yamanba's blog

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【枯葉剤】北九大・原田和明氏による夕張調査報告(2)~2つの埋設候補地

2019-11-21 16:14:04 | 245T剤埋設問題

北九州市立大学の原田和明氏から夕張調査の続報および資料が届きましたので、ご報告します。

なお、前回の報告書<第1回 危険なタイムカプセル>はこちらです。


(以下、転載)



第2回 2つの埋設候補地

 紅葉が始まっていましたが、北海道とは思えない、暖かいというか半袖でもよさそうな陽気でした。927日午後、事前に案内をお願いしていた北海道森林管理局(札幌市)と地元空知営林署の職員さんと夕張市内で待ち合わせ、現地に向かいました。ところが、さっそくトラブル発生。案内役の営林署の方が道に迷ってしまったのです。何の目印もない林道で年に2回しか来ないのですから、迷子になるのは仕方のないことです。改めて、林道のゲートまで引き返し、およそ10分で目的地に到着しました。おそらく、1984年にも同じことが起きたのではないかと思いました。1986411日の衆院環境委員会の議事録に、夕張市の埋設枯れ葉剤のことがでてきます。 (議事録は青色表示)

竹村泰子(社会党 北海道1区選出)「夕張営林署管内の真谷地というところ、ここにはダイオキシンが含まれるという2・4・5T系粉剤が一度に六百キロも埋設されているわけです。御存じのとおり、ダイオキシンの処分については一カ所に埋め込む量は『三百キログラム以内』、それから『十倍量程度の土壌とよく混和したうえ、セメント一、水〇・六、土壌四~五の重量配合で練り合わせ、コンクリート塊としてビニール底の上に埋め込む』こと、こういう規定まであったのですね。ところが、私たちはその当時の作業員を証人としてお願いをしました。そうしますと、北海道の十二月、雪もちらちら降ってくる寒い季節、夕暮れになって作業を急ぎ、慌てて穴を掘ってそこにほうり込んだという事実が証言されたわけです。」

はっきり明言しているわけではないけれども、「土壌とよく混和」した形跡はなく、245Tを紙袋のまま穴に投入したような印象を受けます。「三百キログラム以内」のルールを守っていないのに、「十倍量程度の土壌とよく混和」という面倒なルールの方は守られていると考える方が不自然でしょう。竹村の質問は続きがあります。 

「営林署が埋めたとおっしゃるところとこの証人が埋めたと言っているところとは六百メートルも差があった。そして(営林局は)あくまでもそちらですと言って頑張られる。私たちの強い要求で、後日、営林局はこの証人の言った場所を掘りました。そうしますと、そこから、ダイオキシンこそ出てこなかったけれども、2・4・5Tとおぼしき塊が出てきた。そういう事実があるのです。」 

 今回の調査の目的は、この「六百メートル違いの埋設ポイント」の問題が営林局の中で、どのように整理されているかを確認することでした。埋設ポイント特定の誤りを認めるのか、それとも、「六百メートル違いの埋設ポイント」の問題は最初から存在しないことになっているかのどちらかだろうと思っていました。ところが、担当者の説明はどちらでもありませんでした。 

(北海道営林局課長補佐)「埋設地の六百メートルの違いは、地図上だけのことで、現地に行ってみたら、こちらの証人も、社会党の証人も同じところを指し示したのです。それがここです。」 

見事に「埋設地の六百メートル」問題は解消されたかのようです。ところが、GoogleEarthで現場周辺を確認すると、今回案内していただいた埋設ポイントから北東に六百メートルのところに、同じような草地があり、どうやら、その草地が、当初営林局が認定した埋設ポイントではないかと推測しました。今回同様、スタート地点を間違ったまま、似たような草地に出くわすと、場所を取り違えることは十分にありそうだと思いました。ましてや、13年前の、雪に埋もれる直前の景色の記憶を、夏に探したわけですから、間違ったとしても誰も責められません。 

 そもそも、山の中で、今いる場所を地図上に指し示すのはなかなかむつかしいものです。よその埋設地を訪ねたときも、その場で地図上に印をつけたものが、あとでGPSと照合してみると、谷ひとつ離れたところだったということが私もしばしばありました。 

