いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横浜散歩:青葉区市ヶ尾 ⇒ 荏田 横浜米軍機墜跡地 ⇒ あざみ野駅

2023年03月26日 08時11分52秒 | 東京・横浜

青葉区役所は東急田園都市線、市が尾駅の近くの谷底平野にある。鶴見川がそばに流れている。丘陵地帯の中の河川と平地の地域。少し離れると丘陵地域となるが、現在は地形が宅地開発で整形されている。一面、住宅街。青葉区役所から市ヶ尾の丘を越えて、あざみ野へ抜け、あざみ野駅まで散歩した。

1;市ヶ尾(青葉区役所)、2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道、3;大入公園、4;赤田西公園前交差点、5;東急あざみ野駅


航空写真;1960年代(左)、現在

■ 1;市ヶ尾(青葉区役所) ⇒ 2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道

↑↓ 旧大山街道。 これを横断。

■ 2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道 ⇒ 3;大入公園

■ 大入公園

横浜米軍機墜落事件は、1977年9月27日(火曜日)に発生、一般市民3名が死亡し6名が負傷した航空事故である。


事件の経緯

1977年9月27日13時過ぎ、厚木基地(厚木海軍飛行場)を離陸し、太平洋上の航空母艦「ミッドウェイ」に向かおうとしたアメリカ海兵隊の戦術偵察機(RF-4BファントムII611号機)が、離陸直後に燃料満載の状態でエンジン火災を起こした。

乗員2名は射出座席を用いて緊急脱出し、パラシュートで神奈川県横浜市緑区(現青葉区)鴨志田町付近に着地した

一方、放棄され制御を失った機体は5kmほど離れた同区荏田町(現・青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)の住宅地に墜落し、火だるまになった機体の破片を周囲300mから400mに飛び散らせ、周辺の家屋20戸を炎上・全半壊させた。 (wikipedia)

 

アメリカ軍関係者は約1時間後の14時20分頃に現場に到着し、日米地位協定(第2条)を盾に真っ先に現場周囲の人たちを締め出したのち、エンジンなどを回収した。この作業の際には笑顔でピースサインを示して記念撮影をおこなう兵士もいた。 (同上 wikipedia)

この事故現場が現在大入公園となっている。下記地図の「+」がその場所。


撮影時期:1979- 1983


撮影時期:1974-1978 この航空写真が事故の時期に相当。道路がまだできていない。この写真が事故後なのか事故前なのか不明。


撮影時期:1961-1969

タウンニュース 青葉区版 (web site) 2023年 3月9日号

■ 大入公園周辺

■ ⇒ あざみ野駅

赤田西公園前交差点


あざみ野駅

▼ まとめ 通過町

神奈川県横浜市 市ヶ尾町、荏田北、あざみ野南、あざみ野


新しい街でもぶどう記録;第436週

2023年03月25日 18時00分00秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第436週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の道産品

株式会社 十勝大福:公式 web site

日本には「お福分け」という文化があります。
他者からいただいた「福」を、別の誰かにお分けすること。
私たち十勝大福本舗が大切にする理念でもあります。
 
私たちは、北海道十勝という豊かな大地に恵まれています。

■ 今週の不在

東京都の八百屋さんで、愛媛産の土佐文旦、はっさく、しらぬいなどの柑橘類が売られている。でも、みきゃんはいなかった。

消えたみきゃん

■ 今週のガウディ風

東京都町田市大蔵町1−3  tamaki niime machida (google

■ 今週のクッキー

動物クッキー

■ 今週の since 1952

パン屋 ラ・ビオラ (google)

 三島由紀夫の最期の作品である『天人五衰』に連なる豊饒の海、全4冊は大正時代から戦後、しかも作者自身の死後である1970年代までの時代を輪廻転生したとされる4人がそれぞれの巻で主人公として生きる物語。大日本帝国の敗戦と続く占領期はこの「豊饒の海」では物語の直接の舞台となっていない。ただし、敗戦直前、大日本帝国の実際の滅亡の場面が第3巻、『暁の寺』で描かれている。すなわち、道玄坂の上にある松枝侯爵邸で辺りが空襲で焼け野原となっていることを、本多は、確認する。そこで95歳となった老婆、蓼科と邂逅する。綾倉聡子の出家後の消息を聞く。

