泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「第一代神武天皇の御陵と橿原神宮」

2020年03月24日 13時08分27秒 | 歴史

奈良県橿原市にある「神武天皇陵」は第一代の天皇の御陵であり、畝傍山(うねびやま)の北東の麓には「橿原神宮」が所在します。

今回は、「第一代神武天皇の御陵と橿原神宮」について紹介したいと思います。

神武天皇の御陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
日本書紀、古事記によると、初代天皇とされる「神武天皇」(在位:前660年~前585年)は日向(宮崎)地方から、瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足の「八咫烏」(やたがらす)というカラスに導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し、初代の天皇になりました。新天皇が即位する際は神武天皇山陵と前四代の天皇山陵に参拝することが通例で、歴代の天皇が橿原を訪れています。

また、「神武天皇陵」の傍には、「日本のはじまりの地」と呼ばれる「橿原神宮」が所在し、橿原の見所の一つになっています。

「神武天皇」と皇后「媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)」を祭神として祀られています。「神武天皇」の皇居である「橿原宮」がこの地にあったとされることから、明治時代に官幣大社として創建されました。

普段、なかなか行かない神武天皇陵。帰りには日本の始まりの地とされる橿原神宮への参拝、厳かな雰囲気が漂っておりました!

                                  

 

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梅花の香りがいっぱいの「賀名生(あのう)と偕楽園の梅林」

2020年03月15日 13時44分11秒 | 旅行

梅花の香りがいっぱいの時期に、関西では有名な奈良県西吉野にある「賀名生梅林」と、日本三名園のひとつである茨城県水戸市にある「偕楽園」に行ってきました。

今回は、梅花の香りがいっぱいの「賀名生(あのう)と偕楽園の梅林」を紹介したいと思います。

〇五條市西吉野町にある「賀名生梅林」は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る奈良県下有数の梅林として知られています。さながら雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが山々を伝うように漂ってきます。早春の陽光を浴びて、純白や淡い紅色の2万本もの梅花が咲き、雲海のような幻想的な風景が広がります。口の千本、西の千本、奥の千本などの景勝ポイントがあります。「賀名生(あのう)」 という地名は、南朝時代に付いた由緒あるもので周辺には賀名生皇居跡や歴史民俗資料館があります。堀家住宅 「賀名生皇居跡」は、かつて南朝の皇居として使われた邸宅です。後村上、長慶、後亀山天皇のほか、後村上天皇の先代後醍醐天皇も京を追われて吉野に入る途中に滞在したと言われています。

「賀名生(あのう)」の名は、もと「もとは穴生」(あなふ)と書いたようですが、後村上天皇が行宮を吉野山からこの地に移した際に、南朝による統一を願って「叶名生(かなう)」と改め、さらに1351年にいったん統一が叶うと「賀名生(あのう)」に改めたという伝承が残っているようです。

3月上旬に行ったのですが、丁度見頃でした。雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが山々を伝うように漂ってくる「賀名生梅林」、桃源郷のような所でした!

                       

 

〇茨城県水戸市にある「偕楽園」は、金沢の「兼六園」・岡山の「後楽園」とともに日本三名園のひとつに数えられており、江戸時代(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。
園内には約100品種3,000本もの梅が、春の訪れを告げるかのように可憐に咲き競います。 様々な品種があるため、「早咲き」「中咲き」「遅咲き」と長期間にわたり観梅を楽しむことができるのも魅力のひとつです。2月下旬に行ったのですが、8分咲きくらいでしたが見頃でした。ボランティアガイドさんの案内のもと、楽しく観梅できました。途中で水戸黄門さん?等にも会うことができ、楽しいひと時となりました!

                

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梅花の香りがする「早春の飛鳥花風景・2020」

2020年03月09日 08時16分23秒 | 散歩

3月になり、ようやく奈良県明日香村においても、待ちに待った「春」がやってきました。

今回は、菜の花があちらこちらに咲き梅花の香りがする「早春の飛鳥花風景・2020」を紹介したいと思います。

久しぶりに、甘樫丘にのぼってきました。ここからの景色は、ほぼ360度見渡せる場所で私のお気に入りの一つです。

甘樫丘の麓には、菜の花とポピーの花が咲いていて、いっきに「春」を感じられます。今回、春を探しに飛鳥を散策していると、思わぬ発見がありました。

前回紹介しました「飛鳥川沿いに咲く河津桜」は、お隣の橿原市でしたが、何と飛鳥においても「河津桜」を見ることが出来ました。場所は、大字「立部」から朝風峠に行く途中の山の斜面に見ることが出来ました。遠くからも、可憐なピンク色の「河津桜」がわかります。新しい発見に、何だかハッピーな気分になれました!

