いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第251週

2019年08月31日 18時18分53秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の商業的惹句

「スマホでキレイな写真がとれる花火」

以前の「驚くほどのこの現象!」と同じく、オンダにこの惹句の商品がある。

ただし、上の画像は「スマホでキレイな写真がとれる花火」という惹句だが、ノーブランド品らしい。

■ 今週知ったこと;ジョン・レノン靖国神社参拝

この画像がいつの日のことだかわからない。少なくとも、1970年代とは云える。

靖国神社が国際問題化するのは1980年代以降。

オノ・ヨーコに「唆されて」連れて来られたと言いたい人もいるだろう。でも、戦争に対し一番「愚痴って」いたのはオノ・ヨーコ。戦争で財閥の実家が没落したからであろう。そもそもオノ・ヨーコは「山の手左翼」(金持ちの道楽左翼)でもある。

そういう「山の手左翼」のオノ・ヨーコにとっても、靖国神社は抵抗感がなかった証左となるのが、上のジョン・レノン靖国神社参拝画像である。

■ 今週の厚別村


https://this.kiji.is/540412612497835105?c=39550187727945729

保坂正康(Amazon)、西部邁(Amazon)、鷲田小彌太(Amazon)は同じ「村」の出身だ。札幌郊外の厚別村。3人とも100冊以上本を書いている。その「村」に占領米軍が進駐した。西部は進駐米軍に石を投げる「インティファーダ」を実践したと回顧している。保坂は父親と歩いていて米兵に何か食べものを貰ったが父親がすぐ捨てたと回顧している。鷲田小彌太の回顧をおいらはこれまで見たことがなかった。でも、最近、見つけた;

少年の頃、村に米軍キャンプがあったので、しょっちゅう占領軍兵士にであった。白と黒、チビやデブの違いはわかったが、顔の違いは、したがって誰彼の識別がほとんどつかなかった。(『学者の値打ち』、鷲田小彌太)

厚別の米軍駐屯地は今の新札幌駅であったとのこと;

1944年(昭和19年)に白石に開設した旧北海道陸軍兵器補給廠の附属弾薬庫(厚別弾薬庫)であり、当時は林のくぼ地であった場所に4,000トンもの弾薬を保管していた[4]。戦後はアメリカ軍に接収された後、陸上自衛隊が引き継いだwiki

米軍駐屯以前は、厚別弾薬庫;

昭和19(1944)年、白石に開設された陸軍兵器補給廠の附属弾薬庫(36ヘクタール)です。道内・樺太・千島列島の部隊に砲弾、銃弾などを送るために9棟の倉庫には一個大隊が3か月間補給なしで戦える4千トンの弾薬が常に保管されていました。空襲を避けて倉庫は林のくぼ地の中に造られ、女学校の生徒や地元の女子青年団が火薬詰め作業の勤労奉仕をしました。戦後は米軍に接収された後、自衛隊が引き継ぎましたが、後に自衛隊が移転してからは、跡地に札幌副都心計画による新札幌駅や百貨店、厚別区役所などが立ち並ぶ一大副都心に変貌しました。さっぽろの戦跡、厚別弾薬庫

■ 

合計 7,104 2,228
日付 閲覧数(PV) 訪問者数(IP)
8月24日 893 296
8月25日 1,018 327
8月26日 971 357
8月27日 995 305
8月28日 999 312
8月29日 917 298
8月30日 1,311 333

新しい街でもぶどう記録;第250週

2019年08月24日 18時25分07秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のベトナム製

MADE IN VIETNAM というのをおいらは初めてみたので、載せた。

■ 今週の噴霧

5年ほど前は無かったと思う。今じゃ市街地で水ミスト噴霧。

■ 今週の賞

https://kangaeruhito.jp/article/9676

■授賞理由■

文芸批評的な手法ではなくジャーナリスティックに周到な取材を重ね、江藤淳の謎に迫った1500 枚。その結果、戦後日本と日本人のリアルで猥雑な自画像を浮かび上がらせた労作。

受賞理由は上記のようにある。つまりは、探偵のように江藤淳情報を集める。江藤淳をめぐる冒険!。「テクストの外部はない」という当世教条(?)に叛く真に" 文芸批評的な手法"としての博捜"ノンフィクション"。新たな"真実"や江藤の「作り話」が明らかにされる。

■ 今週気づいたこと、江藤淳の1971年米中交渉開始(ニクソンショック)の予想

1971年7月の米国キッシンジャー国務長官の秘密訪中とその後の7月15日のニクソン大統領訪中予定発表は、ニクソンショックとして知られる(wiki)。この米中交流開始は中共を米国に従い敵視してきた日本に衝撃を与えた。つまりは、予想をしていた人は極めて少なかった。