 この日から本多は聡子に会いたいという気持を抑えかねたが、これには蓼科の口から、聡子が今なお美しいという証言が得られたことも役立っていた。焼趾のような「美しい廃墟」を見ることを、何よりも怖れていたからである。(三島由紀夫、『暁の寺』第二十二章)

この1945年(昭和20年)の5月25日の山手空襲の少し後の焼跡確認のあと『暁の寺』の第1部が終了する。同じ巻で第2部が始まるが、始まりは昭和27年、1952年春。 since 1952 ! 場所は避暑地の御殿場で本多は大金持ちとなり荒地に檜林を造る。つまり、第1部と第2部は東京の焼け野原で終わり、御殿の造林で始まる。すなわち、玉音放送に象徴される敗戦やその後の米軍進駐、旧エスタブリッシュメントの追放、敗戦の混乱、闇市、焼け出された人たちの困窮など1945-1951の日本については描かれていない。なお、「豊饒の海」は上述通り輪廻する若者の物語であり、彼らは二十歳で死ぬ運命である。激烈な人生の後の夭折。そして、当の三島は1945年に二十歳なのだ。

■ 今週の「盛者必衰」

 三島由紀夫は一連の豊饒の海のなかで敗戦日本の占領時代が明けた時期の話を『暁の寺』に書いている。占領中の米軍の挙動は特に書いていないが、『暁の寺』に書かれているのはサンフランシスコ講和会議直後の傷痍米兵。新橋演舞場に集う女たちが向かいの米軍病院で療養する傷痍軍人を憐れむという場面;

旧帝国海軍病院が、今は米軍の病院になって、朝鮮戦争の傷病兵に充たされていた。春の日はその前庭の五分咲きの桜に映え、桜の下を車椅子を押されてゆく若い米兵や、松葉杖にすがってゆく者、純白の三角布に腕を吊っている散歩者などの姿が見られた。こちらの美しい着物の女たちへ、川を隔てて陽気に呼びかける声もなければ、米兵らしいおどけた合図もなかった。

「本当ね。ああなっちゃ目も当てられないわね。異人さんたちは図体が大きいだけに、ああなると却って憐れっぽいのね。でもこっちもひどい目に会ったんだから、おあいこだわ」 (三島由紀夫、『暁の寺』、第二十九章)

■ 今週も高値

■ 今週の親米派

バスに乗ったら、親米派に違いない御仁の後塵を拝した。USSAFの意味はすぐにはわからず、USAはUSA(アメリカ合衆国)なんだろうとわかったが、もちろん、こういう意味ではないだろうと思った。AF=Air Forceらしい。USSAF、つまりは、「ルメイの徒」 系らしい。

上はUSAAFだが、下はUSAF


https://www.youtube.com/watch?v=dYyTKFLcq60

辛坊治郎さんの御尊父は航空自衛隊に勤務していたとのこと。まさに、ふさわしい衣装で活動されている。航空自衛隊はUSAFのルメイの指導で創立、組織化されたという。だから、ルメイは昭和天皇から勲章を授与されたことになってなっている。

■ 今週のすかいらーくグループ

この地はすかいらーくグループの「バーミアン」の第1号店が1985年にできた場所なのだという。そして、今年、すかいらーくグループの新業態、「桃菜」の第1号店が開店。

2月1日(水)、東京都町田市鶴川に「桃菜(トーサイ)」がオープンしました。同店は、ファミリーレストランチェーン大手の「すかいらーく」グループが手掛ける新業態で、飲茶専門チェーンの第1号店。点心など約50種類の料理を、食べ放題コース、セットメニュー、アラカルトで楽しめます。点心など約50種類の食べ放題も!すかいらーく新業態の飲茶専門店

▼ 選べる飲茶セット 5品目: 魯肉飯(ルーローハン)、棒棒鶏(バンバンジー)、皿海老雲吞(ワンタン)、旨辛よだれ鶏、白身魚の唐揚げ油淋ソース

 