ヒバリの声を聴きながら飛鳥を散策していると、あちらこちらで梅花の香りや菜の花など「春」の景色を多く目にします。

毎年この時期には、梅花の香りがただよう「早春の飛鳥」の散策がとても気持ちがよく、お薦めですよ!

 

                         

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飛鳥川沿いに咲く「今が見頃の河津桜」

2020年03月05日 09時03分13秒 | 散歩

奈良県橿原市四分町に鎮座する「鷺栖(さぎす)神社」は、飛鳥川沿いにある西向きの古社です、 創立年代は不詳ですが、かつて飛鳥地域にあったようです。

この古社の前に流れている飛鳥川沿いに、この地域では珍しい「河津桜」が見られ、今が見頃となっています。

今回は、飛鳥川沿いに咲く「今が見頃の河津桜」を紹介したいと思います。

「河津桜(カワヅザクラ)」は、日本にあるサクラの一種でありオオシマザクラ とカンヒザクラの自然交雑種であると考えられています。1955年ごろに静岡県の河津川沿いで発見され、河津町に移植されたことから名付けられたようです。2月中旬から3月上旬に、「かんざくら」よりも大きく濃い淡紅色の花を咲かせます。

「河津桜」発祥の地である静岡県河津町の「河津桜祭り」の様子は、ニュースで見たことがありましたが、まさか飛鳥川沿いにこのような素敵な「河津桜」を見ることができるとは思ってもいませんでした。淡紅色の「河津桜」、とても素晴らしい花景色でした!

                  

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山中にある巨大な横穴式石室を持つ「越塚古墳」

2020年03月02日 08時57分46秒 | 歴史

奈良県桜井市粟原字越にある「越塚古墳」は、粟原川に向かって西北に伸びる尾根上にある県史跡の古墳です。桜井市の地域では「赤坂天王山古墳」(2019年6月6日、崇峻(すしゅん)天皇陵の可能性が指摘されている「赤坂天王山古墳」で紹介させていただきました。)・「ムネサカ古墳」と並ぶ巨大な横穴式石室を持つ古墳で、下り尾集落の東端に位置しています。以前紹介した、「ムネサカ古墳」とは粟原川を挟んで、反対の山中にある古墳です。

今回は、山中にある巨大な横穴式石室を持つ「越塚古墳」を紹介したいと思います。

「越塚古墳」の墳丘は、直径約40m・高さ約6mの2段築成の円墳です。石室は全長約15.4mで棺を納めた玄室は長さ約5.2m、幅約2.5m、高さ約3.8mで、奥壁や前壁を垂直に積み側壁も比較的もち送りが少なくい長方形の箱型が特徴です。玄室内には、組合式石棺の底石と側石の一部が残っています。 羨道部(通路部)は、長さ約10.2m、幅約1.7m、高さ約1.9mで、南西方向に開口部があります。正式な調査が行われていない為、出土品等は知られていませんが、石室の様式からみて6世紀末の古墳と思われます。付近で産出する花崗岩の自然石を巧みに使った石室で、堂々とした風格が漂う古墳といった感じです。石材が花崗岩の自然石に近く、また積み方等から、「赤坂天王山古墳」と同時期かやや新しい6世紀末葉頃の築造かと考えられます。粟原谷を見下す丘陵中腹部に位置しており、「粟原寺」造営(2016年12月16日、「粟原寺・白山神社・十二柱神社・宗像神社・桜井茶臼山古墳」で紹介させていただきました)に関連した人々につながる豪族たちの奥津城であろうと考えられています。

それにしても、「ムネサカ古墳」と同様に山中にこのような巨大な横穴式石室を持つ古墳がつくられたのでしょうかね~・・・

                    

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