泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奴国を歩く5「奴国内にある土塁」

2019年08月30日 16時20分39秒 | 歴史

前回は、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」でした。今回は、奴国を歩く5「奴国内にある土塁」を紹介したいと思います。

国指定特別史跡「水城跡」は、7世紀に築かれた土塁です。当時、朝鮮半島の覇権を争っていた百済の救援に兵を送って大敗した日本は、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて防衛線を構築しました。春日市にある水城は、福岡平野と筑紫平野の間に築かれた水城と区別して、「小水城」と呼ばれています。

 飛鳥時代に「大宰府」防護のために築かれた古代の巨大土塁は、春日市・大野城市・太宰府市に残された古代の土塁で国指定特別史跡です。663年の朝鮮半島「白村江の戦い」での敗戦を受け、664年に唐・新羅の大宰府侵攻に備え、博多湾と大宰府を遮る壁として築造されました。博多側は幅60mほどの堀も備えました。春日市内では「大土居小水城」と「天神山小水城」の2ヶ所が特別史跡に指定されています。

〇天神山小水城跡(てんじんやましょうみずき)

天神山には丘陵の東に東西方向約70mの土塁が残存し、小丘陵南側にも南北の土塁があったと推定されます。丘陵部には、6世紀築造の全長35mの前方後円墳(上白水天神山古墳)があり水城の築造より古く横穴式石室があります。近くには小円墳があり、円墳の方が古いようです。「天神山土塁」は、「上白水天神山古墳」のある丘陵から始まっています。天神山から、白村江の戦いに敗れた後に「大宰府」を守るために作られた小水城の一つである「天神山土塁」が築造されていました。天神山土塁、大土居土塁、春日土塁(推定)・水城大堤、大野城と連なります。まさか、古墳がある所に土塁が築かれているとは思いもしませんでした。古墳は、説明板や柵がなければ、殆どわからない状態でした。

                
〇大土居小水城跡(おおどいしょうみずき)
春日市昇町にあり、 発掘調査により版築工法の使用が確認されました。
小水城の中で、本格的な発掘調査が行われたのは、春日市昇町の大土居水城です。大土居水城の発掘調査の結果、土塁の推定高は約8m、基底部の推定幅は約40mで、水城大堤と同じく版築により土が積まれていました。また、導水の役割を果たす木樋の調査も行われ、取水部では長さ約8mにわたって木樋本体が残存することが確認され、吐水部では木樋本体は残存していなかったものの、その下層の石敷遺構が確認され、木樋の規模が土塁と同じく、水城大堤の約1/2であることなども分かりました。

現在「大土居小水城」は、県道で遮断されています。現在土塁の一部が、発掘調査中でした。また、頂上付近から西方面に「天神山土塁」を見ることができます。

両土塁とも、伐採等が行われ現在整備中でした。観光地ではありませんが、歴史が好きな方には興味深い所だと思いますよ!

            

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奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」

2019年08月23日 11時36分39秒 | 歴史
前回の「奴国を歩く2・3」では、弥生時代後の古墳時代に築かれた、春日市内にある代表的な古墳である
国指定史跡「日拝塚古墳」や「下白水(しろうず)大塚古墳)・赤井手古墳・竹ノ本古墳)」を紹介しました。
今回の「奴国を歩く」では、6世紀中頃~9世紀中ごろに築かれた「牛頸須恵器窯跡」の紹介と
実際に見学できる春日・大野城市内にある窯跡を紹介したいと思います。
今回は、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」を紹介したいと思います。

 先日、福岡県大野城市曙町の市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」において、「西海道最大の窯場・牛頸須恵器窯跡を探る」というテーマで、ふるさと文化財課の方による講演があり参加してきました。

「大野城心のふるさと館」では、市内にある国指定史跡「牛頸須恵器窯跡群」に関する常設展示(須恵器・ヘラ書き須恵器・のぼり窯の模型等)無料で見学できます。

 九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」は、6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業された西日本最大規模の「須恵器窯跡群」です。大野城市上大利・牛頸を中心とし、春日市・太宰府市に分布します。分布調査の結果、窯跡は東西4㎞、南北約4.8㎞の範囲に分布し、本来500基前後の窯跡があったと推定されます。窯構造は地下式窖窯であり、6世紀中頃から末にかけて大型化が進み、6世紀末〜7世紀前半には全長が10mを越す大型のものが多くなり、それ以後は小型化していきます。窯の大型化が進む時期には、焼成部奥に複数の煙道をもつ「牛頸須恵器窯跡」特有の多孔式煙道窯が多く見られます。古墳時代から奈良時代前半の焼成器種は、坏・瓶類・甕など多様ですが、奈良時代中頃には坏・皿などの小型器種に特化していきます。その流通範囲は、古墳時代は福岡平野周辺に限定されますが、奈良時代には律令制下の国境を越えて九州北部全体に広がります。しかし、8世紀の終わりごろから窯の数が急速に減り器種も少なくなりました。同じころ、肥後(現在の熊本県)の影響を受けた器種が出現します。9世紀中頃には、牛頸地域では須恵器生産を終了したようです。