 現在指定されている埋設地で、発掘調査がされないままの場所には実は埋まっていない、指定が間違っているというところが他にもあるのではないか?という疑念は深まったというのが、夕張の現場を訪れた私の感想でした。(続く)

 

 




こちらは北海道広尾山中の245T剤埋設地に関する記事(ここは撤去済み) 

 

 

夕張245T剤埋設地、真谷地(国土地理院地図に記入)

※真谷地では、1971年12月に埋められたのち、1984年に調査のため掘り起こしたあと埋め直している


 



この報告書は2019年11月19日に届いたものです。



福岡市議会名物「〇△議事録」、ついに全国報道!

2019-11-14 17:17:00 | 福岡市政

福岡市にとってこれほど不名誉なことはないだろう。13日付毎日新聞朝刊1面と6面に、福岡市議会・常任委員会の議事録が匿名であることが大きく報じられた。一昨日、匿名議事録のことを書いたばかりだったので驚いたが、毎日新聞社も全国47都道府県と20政令市、それ以外の道府県庁所在地31市の議会に対し、議事録の公開状況のアンケート調査を行っていた。記事を読むと、識者からまだこういう匿名の形が残っているのかと驚きの声が上がっている。当然だろう、これほど異常なことをしているのは福岡市以外にはない。

記事には詳しく書かれていないが、福岡市議会では、前期(改選前)、議会改革調査特別委員会で議事録の発言者名記載について議論が行われた。公開性向上のため、議事録に名前を記載するのは当たり前のことだとまともな意見が出る一方で、自民党や公明党、みらい福岡(現在の福岡令和会)など、名前を載せるのなら発言時間を制限すべきだと主張していた。このやりとりを傍聴していたが、どうして議事録に自分の名前を載せるのに持ち時間制を出すのか理解不能だった。傍聴席からは声が出せないので黙って聞くしかなかったが、自民党などは多くの意見を述べる議員や会派(共産党など)を牽制してこういうことを言い出したものと思われる。というのも、自民党や公明党などは委員会での発言が少ない。(つまり行政の言いなり)それが公になるとまずいと考えたのだろう。

毎日新聞の6面に、福岡市議会ベテラン議員のコメントがある。「実名記載には反対しないが、発言して記録を残すことが目的になってはいけない。記載するなら発言時間にルールを設けるのが条件だ」と。名前はないが、おそらく自民党議員だろう。このコメントに、はぁ?という感じだが、つまりはそういうことだろう。

12月議会(12月10日開会)で、ようやく今期の議会改革調査特別委員会が設置される。ここで議事録の問題も含めた議論が再開される。果たして、議事録はどうなるのか。全国紙でこれほど大々的に取り上げられたのだから、さすがにこのままというわけにはいかないだろう。早稲田大学教授で同マニュフェスト研究所顧問の北川氏も述べておられるが、議員には法的、道義的責任とともに主権者に対して説明責任がある。名前を載せるのは当たり前、あとは市民の声が集まれば事は動くと思うのだが。(近々、この請願署名をはじめます)


11月13日付毎日新聞6面記事

福岡市議会名物、〇△議事録登場!(写真は昨年12月、陥没事故について議論した際の議事録)



《関連記事》

福岡・山形市議会 常任委の議事録40年以上匿名 識者批判「まだ残っているとは」(2019.11.13毎日新聞 )

質問は「○」答弁は「△」 IT化からも情報公開からも取り残される地方議会の実態(2019.11.13 毎日新聞) 


《参考資料》

福岡市議会HP



福岡市議会改革市民検証委員会、阿部議長へ要望書提出

2019-11-12 16:32:00 | 福岡市政

福岡市議会では、議会改革を進めるため、前期(改選前)設置していた「議会改革調査特別委員会」を今期も設置する予定で、現在、特別委員会へ付託する調査事項の調整を行っている。ただ調整は遅れているようで、特別委員会の設置は12月議会にずれ込む見込みである。そこで、(共同代表を務める)福岡市の市民団体「福岡市議会改革市民検証委員会」(以下、市民検証委員会)は、特別委員会の調査事項になると思われる「議会基本条例」の中身について、先月末、阿部議長に2つの点について要望および提案をした。