一方、江藤淳の本を見てみると結構書いてある。

例えば、1971年6月10日付けの「週刊現代」でズビグネフ・ブレジンスキー(wiki)との会話を載せている。この時点でブレジンスキーは元米国大統領(ジョンソン)顧問となる。その中で、

「それでは、アメリカが日本の頭をとびこして、中国と合作するという可能性はありませんか?」と江藤が質問。ブレジンスキーは、「ありませんね」「そんなことをしたら、アメリカの極東政策の根本が崩れます。アメリカは絶対に台湾を捨てるようなことはできません」との回答を得ている。

さらに、1966年7月26日の読売新聞で書いている。のち本(『アメリカ再訪』、1972年)になった時のタイトルは「米中合作の可能性」。主旨は先の大戦が日本と中国争奪をめぐる争いであり、かつそれに勝ったのに中国大陸での米国の夢が果たされていない。だから、米国は中国と合作するかもしれないと想定。米中合作となったら日本はどうなるか?「平和は戦争よりも生きにくい」と書いている。

合計 7,208 2,246
日付 閲覧数(PV) 訪問者数(IP)
8月17日 1,163 383
8月18日 1,221 372
8月19日 1,042 353
8月20日 1,154 347
8月21日 1,082 333
8月22日 741 227
8月23日 805 231

 


新しい街でもぶどう記録;第249週

2019年08月17日 18時53分52秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の智英さん

愚ブログでの智英さんは呉智英さんですが、智英ちがいです。

祸港黎智英:"民族败类,美国走狗,家族逆子"

日本語訳

黎智英(wiki)さんは、美国走狗=アメリカの走狗、だそうです。

■ 今週の商品

スーパーに行ったら、両班 (ヤンバン)、韓国海苔という商品が売っていた。

韓国だから両班(ヤンバン)なんだろうけど、両班(ヤンバン)は海苔と直接関係ないだろう。

一方、こういう発想は日本由来とされるものでもあるんだろうなと思いネットで調べた。あった。

サムライラーメン。Samurai Ramen.

■ 今週の発注した円本

「近代」はまず円本による予期せざる収入の増加というかたちでやって来た。円本とは一冊一円の定価で予約販売された大衆出版の全集ものであり、今日大繁昌の全集ものの原型ともいうべきものである。この収入はもちろん秋声に、もし望むなら今までとは違った生活を送るだけの経済的余裕をあたえた。
江藤淳、「徳田秋声」、1966/日本の文学第10巻「徳田秋声(二)」解説/中央公論社刊

2006年3月16日の愚記事で、もし漱石が戦争まで生きていたらどうなってであろうか?と書いた。漱石は1867年生まれ。1916年に49歳で死ぬ。日米開戦は1941年なので、生きていたら74歳。ありえたことだろう。そして、イギリス体験に独特なものを持つ漱石がどう反応したか?昭和16年12月8日の日米開戦で多くの日本知識人が喝采を叫んだことは知られている。もし、その時、漱石が生きていたら、どうしたであろう?思考実験としてもかなり興味深いと思っていた。そして、今週突然知った(再認識した)。

まず、漱石は作家・徳田秋声 [德田 秋聲](wiki)と交際があった。その徳田秋声は日米開戦に際し、「(日本の従来の)英米依存の不安の長い歴史を顧みる時、日本がはじめて強く自主的な巨歩を踏み出し得たことに、感謝の情を禁じ得ないであろう」と云っているとのこと[1]。そして、その徳田秋声の文章や日本人がアングロサクソンに対してもつ「奴隷根性を根底から叩き直す」と云った長与善郎[wiki]という人の文章も下記、『昭和戦争文学全集 <第4>』に収められていると知った。Amazonでみたら、円本だった。注文した。

[1] 入江昭、『日米戦争』1978年、中央公論社、上の赤字引用はこの本からの孫引き。
なお、この『日米戦争』を入江昭は丸山眞男に贈呈した。ちなみに、この『日米戦争』は第5章に"戦中と戦後のあいだ"という題をもち、まえがきで丸山に最大の謝辞を書いている。ところで、その贈呈に対する丸山から入江への礼状で、江藤淳の無条件降伏論について言及していることが平山周吉、『江藤淳は甦える』の四十一章に書いてある。


