泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「後飛鳥岡本宮や飛鳥浄御原宮の痕跡をめぐる」(2)

2022年08月30日 22時14分48秒 | 歴史
奈良県明日香村にある、明日香村文化協会主催の歴史のフィールドワークに参加してきましたので、その様子を紹介したいと思います。
テーマは「今に残る道、畦畔から飛鳥時代の宮殿の痕跡をたどる」です。
前回は、飛鳥浄御原宮跡エビノコ郭(出発)ー村役場(屋上から飛鳥宮跡を遠望)ー飛鳥宮跡の内郭(南門跡・前殿跡・南正殿跡・北正殿跡)ー飛鳥宮跡の中軸線でした。
今回紹介するのは、飛鳥宮跡の外郭大型建物跡と飛鳥宮跡北限溝です。
※明日香村文化協会「今に残る道、畦畔から飛鳥時代の宮殿の痕跡をたどる」より紹介
〇飛鳥宮跡の外郭大型建物跡
飛鳥宮跡の北側・飛鳥京跡苑池の東側の所に、大きさが東西約29,4m・南北約15mの大型建物があったようです。この大きさは、飛鳥浄御原宮の大極殿ではないかと言われている「エビノコ大殿」(東西約29,2m・南北約15、3m)と匹敵する大きさの外郭大型建物です。はたして、これだけの大きさの建物には一体誰が住んでいたのでしょうか・・・
現在は、吉野川分水と水田になっています。残念ながら、説明板等なにもありません。



〇飛鳥宮跡北限溝
飛鳥宮の内郭の北辺掘立柱塀から約380mの地点で、東西方向の石組溝が検出されました。飛鳥京跡の北辺である可能性があると思われます。石組の南側にはバラス敷きが18m以上広がっていたと考えられています。石組溝のすぐ南には、東西まっすぐの水田を見ることができます。飛鳥宮北辺道路の痕跡かもしれません。
ちょうどこの場所は、地形が北に約1m下がっています。現在は、空き地と水田となっています。

  



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「後飛鳥岡本宮や飛鳥浄御原宮の痕跡をめぐる」(1)

2022年08月25日 10時01分58秒 | 歴史
奈良県明日香村にある、明日香村文化協会主催の歴史のフィールドワークに参加してきましたので、その様子を紹介したいと思います。
テーマは「今に残る道、畦畔から飛鳥時代の宮殿の痕跡をたどる」です。
第1回目「畦畔に残る大規模な池の痕跡(嶋宮・東橘遺跡)と宮殿級の建物跡をめぐる」(5月22日)でした。(「明日香村文化協会」のホームページで、その時の様子が紹介されています。)
今回紹介するのは、第2回目「後飛鳥岡本宮や飛鳥浄御原宮の痕跡をめぐる」(1)(7月17日)です。
※明日香村文化協会「今に残る道、畦畔から飛鳥時代の宮殿の痕跡をたどる」より紹介
内容が豊富でしたので、数回に分けて紹介したいと思います。
明日香村文化財課の方の案内のもと、約30名位の参加者で約3時間程、飛鳥宮跡の痕跡を歴史散策しました。
(行程)
飛鳥浄御原宮跡エビノコ郭(出発)ー村役場(屋上から飛鳥宮跡を遠望)ー飛鳥宮跡の内郭(南門跡・前殿跡・南正殿跡・北正殿跡)ー飛鳥宮跡の中軸線
〇飛鳥浄御原宮跡の内郭について、紹介したいと思います。
・天武天皇の時造られた、飛鳥浄御原宮の大極殿跡ではないかと言われているエビノコ郭(現在、役場の駐車場になっています)から出発し、最初に村役場の屋上から「飛鳥宮跡」等を遠望しました。
初めて屋上から見た景色は、とても素晴らしいものでした。ここから見た、東西南北の景色を紹介したいと思います。

              

・飛鳥宮跡の内郭(南門跡・前殿跡・南正殿跡・北正殿跡)と飛鳥宮跡の中軸線
内郭の南門跡・前殿跡・南正殿跡・北正殿跡に実際に行き、詳しい説明を受けました。現在は、空き地・田んぼ等になっています。
飛鳥宮跡の南北中軸線は、南正殿跡と北正殿跡との間の道路に、現在電柱が立っているところです。
ここでわかったことは、現在の田んぼ一枚にそれぞれの前殿跡・南正殿跡・北正殿跡がきちんと残されていたということです!
   
