泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「奈良市富雄丸山古墳発掘体験 ~国内最大級の円墳の謎に迫る!~」発掘体験記

2019年01月31日 15時49分58秒 | 歴史

前回は、2019年1月26日 に行われた「富雄丸山古墳」現地説明会の様子を紹介しました。「富雄丸山(とみおまるやま)古墳」は、4世紀後半の古墳で直径が約109メートルあり、国内最大の円墳であることが発掘調査で裏付けられ、墳丘の平坦(へいたん)面の幅は8・8メートルにも及び、大王墓に匹敵する広さと判明しました。テレビ・新聞等で紹介されました。

今回は、「奈良市富雄丸山古墳発掘体験 ~国内最大級の円墳の謎に迫る!~」発掘体験記を紹介したいと思います。

2018年度に奈良市埋蔵文化財調査センター主催の国内最大級の円墳 「富雄丸山古墳」 で発掘体験が行われることを知り、早速応募し運よく発掘体験が出来ました。

事前学習として11月に奈良市埋蔵文化財調査センターにおいて、発掘調査の学芸員さんによる「発掘調査体験ハンドブック」をもとに学習しました。

学習内容は・・・考古学とは・発掘調査とは・古墳をつくる手順と現在に至るまでの変化・発掘調査の手順・調査上の注意・準備しておくもの・道具について・富雄丸山古墳について・調査の目的・予想される遺構と遺物・埴輪について・富雄丸山古墳の時代等についてでした。

約2時間ほどの学習でした。参加者は、学生さんから考古学に関心あるベテランの皆さん方で一杯でした。

発掘体験の実施日が知らされ、私の場合は1月8日の13時30分からでした。事前学習を終えて、大変に待ち遠しい気持ちとなりました。事前学習会終了後、奈良市観光協会公式マスコットキャラクターしかまろくんのオリジナル野帳やバック等をいただき終了しました。

発掘体験の1月8日は天気もよく、西部生涯スポーツセンタークラブハウスに10時に集合(奈良市丸山)し、学芸員さんによる「富雄丸山古墳」の解説や出土物等の見学や注意事項の話のあと、現地に行き発掘体験を行いました。発掘場所は、以前発掘(1972年)調査が行われた墳頂部でした。その時の調査は短期間で行われ、小さな遺物をすべて回収できていない可能性があり、土をふるいにかけことで小さな遺物を探すことでした。

今回の発掘体験では、各回とも約10人位の発掘体験者が、任せられた場所(畳一枚位)の場所で、ガリと呼ばれるスコップで掘りふるいにかける作業でした。約1時間程の発掘体験でしたが、皆さん楽しみながらの作業で、何か出ると学芸員さんに訊ねていました。私は、1片の小さな埴輪の破片を発掘することが出来、大変感激しました。発掘体験後、調査中の発掘現場に行き詳しい説明をうけ12時頃に、発掘体験は終了しました。

今後、5年程かけて発掘調査されると聞いています。また、このような体験プログラムがあれば、是非とも参加したいと思っています。短い時間でしたが、国内最大の円墳の墳頂部の発掘体験は、大変貴重な体験となり、とても有意義なひと時でした!

                                           

 

 

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国内最大の円墳「富雄丸山古墳」現地説明会

2019年01月26日 16時23分58秒 | 歴史

「富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)」は、奈良県奈良市丸山にある円い形をした「円墳」としては国内最大とされる古墳です。「富雄丸山古墳」を市の教育委員会が発掘調査した結果、直径がおよそ109メートルを上回る国内最大の円墳だったことがわかりました。

今回は、国内最大の円墳「富雄丸山古墳」現地説明会の様子と、事前に行われた「富雄丸山古墳発掘体験 」~国内最大級の円墳の謎に迫る!の発掘体験に参加した時の様子を、2回にわたって紹介したいと思います。

「富雄丸山古墳」の現地説明会が、1月26日の午前10時から行われました。多くの方が寒い中、現地説明会に来られていました。受付ではパンフレットとともに、古都奈良の文化財「世界遺産登録20周年」の記念品をいただきました。受付横のテントでは、古墳からの出土遺物である鍬形石・管玉・鉄器・埴輪などが展示されていました。

