昨日27日(火)は、本屋に注文していた「VIBES」のバックナンバー8月号を引き取りに行ってきた。カバーガールが月見栞のものである。現在は11月号が発売中だが、そのカバーガールと比べると、やはり月見栞は格が違うなと思う。大駒1枚違う感じだ。なんで3ヶ月前にすぐ購入しなかったのか、いまでは首を傾げてしまう。
今回はたまたまバックナンバーが残っていたから事無きをえたが、将棋の場合は、待ったは利かない。手拍子で指した手が悪手になるケースは山ほどある。時間に余裕があれば、たとえ絶対手でも読みを入れて、慎重を期することが大切である。
LPSA金曜サロンでは、女流棋士の指導対局担当は原則的に月1回だから、ふつうに考えれば、私がそれぞれの女流棋士にお目にかかれるのは月1回となる。
しかしこれが、そうでもない。LPSAは毎月1dayトーナメントを行っていて、そのうち何回かは公開対局になるから、お目当ての女流棋士に遭遇できる確率は高い。
また日レスインビテーションカップや天河戦、マイナビ予選も公開対局だし、各種将棋まつりもある。その気になれば、けっこうLPSAの女流棋士とは何回もお会いできるのだ。
中でも、船戸陽子女流二段はよくお目にかかる。船戸女流二段はソムリエの資格を持ち、そちらも立派な本業だから、将棋のイベントには顔を出さないイメージもあるのだが、これがまったく逆で、船戸女流二段ほどLPSAのイベントに名を連ねている女流棋士はいない。事実今年も私は上記のほかに、将棋ペンクラブ大賞贈呈式や、社団戦のLPSAブースなどでもお目にかかった。
だからイベントが重なると、連日船戸女流二段を拝見することもある。そこで思い起こすと、3日連続で拝見したケースが、いままでに2回もあった。
1回目は昨年の11月である。12日(水)、駒込サロンで行われた、第19期女流王位戦第5局解説会の聞き手。13日、東京・新宿のカフェバー「Who’s who」で行われた「女流棋士との将棋TIME」。そして14日の金曜サロン、の3日間である(残念ながら、「Who’s who」は今年の6月20日に閉店した)。
2回目は今年の9月で、25日の金曜サロン、26日の日レス杯聞き手、27日の社団戦LPSAブース、の3日間であった。
以上計6日間で、船戸女流二段と私的なお話をさせていただいたのは、9月25日の指導対局後くらいだったが、ファンとしては、遠くから拝見するだけで十分満足なのである。
ここで肝心なのは、これらのイベントは、LPSAが設立していなければ、「すべてなかった」のだ。さらに言えば、肝心の船戸女流二段がLPSAへ移籍しなければ、船戸女流二段を目にすることもなかった。
船戸女流二段は、かつてファンクラブイベントで、LPSAの居心地を「パラダイス」と表現した。それは本心だったろうが、リップサービスもあったかもしれない。また本心だったとしても、現在は心変わりをしているかもしれない。
しかし私は、いままでの船戸女流二段の活動を感動的なくらいに評価しているし、また船戸女流二段本人も、ソムリエの仕事も大事だけれど、将棋関連の仕事を第一に、と捉えているのではないかと思っている。
船戸女流二段にはこれからも、対局、普及、ソムリエの仕事と、充実した日々を送っていってほしい。
というわけで、これが200回目の記事となる。昨日は中倉宏美女流二段が登場したし、本日は船戸女流二段と月見栞が登場した。節目にふさわしい人選だったと思う。もっとも船戸・中倉の両女流二段からは、「あの女優といっしょにしないでください!」と、クレームが飛んで来そうだが。
今回はたまたまバックナンバーが残っていたから事無きをえたが、将棋の場合は、待ったは利かない。手拍子で指した手が悪手になるケースは山ほどある。時間に余裕があれば、たとえ絶対手でも読みを入れて、慎重を期することが大切である。
LPSA金曜サロンでは、女流棋士の指導対局担当は原則的に月1回だから、ふつうに考えれば、私がそれぞれの女流棋士にお目にかかれるのは月1回となる。
しかしこれが、そうでもない。LPSAは毎月1dayトーナメントを行っていて、そのうち何回かは公開対局になるから、お目当ての女流棋士に遭遇できる確率は高い。
また日レスインビテーションカップや天河戦、マイナビ予選も公開対局だし、各種将棋まつりもある。その気になれば、けっこうLPSAの女流棋士とは何回もお会いできるのだ。
中でも、船戸陽子女流二段はよくお目にかかる。船戸女流二段はソムリエの資格を持ち、そちらも立派な本業だから、将棋のイベントには顔を出さないイメージもあるのだが、これがまったく逆で、船戸女流二段ほどLPSAのイベントに名を連ねている女流棋士はいない。事実今年も私は上記のほかに、将棋ペンクラブ大賞贈呈式や、社団戦のLPSAブースなどでもお目にかかった。
だからイベントが重なると、連日船戸女流二段を拝見することもある。そこで思い起こすと、3日連続で拝見したケースが、いままでに2回もあった。
1回目は昨年の11月である。12日(水)、駒込サロンで行われた、第19期女流王位戦第5局解説会の聞き手。13日、東京・新宿のカフェバー「Who’s who」で行われた「女流棋士との将棋TIME」。そして14日の金曜サロン、の3日間である(残念ながら、「Who’s who」は今年の6月20日に閉店した)。
2回目は今年の9月で、25日の金曜サロン、26日の日レス杯聞き手、27日の社団戦LPSAブース、の3日間であった。
以上計6日間で、船戸女流二段と私的なお話をさせていただいたのは、9月25日の指導対局後くらいだったが、ファンとしては、遠くから拝見するだけで十分満足なのである。
ここで肝心なのは、これらのイベントは、LPSAが設立していなければ、「すべてなかった」のだ。さらに言えば、肝心の船戸女流二段がLPSAへ移籍しなければ、船戸女流二段を目にすることもなかった。
船戸女流二段は、かつてファンクラブイベントで、LPSAの居心地を「パラダイス」と表現した。それは本心だったろうが、リップサービスもあったかもしれない。また本心だったとしても、現在は心変わりをしているかもしれない。
しかし私は、いままでの船戸女流二段の活動を感動的なくらいに評価しているし、また船戸女流二段本人も、ソムリエの仕事も大事だけれど、将棋関連の仕事を第一に、と捉えているのではないかと思っている。
船戸女流二段にはこれからも、対局、普及、ソムリエの仕事と、充実した日々を送っていってほしい。
というわけで、これが200回目の記事となる。昨日は中倉宏美女流二段が登場したし、本日は船戸女流二段と月見栞が登場した。節目にふさわしい人選だったと思う。もっとも船戸・中倉の両女流二段からは、「あの女優といっしょにしないでください!」と、クレームが飛んで来そうだが。
バリ姫がLPSAに移って、普及活動も対局も、以前に比べ格段に我々ファンの目に触れるようになったという事は、嬉しいことです。
対局面でさらにもっと充実してもらえるとありがたいのですが。
船戸先生の普及活動には敬意を表します。あとは洋志さんのおっしゃるとおり、対局に勝つことだけですね。
再度行こうと思っていたのですが・・・残念。
思い出の地がまた一つ消えました。
今回の記事を書くにあたって調べてみたのですが、閉店は事実のようです。店名を変えて営業していればいいのですが、それもないでしょう。私にとっても思い出の地だっただけに、残念です。