泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(5)

2023年02月28日 07時50分59秒 | 歴史
奈良県桜井市にある鳥見山周辺の古墳を、久しぶりに探訪してきました。「鳥見山」は、奈良県桜井市外山(とび)にある山(標高245メートル)です
「鳥見山周辺の古墳探訪」を、数回に分けて紹介したいと思います。
前回は、墓古墳(くさはかこふん )でした。
今回は、「鳥見山」の西側にある「谷首古墳」を紹介したいと思います。
奈良県桜井市阿部にある「谷首古墳」(県指定史跡)は、墳形は方墳で一辺約40m、高さ約8mあり石室は南に開口しています。石室は、飛鳥にある「石舞台古墳」とよく似た大型の両袖式横穴式(全長13.8m)です。石室内から、かって、凝灰岩の破片が出土した事で、家型石棺があったと思われます。見応えのある石室です。
築造年代は7世紀初頭~前半で、このあたりを本拠地にした豪族である「阿倍氏」関係の墳墓と考えられています。 
阿部丘陵の中では最大規模を誇り、中世には墳丘が砦として利用され、現在は八幡神社が古墳の上に鎮座しています。 周囲は、完全に宅地化されています。
墓古墳(くさはかこふん )」や「安倍文殊院」の近くにあり、古墳巡りには最適な古墳だと思います!

        
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奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(4)

2023年02月21日 07時52分01秒 | 歴史
奈良県桜井市にある鳥見山周辺の古墳を、久しぶりに探訪してきました。「鳥見山」は、奈良県桜井市外山(とび)にある山(標高245メートル)です
「鳥見山周辺の古墳探訪」を、数回に分けて紹介したいと思います。
前回は、「秋殿南古墳」と「舞谷2号墓」でした。
今回は、「鳥見山」の西側にある墓古墳(くさはかこふん )」を紹介したいと思います。
桜井市谷の住宅街の中にある「艸墓古墳」は、住宅地の中にあり安陪文殊院のすぐ近くにあります。
墳形は、方墳(南北28m、東西22m、高さ8m)で東南に開口しています。
埋葬施設は、花崗岩を用いた両袖式横穴式(全長13.2m)で、玄室部は長さ4.4m、幅2.7m、高さ2m。羨道部は長さ8.8m、玄門幅1.9m、高さ約1.5mで、玄室の側壁と天井石の間隙に漆喰が残っています。石棺は、竜山石製の刳抜式家型石棺で6個の縄掛突起を持っています。出土遺物は不明ですが、築造時期は石室や石棺の様式から7世紀前半と思われます。石棺に対して石室が小さいことから、石棺を据えたのち石室および墳丘が構築されたと推測されます。  周辺の遺跡では、大型建物跡も検出されており古代氏族の阿倍氏との関係性が指摘されています。 
それにしても、住宅地の中にありこれだけ立派な石棺が見られる古墳は、大変貴重だと思いました!

           
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奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(3)

2023年02月17日 07時54分10秒 | 歴史
奈良県桜井市にある鳥見山周辺の古墳を、久しぶりに探訪してきました。「鳥見山」は、奈良県桜井市外山(とび)にある山(標高245メートル)です
「鳥見山周辺の古墳探訪」を、数回に分けて紹介したいと思います。
この山の南側辺りにある古墳を、紹介したいと思います。
前回は、「こうぜ1号墓」でした。
今回は、「秋殿南古墳」と「舞谷2号墓」です。
「秋殿南古墳」
鳥見山南麓に派生する尾根の先端部の南西斜面に築かれた1辺24m、高さ約5mの方墳です。南に開口する横穴式石室で、玄室の長さ6.3m、幅2.3m、高さ2.3m、羨道の長さ6.3m、幅1.65m。石室の石材は花崗岩で、一部に加工した切石を使っています。築造時期は、7世紀前半(または7世紀初頭])頃の築造と推定されます。 石室の形態としては岩屋山古墳(明日香村)と同様の特徴を有しており、明日香村にある、塚本古墳・打上古墳」の石室とはほぼ同一設計になると見られています 。
この古墳は、 明日香村の岩屋山古墳に先行する古墳と考えられています。桜井中学前の信号から民家の中の道を通って5分程度で手軽に見学ができます。 石室内は、綺麗に整備されていました。

      

〇「舞谷2号墓」
桜井市浅古にある舞谷2号墳は磚槨(せんかく)式石室の古墳として知られます。舞谷古墳群は鳥見山の南山麓に放射状に伸びた小尾根上に造られた古墳群で尾根毎に1墳丘づつ東西に並ぶ古墳群です。
墳形は方墳(東西10.6m、南北9m)で、高さ約2.5m、南に開口しています。
石室は、横穴式の磚積墳で室生安山岩(榛原石を使用)で羨道部は半壊しています。 榛原石を漆喰で固めた、磚積式の珍しい石室です。
(桜井市にある「花山西塚古墳」が有名です。韓国で見た石室とそっくりでした。※2020年9月6日に紹介) 
出土遺物は、不明です。築造年代は、7世紀前半~中頃と思われます。
残念ながら案内板(解説板)もなく、また保存状態もよくありません。これだけの珍しい磚積式の珍しい石室を持った古墳、大切にして後世に残すべきだと思いました!

