環境にやさしく

環境にやさしく

 

SDGsなどが叫ばれているが、我々が実際にしなければならないことは、意外に身近なことである。

 

各人が使う物やエネルギーを、少し倹約すると世の中の動きはかなり影響を受ける。例えば、水を日本人は、湯水のごとく使うなどと表現し、多量に使うことをあまりし意識しない。しかしアフリカなどの乾燥地に暮らすと、かなり水の有難さが理解できる。5人ほどで1週間に、30リットルの水が6本しかないと、飲む水だけでも倹約することになる。水浴ができなくても、顔が洗えなくても、生きていけるのだ。日本では水道から水が出るから、つい蛇口を開け放しにするが、少し倹約すれば、使用料は少なくて済む。これは直接エネルギーの倹約になる。電気も同じで、こまめに消したり、無駄な時間を少なくしたりすれば、使用料が少なくて済む。各家庭で少し倹約すれば、電力会社は増設を足踏みすることになる。

 

炭酸ガス問題が取り上げられて、ガソリン車から電気自動車に進む傾向がある。しかしこれは誤りで、移動はなるべく人力でするのが本来。もちろん年寄になると移動が困難で、車に頼らなければならないことも起きる。しかし基本的には、代替えエネルギーを使うのではなく、使う量を減らす必要がある。食料も同様で、廃棄する部分を少なくする必要がある。また保存に多くのエネルギーを使うのは、あまり勧められたことではない。

 

今から50年ほど前に、地球上の人が使えるエネルギー量を計算したことがある。地球上には、80億から120億ぐらいの人口が養えると言う結果であった。しかしこれは分配が上手くいった状態での話で、生産された食料は分配が理想的になることは無い。紛争やインフラの発達の違いによって、配分は偏る。現にウクライナの紛争でも、多くの人々に食料が届いていない。これが地球上の現実である。各自がそれぞれ、自分のできる範囲からエネルギーを節約する必要がある。

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認知症と体調

認知症と体調

 

認知症にもいろいろあると思われるが、直線的に悪くなって行くわけではない。人間の体長の成長もそうであるが、成長したり短くなったり、揺らぎながら次第に成長して行く。

 

認知症も似たようなもので、その日の体調によってかなり揺らぎがある。皆さんがなってみてからじっくりと観察すると、その様子はなかなか面白い。

特に私のように、心臓を悪くして血の循環が悪くなっていると体調の良・不良の変化がある。昔から年を取ると、血の巡りが悪くなったなどと言っていた。それはいろいろと動作などが遅くなることなどを含めていた。そこに心臓が悪くなって、実際に血の巡りの量が少なくなると、様々な問題が起こる。食事をすると消化のために血液が使われる。30分-1時間程度はしんどくなり、ゆっくりと休むことが多くなる。少し無理をすれば、特に問題なく動けるが、そんなに無理をすることも無いので、ゆっくりとしながらいろいろ考える。

また疲労の回復などにも時間がかかる。例えば散歩をしてお茶などを飲んでいても、体が元に戻るのに時間がかかる。先日の新型コロナのワクチンも、副作用が強く、回復に時間がかかった。またいったん良くなっても、再び症状が出て、状態が悪くなり休むことになったりする。なかなか厄介ではあるが、状態を理解していれば、あまり困ることは無い。何しろ年寄なのであるから、時間だけは十分にある。

 

疲れが出て休むことは、意外とプラスの面もある。若い時のように、一直線に進まず、休み休みであるから、いろいろと余分なことを考え、誤りも少なくなる。体調が悪いと認知症も悪い様であるが、良くなるといろいろ思い出せるようになったりする。

 

認知症になっても、何も思い出せないわけではない。花などを見て突然昔のことを思い出して、楽しい思い出がよみがえることもある。また夢の中で、子ども時代を過ごしたヤマツツジの咲く田舎の村を、蝶になって浮かんでいるのなどは至福の時間である。

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空爆の記憶

空爆の記憶

 