話は少し遡るが、今年7月、(私を含めた)市民検証委員会のメンバーは、阿部議長と面談した際、議会基本条例制定の必要性を訴えた。しかし、阿部議長は「私は何も不自由をしていない、必要性はない」ときっぱり、さらに「議会基本条例はどうして必要なのか、きちんと説得できる材料を揃えて説明をしてほしい」といわれた。そこで、市民検証委員会は、(福岡市以外)19政令市の現状を把握するため、8月9日から約1ヵ月にわたり議会改革に関するアンケート調査を実施、全政令市から回答を得た。

アンケートの結果、2019年9月現在、議会基本条例を制定していないのは、福岡市以外では、仙台市と熊本市のみだった。また、常任委員会の議事録に発言者名を記載していないのは、福岡市だけということがわかった。議事録の発言者名記載については、前期の特別委員会でも議論されたが、結局、持ち越しとなった。そもそも議事録に名前を載せないこと自体が異常であり、(委員名の代わりに書かれた)〇△では誰が何を発言したのかわからない。これほど市民を愚弄した議会もないだろう。

今回のアンケート調査で最も注目すべき項目は、「常任委員会や特別委員会への市長の出席」についてである。というのも、一昨年、空港出資条例案をめぐり、高島市長は議長から三度、常任委員会への出席を要請されたにもかかわらず拒否し、逃走した。この行為を重く見た市民検証委員会は、今回、全政令市に「市長が常任委員会に出席することがあるのか」また「市長が常任委員会の出席を断ったことがあるのか」を尋ねた。

(この質問自体に驚かれたが)その結果、「議長からの出席要請を断ったケースはない 」、「どの議会の委員会条例も福岡市議会と同様、出席を求めようとするときは、議長を経てしなければならないという条文しか存在しない」との返答だった。その上で、 「常任委員会に市長が出席するのがよくある、ときどきある」と回答した議会が9市あった。特に、堺市は2009年から申し合わせのもと定例的に市長が出席していることがわかった。当然のごとく、議会の要請を拒否した市長は一人もいなかった。高島市長以外は。

アンケート結果を踏まえ、市民検証委員会は、阿部議長に「議長が要請した場合は、市長は各常任・特別委員会に必ず出席しなければならない」など2点の検討をしてほしいとの要望書を提出した(下参照)。果たして、高島市長の議会軽視に歯止めをかけることができるか。今後の福岡市議会の動向を注視したい。 

 

阿部議長に提出した「議会基本条例制定に関する要望書」

 

 

19政令市へ送ったアンケート用紙

 

 

 

《参考資料》

福岡市議会HP

 

 


【枯葉剤】北九大・原田和明氏による夕張調査報告(1)~危険なタイムカプセル

2019-11-05 16:46:16 | 245T剤埋設問題

先月末、朝日新聞夕張山中に大量の「枯れ葉剤」国有林に埋まる猛毒の謎』という記事が掲載されました。しかし、有料記事のため肝心な部分を読むことができません。その話をこの情報の提供者であり、枯葉剤研究の第一人者でもある北九州市立大学の原田和明氏にお伝えしたところ、夕張の調査報告をして下さることになりました。早速、第1回目の報告書と資料が届きましたので、ご紹介します。


(以下、転載)


2019年9月27日の朝日新聞のデジタル版に「夕張山中に大量の「枯れ葉剤」 国有林に埋まる猛毒の謎」という記事が掲載されました。しかし、無料で読めるのは冒頭部分だけで、内容は全然わかりません。翌28日には朝日新聞の北海道版に掲載されました。こちらのタイトルは「大量の枯れ葉剤 山中に今も」でした。記事を転載するわけにはいきませんので、原田から報告したいと思います。

 