             

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「明日香村の大字に伝わるはなし」(4)

2022年08月20日 07時36分46秒 | 散歩
「明日香村の大字に伝わるはなし」は、明日香村文化協会発足40周年記念事業として、奈良県明日香村の39の大字に伝わる「はなし」を、聞き取り調査されたものを収録されたものです。
この中から、邸宅に関わる「はなし」を数回に分けて紹介したいと思います。
第3回目は、明日香村大字飛鳥にある「旧大島邸」と「森邸」でした。
第4回目は、明日香村大字八釣にある「井村邸」です。
明日香村大字八釣は、万葉集にも記されている「八釣川」・「八釣山」があり、その「八釣」の地名から由来しています。
「八釣山 木立も見えず ふりまがふ 雪のさわける 朝楽しも」柿本人麻呂
「井村邸」
江戸時代、飛鳥地方はほとんどが高取藩の所領でした。
井村家は、記録によると1792年には、飛鳥地方24ケ村の大庄屋であったようです。「井村邸」には、高取藩の殿様が度々来られ、裏に作られている池の鯉を愛でられと伝えられています。
残念ながら、の屋敷の築造年代や構造は詳しくはわかっていません。現在は、土壁に囲まれた立派なお屋敷を見ることができます。

                               
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「明日香村の大字に伝わるはなし」(3)

2022年08月15日 20時26分46秒 | 散歩
「明日香村の大字に伝わるはなし」は、明日香村文化協会発足40周年記念事業として、奈良県明日香村の39の大字に伝わる「はなし」を、聞き取り調査されたものを収録されたものです。
この中から、邸宅に関わる「はなし」を数回に分けて紹介したいと思います。
第2回目は、明日香村大字岡にある嶋田邸」と「岡本邸」でした。
第3回目は、明日香村大字飛鳥にある「旧大島邸」と「森邸」です。
明日香村大字飛鳥にある「旧大島邸」と「森邸」は、「飛鳥坐神社」前の大通りにあります。
この通りには、江戸末期から明治にかけての古い住宅が残っています。最近、電柱の地中化の工事がなされ落ち着いた雰囲気の素敵な場所です。

      

〇「旧大島邸」は、1870年に呉服商が建てた住宅を1904年に農家の大島家が買い取りしました。
主屋は、2階の天井が通常より低い「つし2階建て」と呼ばれる造りをしており、離れやとともに木造2階建てで瓦葺きです。いずれも装飾性の高い格子窓の「虫籠窓」を備えています。江戸時代の民家の形式を今に伝えています。
現在は国の登録有形文化財となっていますが、「ブランシエラビイラ明日香」の一部として用いられ宿泊できます。

    

〇「森邸」 
大通りの中程にある「森邸」は、天保年間(1830年~1844年)に建てられた住宅です。江戸時代、高取藩のお殿様が通られる時のお休みどころになっていたと言われています。この大通りの中では、一番古い建物です。現在は、簡易郵便局と酒店をされています。

      

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奥飛鳥の「夏の棚田風景・2022」

2022年08月10日 09時08分10秒 | 散歩
奥飛鳥と呼ばれている奈良県明日香村稲渕地区の棚田は、「日本の棚田百選」にもなっている所です。
今回は、奥飛鳥の「夏の棚田風景・2022」を紹介したいと思います。
「日本の原風景」が、色濃く残っている奈良県明日香村。その風景のひとつに、棚田があります。
今回紹介する棚田は、奥飛鳥稲渕地区等です。
ここの棚田には、毎年大きな案山子が飾られています。
今年は、世の中の平和を願って「お地蔵」です。
秋には、彼岸花や色々な案山子を見ることができます。
飛鳥の魅力の一つに、歴史的な景観は勿論ですが、古代から残る豊かな自然です。
棚田に映る雲や山並みは、何とも言えない懐かしい景色です。
奥飛鳥稲渕地区の景色は、私のお気に入りのひとつです。
他にも、細川地区・坂田地区の棚田も素晴らしいですよ・・・
のんびりと、奥飛鳥の「夏の棚田」の景色を見ながら散策してみませんか!

              
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