私は小学校に上がる前に終戦になった。しかしながら5歳ごろの記憶が鮮明に残っている。当時諏訪に生活していたが、諏訪湖から20メートルぐらいの高台にあった家から湖面越しに岡谷市が見えた。岡谷には軍事工場があって、時々空爆があった。サイレンが鳴って空襲警報になると、座団を合わせたような「防空頭巾」をかぶって、防空壕に避難した。家から300メートル位離れた山肌に掘られた穴まで走って逃げた。

 

防空警報が解除されて、家に戻ると窓全体が明るく、岡谷の町が燃えているのが鮮明であった。後から焼夷弾などが落とされたと聞いた。幼いながらに、強い記憶として残っている。ウクライナの子どもたちはどんな恐怖を感じているのだろうか。私の場合には爆撃地が遠かったので音の恐怖は無かったが。

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新型コロナワクチン3回目 その後の木曜日

新型コロナワクチン3回目 その後の木曜日

 

月曜日は、終日ほとんどゴロゴロしていた。それでもかなり気分も悪く、火曜日もあまり調子が出なかった。

 

今日は木曜日であるが、やっと朝の散歩をした。少し食欲も戻り、何とか普通に生活できた。しかし頭の回転はまだ悪く(もっとも最近はいつもよくないが)、なかなか仕事にはならない。しかし何とか回復はしたようだ。

 

今朝の散歩道に、ボケの花が咲いていた。園芸種で花が良く咲き、果実が良くなる。私の子どもの頃に見ていたボケは、クサボケで日本の在来野生種である。園芸種より果実は少ない。しかしながら非常に良い香りがして、見つけると採ってきてきて部屋の片隅に置いていた。園芸種の果実は、香りがなく、部屋に置くには適さない。

 

そんなことが楽しめるようになっただけましか。

 

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新型コロナワクチン3回目

新型コロナワクチン3回目

 

昨日日曜日の14:00に、刈谷の保健センターで打ってもらった。

 

直後は何の問題もなく、家に帰って2時間。だんだん調子が悪くなり、打った肩も痛いし、首筋も痛い。

 

おまけに反対の肩も痛くなり、早々に休んだ。しかし夜中もよく目が覚め、そのたびに痛さを感じていた。今朝は散歩もせず、朝食の後にすぐ休んでいた。

 

しかし昼食も食欲がなく、何にも食べられなかった。ちょっと体力が落ちていて、重症かな。以前に黄熱病のワクチンで、少し長引いたとことがあったが。今日は急に気温が上がり、体調も良くなかったかもしれない。

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スズメの涙

スズメの涙

 

東北の震災から11年が経つ。当時私はカンボジアに居て、日本の状況はあまり知らなかった。しかし大被害であったことはカンボジアにも伝わり、いろいろな人が支援の輪に参加していた。

 

既にかなりの時間が経ったが、いろいろな情報を見ていると、復興が大きく進んだとは言い難い。福島などでは、まだ帰れないところも存在する。

 

それでも買い物の時には、東北産のものを選ぶようにしている。老人2人の買い物などは知れたものであろうが。

 

スズメの涙と思いながら。

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沖縄の返還50周年

沖縄の返還50周年

 

沖縄にはいろいろの思い出がある。今から60年ぐらい前の学生時代に、代々木上原の安アパートに住んでいた。それでも大学に入って、アルバイトも出来、浪人中よりは大分良いアパートであった。

 

向かいの部屋に、早稲田と東京教育大学の大学院生が住んでいた。現在のように、学生が個室などは望むべくもなく、複数で一部屋を借り、経費を安く抑えているのが普通の時代である。前の部屋の大学院生は沖縄に出身で、いずれも歴史学を専攻していた。

時々一緒に集まって夕食などを共にし、酒などを飲むことがあった。その時に、沖縄に帰ると船を降りた時から、公安(警察)が後をつけると言っていた。まだ返還前で、沖縄での反感活動などを警戒したものであろう。

 