10時から発掘調査の責任者による全体的な説明の後、現地に行きそれぞれの場所で係りの方から詳しい説明を受けました。

「富雄丸山古墳」は、4世紀後半に作られた円墳です。おととし行われた上空からのレーザー測量で直径が110メートル前後と分かり、埼玉県の丸墓山古墳の直径105メートルを上回る国内最大の円墳として注目されました。
奈良市の教育委員会では、古墳の正確な大きさを調べるため去年12月から発掘調査を進めていました。
その結果、墳丘のすそに当たる遺構が見つかり、古墳の直径はおよそ109メートルで国内最大の円墳であることが改めて確認されました。
また、古墳は円墳ではよく見られる3段構造になっていて、墳丘の平坦面の幅は1段目が約7・2メートル、2段目は約8・8メートルと大王墓と遜色なく、中央部には円筒埴輪(はにわ)が並んでいました。ステージ状の「造り出し」は一部で2段になっているのが確認できたそうです。「今回の調査で国内最大の円墳であることが確認できた。」と話されていました。

国内の円墳では、埼玉県にある「丸墓山(まるはかやま)古墳」を上回り最大となります。また、腕飾りの一種である「鍬形石(くわがたいし)」の破片も出土し、重要文化財と同一品の可能性があるということです。大阪と奈良を結ぶ交通の要衝に造られており、そそり立つような姿だったのかもしれないとの説明でした。副葬品などからみて、ヤマト王権に準ずる有力者の墓ではないかと思われます。

今回の現地説明会で特に印象に残ったのは、当時のままの葺石や円筒埴輪が実際に埋まっている姿を見ることができて大変感激しました!

次回は、事前(1月8日)に行われた「富雄丸山古墳」の墳丘部の、私自身の発掘体験の様子を紹介したいと思います。

                                    

 

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「飛鳥の冬景色・2019」

2019年01月22日 20時43分50秒 | 散歩

飛鳥の冬はめったに雪は降らないのですが、朝は霜がおり一面白色の世界です。昼は、時々春を思わせるような時があります。

今回は、「飛鳥の冬景色・2019」を紹介したいと思います。

朝方、石舞台地区の写真を撮りに行ったのですが霜がおりていて一面白色の世界でした。とても、綺麗でした。

昼過ぎに、大好きな奥飛鳥と呼ばれている稲渕の棚田周辺を散策すると、まるで春を思わせるようなひと時でした。

稲渕地区では、1月14日に「男綱」の神事が行われました。残念ながら、今年は別件があり参加できませんでした。稲渕地区の集落の入口には、新しい「男綱」が張ってありました。

今年も、いい年になることを祈願しながら棚田周辺を散策しました。

別の日に、「蝋梅」が綺麗な八釣の里に散策しました。八釣の里の入口に着くと、甘い香りがいっぱいで黄色の「蝋梅」が満開でした。

飛鳥の冬はまだまだ底冷えがしていますが、少しずつ春に向かっているのが肌で感じられるこの頃です!

                       

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奥飛鳥栢森地区の「女綱の綱掛け神事・2019」

2019年01月12日 13時28分59秒 | 歴史

飛鳥に戻ってきました。やっぱり、飛鳥の風景をみるとホットします。飛鳥での最初の「泉飛鳥塾」のブログは、「女綱の綱掛け神事」です。

今回は、奥飛鳥栢森地区の「女綱の綱掛け神事・2019」の様子を紹介したいと思います。

奈良県明日香村栢森地区において、2019年1月11日(金)に「女綱の 綱掛け神事」が行われました。 明日香村では、毎年「成人の日」(今年は1月14日)に稲渕地区で「男綱」が、1月11日の日には、柏森地区で「女綱(めずな )」が、豊作を祈って新しく 作り掛け替えられます。「綱掛け神事」は、稲淵と栢森両大字に伝わる神事です。子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、住民を守護するための 神事と言われています。稲渕の「男綱」と対をなすのが、柏森(かやのもり)の「女綱(めずな)」です。

昨年は、年に数回しか降らない雪が朝から降り、一面銀世界となった中での「女綱の綱掛け神事」でした。

今年は曇りの天気の中、15時半位から行われ16時半頃には終了しました。この数年「女綱の綱掛け神事」に参加しているのですが、残念ながら年々参加者が少なくなってきたようです。

寒い中、栢森地区の方が集落から「女綱」を運んでこられ、福石(陰物ともいう)と呼ばれる石の上に祭壇を設け、僧侶の法要の後、飛鳥川の上に陰物を形どった「女綱」を掛け渡しました。

栢森大字の神事の特徴は、全体を仏式で行なわれます。ちなみに、稲渕地区での「男綱の綱掛神事」は神式で行われます。

最後に、参加者全員にミカンが配られました。今年も、飛鳥の郷土行事に参加し、歴史の一端に触れさせていただきました!