第1回 危険なタイムカプセル

 ベトナム戦争では二重胎児や奇形児など出産異常が多発しました。その原因は、米軍が大量に散布した枯れ葉剤にあると考えられています。その枯れ葉剤と同じ成分の薬剤(以下、「枯れ葉剤」)が全国の国有林に埋まっているのをご存知でしょうか?林野庁が認めているものだけでも全国46ヶ所に約27トン。そんなものをいつ、誰が、何のために埋めたのでしょうか?ところが、問題はそれだけではなかったのです。ベトナム戦争当時、全国の国有林に撒かれた「枯れ葉剤」(商品名ブラシキラー)は4600トンにものぼります。つまり、埋められた枯れ葉剤は全国に散布された量のわずか0.5%に過ぎないのです。さらには、この「枯れ葉剤」の製造時に発生する副産物にも当然ダイオキシンが含まれているわけですが、それも水田除草剤として同時期に全国で10万トンが使われています。こうなると、27トンを撤去すれば安心という単純な話しではないことがわかっていただけると思います。いわゆる「埋設枯れ葉剤」は、ベトナム戦争のとき、日本でも枯れ葉作戦が行われていたという驚きの歴史を今に伝える「危険なタイムカプセル」なのです。

 晴天に恵まれた9月末、夕張市の町はずれで、今回の参加者の方々と待ち合わせ、現地に向かいました。舗装された道から、未舗装の林道に入ると数分ほどで林を抜け、雑草が茂る平地に出ました。林道脇に「この区域に2・4・5T剤が埋めてありますので立入を禁止します。」と書かれた白い看板があり、有刺鉄線で囲まれていました。柵は林道に沿って凡そ40メートル、奥行き20メートルくらいでしょうか。

 事前の調査で炭鉱の坑道跡と聞いていたので、トンネルの入口みたいなイメージを抱いていました。が、現地は露天掘りだったそうで、多少窪地になっているかなという程度の平地でした。林野庁の発表では、ここには600kgのブラシキラー(枯れ葉剤)が埋められていることになっています。600kgの「埋設地」になぜこんな広いスペースが必要なのかというと、林道から見て、右側が1971年に埋められた場所で、それを1984年に掘り出して左側のスペースに埋め直したということだそうです。

 ここで、「埋設枯れ葉剤」の歴史を紹介しておきたいと思います。埋設枯れ葉剤の存在が初めて報じられたのは1984年5月。35年も前のことです。「1971年に灯油缶のまま愛媛県宇和島市の山中に埋められた枯葉剤が、缶の腐食ですっかり流出している。」という衝撃的なものでした。その後「埋設地」は全国に数十ヶ所あることが分かったのですが、どこに埋めたか記録がまったくない。記録がないのは「埋設して管理」ではなく、「廃棄」だったからです。その証拠に、当時の林野庁長官名で「廃棄方法」の通達が出ています。記録がないため、13年前の作業員の記憶だけを頼りに山の中の点を探り当てるのは至難の業で、なかなか「埋設地」は見つかりませんでした。北海道広尾町でも発見までに1ヶ月を要しています。

 四国では12ヶ所を掘り当てるまでに2ヶ月を要しました。ところが九州では民有地に埋めたものを除いて発掘されることはなく、20ヶ所の埋設位置が当時の作業員の証言だけで認定されています。だから、林野庁の認定場所が間違っていたという可能性はないのか?気になるところです。

 その認定場所が間違っていたことが証明されたという事例が1ヶ所だけですが実際にあります。それが夕張です。だから、夕張の現場は必ず見ておきたかったのです。(続く

 

国産245T総出荷量

 

 

 

宇和島245T剤

 

 

 


 

この報告書は2019年11月2日に届いたものです。                                 



くじゅう紅葉2019~東尾根から黒岳・大船山

2019-11-04 16:50:10 | 山・火山

先月の長者原~坊がつる散策から1週間後(20日頃)、大船山の紅葉が見頃を迎え、程なくして三俣山や扇ヶ鼻で見頃を迎えていた。ピークは逃してしまったが、今年ははじまりが遅かったので、まだ見頃が続いているのではと、淡い期待を胸にふたたびくじゅうへ。