その後沖縄の返還がなされて間もなく、沖縄に調査に出かけた。年に4回ほど行ったように覚えている。最初に行った時が衝撃で、沖縄の人の栄養の悪さが目立っていた。当時は医学部に居て、各地の身体的特徴なども調べているグループに居たので、沖縄の人の特徴以外に、栄養不足が気になった。また休日に、嘉手納基地のそばを通った時に、フェンス沿いの狭い畑に、多くの人々が出てアフリカマイマイをとっている姿は異様に見えた。友人に聞くと、皆土地を基地にとられ、わずかな場所で野菜を作っていると言う。

 

あれから40年以上が経つが、沖縄の人々の苦労は、未だに解消されていない。基地の問題を含めて、本土の人たちはもっと現実を見つめなければならないように思われる。

 

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ゴマメノ歯ぎしり

ゴマメノ歯ぎしり

 

最近のウクライナとロシアのニュースを見ていると、怒りを覚えてくる。

ウクライナについては知らないことが多く、チェルノブイリがウクライナにあったとは、ニュースで知った程度である。また最初の劇映画、「戦艦ポチュムキン」もウクライナが帝政ロシア時代の話だったことを確認できた。

 

しかしながら、ソ連崩壊からまだ立ち直り切れていない弱小のウクライナに対して、大国の仲間入りのロシアが一方的に戦争を仕掛けるとは。プーチンの自由世界の怖がり様が良く分かる。

 

もう少し時間が経つと、地盤が緩んでロシアの進行は思うように行かなくなるような気がする。

 

ゴマメノ歯ぎしりとは知りながら、ウクライナはもう少し頑張って欲しい。

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受験シーズン

受験シーズン

 

受験シーズンは、大学の偏差値が話題になる。しかし大学は偏差値が高いと良い大学と言うわけではない。

 

偏差値の高い大学や医学部などが受験生のあこがれの的になりやすい。しかしながら偏差値の高い大学が、良い教育の大学とは限らない。私はいくつかの大学を変わることになり、いろいろな特徴を見てきた。またいくつかの医学部で授業をすることもあった。

 

医学部は、勉強する内容が多く、医師になると高い収入が得られるかもしれない。しかしだからと言って、良い人生が送れるとは限らない。内部からみていると、医者の合格率と学部の良さもあまり関係ない。高い合格率の大学は、学生が受験勉強に忙殺されてその他のことの学習が少ない場合もある。また目いっぱいのところで入ってきた学生は、勉強だけに忙しく、人格を磨くことなどは考えられない。皆さんのあこがれる国立大学でも、学生にはかなりの差があり、勉強の他のことも学習する余裕のある大学は、医者の合格率はトップテンに入らなかったりする。

 

人生は食べられなくなるのも大変だが、金があり過ぎても幸せではない。いろいろトラブルを抱えている場合が多い。また収入が多くなると、人格の完成に努力することも少なくなるような場合もある。人生全体を見て、良い選択ができるのが良いが、受験などの時期などには難しい問題であろう。この時に影響するのが、親の生き方であろう。

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あさま山荘事件

あさま山荘事件

 

あさま山荘事件から50年が経つと言う。多くの皆さんは生まれる前かもしれない。当時私は、長野県の菅平に住んでいた。事件のあったあさま山荘からは、20キロメートルぐらいの場所で、山の中の一軒家。テレビで見ていたら、村の有線放送で、知らない人が来るかもしれないので,注意するように連絡があった。あさま山荘から山沿いに歩けば、1日ぐらいの距離である。怖いとは思わなかったが、身近で起こっていたことして覚えている。

 

その後須坂市に移住し、その時にはすぐ近くに犯人たちが収容されている刑務所があった。

 

将来有望な若者たちが、どこかで間違えて道を外れていったことが不思議な感覚であった。しかしその後、オウム真理教などでも、優秀な若者たちが道を踏み外している。社会人として、普通に成人することはなかなか難しいものだと思う。それは現代の社会の異常状態を示しているのかもしれない。

 

もっと子どもたちは、自由に自分の意思を持つように育たなければならないように思われる。

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