今回の講演でとても興味深かったのは、ヘラ書き須恵器からわかる人名と須恵器工人の墳墓です。

ヘラ書き須恵器からわかる人名の判明する8名のうち、5名が大神部(近畿地方に由来する氏族)です。牛頸地区では、大神部が主要な工人だったようです。なんと大和の氏族が関わっていたとは知りませんでした。

また、須恵器工人の墳墓では、窯を墳墓に転用した窯跡が見つかっています。6世紀末~7世紀前半にかけてのもので、象嵌の鉄刀などが見つかっています。窯が、墳墓に転用されたとは、思いもしませんでした。この地域の工人の首長の墳墓だったのかもしれませんね。

とても充実した内容の講演でした。講演後、春日市にある「ウトグチ瓦窯」と、大野城市にある「梅頭窯跡」に歴史散策してきました。

                                     

〇春日市の白水ヶ丘地区では、九州で最古級の瓦を焼き上げるのぼり窯が発掘されています。地名から「ウトグチ瓦窯(かわらがま)」と名付けられたこの瓦窯跡は、7世紀後半の頃に丘陵の斜面につくられたものですが、全長はなんと14mです。7世紀後半の九州では、最古級の瓦窯であります。ここで焼かれた大量の瓦は、一説によると寺院の建築に用いられたと考えられ、遺跡周辺の古い地名から「白水(しろうず)廃寺」の存在が推定されます。ここで発見された瓦は、奈良県桜井市にある「山田寺」の瓦に似ているものもあるようです。「ウトグチ瓦窯」展示館では、この大きな規模の瓦窯跡を発掘調査当時のまま展示しており、窯の中から出土した瓦についても紹介しています。また、展示館の外には瓦製作時の作業用通路も残っているので、こちらも必見です。展示館に併設しているのぼり窯体験広場では、毎月やきもの作り教室が開催されています。古代の人々に想いを馳せながら作品作りに挑戦してみるのもおすすめです。県指定の史跡であり、体感型の展示施設でもあるウトグチ瓦窯展示館は、古代史ファンならずとも楽しめるスポットとなっています。

                         

〇大野城市の上大利地区にある三兼池公園の敷地内にある「梅頭窯跡」は、九州最大の須恵器の窯跡として有名な「牛頸窯跡群」(国指定史跡)に属し、6世紀後半~7世紀初頭につくられたもの。斜面を利用した窯ならではの構造が要注目なほか、発掘調査では、窯跡での発見は極めて珍しい副葬品と思われる鉄刀や鉄鏃なども出土したことから、須恵器の窯がお墓として再利用された全国初の例として新聞メディアをにぎわせたことも知られています。(「梅頭窯跡」は、2019年4月14日、私のこころの風景「ずっと残したいふるさとの景色・牛頸」(歴史編)で紹介させていただきました。

特に、大野城市の牛頸山「牛頸窯跡群」跡を歴史散策していると、須恵器のかけらを見ることが出来ますよ!

   

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奴国を歩く3「奴国内にある古墳(下白水大塚古墳・赤井手古墳・竹ノ本古墳)」

2019年08月17日 09時26分23秒 | 歴史
「奴国」の中心地である福岡県春日市では、4世紀ごろからは各地の豪族の支配が相次ぎました。
彼らの領地を見下ろす場所に墳丘が築かれ、春日市域には古墳や古墳群が数多く見られます。
なかでも、那珂川流域の段丘上には前方後円墳が集中していますが、春日市域には「日拝塚古墳」など
6基が確認されています。
前回の「奴国を歩く2」では、弥生時代後の古墳時代にきずかれた、春日市内にある代表的な古墳である国指定史跡
「日拝塚古墳」を紹介しました。
今回は、奴国を歩く3「奴国内にある古墳(下白水大塚古墳・赤井手古墳・竹ノ本古墳)」を紹介したいと思います。
〇福岡県春日市下白水北にある市指定史跡「下白水(しろうず)大塚古墳」は、近世以降に墳丘上や周辺が、
共同墓地として使用されたため、古墳の原形はかなり損なわれています。前方部は道路によって
一部壊されていますが、全長50メートル前後と推定される前方後円墳です。
周溝と横穴式石室の一部が発見されていますが、未調査のため詳細は不明です。
築造時期は6世紀後半から7世紀前半頃と推測されます。河岸段丘上につくられたこの地域では、
大型の前方後円墳です。
住宅街の中にあり、よくも宅地化されずに残ったものです。「奴国の丘歴史資料館」の学芸員さんの話によると、
この古墳は地元の方が昔から大切にされているとのことでした。

