年、1948年)に50人ぐらいのクラスで、たった2-3足の長靴が配給になり、クラス全員でくじ引きをした覚えがある。教科書も2年生になって、同じように配給制で、各科目3-4冊が配給された。この様な状況では、草履や裸足であったから、偏平足などはほとんどなく、私が知ったのは大学生になって山岳部に所属してからである。足を締め付けることによって起こる、外反母趾も、履物の変化によって起こったと考えられている。その意味では、両者ともにある意味の文明病かもしれない。


写真1:ゼロ歳児の足の裏。一応アーチがあるように見える。
写真2:ゼロ歳児の足の側面。一応アーチがあるように見える。
写真3:中央の坊主頭の男の子と後ろの男の子は、偏平足。右側の陰になっている女の子も偏平足。3歳、5歳6歳ぐらいであろうか?この成長段階では、まだ偏平足とは判断が難しい。
写真4:左側の赤いシャツの女の子は、偏平足。右側二人は正常。この段階はまだ大人になってからの判定が難しい。
写真5:この子も偏平足。年齢は不明。まだ成長途上。
写真6:偏平足の簡単な判定。濡れた素足で、乾いた板やコンクリートの上を歩く。くっきりとツチフマズが出れば、正常。


「イタチの最後っ屁」です。これで終わりです。さようなら。
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いじめ問題 5 教育委員会の問題 はだしのゲン

いじめ問題 5 教育委員会の問題  2013.11.13. 金森正臣

「はだしのゲン」騒動から見る教育委員会の問題 

「はだしのゲン」の島根県の教育委員会の騒動は、どうやら収まった様だ。しかし今までのところ、教育委員会の手続きや開架図書か閉架図書の問題などは論じられているが、肝心の問題は置き去りにされている。

 教育委員会の問題は、手続きの問題ではない。子どもの成長を理解していない先生たちの問題である。いじめにも共通する。
 今回の問題の発端は、教育委員会が市民から「はだしのゲン」は、残酷な描写が有り子どもにはふさわしくないと意見を出され、閉架図書に移したことに有る。なぜ閉架図書に移したかを考えると、教育委員会が子どもには残酷な描写はふさわしくないと考えたからであろう。残酷の描写にもいろいろあるが、「はだしのゲン」は、戦後の当時に有った現実を子どもたちに伝えて、戦争の現実に目を向けさせることに有る。故意に残酷や性的描写によって子どもを刺激して、興味をそそろうとしているのとは異なる。私もかなり以前に読んだだけで、記憶は曖昧であるが、それだけに残っている印象は長い時間に消化されて、全体として誤ったものでは無く、作者の意図がハッキリとしている。
 その作者の意図と教育委員会の解釈の相違は大きくないと思われる。しかし、教育委員会の先生たちは(多くの教育委員会は先生で構成されている)、子どもに残酷な本を読ませると、残酷になると思っている点である。
 犯罪でしばしば、何かの本の手口を真似て犯行に及ぶ例が有る。だからと言って、犯罪がその本の影響で起こったわけではない。犯罪を起こす素地を持った人が、何かの不満を発散するために機会を伺っていて、たまたま本の手法を真似しただけである。異なる本に出会っていると、異なる手法で行ったであろう。犯罪に至るのは、本によって起こるのではなく、その成長の過程に起こっている。本は実際には犯罪を引き起こす誘発剤にはなっても、その根源にはなっていない。「はだしのゲン」を子どもたちに読ませても、残酷にも犯罪者にもならない。もし成ったとしたら、それは本の影響ではなく、生育過程に受けた他の状況によるであろう。
 そこのところを理解できなくて考え違いをすると、今回の様な対応になろう。