昭和戦争文学全集〈第4〉太平洋開戦-12月8日 (1964年)  Amazon

なお、おいらは、徳田秋声なぞ全く知らずその作品は見たこともない。しかし、江藤淳著作集の続2の『作家の肖像』の巻頭が徳田秋声。つまり、江藤淳にとって徳田秋声は漱石に次ぐ重要性をもっているのか?平山周吉、『江藤淳は甦える』の四十四章では”漱石よりもおそろしい秋聲”と題打って解説している。

江藤の德田 秋聲論では、秋聲は漱石と違い(大学教育を受けなかったから)世界像を持たなかった。その秋聲にとっての「近代」とは多情多淫な山田順子(Google)という女との関係でやってきたもの云々と解説している。

なお、この徳田秋声の時代の円本の値段1円は、今の貨幣価値で、約1000-1300円ほどらしい(google)。

合計 6,620 2,238
日付 閲覧数(PV) 訪問者数(IP)
8月10日 1,191 418
8月11日 935 308
8月12日 990 334
8月13日 907 289
8月14日 896 337
8月15日 848 295
8月16日 853 257

 

 

 

 

 


新しい街でもぶどう記録;第248週

2019年08月10日 19時09分22秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

武相境斜面に来てもうすぐ5年。自転車のタイヤを取り替えた。↑旧↓新

武相境斜面は坂道が多い。自転車で移動するとき、下り坂はブレーキをかけながら減速する。そのときタイヤは地面との摩擦ですり減っているに違いない。ブレーキシューの減りも早い。平坦なつくばとの大きな違いだ。

■ 猛暑の日本で、長らく、日本で稼ぐロシア女

愚記事; 日本で稼いだロシア女の帰り先; トレチャコフ美術館のクラムスコイ、《忘れえぬ女》が今年2月。まだ、日本で稼いでいるのだ。今は、山形とのこと。

山形美術館国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア」

■ 今週の些細; さかのぼられない本歌、あるいは、引用の織物の断片

たまたま読んだ本、『現代日本の地政学 13のリスクと地経学の時代』、日本再建イニシアティブ 著(中公新書)の第6章 アメリカは地政学リスクとなるか、中山俊宏、 の文章に下記あった;

 二〇一六年の夏に公開された映画『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)には、アメリカに対する屈折した思いが垣間見える。「反米」ではないが、乗り越えたくとも乗り越えられない「苛立ち」のようなものがはっきりと描写されている。日本はいまだ「アメリカの影」(加藤典洋)から脱することができないという思いだ。

日本はいまだ「アメリカの影」(加藤典洋)から脱することができないという思いだ。

「アメリカの影」(加藤典洋)という表記は、本歌(後述)とは違う意味を強調するため、(加藤典洋)を付けたのか?つまり、加藤典洋の使用法は本歌と違う「アメリカの影」の意味であると主張したのだろうか?もちろん、加藤典洋には『アメリカの影』という本がある。その本は3つの章に分けられている。冒頭の章は、「アメリカ」の影 ー 高度成長下の文学、という題で冒頭は、江藤淳が『なんとなく、クリスタル』をほめている、で始まる。つまり、江藤淳について書かれている。そして、江藤淳を知っている人ならば" 「アメリカ」の影 "という言葉は、江藤淳の『成熟と喪失 "母"の崩壊』の中の言葉とわかる。もちろん、加藤典洋は江藤淳を論じているのだから、" 「アメリカ」の影 "を江藤自身の書から本歌取りしているのだ。文学というのは引用の織物らしいので本歌を知っていた方がいいのだ。文学者が印象的な言葉について引用元に言及しないのは、そんな引用は野暮だと思うからであろう。さらには、読者が本歌を知っていることを前提としているのだ。

 しかし現実は、本歌を知らない人も多いので、その印象的な言葉を引用した人の言葉だと思ってしまうこともあるだろう。そもそも、件の映画『シン・ゴジラ』のその屈折した思いが、江藤淳の『成熟と喪失 "母"の崩壊』で語られている「アメリカ」の影、すなわち小島信夫の『抱擁家族』に出てくる登場人物山岸みちよが「アメリカ」の影であるといったものと相違するのかがわからない。

 でも、第6章 アメリカは地政学リスクとなるか、中山俊宏で、なぜ「アメリカの影」(加藤典洋)となるかは別途理由がある。この文章で中山俊宏は、アメリカを再選択する、と見出しを打って、日本としてやらなければならないのは、アメリカを自覚的に「再選択」することである、と主張している。この再選択とは、加藤典洋の現行憲法を再選択する(選び直す)という主張の発想と同じ、あるいは由来する。加藤典洋の発想を尊重しているのだろう。