        

〇福岡県春日市弥生にある市指定史跡「赤井手古墳」は、6世紀初頭に築造されたと考えられる直径30メートルの円墳です。全長4メートルの横穴式石室は盗掘を受けていましたが、石室から鏡をはじめ各種装身具、武器、工具、須恵器など多数の副葬品が確認され、その内容から首長墓と考えられています。特に、須恵器器台と子持壺は見事でした。「奴国の丘歴史資料館」で見ることができます。丘陵地帯の最高部につくられており、とても見晴らしのよい所につくられた古墳です。現在、公園になっており自由に見学が可能です。道・家を挟んで南側に「竹ノ本古墳」を見ることができます。

           

〇福岡県春日市弥生にある市指定史跡「竹ノ本古墳」は、全長20~30メートルの規模と推定される前方後円墳です。石室構造や時期については未調査のため不明ですが、後円部に露出している石材や、近接する「赤井手古墳」の時期から判断すると6世紀代と推定されます。丘陵の上につくられた小型の前方後円墳です。残念ながら、古墳の入り口には柵がしており遠くからしか見ることができませんでした。高台につくられておりす古墳の傍には、弥生時代から古墳時代にかけての集落が発見されました。現在、古墳の周りは、住宅地となっています。

今回紹介した古墳は、全て近距離にあり丘陵地帯に築かれているので、古代は色々な方向から良く見えていたのでしょうね!

     

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奴国を歩く2「奴国内にある古墳(日拝塚古墳)」

2019年08月09日 11時45分19秒 | 歴史
前回は、奴国を歩く「須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史公園)」を紹介しました。
今回の「奴国を歩く」では、弥生時代後の古墳時代に築かれた、春日市内にある代表的な古墳を2回に分けて紹介したいと思います。
今回は、奴国を歩く2「奴国内にある古墳(日拝塚古墳)」を紹介したいと思います。

世紀ごろからは各地の豪族の支配が相次ぎました。彼らの領地を見下ろす場所に墳丘が築かれ、春日市域には古墳や古墳群が数多く見られます。なかでも、那珂川流域の段丘上には前方後円墳が集中していますが、春日市域には「日拝塚古墳」など6基が確認されています。

古墳時代に入ると、全国的に前方後円墳が造られるようになります。春日市域でも、古墳時代の遺跡は多数存在しますが、弥生時代に見られたような、文化の先進性は見られません。ただ、隣の那珂川流域に点在する前方後円墳や、九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」は、春日市域にも及んでおり九州地方では、この地域が、重要な位置を占めていたようです。

〇福岡県春日市下白水(しろうず)にある国指定史跡「日拝塚(ひはいづか)古墳」は、6世紀に築造された前方後円墳で、一部が削られており現存する墳丘の長さは43メートルですが、周溝を含めると全長61メートルに復元されます。石室は奥行き3.6メートル、幅2.6メートル、高さ4メートルです。周溝まで含めた規模は全長60メートルほどになります。墳丘の主軸がほぼ東西を向いており、彼岸の時期には東方約16キロメートルにある大根地山(おおねちやま)から昇る太陽を拝めることから、「日を拝む塚」として「日拝塚」と呼ばれるようになりました。主体部は、後円部中央に位置する単室の横穴式石室です。1929年に盗掘を受けた際、石室内から須恵器、鏡、装身具、武器、馬具などが多量に出土しており、大部分は回収され、東京国立博物館に収蔵されています。「日拝塚古墳」出土とされる「金製垂飾付耳飾(きんせいすいしょくつきみみかざり)」は、細工がとても素晴らしい耳飾で、「奴国の丘歴史資料館」で見ることができますこの地域では、とても立派な前方後円墳です。「奴国の丘歴史資料館」に申し込むと、石室にも学芸員さんと一緒に入ることができ、色々な話を聞くことができました。とても整備されており、一見の価値がある古墳です。

                     

  

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奴国を歩く「須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史公園)」