 教育委員会は、いじめ問題についても、ただいじめを無くすことだけを考えており、どの様な経過でいじめに至っているかは、深く考えられていない。またどこの社会にもいじめはあり、子どもの成長に一定の役割を果たしていることも理解されていない。
 そもそも、いじめは悪であると言うが、善悪の起源も、その本質も考えていない人が多い。善悪の起源は古く、ヒトがヒトとして独立する以前から存在する。動物は初期には、各自が独立して生活しており、群れは持っていなかった。単独で生活している時には、生存は全て個の責任であって、どの様な方法かで生き残らなければならない。この段階では、善悪は存在しない。全ては自己の責任である。ところが進化が進むと、群れが誕生する。母子による群れとペアによる群れが起源であろうと推測されるが、他にも起源が有るかもしれない。群れが出来ると、善悪が生じ、群れを維持できなくする行動が悪になり、群れを維持する妥協が善となる。群れを維持する妥協と書いたが、個はそれまでの自分の生存のために何をしても良い状態から、群れのメンバーと共に生きる道を選ぶようになった。自分を生存させるための行動は、本能であり、餌を自分のものとする行動やセックスである。群れを作ると、多くの群れのメンバーとこの点で衝突が起こる。そこを妥協して群れのメンバーとして、群れに依存するのがメンバーの役割となる。その行動を妥協と表現したのである。チンパンジーの群れを研究したフランソス・ド・ヴァールは、「仲直り戦術」(どうぶつ社:1993)を書いた。チンパンジーは、生きる力となる本能を消失することなく、衝突した後に仲直りをする手法を手に入れ、大きな群れを保っていると述べている。この研究は、ヒトの成長を考える上で、重要な示唆に富んでいる。現在の子どもたちの成長環境を考えると、ほとんど真面に喧嘩をする機会がない。喧嘩は悪であると決めつけられて、直ぐに大人の干渉の対象となる。このことによって子どもたちは仲直りの方法を手に入れられないまま、大きくなり力が強くなる。大人の目から逃れる知恵が付いたころには、既に力が強くなっており、一方的にいじめる結果になり、自殺も起こり易い。まだ小さい時から、喧嘩やいじめを体験することによって、その対処法が手に入ってくる。その機会がないまま大きくなることが、現代の子どもたちの大きな問題である。
 もう30年ぐらい以前だったと思うが、ある小学校に教育実習生の研究授業を見に行った。体育の4年生の授業で、バスケットボールを使ったゲームが行われ、いくつかの班に分かれてした結果、ある班で意見が衝突して喧嘩になった。実習生はあわてたが大きなことにはならず、終了した。校長先生や教頭先生と校長室で話した時に、校長先生は、担任が左翼系で普段の学級経営がなっていないからあの様になると、憎々しげに言った。私は全く違う感想を持っていたので驚いた。子どもたちが喧嘩を始めても、担任はあわてていなかった。子どもたちはそれだけ伸び伸びと自分の感情が出せ、最後には仲直りが出来ていった。その担任の度量の大きさに感激して帰って来た。しかし、校長の子どもの成長に関する感性の悪さは、後味が悪く今でも鮮明に覚えている。教育委員会は兎角この校長先生の様に、事なかれ主義がもてはやされる傾向が有る。このようは問題が、「はだしのゲン」についての、松江の教育委員会の対応にも表れているように思われる。
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フンコロガシ


この文章は、カンボジアンの日本人会会報のために書いたものです。
 2013.10.03.   金森正臣

フンコロガシ

 世の中には様々な商売があって、糞を研究している人がある。そもそもフンの研究と言っても様々で、実に多様である。

 動物のフンは様々で、皆さんが知っている物を思い出して頂ければ、多様性が分かる。と言っても普段あまりフンに興味の無い皆さんは、すぐには思い出せないであろう。牛は歩きながら、ベタベタと言う感じで柔らかい塊を道路に落として行くが、乾燥すると繊維質が残り、アフリカなどでは燃料や家の壁の材料になる。これがどの様に使われるかは、それぞれの文化を反映しておりそれだけでも面白い。同じ草食動物でも、ヤギやウサギになると形状が全く異なり、コロコロと粒状になって出てくる。小さかった頃、誰かがヤギやヒツジのお腹の中には小人がいて一生懸命に団子を作っているのだと言ったことがあって、信じていた時期があった。それにしても、ヤギやヒツジは、外に連れ出して草を食べさせ始めると、食べながらポロポロと落として行くので、口から肛門まで草が詰まっていて、食べると後ろから出さなければならないのかと思っていた時期もあった。同じ草食動物でも、ゾウになると巨大で硬く始末が悪い。草むらに転がっているのを見落として走ると、けつまずいて怪我をすることもある。腹を立てて蹴とばした奴が、捻挫をしていた。とにかく硬くて大きいので始末が悪い。でもこれを大好きなシロアリがいて、地面の下から食い始めて、一晩で食い尽くしてしまったりする。そのシロアリは、ゴマのような小さなフン粒に再生する。ゾウのフンは硬い繊維が多く団子にならないので、フンコロガシが使うことはできない。草食動物だけ見てもこのように多様で、現象として面白い。

