金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
春は花・・・
春は花・・・
昨日の雨にもかかわらず、カワズザクラが5分咲きになっていた。
しかし寒暖差が激しく、おまけに毎週のように病院の検査に通っているので、風邪を引いた。病院は、病菌の巣であるから。
でも散歩も出来、上々な日だ。
春は花・・・
春は花・・・
「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」は、永平寺の開祖、道元禅師の言葉。若い雲水(修業僧)に、座禅はいつが良いかと問われての返答。年中いつでも良いと教えた。
「形見とて なに残すらん 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじば」は、江戸時代に新潟に住んでいた乞食僧、良寛さんの歌。妹のぶ子から、何か形見をと頼まれて残した歌。
良寛さんは、曹洞宗で修行した坊さんであるが、その後僧籍も消されていて、乞食坊主として一生を過ごした。しかし多くの庶民が懐かしみ、今でも新しい本が毎年のように出る。
人生も終わりに近くなると、自然に任せて生きたいものである。
昨日の病院での検査
昨日の病院での検査
昨日、総合病院で胃カメラの検査を行った。
胃カメラは半日かかり、水分も採れないので、体調が崩れる。年齢やいろいろの病気で体力が落ちているので、直ぐには体調が回復しない。
年を取ると、いろいろ問題が起こるが、それでも毎日川のカモや公園の桜、ボケなどを楽しめるので、結構なことである。朝はまだ咲いていないが、オオイヌノフグリも咲き出したようだ。
健診の結果
健診の結果
先月30日に始まった各種検診が一段落して、今日その結果を聞いた。
切除したポリープ2つはあまり問題が無く、無事に済んだ。
しかし年男の年齢には、様々な問題が潜んでいて、別な問題が発覚。今後も継続検診となった。2月から3月初めまで続きそうだ。
CTスキャンで、胆汁の管に結石が見つかり、いろいろ調べることになった。長いこと使ってきた体は、まだまだ問題がありそう。
しかしポリープ切除後は、体調は良くなり、生活は楽になった。当分はこれで良しと言うところ。
混乱の日本
混乱の日本
親殺しや子殺しが、日常になって来ている。
社会が完全に壊れて、異常と思われる。社会の基本は家庭で、家庭が崩壊すると社会も崩壊する。
昔から家族内の殺人などが無かったわけではない。しかし最近は、毎日のように新しい家族内での殺人のニュースが流れている。皆さんはどの様に感じているのであろうか。
子どもの成長の異常が、既に親の世代になっていると言うことであろう。
日本人の多くが、まだ社会は右肩上がりに発展してゆくと考えているのではなかろうか。そろそろ限界にきており、人口が現在の半分ぐらいになるまで落ち込むのであろう。そうしてやっと正常な社会に戻るように思われる。
ボケの花
ボケの花
今朝の散歩で、ボケの花が咲いていた。これは園芸品種で、単なるボケ。
日本の野生種は、クサボケと呼ばれ、花では区別できないが、果実はかなり異なる。ボケの方は大きく立派だが香りは無い。一方クサボケの方は、少々小さいが果実の匂いは強く、窓辺に置いておくと秋中楽しむことが出来る。
散歩の公園にあるのは、残念ながらボケ。私の方もボケ満開だが、それはそれで楽しんでいるので良しとするか。今朝は、ケリが元気に鳴いていた。
今朝の散歩
今朝の散歩
今朝はかなり寒く、全面霜の中の散歩でした。しかしそこは愛知県のこと、既にスイセンが咲いていました。
長野県の菅平では、スイセン、フクジュソウ、ウメなどが5月の連休跡の週間ぐらいの間にそろって咲いていました。さすが愛知県、年を取ると温暖な地方が住みやすいです。
日本の発酵食の衰退
日本の発酵食の衰退
日本の乳酸発酵や酪酸発酵はひどく衰退しているように思われる。
私は、キムチが好きでよく買ってくる。しかし日本のキムチは、発酵がほとんど進まない。韓国製にキムチは、発酵が進み乳酸菌が働いているのが確認できる。最初に韓国に行った時に、高麗大学医学部の皆さんが招待してくれた店では、キムチのカメが30個ぐらいは並んでおり、進み具合が異なるキムチが楽しめた。しかしその後に何回か韓国に行っているが、自分ではその様な高級な店には出入りしていない。
日本製のキムチは、時間が経ってもほとんど変化はなく、乳酸菌が働いていない。
私は信州の育ちで、野沢菜の漬物が身近であった。何時も春には発酵して酸味が増し、炒めて食べたりした。しかし最近の野沢菜は、ほとんど発酵していない。寂しい限りである。沢庵や白菜漬けも同じで、酸味が嫌われているのであろうか。
乳酸菌の健康飲料などが宣伝されているが、食品がこのように変化していると、食品からの健康は遠くなるであろう。
鮒寿司
鮒寿司
2月3日に行われた正臣会の際に、太田先生から「鮒寿司」をお土産に頂いた。
実に久しぶりの対面で、40年ぶり位である。
昔菅平に努めていた頃に、宮田彬さんと言う長崎大学の熱帯医学研究所の友達が、持って来てくれたことがある。彼は彦根の生まれで、菅平では蛾の研究をしていた。長崎に行ってからは、寄生原虫動物の本を出している。菅平では、鮒寿司を食べる人はいなくて、私が美味しく頂いていた。
大阪に行ったからは、斎藤實(国際開発ジャーナル顧問)さんが、彦根で樽ごと注文してあって、よく分けて頂いた。その後はトント縁が無く、久しぶりに目にした。
因みに2月7日は、語呂合わせでフナの日であるそうだ。
私は諏訪湖の端で5歳まで育ったので、鮒には思い出がある。雨期になると諏訪湖の水位が上がり、周辺の田の水路に水が上がってくる。この時期には3センチぐらいのフナの子が群れを成して入ってくるので、これをザルですくって捉えた。母親が竹のざるを鍋に敷き、煮てくれるのが楽しみであった。
愛知県に来てから、西の方の川の多い地方では、「フナ味噌」と言う料理があって、フナと大豆をよく煮て、味噌のようになったものであった。大変懐かしく頂いたことを覚えている。
大雪の対策
大雪の対策
今日は東京で雪が降った。大雪は自動車の運行を妨げる。
その対策は、タイヤチェーンだけではなく、いろいろな手段がある。しかし実際にはあまり使われていない。私は13年間雪の世界で生活していた。毎朝1000mほど山を上るために、チェンなどは2-3分で装着できるようになっていた。
雪道の走行には、駆動輪(多くは後輪)を滑りにくくすることである。そのためには後部の荷台に、30㎏ぐらいの重しを載せることである。後は前輪の進むコースを見極め、ハンドルを切ればほとんど問題がない。テレビの動画を見ていると、ハンドルの向きがあまり適当ではない。これは経験かも知れない。しばしば逆にハンドルを切る場合もある。
« 前ページ |