答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

なりゆき上「先頭を走る係」になってしまった人へ

2014年11月14日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

ふだん、コメントがあまりないブログである。

生身の本人がそうなのだから、ブログもまたそうなのは仕方がない。

が、とはいいつつも、コメントという形での反応があるのは間違いなくうれしいし、ありがたいものである。

 

はじめまして。けっこう前より、お仕事に対する取り組み方に感動して、わたしのいる分野は違うもののずっと拝読しています。わたしはもともとリーダータイプではない性格なのに、なりゆき上「先頭を走る係」になってしまってどう進んでいいのか戸惑っていたところにこのブログにであって、本当に勉強させていただいおります。

 

このコメントをいただいたのは10日以上前、

こんなふうに、拙文を読んでくださる人が存在するというその事実と、

そして何よりも当の本人さんに対する感謝。

見ず知らずの他人さまに励みとされているなどと聞くに及んでは、

いえいえどういたしましてこちらこそ励みになります、

としか言いようがないのである。

 ということで、

コメントで返すという手もないではないし、

それはそれであいさつ程度には返したのだが、

感謝の意を込めここで返信、というより触発されて自分の考えを書いてみる。

というつもりが、書きかけて長々と置きっぱなしにしてしまった。

(遅れてごめんなさい)

では。

 

コメントの主さんと違い私は、リーダータイプである。

トップになるタイプではないと思うが、リーダー的存在にはなろうとする人である。 

二極に割り切れるかというとそうでもないが、性格的に、そういう人とそうではない人とは間違いなく存在する。

ところが、自分自身で思い込んでいるそのタイプが、

他人から見た場合どうなのかとなると、話しはちと違ってきて、

つまり「リーダーとしてふさわしい」タイプが「リーダーをしたがる」タイプとイコールかどうかというと、

いやいやそうでもないんじゃないかい、と思ってしまう場合は少なくない。

(そういう私も、私から見た私と他人から見た私は、相当に違っているかもしれないし)

そして、ことはリーダー云々の場合だけでなく、渡る世間(会社やらなんやら色んな場合をひっくるめて)というやつは、

自分自身が分類した自分のタイプにふさわしい役割は与えられないのが多い、というのが現実なのである。

そういうものなのである。

が、ここで往々にして勘違いが生じてしまうのだ。 


「私にはもっと私らしい仕事(役割)があるはずだ」


ということで今の自分が置かれた立場を否定する。


「私にはもっと私らしい仕事(役割)があるはずだ」


いや、人間だもの。思うのはそれでいい。問題なのはここからである。


「私にふさわしい場所が違うところにあるはずだ」


いや、これもまた、思うのは悪くない。問題はその先である。


「だから私は、その場所を見つけるのだ」


こうなってしまうとダメなのである。なぜダメなのか。

そもそも、ふさわしい場所はどこかにあるかもしれないし、どこにもないかもしれない。

それは見つけようとして見つかるものではないからである。


先日、

「仕事」とはつまり、「他人の需要に応えること」です。いくら当人にやる気があっても、それに対する「外からの需要」がなければ、「仕事」というものは成り立ちません。そしてそれが「他人の需要に応えること」だから、仕事は時として、「うんざりするもの」なのです。(橋本治、『上司は思いつきでものを言う』、集英社新書)

という文章を引用したあと、


「他人」とは、自分という個にとっての「他人」であり、会社という組織を「人」としたときの「他人」であり、「私と私の環境」をひと括りにした場合の「他人」であり、いずれにせよ、「仕事とは他人の需要に応える」ことなのだ。だから、「他人の需要に応える」ことがキャパシティオーバーと感じたとしても、なまなかなことで閉じてはいけないし、逃げるわけにもいかない。

後退りしたとしても踏みとどまり、ことさらにオープンマインドたらんと心がける。

ま、平たく言えば、そこで無理やりカラ元気を出してみるとか、とりあえず愛想笑いをしてみるとか、それでもダメなら思いきって泣いてみるのも戦術のひとつとしては有りだし、なんにしても、ありとあらゆる手を尽くして突破を試みることが肝要なのである。

内心、「時としてうんざり」しながらも、それを試みつづける人間には、単なる体験が、身体で覚えこんだ得難い「経験」となるというご褒美がもれなくついてくる。


と書いた。

その繰り返しがアナタや君やボクや私を明るい未来へと導いてくれる、と言えるほど私は脳天気ではないし、楽観的でもない。

だが、たとえ「なりゆき上」だったにしても、「他人の需要」に応えるべく努力をする人が積み重ねた「経験」は、

その人自身にとって悪かろうものになるはずがないと、私は思う。

少なくとも私は、世間の風潮がどうあろうと、そういう人を評価する人間でありたいと思うのである。

 

 

 

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コメント (5)
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