 フンの研究となると、面白がってもいられない。肉食動物は用心深く、なかなかその姿は確認できないが、フンからその存在が確認できる。肉食動物のフンは、する場所にも特徴があって、イタチやキツネは、見通しの良い場所でする。肉食動物は消化の良いものを食べているから、残りかすは少なく、フンが硬くて出にくくなる。フンをしている時と交尾をしている時は、最も不用心になるので、見通しの良いところで敵がいないか確認しながらしているのではないかと思われる。ヨーロッパ人は肉食の習慣のために直腸へのフンの滞留時間が長いので、野菜をよく食べる人たちより(昔の日本人)、直腸癌が多いと言われていた。逆に植物質の多い日本人は、食物が胃に滞留する時間が長く、胃酸過多や胃癌が多いと言われていた。また、腸管が長くなるために、胴長な体系になり、短足に見える。現在では、食習慣が変わってきて、かなり差が無くなって来ている様だ。

 動物が何を食べているかを調べるのは、なかなか大変な作業である。しかしどの様に生きているか(生態学)を調べるには不可欠な要素になる。フンは、何を食べたかを集積しており、調べることによって食性が明らかになる。しかしこれにも落とし穴があって、動物タンパク質などは、消化が良いのでフンには出てこないことが多い。ニホンザルの食性を調べていた時に、秋には昆虫を食べている様であったが、なかなか見つけられなかった。しかし、フンの中にコオロギの目玉やバッタの足が出てきて、田んぼの脇の捨てられた稲藁をかき回していた状況が理解できたことがある。稲わらの山には、コオロギが良く集まっていることと一致した。このようにフンの内容物から、不明だった行動の意味が明らかになることもある。

 チンパンジーでも、よくフンを探し回った。表面についている腸内細胞から、遺伝子を採集しDNAレベルで、群れの間の個体間の関係を調べることが出来る。かなり離れた地域の(例えば、タンザニアとザイールやウガンダのチンパンジー)遺伝子から見た近縁の関係なども理解できる。私たちが新たに発見したタンザニアの一番南の地域に分布するチンパンジーは(アフリカの大探検時代以来の150年振りぐらいの最南端分布の発見であった)、タンガニーカ湖の南回りできたのか、それとも北回りでウガンダあたりのごループと近いのかなども、ある程度予測が付く(まだ解明されていないが)。
 DNAの他にも、フンの内容物から食性などが分かることが多い。基本的にはフルーツ食であるから、出てきた種の分析になる。そのためには、チンパンジーの食べそうな果物は全て採集しなければならない。果実からその種子の取り出しも、なかなか難しいことが多い。粘着質の果汁などに覆われていると、洗うのも大変である。川に出たときのキャンプで、一つずつ採集していると、アフリカにいることも、フィールドにいることも忘れていることが多い。ハチなどに刺されたり、マングースが顔を出したり、ライオンに吠えられたりして初めて我に返ったりする。チンパンジーは昆虫食もしており、アリ塚からアリを釣り出して食べる行動が、道具使用行動として知られている。しかし、アフリカの西部に生活するギニアのボッソー村に生息するチィンパンジーは、アリを食べていない。もちろん東のザイールやタンザニア・ウガンダと同じように、アリ塚はあるのであるが。これらのことは観察だけでは確認できないが、フンなどの研究によって、食べないことを補足的に強化することが出来る。