横浜・川崎・町田散歩;こどの国駅⇒川崎・岡上⇒鶴川

2023年03月24日 05時51分51秒 | 東京・横浜

こどもの国駅(横浜市青葉区)から鶴川(大蔵)まで散歩した。途中、川崎市岡上(飛び地)を通る。横浜市と川崎市の境は尾根が分嶺となっている箇所があり、そこを通った。下の地図の点線部分を越えた。自動車、自転車は越えられない。人だけが通れる道がある。


1;こどもの国駅、2;協和病院、3;尾根による分嶺、4;和光大学、5;鶴川大蔵

 

航空写真では街が連続しているように見えるが、車は通過できす、人の通る道もわかりずらく、事実上往来は極少と思われる。黄色点線が横浜市と川崎市の境。境は尾根となっている。川崎市(岡上)側が特に急な崖となっている。

■ 1;こどもの国駅 ⇒ 2;協和病院


この建物は戦前からあるらしい

■ 玉川学園台住宅

■ 横浜市と川崎市の境の尾根の分嶺を越える


図A(後述)

分嶺の尾根道への階段↑  ↓登って振り返って横浜市側を見る


横浜市と川崎市(飛び地)の境界=尾根道

尾根道の左手:川崎市岡上を見下ろす↑  ↓横浜側・尾根道の右手


図B(後述)

この先の左手にある入口を下る;


4連図:左上から時計回りに、地図、地形図、現在の航空写真、1960年代航空写真

1が図A、2が図B、3は岡上の谷戸をおりた位置


谷底に降りる。谷底は谷戸で昔は細長い耕作地。上の4連図の1960年代航空写真参照


和光大学


鶴見川


鶴川街道

ネット情報で知った「桃菜」にたどり着く;

町田市鶴川に、すかいらーくグループの新業態となる飲茶TERRACE「桃菜(とうさい)」鶴川店が2023年2月1日に町田市にグランドオープンしました。飲茶TERRACE「桃菜」1号店が町田市鶴川にオープン!52品の点心が楽しめる飲茶食べ放題をレポート

飲茶セットをいただきました。

▼まとめ 通過町

神奈川県 横浜市 奈良
神奈川県 川崎市 岡上
東京都 町田市 能々谷


新しい街でもぶどう記録;第435週

2023年03月18日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第435週

■ 今週の草木花実

■ 今週のキリ番順位

■ 今週借りて読んだ本

 村井理子、『兄の終い』

<荊の簪を挿した御方様>が借りていた本。実兄が孤独死して、その対応をする話。淡々と書いている。事情はこう⇒孤独死した兄のこと。興味本位、好奇心から面白かった。Amazonのレビューも多い。淡々としるので、情念めいたドラマはない。

作品で、わざとだと思うのだけど、なぜ兄が生まれた地でもない宮城県多賀城市に行き、暮らしたのか。読んで、謎と思った人もいるだろう。それが問題提起なのか。読むに、2011年の震災の後に多賀城に移った。作品では親切にしてくれた自動車販売店が震災で津波被害にあったことが書いてある。

結婚もして子供もいる50代男性が病死する。生い立ちが簡単に書かれていて、学校でおりあいがつかず、高校を中退した。その後、会社経営もやっていたようなので、知的、対人能力はむしろあったに違いない。でも何か、性格的にあったのだろうか?母親が一貫してこの兄をかばっていたことも書かれている。

なお、兄が孤独死した多賀城市の警察の管轄は塩釜警察署とこの作品で知る。仙台市の北が多賀城市でその北が塩釜市。その塩釜警察署から著者のところへ電話連絡が来ることで、この話は始まる。

■ 今週の警察署:塩釜警察署

村井理子、『兄の終い』に塩釜警察署が出てくる。塩釜警察署といえば思い出すことは、どうでもいいことだが、1937-38年の人民戦線事件(コトバンク)[あるいは、労農派教授グループ事件]で宇野弘蔵が仙台で逮捕された時に連行、留置された警察署だ。ほんと、どうでもいいことだけど。