アメリカの影  : 加藤典洋の書名
「アメリカ」の影 :上記本の冒頭章の題
「アメリカ」の影 :江藤淳、『成熟と喪失 "母"の崩壊』の文章中の言葉

■ 今週の発見

愚ブログに、時代の寵児 空想虚言者  自動制御装置内蔵人間、あるいは、大卒@しかもS3/馬鹿女が支えるインチキ大先生、という記事がある。栃折久美子(wiki)という装幀家について言及している。今週、江藤淳の『小林秀雄』、1965年の普及版の装幀が栃折久美子であった、と気づいた。

合計 6,838 2,310
日付 閲覧数(PV) 訪問者数(IP)
8月3日 1,011 370
8月4日 1,008 392
8月5日 993 368
8月6日 950 323
8月7日 1,031 309
8月8日 1,008 275
8月9日 837 273

 


蔦に覆われちまった親米派

2019年08月04日 17時13分38秒 | 東京・横浜

(・黒塗りの家に住む親米派、・犬を連れた親米派、・赤レンガの家で中国整体を営む親米派)に続く親米派シリーズ第4弾、蔦に覆われちまった親米派

先日のブログ記事;横浜散歩;菊名駅 ⇒ 鶴見駅で横浜市鶴見区馬場を通った。鶴見貯水池の水道搭の向かい。

そのとき、蔦に覆われちまった親米派の家屋を見つけた。なぜ親米派とわかったかというと、2枚下の画像。

 OLD BUNK HOUSE 〒230-0076 神奈川県横浜市鶴見区馬場5丁目13

Las Vegas NEVADA, DJ Hat Company, Japan branch との看板があった。

DJ Hat Companyのsite。この家屋が本当にDJ Hat Companyの日本支社なのかわからない。勝手にJapan branchと書いているのかもしれない。

BARとあるので、バーだったのかもしれない。 ← 間違い

D Bar J というのは人名。そのD Bar JがD Bar J Hat Company の創始者。⇒ Who Is D Bar J

少なくとも、この日は営業している気配はなく、おそらく、ずっとやっていないのであろう。なぜなら、相当蔦が繁茂していた。

Google mapで見ると、蔦に覆われる前の様子を示す画像が得られた;



この画像から、old bunk house との表示が見える。old bunk houseとは「木賃宿」or (格安)ゲストハウス。

Googleで[old bunk house yokohama]で引くと、この家の住所は出るが、それ以上の内容に関する情報は得られない。

 

 

 


新しい街でもぶどう記録;第247週

2019年08月03日 18時49分14秒 | 草花野菜

 

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の花実

■ 今週の履歴


臨時国会1日召集 参院議長に山東氏(google

山東昭子は、太陽にほえろ!の第1話「マカロニ刑事登場」に出ている(1972年[昭和47年])。

今週前半にyoutubeで偶然見つけて、画像カット。今見たらそのyoutubeは削除されていた。

■ 今週の些細;先の大戦末期スペインは日本に宣戦布告したのか?

小谷野敦博士の『江藤淳と大江健三郎』に書いてあった;

(前略)日本の敗戦ぎりぎりのところで、連合軍の圧力で、それまで中立を保っていたエスパニアとラテンアメリカ諸国が、形だけ日本に宣戦布告していたのである。

ここで、エスパニアとはスペインのこと。スペインは先の大戦末期スペインは日本に宣戦布告したのか?もしそうであれば、おいらのこの記述は間違いということにある;

なぜ、そんなにスぺインに行くのであろう?逆に考えて、なぜそれだけ頻繁に行けるのか?という視点で考える。ひとつはスペインに王室があること。現在のスペイン王室は1975年に王政復古した。たった40年前だ。もうひとつは、1945年9月1日の東京湾上の戦艦ミズーリの上にスペイン代表がいなかったことだ (関連愚記事; 帰路東京湾中より富士見事に見ゆ。) 。つまりは、日本とスペインは交戦関係になかったのだ。(愚記事;東宮殿下、スペイン(西国)を南へ北へ;あるいは、マドリ―っ子は、みんな高踏派::東南西北揃ったょ

先の大戦末期スペインは日本に宣戦布告したのか?

wikipediaによると1945年9月1日の東京湾上の戦艦ミズーリの上にいた国は下記;

連合国側からは、まず連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが4連合国(米、英、ソ、中)を代表するとともに日本と戦争状態にある他の連合国のために署名を行った[2]。その後、アメリカ合衆国代表チェスター・ニミッツ、中華民国代表徐永昌、イギリス代表ブルース・フレーザー、ソビエト連邦代表クズマ・デレヴャーンコ (en) 、オーストラリア代表トーマス・ブレイミー (en) 、カナダ代表ムーア・ゴスグローブ (en) 、フランス代表フィリップ・ルクレール、オランダ代表コンラート・ヘルフリッヒ (en) 、ニュージーランド代表レナード・イシット (en) が署名した。