 フンコロガシは、ファーブルの昆虫記に出てくるので、多くの人々に知られるようになった。日本では、ダイコクコガネと呼ばれている仲間である。カンボジアにもフンコロガシがおり、時々見かける。主にスイギュウのフンを使っているらしく、スイギュウの多い地方で見かける。クラチェやコンポンチャムで採集したことがある。夕食をオープンエアーのレストランで食べていると、明るい光に誘われて飛来し、テーブルの上に落ちて来たりする。体のあちこちにフンを付けているし、ほのかに匂いもする。あまり食欲が減退しないうちに、とりあえずペットボトルのビンに取り込み、後ほどアルコール漬けにする。
 もう30年も以前になるが、吉川久美子さんと言う、タイの北部で山岳部族のカレンの研究していた友人がいた。彼女の本には、カレンの村に住み着いてしばらくしてから、夕食時に暗闇の中で出されて食事をしていた時に、フンコロガシを食べた話が書かれていた。硬い羽根は取られており、油で炒められていたので何だか分からなかったが、ほのかにフンの匂いがしたと書かれていた。味はまずくはなかった様である。動物タンパク質であり、エビ・カニと同じ節足動物に属するのであるから、うま味成分は同じ様なものであろう。カンボジア人は、何でも食べる人たちであるが、フンコロガシが食用になっているのは見たことがない。その意味では、何でも食べるカンボジア人もカレンに負けるかな。
エジプトのナイル川中部のルクソールには、「王のなかの王」と言われるラムセス2世が改修した神殿があり、この神殿の中にはスカラベ(フンコロガシ)の巨大なモニュメントがある。2メートル以上ある石の角柱の上に、体長2メートル近い石のスカラベが、デンと置かれていた。古代エジプト人は、フンコロガシが作ったフン玉から、新しい命が誕生することを不思議に思い(フンコロガシのフンの球を割って見ても、産み付けられた卵を見つけるのは難しい。いかんせんフンまみれであるから)、生命の神の使いであると思ったのであろう。ファーブルは、フンコロガシが子育てのためにフン玉を作っていることを解き明かして見せたが、古代エジプト人には、ちょっと難しかったようだ。ラムセスの神殿の対岸には、ツタンカーメンの墓などのある王家の谷がある。


写真1:フンコロガシ
写真2:カンボジアの食材にも昆虫は多いが、フンコロガシは見かけない。
写真3:カルナック神殿のフンコロガシ(スカラベ)のモニュメント
写真4:スカラベの装飾品
写真5:ヒエログリフにみられるスカラベ。左の囲みの中。 

写真は、2を除いて全て、本やネットからのパクリです。私のエジプトに居たのは、1981年頃ですから、記憶もあいまいです。
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環境教育の話題

環境教育の話題  2013.10.02.  金森正臣

 先日の夕食会の場所で、環境教育が話題になりました。その際に、自然保護の新しい考え方についてお話し、以前に書いた本の内容を掲載する約束をしました。家に帰って調べたところ、3.5インチのフローピーを使っていたころの原稿らしく、見つけ出せませんでした。書いた本は共著で、浅見輝男編著、「自然保護の新しい考え方」-生物の多様性を知る・守 古今書院 2006.6.6. です。絶版になっていると思いましたら、定価は2,800円で、現在もネット上でこのままで売られていました。

 この本は、私がまだ環境教育学会に所属していたころ、日本学術会議の自然保護研究連絡委員会の委員として第18期の委員会に所属していた9人のメンバーで書いた本です(本の発行は、2006年ですが、委員会にいたのは2000年頃です)。
 私が書いた趣旨は、現在の日本の状況を考えて、環境教育の方向性を書きました。環境教育と言うと、環境の要素や現象について教えることが多い様です。しかし現在重要なのは、ヒトの持っている遺伝子上のプログラムを十分に使えるようにするのに、環境が必要だと言う点です。食事会の時に、闇夜で焚く火や小川の遊びによって引き出されてくる子ども達の意欲や興味について簡単に話しました。これは、ハコ心理研究所をしていた亀井敏彦さんとした「野外塾」、愛教大の公開講座として実施したキャンプによる宿泊を伴った「野外塾」の経験から得たものです。
 ヒトの持っている遺伝子の情報は、経験を積むためのきっかけを持っていますが、それを十分に使わないと使えるように完成しません。意欲や興味は、繰り返し行うことによって次第に高くなるようです。そのきっかけとして、火を焚くことや水で遊ぶことが有る様に思います。いずれも、2-3歳から15歳ぐらいまで、次第に進化しながら意欲や興味がかき立てられて行きます。
 今後の環境教育の重要な点は、子どもの意欲や興味をかき立てるように環境を使うことであろうと思います。
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御礼

御礼  2013.10.01. 金森正臣

 帰国祝いの食事会を開いて頂き、頂き有難うございました。帰国後、「熱中症」はたまた小学生の時にした「熱射病」(この時は三途の川を渡りそうになり、回復に3週間ほどかかりました)になり数日動きが取れませんでした。でも次第に夜が涼しくなり、最近は快調になりました。

 久しぶりに皆さんにお会いして、何だか一時35年前の様でした。初めて教育大に伺った年のメンバーも来られて、急に時間が戻ったような錯覚でした。良いものですね、懐かしいメンバーと心おきなく話し合えるのは。