1938年2月1日、宇野弘蔵逮捕。特高刑事と予審判事が令状を持ってきた。

ぼくは警察に行って話をしたらすぐ帰れると本気で思っていたからだ。そうしたら特高課長が、「しばらく休んでもらいましょう」といった。妙なことをいうな、いったいどこで休むのかと思って。仕方がないから車に乗せられて、刑事が両方へついて、どこへ連れていかれたか本当にわからなかった。(警察署の裏から入ったのでそこがどこかわからず)留置場にすぐに入れられた。何日たっても差入れがない。ぼくには二月一日に入って三月十日ぐらいまでぜんぜん差入れを許されない。一種の拷問かと思ったのだが、拷問しようとしたんじゃない。警察は東京からの指令であげんたんで、それがために仙台のほうの特高でないか手落ちがあったらいかんという、それを恐れて差入れも全部とめたんだ。

三月十日過ぎに警視庁属というのが来て、初めてぼくは二階に連れていかれた。見たら下にすぐ塩釜の港があるのでびっくりした。こんなところに来ていたのかと思って、知らなかったのだ。なにか汽車の音と汽笛がしゅっちゅう聞こえるんだけど、どこかと思っていた。 (宇野弘蔵、『資本論五十年 上』)

■ 今週の再版・新刊

ヘーゲル 自由と普遍性の哲学 (河出文庫 に 6-3) 文庫 Amazon

28年を経ての再版。内容がどれだけ変わったのかは、不明。

1995年刊

成長して、折り合いをつけて、「国家」を認めることが、大人になることの意味。

「社会革命の夢は潰えた。個の充実を求める時代である。」とカバー裏書にある。

1995年はバブルは崩壊していたが、失われた〇十年となるとは思っていなかった時代。

安定した時代になったのだから、1970年代ような革命幻想を捨てることはもちろん、この腐った社会はまちがっていると先鋭化することなく、実存的問題を解決していこうという考え。そのための前提として、自分が属する共同体、ひいては、国家を考えなければならない、という話。

(自分も[有名大学の]大学教授になってガンバルぞ! とまでは書いていなかったが)

西研の1995年の肩書は、和光大学講師。

 


新しい街でもぶどう記録;第434週

2023年03月11日 18時00分05秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第434週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の訳あり

山形産リンゴ、ふじ。10kg、2,770円。

■ 今週の消えた食材

十年一日のように毎朝目玉焼き、卵1個分を食べてきた。御承知の通り卵の値段が上がっている。10個で300円ほど。値上げどころか、今、スーパーに卵が売っていない。

卵10個入りパックは30年前は100円で、その後だんだん上がってても、ついこないだまで、150円ほど。はたちからひとり暮らしを始めて自炊したが、卵さえあればと思ってきた。なお、卵を2-3個づつバラで買っていた話はいつかした。スーパーでは卵はバラ売りしていないから。

一方、目玉焼きを食べるたびに思い出す話がある。1980年代初頭、当時50歳くらいの高校教師が、こどもの頃は卵は1年に1個しかたべる機会がなかったと云っていた。その年1回というが運動会か遠足かの年中行事だったとのこと。その当時、今の日本は豊かになったとその高校教師は訴えていたのだ。

さて、卵が出てくる話を今週読んだ。三島由紀夫、豊饒の海(3)「暁の寺」で、昭和20年5月25日の東京の山手空襲により焼かれた松枝侯爵邸の焼跡で<本多繁邦>は、95歳となった<蓼科>とばったり出会う。お互い、松枝侯爵邸の焼跡を見に来たのだ。生卵を2つもっていた<本多繁邦>は、それらを<蓼科>に与える。

 果して卵を手にした蓼科は、実に無邪気な喜びと感謝をあらわした。
「まあ、お玉。まあ今どき、お玉とは何とおめずらしい!何年も見ないようでございます。お玉とは、まあ!」
 「宅へ持ち帰りますよりも、無躾で恐れ入りますが、いっそここで・・・」
 割る場所を探しているのを、本多は放置っておいた。何か忌まわしいことを手伝うような気がして、手助けが憚られたからである。蓼科は存外器用に、自分の腰かけた石のへりで卵を割った。中身を落とすまいとして、慎重に口の前へ持って来て、徐々に仰向いて、夕空へひろげた口から、しらじらと光る総入歯の歯列のあいだに流し込んだ。