スペインは含まれていない。

 一方、色摩力男、「フランコ スペイン現在史の迷路」には下記書いてある; 

(1945年)四月十二日、フランコ政権は日本との間の外交関係を断絶した。理由は、二月十一日に、日本軍が在マニラ総領事館を破壊し館員その他五十余名を殺害したというのである。その事実関係には、実はよく分からないところがある。

(中略:ドイツの降伏の経緯などの説明)

 フランコは、第二次世界大戦への参戦をついに回避することができた。(後略)

とあり、スペイン・フランコ政権は日本との国交は断絶したが、宣戦布告したとは書いていない。したがって、「形だけ日本に宣戦布告していた」というのは間違いであろう。中南米のある国々が宣戦布告したとしても、スペインはしていない。

なお、色摩力夫はコロンビア大使、チリ大使を務めたスペイン語外交官(wiki)。Amazonの『フランコ スペイン現在史の迷路』に小谷野敦博士の評があったように思うのだが。記憶違いか?

■ 今週の「今は昔」

日本、韓国の「ホワイト国」除外を閣議決定(google


朴正熙が存命であること、岸信介の見た目の年齢から推して、1970年代中頃か?
後ろの中央に立っている海老茶色の服を着ている人は矢次一夫


https://twitter.com/jomaruyan/status/1157307690156085249

ほんと、今は昔。

今のネトウヨさんは鹿内信隆って知らないだろう。おいらもよく知らんけど...。

■ 今週の訃報


https://twitter.com/iidukumanto/status/1157474024009523205

勝田吉太郎 死去 (google

勝田吉太郎さんはアナーキズムの研究者としても知られている。その勝田さんの自らの「アナーキズム」体験がこれだ;

すでに名古屋の私の生家は空襲で全焼し、知多半島の海辺に一寸した別荘があったものですから、そこへ落ち着いたんです。(中略)ちょうど、伊勢湾を挟んで対岸にあるのが四日市、津、桑名の各市です。(中略)夜になりますとね、対岸の都市へB29の編隊から無数の焼夷弾が落ちていく。対岸から見ていますと、これがまるで花火のようなんですよ。(中略)そういう状況をね、海岸に出て眺めているひとたちが―それぞれ名古屋の自分の家から焼け出されて生命からがら別荘に落ちのび、そして、かつてのような純朴な顔を失って物欲の塊になったような農民たちに囲まれて、食うや食わずのひとたちがね、津や四日市や桑名の空襲を眺めてひそかに喜ぶのですよ。手を叩くまえは行きませんけどね。彼らも自分たちと同じ境遇に突き落とされるのだ、自分たちだけが苦しむにではないというのでしょうねえ。ドイツ語に「シャーデンフロイデ」という語がありますが、他人を傷つけて快感をうるというのですが、そういう暗い情念にとらえられるのです。対岸のひとたちを襲った不幸を眺めて、歓声をあげるといい過ぎかもしれませんが、明らかにそういう心理状態になるのです。むろん私もそういう一人として対岸の都市が燃えていくのを眺めていたのですから、自分の心を解剖して痛感したのは、ああ、これで祖国は負けた、敗戦だなとそのとき思ったのです。B29の編隊が、そういう小さな都市にまで焼夷弾を投下することではなく、むしろ我々の心のなかから、八月十五日の以前にはやくも日本という国家が音もなく崩壊していく、潰え去ってしまったことをどうしようもない実感として受け取ったのです。国家を一番深いところで成り立たせている運命共同体の精神というのでしょうか、そういう精神の絆が、もはや人々の心のなかでずたずたに切断されているのを感じないわけにいかなかったのです。これが私の、思い出すのもいやな敗戦体験です。(『対談 一つの時代に終わりに』村松剛+勝田吉太郎 Amazon)[強調、いか@]

勝田にせよ、福田恒存、あるいは、後続の江藤淳、西部邁が「保守的」であろうとするのは、実は、自らの横溢、突沸するアナーキズム的心情を制御するためであるに違いないとおいらは睨んでいる。炉心への制御棒みたいなものだ。

■ 

合計 6,562 2,249
日付 閲覧数(PV) 訪問者数(IP)
7月27日 1,090 358
7月28日 1,212 367
7月29日 808 268
7月30日 1,018 345
7月31日 744 302
8月1日 733 280
8月2日 957 329