 その後、千葉に用事が有り1泊で出かけましたが、やはり都会は忙しく、そろそろついて行けなくなった感じです。多くの人が、携帯電話に縛られている様子を見ていると、テレビが普及し始めたころ、大宅壮一氏が、「1億総白痴化だ」と言ったことが今更新鮮に思えます。電車の中でも携帯に振り回されていると、物事を考える時間がないように思います。考えは繰り返し考え直すことで、少しずつ深化し、必要な物事の根本に近づくように思います。若い人の携帯依存も、新聞に報道されていますが、考えが浅くなり、直感的になって、真理を追究する深い思考が難しくなるように思います。

 御礼が遅くなりましたが、楽しい時間を有難うございました。皆様とまたゆっくりお話が出来る時間を楽しみにしております。若かった皆様も、既に中堅以上になっており、お忙しいことと思います。十分に健康に注意して、精進して下さい。
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マンゴーに反応

マンゴーに反応  2013.9.15.   金森正臣

 帰国してしばらくして、スーパーに行った。いろいろな商品にマンゴーが入っていて、なんとなく反応してしまった。今でもマンゴーの味は大好きなのだが、やや飽きが来ていて、カンボジアにいる時には、ほとんどマンゴーに反応しなくなっていた。

 最初にマンゴーに出会ったのは、コロンビアの調査の時だったと思われる。スーパーで買ってきたマンゴーとチーズやハムで、ホテルで夕食にした覚えがある。地方に出ると、いたる所にマンゴーがなっていて、現地のガイドは勝手に取って私に食べろと渡してくれた。人のものを取っても良いのかといささか気になったが、調査基地になった小さな町では、公園でもマンゴーが沢山熟れて落ちており、乞食さえもマンゴーは相手にしなかった。私は、2-3拾って食べてみたが、完熟マンゴーの味は格別旨く、時々拾って食べていた。乾季がないコロンビアの低地の町は、一年中マンゴーがなっている様であった。

 アフリカでは、調査をいつも乾季にしていたので、マンゴーの花に出会う程度で、ほとんど食べることはできなかった。乾季が終わり1-2ケ月経たないとマンゴーは熟してこない。カンボジアに行ってしばらくは、マンゴーを良く買って食べていた。以前のブログにも、朝食にマンゴーを食べている写真を載せたことが有る(写真1:マンゴーの朝食,2006年頃)。市場でもよく写真を撮っていた(写真2:市場にて、2006年頃。アップルマンゴー)。しかし数年が過ぎると、あまりマンゴーに反応しなくなった。地方に出たときに、1ドル買って、多すぎて困ったり(大きなのが10個も来たことが有る)、毎年もらうカウンターパートの家のマンゴーが多すぎたりして困っていた。

 帰国してスーパーでマンゴーの入った食品を見ると、なんとなく反応して買ってしまう。カンボジアでは、マンゴーの品質が安定せず、加工がなかなか難しい。マンゴーピューレやペーストにすると、輸出が可能であると思われるが、品質の問題のクリアーが難しい。自家用で使う分には問題がないのだが。


写真1:マンゴーの朝食。マンゴー、パパイア、スイカ、日本からの栗羊羹。
写真2:市場で見かけたマンゴー。アップルマンゴーも時々ある。
写真3:市場にて。2004年。
写真4:マンゴー味のコンニャク。低カロリー食品?
写真5:マンゴーのカルピス味のジュース
写真6:マンゴーとリンゴのジュース

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いじめ問題 4 如何に生きるか

いじめ問題 4 如何に生きるか  2013.8.28.  金森正臣

 大学の教官になって、もう50年が過ぎた。高等学校・大学時代は先生だけには絶対にならないと思っていた。それは父親の姿を見ていたこともあったが(私が小学校に上がる前の年まで小学校の先生をしていた)、同じことを何回も児童に教える仕事が、私に合っていると思わなかったからである。そこには先生の仕事についての誤解もあったし、無理解もあった。また、ヒトを相手にする仕事も、好きではなかった。