街を歩いていても、目玉焼きに目が行く。

■ 今週のお支那さま

サウジアラビアとイランは10日、中国の仲介で、約7年ぶりに外交関係を正常化することで合意した。双方は互いに2カ月以内に大使館を再開する見通しだ。中東では各地で紛争が続いており、イスラム教スンニ派大国のサウジとシーア派大国のイランの関係改善が、地域情勢の安定に結び付くか注目される。

サウジとイランのメディアによると、両国は関係正常化を仲介した中国に謝意を示した。国営イラン通信によると、同国の最高安全保障委員会のシャムハニ事務局長が6日に北京入りし、サウジの安全保障担当高官と会談して合意に達した。両国と中国の3カ国は10日、共同声明に調印しており、中東における中国の存在感が強まりそうだ。 (産経新聞 サウジとイラン、外交正常化で合意 中国が仲介

■ 今週の「季節のメニュー」

すかいらーくグループ・ジョナサン: いちごとチーズケーキのシュー・ア・ラ・クレーム

■ 今週の「昭和の成仏」のために

大入公園(横浜市の web site:青葉区荏田北三丁目15:立派なケヤキとサクラに囲まれたとても静かな公園です。)

 map


1977年 9月 27日

■ 今週の記念日

2011年03月13日 07時38分54秒
筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと

12年前は非正規社員だった。

■ 今週読んだ本

三島由紀夫、豊饒の海 全4巻(春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰)を読み終えた。

◆ 江藤淳と<本田繁邦>、あるいは、全的滅亡

豊饒の海の最終巻「天人五衰」の最期に日付がある。昭和四十五年十一月二十五日。三島、自決の日だ。三島の事件があった頃、江藤淳は毎月、毎日新聞で文芸時評をやっていた。昭和46年(1971年)1月の文芸時評に三島について言及している。

 ところで、渋沢氏のいわゆる「みずからの肉体、みずからの死をもい、・・・・一個の作品たらしめた」という言葉は、おそらく著者の意図を超えた意味を含んでいるように思われる。つまりここには、三島氏のつくり上げた最大の作品は「三島由紀夫」だという逆説が含まれているからである。「新潮」新年号に遺稿として掲載されている「天人五衰」の最終回を通読すると、作者が小説をつくり上げることに倦んでいる様子がありありとうかがわれる。この作者は人間にも実在にも、ほとんどなんの興味も示していない。それも当然であって、作者にとって思想も、政治も、ボディ・ビルも剣道も、小説すら「三島由紀夫」という第二のアイデンティティをつくり上げるための素材に過ぎなかったのである。
 この虚のアイデンティティを完成するために、 作者は「刻苦勉励」した。(江藤淳、文芸時評、昭和46年1月、『全文芸時評 上』)

三島由紀夫に厳しかった江藤が最後には「三島は小説を書くことに倦んでいる」と断定している。つまりは、もはや小説家ではない、と云っているのだ。では何であるかというと、作品「三島由紀夫」なのだ。そうすると作品「三島由紀夫」の一素材であるこの小説を手がかりに作品「三島由紀夫」とそれをつくりあげる三島由紀夫を知ることができる。

▼ 三島と江藤ということで、共通点とすれ違いを見つけた; 全的滅亡

江藤淳は晩年西郷隆盛について書いた。もちろん西郷そのものについて論じたのではあるが、実は、先の大戦の敗北を背景に語っている。そして、東京の空襲の焼趾について書いている;

 西郷とともに薩摩の士風が滅亡したとき、徳川の士風もまた滅び去っていた。瓦全によっていかにも民生は救われたかも知れない。しかし、士風そのものは、あのときも滅び、いままた決定的に滅びたのだ。これこそ全的滅亡というべきものではないか。ひとつの時代が、文化が、終焉を迎えるとき、保全できる現実などはないのだ。玉砕を撰ぶ者はもとより滅びるが、瓦全に与する者もやがて滅びる。一切はそのように、滅亡するほかないのだ。(江藤淳、全的滅亡の系譜、『南洲残影』)

