たしか橋本治だったよなアレ、
と本棚から取り出した一冊の本。
探しだそうとしていたのはコレ。
「仕事」とはつまり、「他人の需要に応えること」です。いくら当人にやる気があっても、それに対する「外からの需要」がなければ、「仕事」というものは成り立ちません。そしてそれが「他人の需要に応えること」だから、仕事は時として、「うんざりするもの」なのです。(橋本治、『上司は思いつきでものを言う』、集英社新書)
橋下治
集英社
だから、仕事は時として「うんざりするもの」なのです。
という、最後のさわりがあるからこそ橋本治。
そしてそういう書き方に、得も言われぬシンパシーを感じる私なのである。
さて、この
「仕事とは他人の需要に応えること」という理り、
当然至極のことのように私なんぞは思うのだが、意外とわかっていない人が多いように感じるのである。
「他人」とは、
自分という個にとっての「他人」であり、
会社という組織を「人」としたときの「他人」であり、
「私と私の環境」をひと括りにした場合の「他人」であり、
いずれにせよ、
「仕事とは他人の需要に応える」ことなのだ。
だから、「他人の需要に応える」ことがキャパシティオーバーと感じたとしても、
なまなかなことで閉じてはいけないし、逃げるわけにもいかない。
後退りしたとしても踏みとどまり、
ことさらにオープンマインドたらんと心がける。
ま、平たく言えば、
そこで無理やりカラ元気を出してみるとか、
とりあえず愛想笑いをしてみるとか、
それでもダメなら思いきって泣いてみるのも戦術のひとつとしては有りだし、
なんにしても、ありとあらゆる手を尽くして突破を試みることが肝要なのである。
内心、「時としてうんざり」しながらも、それを試みつづける人間には、
単なる体験が、身体で覚えこんだ得難い「経験」となるというご褒美がもれなくついてくる。
(ということはつまり、逆の場合は、いつまでたっても血肉としてインプットされない)
と、私は思う。
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