2019年08月03日 14時57分33秒 | 歴史
今、「飛鳥」の地を離れて、九州の博多の地にいます。この地は、今から2,000年ほど昔のこと、弥生時代の福岡平野一帯は「奴国(なこく)」とよばれる国でした。国宝「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印で有名な「奴国」の中心地があったとされる、春日市(福岡県福岡市の東南に隣接する市です)の「須玖岡本
(すぐおかもと)遺跡」に、「奴国の丘歴史資料館」と「奴国の丘歴史公園」があります。今回は、奴国を歩く「須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史公園)」を、数回に分けて紹介したいと思います。
 福岡県春日市は、福岡市の東南に位置し春日丘陵と呼ばれる福岡平野の南部丘陵を形成しています。この地方は古くから古代の墳墓・ 遺跡が発見されており、中でも青銅器生産関連の遺物が多いことで注目されていました。 
「奴国」は、大陸に向かう天然の良港・博多湾という地の利により、いち早く中国や韓半島からの進んだ文化を取り入れて発展した先進地域でした。奴国」の王は、西暦57年、中国の皇帝(漢の光武帝)に使いを送りました。これを喜んだ光武帝は「漢委奴国王(かんのわのなこくおう)」の金印を与え、
正式に奴国の王を認めたと、古代中国の歴史書『後漢書(ごかんしょ)』東夷伝(とういでん)は記しています。「奴国」は、日本列島の国の中で初めて世界の歴史に名を刻んだ国なのです。春日市域では、弥生時代中期から集落が急増し「奴国」の中心地として成長していったことが、遺跡の発掘調査で裏付けられています。
弥生時代の終わりごろ(約1,800年前)、日本列島で最も勢力を誇っていたのは、女王「卑弥呼(ひみこ)」が治める「邪馬台国(やまたいこく)」でした。倭国(わこく)はまだ大小30余りの国に分かれて相争っており、その中にあって、この頃の「奴国」は、2万戸を超える人々が住む有数の国だったことが「魏志倭人伝」には
記されています。「魏志倭人伝」に記された国のうち、対馬国(長崎県対馬市)、一支国(長崎県壱岐市)、末盧国(佐賀県唐津市)、伊都国(福岡県糸島市)、奴国(福岡県福岡市)の五カ国は、 所在地がほぼ確定されているようです。「伊都国(いとこく)」については、以前に日本古代史最大の謎「邪馬台国と卑弥呼」(2014年8月12日)のブログの中で、
平原遺跡等を紹介させていただきました。
「奴国」の王都ともいえる「須玖岡本遺跡」周辺部では、弥生時代中期から引き続いて盛んに青銅器やガラス製品、鉄器などを生産していたことが、近年の発掘調査によって分かってきました。わが国最大規模を誇る青銅器工房で、大量に生産された銅矛(どうほこ)などは、西日本各地から朝鮮半島南部にまでもたらされており、「奴国」の影響力がいかに大きかったかを物語っています。
「奴国の丘歴史資料館」内には、弥生時代の青銅器や鉄器、鋳型など多数の遺物を展示した「考古資料展示室」、昭和初期の農家の生活をテーマとした「民俗資料展示室」などがあります。又、国指定史跡「須玖岡本遺跡」の一部である「奴国の丘歴史公園」には、弥生時代の甕棺墓を発掘調査時の状態で展示しているドームがあります。

                         

春日市岡本地区の閑静な住宅街の一角にある「熊野神社」は、国指定史跡を含む「須玖・岡本遺跡」群の中心地にあるお社で、緑豊かな一帯は地域住民のいこいの場としても親まれています。1615~1625年頃の建立と考えられていますが、詳しい年代は明らかでなく、祭神として伊弉諾命(いざなぎのみこと)および伊弉冉命(いざなみのみこと)がまつられています。境内からも、弥生時代のカメ棺と古墳が発見されるなどしています。神社境内に須玖岡本遺跡の説明板も設置してある。江戸時代に近くの畑から銅矛鋳型が発見され、熊野神社の宝物になっています。銅矛鋳型は、国の重要文化財に指定されています。また、本殿裏には、「熊野神社古墳」があります。 

1899年に「熊野神社」近くで巨石の下に発見された甕棺墓(かめかんぼ)は、前漢鏡30面前後のほか多数の宝物が副葬されており、これを「奴国王墓」とするこでは考古学の定説となっているようです。この巨石は、明治時代に家を建てるのにじゃまだというの で動かしたところ、下に墳墓があり中から鏡(前漢鏡)が30面以上、銅剣・銅鉾・銅戈などの青銅器が8本以上、ガラスの壁 (へき)やガラスの勾玉などが多数出土しました。これらの副葬品は既に散逸してしまっていますが、上石だけは転々と場所を代え「熊野神社」に残っていたものを、現在は「奴国の丘歴史公園」内に移転され見ることが出来ます。 

実は、「奴国の丘歴史資料館」ができる数十年前に、この丘陵(現在、「奴国の丘歴史公園」)を歴史散策したことがありました。この時、丘陵にある畑から甕棺の一部が露出していたことを思い出しました。久しぶりに、この地(奴国)を歴史散策していると、歴史の深さを感じ取ることができました!
    
 
   
 

 

 

 

 

 

 

 
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