デーツ(ナツメヤシ)

デーツ(ナツメヤシ)

 

近所のスーパーで、デーツを見つけた。デーツは、ナツメヤシのことで日本ではほとんど見かけなかった。産地はアメリカになっていた。原産地は定かではないが、中近東やアフリカの北部に昔からあったようだ。エジプトの遺跡の中にも、絵が見られた。ナツメヤシは、ナツメの実に似ているからつけられたと思われる。ナツメは中国や韓国では、薬用にも使われ、韓国の鳥料理の「サンゲッタン」には必ず入る。日本でも作られているが、外国からの乾燥の実が多い。

 

デーツを初めて見たのは、エジプトの調査の時で、田舎の町で戸板の上に黒い塊が並べられていた。何だか分からないものなのでのぞき込んでいると、売り子のおばさんが戸板を叩いた。するととまっていたハイが飛び立ち、デーツの実が現れた。一粒渡されて食べてみると、なんだか干し柿の様でかなり甘い。ハイがたかっていたが、強い紫外線の下なので、殺菌は紫外線に頼った。炎天下で日陰もなく、持っていた温度計も、40度を超していた。一山買って見て食べていると、かなりのどが渇いてまいったことを覚えている。調査地では、畑の脇に点々とデーツの木があり、なっている実も見ることが出来た。売っているおばさんは、採ったばかりのデーツの種も、干しながら売っていた。

 

エジプトの調査の頃ヤシについての知識はほとんどなく、その後に南米のコロンビアのオリノコ川の流域の調査で、水辺から乾燥が激しくなる山側にかけて、種類が変化していくことが観察でき、授業でも使ったことがある。

 

タンザニアで調査をするようになっても、デーツはほとんど見ることはなかった。多分サハラ以南では、あまり普通な食べ物ではないようだ。ただし調査地のサバンナでは、原種と思われる小さな実は見かけた。トルコにいた時は冬の始まりであったが、各地でデーツの干したものが売られていた。干しブドウや栗とともに、どこの公園でも売られていた。多分最も一般的な食べ物なのだろう。

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新型コロナウイルスで見えたもの 7  心の貧しさと正義とは何か

新型コロナウイルスで見えたもの 7  心の貧しさと正義とは何か

 

新型コロナウイルスで、皆さん外出が思うように行かない。

 

結果として他の人の外出や移動、店の営業などに神経をとがらせる人が出る。自粛警察などと呼ばれ、店の営業などにも張り紙などで口を出す。一方、店の営業を続けるために、対策をしているステッカーを張る店も現れる。

 

行為の善悪も問題になるが、この様な状態に陥る人の特性も理解しておかなければならない。かなり価値観が狭く、様々な価値観や思考を深めることが難しい人であろう。この様な状態に陥るのは、心の貧しい人が多い。

 

最近の子どもたちの成育環境も見ておく必要がある。以前の日本社会では、どこの家にも暗い場所があった。しかし最近の家は、暗い場所がほとんどない。特に核家族になって新しい住宅は、ほとんど暗がり環境が無い。叱られたりしても、明るい中では自分の内面を顧みるようなことはなかなか難しい。明るい中では自分の正当性と他の理不尽さに意識が向かう。なかなか自己の内面へは、意識が向かわない。

自分の内面を見たことが無い人は、自分の正当性を主張するために他の人の欠点に目が向くことが多い。その結果、価値の判断が西洋的に部分的な正しさに支配される。これは一種の心の貧しさで、自分を正しく判断することが難しくなる。

 

虐待の親やいじめの子どもなどにも共通点があり、自分の内面に向かうことはない。自分の内面に気がつけば、次第に相手の内面にも気が付くようになる。虐待の多くの親は、自分は子どものために正しいことをしていると考えている。

 

