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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

江ノ島へ

2017-02-10 08:39:16 | 日記
旧暦の新年にあたる、1/28に江ノ島等へ行かせて頂きました。

江ノ島は神奈川県藤沢市に位置しており、相模湾に浮かぶ島です。境川の土砂によって、片瀬海岸とつながった陸繋島でもあります。近江竹生島、安芸の宮島と並ぶ三大弁財天の一つです。
江ノ島の歴史を紹介させて頂きたいと思います。

江ノ島は今からおよそ2万年前、沈降運動により片瀬側と離れ独立した島となったと言われています。島内に植物園内遺跡があり、縄文後期から弥生時代にかけての土器片が発掘されています。

また江島縁起(1047年)によれば、552年4月12日夜に大地震が発生して、23日の朝までの21日間大地が震動し、海底より砂が吹き出し、江ノ島ができたといわれています。
そして、欽明天皇(509年-571年)の勅命で岩屋(御窟おんいわや)に神様を祀ったのが、江島神社のはじまりであると伝えられています。

552年(欽明13年)に大地震により江ノ島湧出。江島神社創建(江島縁起)、672年(白鳳元年)に修験道の開祖、役小角えんのおづのが霊場江ノ島を開き、814年(弘仁5年)に空海が岩屋本宮を創建、853年(仁寿3年)に慈覚大師が上之宮(中津宮)を創建しました。

1182年(寿永元年)に源頼朝が奥州藤原氏の調伏祈願を行うために、文覚の勧めで弁財天を勧請しています。
文治元年(1185年)に頼朝が弁才天(現・奥津宮)に鳥居を奉納し、建久元年(1190年)に北条時政が江の島に参籠、一族の繁栄を祈願しました。

1216年(健保4年)の正月、地震が発生して江ノ島が陸続きになり、干潮時に歩いて渡れる様になったと言われています。以来、人々は干潮時には歩いて渡り、満潮時には「渡し舟」か「人足」が背負って渡っていました。

1600年(慶長5年)6月、徳川家康が江ノ島神社に参詣しました。この後、武士だけでなく庶民にも江ノ島詣が流行しました。
明治に入り、江ノ島へ架かる桟橋は建築されました。
1923年(大正12年)、関東大震災の発生により江ノ島桟橋が津波にさらわれてしまいましたが、1948年(昭和23年)、コンクリート製の強固な江ノ島弁天橋の工事が始まり、同24年3月31日竣工し、今に至っています。

まだ空が暗いうちに江ノ島へ行き、最初に旧暦の新年の初日の出を見に行きました。江ノ島から見た日の出は美しかったです。

江ノ島の頂上にある桜の木の辺りへ行きました。空に龍の形をした雲がいくつか浮かんでいました。その場所にいると、パワーを感じ、幸福感に包まれました。

中津宮、辺津宮、龍宮、奥津宮、岩屋、そして、西鎌倉の龍口明神社、逗子市小坪の天照大神社にお参りさせて頂きました。
滝口明神社、天照大神社は今回初めての知り、初めてお参りさせて頂きました。江ノ島は神様が表で活躍している神社だとすれば、滝口明神社は神様がお休みをとっている神社のようです。
天照大神社からふもとへの階段は100段以上あり、非常に急でした。階段をマラソンコースとして走っている学生がいらっしゃいました。
江ノ島の岩屋の近くの海は太陽に美しく照らされていて、遠くに湘南の街を見渡すことができました。岩屋の中では富士山に続くと言われる道がありました。

お昼は天海という店で江ノ島でいくらしらすご飯を頂きました。江ノ島は多くの観光客で賑わっていました。

地元に住んでいるにも関わらず、知らないこともたくさんあり、新しい発見が数多くありました。江ノ島は全国から参拝客が多く訪れ、その近くに住んでいることに誇りに思っています。また、近くの江ノ島にぜひ行かせて頂きたいです。
睡眠時間2.5時間、朝4:30起床で一日をかけて回ったにも関わらず、全く疲れを感じませんでした。
本当に充実した一日になりました。一緒に同行した皆さま、ありがとうございました。(横)

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