 学校における先生は、大学を卒業してすぐ一人前として扱われる、なかなか難しい職場である。現在学校が様々な問題を抱えているからという意味ではなく、お山の大将になりやすいからである。様々な研修などが組まれているが、クラスの担任を持つと、自分のお城になり易い。自分が中心で動かしている環境で、自分を顧みながら進むのは、かなりの難事である。結果として、自分自身を鍛えることに意思が働かないままに、時間が過ぎて行ってしまう。
 また、毎日の仕事が多く、授業の準備も十分にできないまま、時間が過ぎて行く。その結果、授業の準備を熱心にすることやその他の仕事をこなすことで、充実感を味わってしまい、自己の内面の成長にまで意識が回らない。
 先生達には様々な研修機会があるとは言え、同じ世界の人間同士の年長者が講師になることが多く、異なる世界の価値観を広く理解するには至らない。自分の人生を振り返って見ても、全く異なる世界に入った時にそれまでの価値観が通用しない場面に出会う。そのことによって、自分の人生の価値観を見直さなければならなくなり、別な世界に足を踏み入れる。先生の世界は、その機会が少ない仕事場と思われる。
 学校の先生は、教育公務員として保護されており、大きな失敗がない限り、失職することは無い。そのことを意識するかどうかは別にして、守りに入り易い。守りに入ると、自分自身を鍛えることには遠くなる。

 人生を簡単に要約すると、生まれて来て、生きて、死ぬのである。この普遍的事実から出発して、物事を考える必要がある。何時も変わりやすい他人の評価などから、自分の人生を考えていたら、真の事実にはたどり着けない。しかし、先生の職場は、人からの評価に晒されやすい職場でもある。クラスの保護者からの場合もあるし、同僚からの場合もあるし、教育委員会からの場合もある。クラスにいる時は、一国一城の主であるが、教員組織の中で働いていると、孤立してしまうのも苦しい。カンボジアで見ていると現職で教育支援に来る先生の中に、明らかに学校に不適応で一時避難場所として来ている方もいる。もちろん多くの現職の先生は、自分の見聞を広めるために来ており、人生の上で、またその後の教育の上で大いに有効であろうと思うことも多い。
 この様な先生たちの世界に振り回されて、自分の進むべき道が変化すると、人生にも教育にも当然大きな影響が出る。子どもたちもモデルにならない先生はきちんと見抜いており、先生自身が苦しむことになる。派手なパホーマンスを披露して、子どもたちの人気を取ろうとしても、ほとんど無視されることになる。その結果先生自身が不登校になり、結果的に続けられなくなった方も、かなり多く知っている。やはり子どもたちには、先生自身が自信を持てる人生を示してこそ、教えることが伝わるようになる。教育と言うのは、自分作りの仕事だと私は思っている。

 何の仕事をしていても同じだと思うが、どの様な人生をするかは、個人の責任の問題出ると思われる。およそ700年前の一遍智真上人の言葉にも有る様に「一人生まれて一人死す・・・」のである。誰の責任でもない、自分自身だ。
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帰国 

帰国  2013.8.18.  金森正臣

 皆様
ご無沙汰いたしました。1999年2月から関わってきましたカンボジアの教育支援を終了し、8月7日の朝に中部空港に帰国いたしました。今後は、公益財団法人CIESFの理事として、国内において非常勤で支援することになりました。

帰国時の機内で風邪を引き、おまけに日本の暑さに参り、しばらく休んでいました。ようやく体調も良くなりつつあり、活動を再開しました。このブログについても今後どの様にするか、まだ何も決めておりませんが、とりあえず帰国の報告です。

最初に調査に出たのが、1980年11月に韓国の非武装地帯のすぐ南側でのネズミ調査でした。以来、各地で調査してきました。しかし自分の調査・研究とは異なり、999年2月からは、カンボジアで教育の支援を行ってきました。

今回、無事帰国し、今後はゆっくりと休みながら、老後を楽しみたいと思っています。多くのご支援を頂いた卒業生の皆様・関係の皆様に感謝いたします。
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四度ゾウコンニャク

四度ゾウコンニャク  2013.7.24. 金森正臣

帰国も近くなり、残したことに追い詰められ、しばらくご無沙汰でした。先週は、シェムリアップで農村の調査をしていました。

観光の中心、アンコールワットの北、アンコールトム(トム:大きなの意味)の堀に接しているアンコールクラウ村で調査をした。アンコールトムは、4Km四方ほどの堀に囲まれ、いくつもの遺跡を含んだ(バイヨン寺院、王宮跡、ゾウのテラスなど)遺跡である。アンコールクラウ村は、遺跡修復の石工たちが多くいる村である。貧しい農村のために、中学校は無く、現在地元のNGOである、JST(早稲田大学の修復チームの、現地代表者が作っている。奥さんは日本人で、一級建築士)が支援して現在中学校を建設中である。他にもJSTは、子どもたちの栄養補給のために、時々お粥などを小学校で、提供している(写真1の小学校)。愛知県のNPO法人「オアシス」も支援していることを知って、偶然に驚いた。愛知教育大学の岡崎付属中学校の副校長を長らく勤めて頂いた、足立先生が理事長をしている法人である。

