kaeruのつぶやき

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花を贈られる日

2023-04-08 23:57:21 | どこまで続くかこのブログ

「らんまん」のおかげで花に気持ちが傾きだして、我が心境に異変が起きたのではないか⁉️  の思いが湧いてきて、これは老境における青春ではないかと思わないでもないのです……、などと回りくどい言い方をするのも戸惑いの表れなのでしょう。

牧野富太郎は自分を「草木の精」と称したのですが、冬眠から目覚めたカエルは己は「春の精」ではないか、と思わないわけでもないのです。そこで己の姿を水鏡に映し「あゝ ヤッパリ違ったか」と溜め息をつき「冬に戻ろう」と後向きになりそうになるのです。

ここで富太郎少年から学ぶ事は、ひたすら対象(草木)への関心です。対象への関心を通じて己を深める行為であり、対象と己を同化させ対象への認識の深化が己自身の深化と一体である感覚です。

例えば今日送られてきたこの花の写真、各々別の方からのものですが……、

二枚とも何輪か写った大きな写真の部分です、こうして拡大してみたのは2種類の花としての違いに対する関心です。仮に「らんまん」の始まる前僅か6日前に何の説明も無しに見せられたら、同じ花と思い精々「キレイだね」くらいのことを言っただけでしょう。

でも今でしたら「これがバイカオウレン、こっちはセツブンソウ」と訳知り顔で言います。それは単にある種の知識が増えたという話ではなく、己の深まりを自覚できたという思いです。

花を贈られる日は己の成長する日であり、人生の青春性の証です。

コメント (2)
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