正義とは、善悪の概念に沿っている。善悪は何であろうか。進化史的にみれば動物が生まれてきたときには、皆単独で生活していて、善悪は存在しない。生きるも死ぬもすべて個体の責任で、善悪の概念は存在しない。ところが交尾のための雌雄の集合、或いは親子の集団から発達した社会が出来上がると、社会の秩序を乱すものが悪になり、社会を守る行動が善となる。自分が生きることを主張すると、社会的集団を乱すことがあり、これが悪になる。エサや異性をめぐって悪が生じる。ヒューマニズムなどはずっと後から生まれた概念で、善悪の基本から言えば枝葉の様なものである。ヒトの命は尊いと言うが、もっよ基本的なところから見つめないと判断を誤る。

 

新型コロナウイルスで見えてきた正義を振りかざす自粛警察などは、本来の善悪を理解していない人が行っているとみられる。心の貧しい人は、何かに頼らないと自分の存在価値を見出すことが出来ない。自分は正しいことをしていると言うこだわりに依存して、部分的正しさを振り回して、それに依存して生きている。

 

問題提議したいのは善悪の問題ではなく、心の貧しさの問題である。これは各人の

人生の豊かさに直接関係する。最近の社会の風潮はマスコミに影響されて、見た目が主体になっている。見た目とヒトの豊かさは、根本的に異なる。自分の人生を豊かにするのは、自分自身である。そのためには、自分の心を見つめて、豊かにしなければならない。

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冷蔵庫が来た

冷蔵庫が来た

 

一昨日に買いに行った冷蔵庫が、昨日夕方ついた。

 

現在の冷蔵庫は、省エネ型になっていて、最初の始動時に時間がかかるようだ。中々冷えてこずに、出して居た中の荷物を夜中に入れることになった。まだ完全に冷えていないので、心配しながら入れた。

 

今朝になったらしっかり冷えていて、ちょっと安心。

カンボジアで使っていた冷蔵庫は、かなり古いもので、日本から中古品が来ていた。ブルーチーズが好きな私は、よく買って入れていた。ブルーチーズも、日本より良い品がイタリヤやフランスから安く入っていた。おかげで冷蔵庫の中は、ブルーチーズのカビで充満しており、ラオスに2週間ぐらい調査に行って帰って来た時には、普通のチーズがブルーチーズになっていた。

 

頭も冷蔵庫の様に買い替えて、新しくなれば良いなー。

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暑さで壊れた?

暑さで壊れた?

 

少し前から私も暑さで、ナマケモノになっていたのだが。冷蔵庫がどうも崩れかけていたようだ。水があまり冷えていなかったり、ご飯がかびたりしていた。そこで温度計を入れて置いたら、何と15度ほどもある。冷凍は働いて居り異常は感じなかったのだが。

 

仕方がないので、買い替えることにした。この暑さの中電気屋に出向いて、吟味すること1時間。やっと契約して帰ってきた。暑い!

狭い場所に入れるので、大きさも問題になり苦労した。年を取って買い物が面倒なので、ついつい一度にたくさん買って入れておくことになるから、容量もそこそこほしい。

古い冷蔵庫のパンフレットを調べたら、どうやら20年近くも使っていたらしい。暑さだけではなかったか。

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暑さと遊んでナマケモノになっています

暑さと遊んでナマケモノになっています

 

皆様

ご無沙汰しております。

暑さに負けてナマケモノになって、ゴロゴロしています。

 

朝は散歩していますが、その後入浴。ご飯を食べて少し休んで、ゴロゴロ。

昔予備校にいた時に、7年も東大を受験していた先輩が、アルバイトの世話をしてくれていました。面白い人で、「世の中で、寝るほど楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」などと言っていました。今はこの状態です。

 

このくらいの暑さは、アフリカでは普通のこと。朝は10度を切るのに、日中には43度くらいになることはざら。1日の温度差の30度ぐらいは普通でした。しかし、温度が上がると湿度が下がり、持っている簡易な湿度計では、5%以下は計れませんでした。

カンボジアでも40度を超えることはあり、慣れているはずですが、怠け心も増してゴロゴロが一番楽なようです。寄る年波には勝てず、楽を選択しています。

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