このアンコールクラウ村の調査中に、ゾウコンニャクを確認した(写真2)。以前に報告したものより小さいが、この地域では、ゾウコンニャクの若芽を野菜として使っていると言う。写真を見ると、若芽が摘まれたために芽が分裂して複数出ている。若芽を食べると言う情報は、初めてである。イモの方は、手がかゆくなるので食べないと言う。これは日本でも、コンニャクを作る際に皮むきをしても手がかぶれるのと同じであろう。2009.12.25.に書いた記事の時には、イモをカレーに入れて食べると言う情報はあったが、若芽は食べていなかった。その後に書いたゾウコンニャクの2つには、食用にすると言う情報は取れていない。これは、地元の人に聞く機会がなく、利用方法が分からなかったからである。今回の村と、おそそ150㎞ほど離れた村では、利用方法が異なっている。

 日本でも、山菜の利用に関して地域によって異なることがある。私が最初に赴任していた長野県の菅平では、アザミの茎は食べていなかった。しかし北アルプスの鹿島槍ヶ岳の麓にある、鹿島川の一番奥の集落では、アザミの茎を多用していた。季節には茹でてすぐに食べ、さらに塩蔵して冬まで食べていた。隣の白馬村でも、同じように食べていた。菅平でも食べてみたが、同じような歯ざわりであるが、味は北アルプス山麓で食べたほどではなかった。同じようなことは、フキノトウでも言え、北アルプスの山麓のものは、苦みが少なく、お浸しにしたり天麩羅にしたりしておいしかったが、菅平のものは苦みが強かった。同じように、愛知県にきてから、学内にタラの芽があり、良く食べていたが、菅平で食べるほど美味しくなかった。
この様な山菜の味の異なりは、気候の違いによることが多いと思われる。アザミやフキノトウの場合には、雪の多い北アルプス地方では、残雪が5月中旬まであり、既に気温は上がっており、雪融けの脇でとっているので、1-2日で10センチぐらいは成長する。菅平など雪の少ない所では、4月中旬には雪がないが、まだ気温が低いために植物の伸びはゆっくりで、10センチぐらいになるまでに、2週間程度かかっている。この間に光合成はゆっくり進み、苦みなどの成分も増えると思われる。短期間で成長すると、根に持っている養分を、分子量の小さい糖分にして移動させるために、味が良いと思われる。

ゾウコンニャクの場合には、気候的にはあまり変わらない地域であるから、雪融けの山菜のような、特別の相違はない。日本では、キノコに関しては地域差があり、同じ種類でも地域のよっては食べない。きのこ図鑑を書いていた今関六也氏によると、地域によって成分が異なり、あたることもあると言う。一緒に毒キノコである「ベニテングダケ」を食べたが、1-2本であれば大丈夫だった。ベニテングダケの毒成分は、水溶性であり、紫外線によっても分解されるので、茹でて水に晒すか、裂いて天日で干すと食用になる。ゾウコンニャクが、地域によって成分が異なるとは思えないが、単に地域の食文化の相違であろうか。
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三たび、ゾウコンニャク

三たび、ゾウコンニャク       2013.7.8.  金森正臣

 教員養成校の卒業生の学校見学のために、プノンペン市内ではあるが、メコンをフェリーで渡り対岸の中島に向かった。MTTC(プノンペンの小学校教員養成校)の卒業生の学校を、日本から派遣のアドバイサーの先生が訪問するのについて行った。以前にこの島に行ったのは、もう10年ほど前になると思う。当時は、織物の盛んな村で、観光客の休息所が、メコンの流れの中に小屋を建てて結構にぎわっていた。しかし、その様子はすっかり変わり、機織りは少なくなり、観光客の数も少なくなっている様だ。機織りは、出稼ぎが多くなり、衰退していると言う。観光客も、フェリーが相対的に不便になった(他の場所が、交通事情が良くなった)ために少なくなっていると言う。また、島の中の食事は、あまり工夫されていないことによる、観光客の減少もありそうだ。