                     

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「うまか~有明海の竹崎蟹と史跡散策」

2019年01月06日 21時21分00秒 | 旅行

飛鳥に戻る前に、佐賀県太良町竹崎に蟹を食べに行きました。また、太良町に行く途中に、色々な史跡等がありましたので歴史散策してきました。

今回は、「うまか~有明海の竹崎蟹と史跡散策」を紹介したいと思います。

ワタリガニの一種である「竹崎カニ」をご存知でしょうか?

有明海の恵みのひとつで、たっぷりと身が詰まった濃厚な味のとても美味しいカニなんです。有明海のプランクトンで育って、格別に美味しいとされる竹崎カニを1年中味わうことができます。特に、冬の蟹が美味しいです。

日本最大の干潟を持つ有明海沿いの国道に、カニと温泉をうたった旅館があり毎年行っています。

旅館での夕食のメニューは、竹崎カニ、小鉢、酢の物、前菜、お刺身、カニサラダ、カニグラタン、カニシュウマイ、カニ唐揚、焼カニ、カニスープ、カニ雑炊、香の物、デザートなどの全14品です。まさに、蟹づくしで「うまかった~!」

           

 せっかくなので、色々な史跡等も歴史散策してきました。

〇佐賀県武雄市に「あるおつぼ山神籠石神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやまじろ)」は、九州地方から瀬戸内地方にある石垣で区画した列石遺跡の総称です。1963年の発掘調査で、列石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3m間隔で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、山城であることが確定的となりました。標高200 ~ 400mの山頂から中腹にかけて数kmにわたって一辺が70cm位の切石(きりいし=岩を割って作った石)による石積みを配列(列石)し、その上部に版築による土塁を有します。列石の配置は、山頂から平野部に斜めに構築する九州型と、山頂を鉢巻状に囲む瀬戸内型がある。谷を通過する場所に、数段の石積みを有する城門や水門を設けています。今回、第1水門と第2水門跡を中心に歴史散策してきました。とても綺麗に整備されていました。

                 

 〇「玉島古墳」は、佐賀県武雄市にあり「おつぼ山神籠石」の近くにある古墳です。周囲は開けているので、遠くからでも古墳を確認することが出来ます。東西約42m・南北約48m、高さ約9mの規模を持つ県内最大級の円墳で、葺石・埴輪を備えます。埋葬施設は、南西方向に開口する竪穴系横口式石室で玄室部長さ約3.3m・幅1.4~2.1m、平面が羽子板状をしており、床面には屍床が設けられています。出土遺物は銅鏡や装身具、武器・武具、工具などがり、6世紀初頭の築造です。県指定史跡です。古墳公園として、とても綺麗に整備されていました。

      

 〇佐賀県藤津郡太良町大字大浦乙にある「田古里古墳」は、6世紀後半(1400年位前)につくられた円墳で封土の直径は10m、比高5.8mほどあります。また内部は横穴式石室で、玄室は奥室と前室に分かれた複式墳です。羨道を含めて石室の全長は10.87m、幅2.97m、高さ4.2mあり自然石の巨大な腰石の上に大きな塊石を持送り式に積み上げられています。この古墳は前室内に線刻紋様を有し、封土の周囲には県内では他に例をみない空濠がめぐらされています。

飛鳥にある終末期古墳とは、大きく違った形態の古墳で、ここもとても綺麗に整備されていました。

      

 飛鳥に戻る前に、美味しい蟹と歴史散策。とても楽しい時間をおくることができました。

明日、飛鳥に戻りますが、2019年どのような出来事が飛鳥で待っているのでしょうか、楽しみです!

  

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