今回は、今水登山口から東尾根(急登)コースで大船山を目指した。大船山の見頃が過ぎていたからか、登山口駐車場はそれほど混雑していなかった。昨年は、入り口を間違えてタイムオーバーとなってしまったが、今年は順調に登りはじめた。と思っていたら、途中、台風や豪雨の影響だろうか、荒れた杉林のところで行く手を阻まれた。(別の登山グループも迷っていた)おまけにあちこちの杉にテープが巻かれ、どれが正解なのか迷う。ようやくルートを見つけ出し、標識のある広場に出た。そこからすぐに東尾根の入り口(前セリ)に着いた。ここから急登。時々、振り向きながら徐々に高度を上げていく。標高1600mあたりで振り向くと、山全体が赤く色付いた黒岳が眼下に広がった。例年だと山頂付近はピークを過ぎている頃だろうに、、おかげで見事な紅葉を見ることができた。

前セリから小一時間ほどで御池に到着した。御池はすでにピークを過ぎていたが、あたりは黄昏色に輝き、独特の風情を醸し出していた。大船山山頂は多くの登山者で賑わっていた。山頂から見ると、段原や北大船は見頃を終え、中腹あたりが見頃を迎えていた。これから紅葉は山麓へ。男池のおいちゃんの話によれば、今年は1週間から10日程度、紅葉が遅れているとのこと。まだまだ、楽しめそう、、

 

撮影日:2019.11.2

東尾根から黒岳(感動の瞬間、手に持っていたスマホで撮影)

 

 

 

 今回は、今水登山口から東尾根コースで大船山へ

今水登山口駐車場

 

 

 

ひと際、目立つ

 

 

 

紅葉はじまり

 

 

 

黄葉

 

 

 

自然の力

 

 

 

登山道、色付く

 

 

 

見上げると

 

 

 

抜け出す(ロープの中は杉林)※ロープは新しかったので最近張られたのだろう

 

 

 

標識、あらわる

 

 

 

すぐに前セリ

 

 

 

前セリ、到着

 

 

 

前セリから黒岳

 

 

 

黒岳、見頃

 

 

 

鮮やかに 

 

 

 

ここから急登

 

 

 

東尾根の紅葉 

 

 

 

時々、振り向く(左:高塚山、右:天狗岩) 

 

 

 

狂い咲き~(標高1600付近)

 

 

 

黒岳、紅葉真っ盛り~

 

 

 

大船山中腹の紅葉と黒岳

 

 

 

岩場の紅葉

 

 

 

御池(爆裂火口)の爆発で吹き飛ばされた岩塊のひとつか 人にみえる、、

 

 

 

御池近く かつての避難小屋

 

 

 

御池、黄昏色に

 

 

 

なかなか渋い

 

 

 

池に映える 

 

 

 

大船山山頂から段原と米窪

 

 

 

新しい大船山避難小屋 ソーラーパネルが見える

 

 

 

ドウダンツツジ満開

 

 

 

坊がつるキャンプ場 テント満開

 

 

 

 

山頂南東斜面の紅葉、見頃

 

 

 

山頂東側の紅葉、まだまだ 

 

 

そろそろ下山 ハロウィン!

 

 

 

下山直後 尾根の向こうに米窪火口が見える(産総研資料によると、米窪は今から約3900年前と約2200年前、少なくとも2回噴火)

 

 

 

ヘリが面白い(ブラタモリ、、)

 

 

 

ヘリの紅葉

 

 

 

もみじのじゅうたん

 

 

 

まだ頑張るの?

 

 

 

たぬき!じゃなくてニホンアナグマ 威嚇している、、 

 

 

 

また来年、、 

 

 

《余談》

登山前、ちょうどNHKラジオで「石丸謙二郎の山カフェ」をやっていた。そこで「これから大船山に登ります…」というメールを送ったところ、石丸さんから「〇〇さん聞こえますか~」と。まさか送ったばかりのメールが読まれるとは思わず、びっくり。ラッキーだった。その上、見事な紅葉も見ることができ、今年最高のご褒美日となった。