 島の中央を横断中に、道路脇の藪の中に、コンニャク様の植物を発見。停車して、確認して写真撮影。ヤシの仲間と思われる藪の中に生えていた。従来見てきた環境とは、かなり異なるようであるが、確かに「ゾウコンニャク」である。島であり、メコンの増水の時期には、水が来る恐れはあるが、しばらく浸かる様な状況にはないであろう。この様な環境にも、「ゾウコンニャク」があることを考えると、多分カンボジア全土に広がっている植物と思われる。


写真1:メコン河の島で発見した「ゾウコンニャク」生息地付近の環境
写真2:「ゾウコンニャク」の葉
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カンボジアの少数部族

カンボジアの少数部族  2013.7.7.  金森正臣

 久しぶりに、カンボジアの東部のベトナムとの国境の山地の町、モンドルキリに出かけた。カンボジアにも山間部に、少数部族が住んでいる。山岳部と言っても、日本の山のように急峻ではなく、丘が連なっている程度である。標高は最高峰が、1000メートルぐらいで、居住地は300メートルぐらいから上部である。山間部に住んでいる少数部族は、いずれも2万人以下の少数で、2―3千人以下の人々もいる。知られているのは、数部族で多くはない。中にはゾウを使うことを得意とするグループもあり、今回行ったモンドルキリでも、レンタル・ゾウが観光資源の一つになっている。

 朝の市場に行った時に、少数部族の夫人が3人ほど物売りに来ていた。いずれも特徴のある籠を背負い、野生のシダや栽培品と思われるウリ科の植物(多分カボチャの仲間)のツルなどでる。想像ではあるが、少数部族は収入が少なく、市場でブースを借りることはできないのであろう。籠に荷物を入れ、各戸を回って売れば、資金は少なくてもできる。しかし担げる荷物は少なく、大きな売り上げにはならない。多分集落から数キロを歩いて来ているのであろう。町の端で見かけた米屋には、プノンペンでは見かけない破砕米(砕けた米)が多い、安いコメが売られていた。多分収入の少ない少数部族の方々のために、安いコメを集めて来ているのであろう。

以前にも書いたように思うが、少数部族は言葉もそれぞれ異なり、教育もなかなか難しい。教育の進まないことも、彼らの経済的発展を阻害している。しかし簡単な解決方法はない。今後金銭経済が浸透してくると(既にかなり進んでいるが)、周囲との格差が増すことをどうすることもできない。ムウウウー。ゴマメの歯ぎしり・・・。

 ある少数部族の集落に行った。まず目についたのは、小さなブタ(写真2)。体長は、60-70センチ、体重は30キロぐらい以下。大型犬より小さい。日本のブタは、150キロぐらいになるから、5分の一ぐらい。既に子どもを産んで連れて歩いていたから、子どもではない。大阪に居た35年ぐらい前の時代に、実験動物を扱っており、ミニブタを作ることが、皆さんの大きな関心ごとであった。この様なブタがいることが分かっていれば、もっと改良が早かったように思われる。ここの少数部族の家は、以前に行った少数部族の家より小さかったが、土の上に直接柱を建てること、壁は竹などで作り周囲が円形なこと、草ぶきの屋根などは共通であった(写真3)。集落の中には、水牛が沢山遊んでおり、水牛を使っている。しかし山の上から見た時に、水田は多くなく、何に使っているかは不明であった。一般に水牛は、水の中で働くのに適しており、コブウシは乾いた畑を起こすのに適していると言われている。ラオスのように、食用にしている(カンボジアではあまり食べない。一部、プレイベンでは、水牛のビーフジャーキーがある)のかもしれない。この集落の中には、初めて見るバナナがあった。カンボジアで見るものより大きな房で(日本で見る、フィリッピンのバナナより小さい)、草丈も大きく、果実の色は紫と黒の中間ぐらいの色であった(写真5)。まだまだ見たことのない種類がありそうである。



写真1:籠を背負い、市場で野菜を売る少数部族の夫人。
写真2:少数部族の集落にいたブタ。体重は、30キロ以下程度であろうか。
写真3:少数部族の家
写真4:水牛が多い集落であった
写真5:見かけたことのないバナナがあった


追記と報告
2007年7月7日の夕方、プノンペンで交通事故にあって、左足を骨折してタイの病院に運ばれてから、6年が経過しました。3年ほどは後遺症がありましたが、最近はほとんどなくなりました。お世話になった多くの皆さんに感謝です。2010年6月22日には、S字結腸癌の手術をししましたが、こちらも現在はほぼ後遺症なく回復です。そろそろカンボジアでの活動を終わり、8月には日本に帰国の予定です。
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