    
 
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奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(2)

2023年02月13日 08時25分18秒 | 歴史
奈良県桜井市にある鳥見山周辺の古墳を、久しぶりに探訪してきました。
「鳥見山周辺の古墳探訪」を、数回に分けて紹介したいと思います。
「鳥見山」は、奈良県桜井市外山(とび)にある山(標高245メートル)です。
この山の南側辺りにある古墳を、紹介したいと思います。
前回は、「メスリ山古墳」と「コロコロ山古墳」でした。
今回は、「こうぜ1号墓」です。
〇「こうぜ1号墓」
桜井市浅古字こうぜにある「こうぜ1号墓」は、鳥見山南麓から派生する尾根の先端に築かれた古墳です。こうぜ古墳群は、1号墳から3号墳までありますが、石室見学が可能なのは1号墳のみです。
墳形は、前方後円墳?で全長50mほどです。南西に開口し石室は、全長11m(西石室)と9.7m(東石室)の2基の石室が、隣接して築かれています。両袖式横穴式です。
以前は、どこから入っていいのか分かりませんでしたが、現在 整備されており古墳の入り口まで木々に赤いテープが貼ってあります。
石室内も整備されて、見学できます。
   
   

・西石室は、後円部と考えられる墳丘西側に位置し南側に開口する両袖式の石室で比較的大型の石材が使われています。石室内には多量の流入土が入り込んでいましたが、現在整備されていて途中まで入ることができます。玄室高は3m強あると思われます。

    

・東石室は、前方部と考えられる墳丘の東部分に位置し、南側に開口する両袖式の石室です。
 使用されている石材は西石室に比べやや小さいですが構築方法には類似性があり築造時期も6世紀後半~末と考えられています。遺物等は確認されていません。
こちらも現在整備されていて、石室の中に入ることができます。
近距離に西石室と東石室の2基の石室がある、珍しい古墳です!

     
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奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(1)

2023年02月08日 09時34分42秒 | 歴史
奈良県桜井市にある「鳥見山」周辺の古墳を、久しぶりに古墳探訪してきました。
「鳥見山周辺の古墳探訪」を、数回に分けて紹介したいと思います。
「鳥見山」は、奈良県桜井市外山(とび)にある山(標高245メートル)で「神武天皇」が皇祖天神を祭ったところといわれています。
この山の南側辺りにある古墳を、紹介したいと思います。
今回は、奈良県桜井市の「鳥見山周辺の古墳探訪」(1)で「メスリ山古墳」と「コロコロ山古墳」です。
〇メスリ山古墳(国史跡)
奈良県桜井市高田にある「メスリ山古墳」は、前方後円墳で墳丘長224mあり国の史跡に指定されています。出土品は国の重要文化財に指定されています。
出土した初期の円筒埴輪などから、鳥見山古墳群の古墳で、同じ古墳群の桜井茶臼山古墳とともに、初期のヤマト王権の王墓(4世紀頃)だと推測されています。
出土品としては、我が国最大の円筒埴輪(径0.9m、高さ2.4m) をはじめ、武器に関する多量の副葬品が発見されました。他にも大型勾玉、玉杖、太刀、剣、農工具等総計で680点以上が出土しました。
その多くは、「橿原考古学研究所付属博物館」で見ることができます。
この古墳は、全国で14位に相当する古墳ですが200m以上の多くは陵墓あるいは陵墓参考地で、立ち入りが制限されていますがこの古墳は数少ない墳丘に登れる古墳です。
南側に神社があり、その右側から後円部に登ることができます。後円部には、竪穴式石室の天井石や方形の土壇が確認できます。
これだけの大きな王墓の中を、歴史散策できるのもとても珍しいことだと思いました



〇コロコロ山古墳
奈良県桜井市阿部にあった古墳です。元々メスリ山古墳の西方20mの所に所在していましたが調査後、石室はメスリ山古墳の裾部に移築保存されています。 
形状は、1辺30m・高さ3mの方墳で、両袖型横穴式石室を持つ古墳です。現在、墳丘は失われています。
天井と上部の石材の一部は抜き取られていました。築造時期は、6世紀後半)頃の築造で、7世紀中葉頃の追葬と推定されています。 
初葬時・追葬時の副葬品が多数検出されています。 出土品のうち、金銅製刀子は桜井市指定有形文化財に指定されています。 
メスリ山古墳のすぐ傍にあり、両方共に見学することができます!


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