 家もなくなっていた。大久保百人町の家は五月二十五日の空襲で焼けていた。父はなぜか荷物の疎開をためらっていたので、私を祖父や亡母につなげていた遺品や記録も、わずかな品物をのぞいて全部焼けた。それから数日後に父とふたりで庭の片隅に埋めておいたはずの陶器を掘り起こしに行ったときのことを私は覚えている。壕舎に住んでいた留守番の一家がつかっている焼けのこりの水道菅のそばには、変色した五月人形の鉄製の兜がころがっていた。庭木がすっかり失くなっていたので、二つの茶箱につめて埋めておいた陶器の一箱はついに見つからなかった。父と私は、美しく澄んだ空のひろがりをぼんやり眺めながら、焼跡で弁当をつかった。しかし家がなくなったことの意味がわかったのは敗戦後のことである。つまり私には帰るべき場所がなくなったのである。 (江藤淳、「戦後と私」)

一方、三島は<本多繁邦>を東京の焼跡に配している;

 窓からは六月の光の下に、渋谷駅から駅までの間は、ところどころに焼ビルを残した新鮮な焼阯で、ここらを焼いた空襲はわずか一週間前のことである。すなわち昭和二十年五月二十五日の二晩連続して、延五百機のB29が山の手の各所を焼いた。まだその匂いがくすぶり、真昼の光りに阿鼻叫喚が漂っているような気がする。
 火葬場の匂いに近く、しかももっと日常的な、たとえば厨房や焚火の匂いもまじり、又、ひどく機械的化学的な、薬品工場の匂いを加味したような、この焼趾の匂いに本多ははや馴れていた。幸い本郷の本多の家はまだ罹災せずにいたけれど。 (三島由紀夫、『暁の寺』)

むかしの町と比べての感慨は、本多は少しもなかった。ただ目はまばゆい廃墟の反射をとらえて、割れた硝子の一片が今目を射るならば、次の刹那にはこの硝子も滅し、焼趾も亦滅して、新たな廃墟を迎えることになるということを、感覚的な確かさで受け入れた。破局に対抗するに破局を以てし、際限もない頽落と破滅に処するに、さらに巨大、さらに全的な一瞬一瞬の滅亡を以てすること、・・・そうだ、刹那刹那の確実で法則的な全的滅却をしっかり心に保持して、なお不確実な未来の滅びに備えること、・・・・本多は唯識から学んだこの考えの、身もおののくような涼しさに酔った。(三島由紀夫、『暁の寺』、第二十章)

▼ 明治維新成功の象徴を「焼いた」三島

『春の雪』の主人公、<松枝清顕>の松枝家は明治維新の元勲[wiki]の家系。松枝清顕の祖父が元勲。伯爵級なので歴史上実在の人物でいえば西郷従道級。事実、『春の雪』の舞台の松枝邸は現在西郷山公園にあった西郷従道邸とみなされている(松村剛、『三島由紀夫の世界』)。この明治元勲の邸宅は『暁の寺』では、1945年5月25日の山の手空襲で焼失することになっている。しかし、現実には、西郷従道邸は残っている。今は愛知県の明治村にあるが、戦後に移築されたようなので、焼け残ったのだろう。

出典

ということは、三島由紀夫が「西郷従道邸」を焼いたのだ。

 坂上から上通り、南平台の一帯は、かつてことごとく松枝邸の十四万坪の内であった。それが細分されて今日に及んだのだが、ふたたび一望茫々たる焼趾になって、ひろい空の夕焼を浴びて、むかしの規模を取り戻したのである。(『暁の寺』21章)

▼ タイ王国、ピブン首相

「豊饒の海」での登場人物にはモデルがあるとの話がある。一方、物語で実名が出てくる人物として、山縣有朋、吉田茂、マッカーサーなどがある。そして、タイ王国のピブン首相の名が『暁の寺』に出てくる。ピブン首相に言及する人など見たことがなかった。愚ブログではピブンについて書いている。タイ王国、ピブン首相とは、当時独立国であったタイが英米に宣戦布告をしたことの責任者。日本軍のシンガポール陥落前だ。

『暁の寺』のジン・ジャン女王が<松枝清顕>が転生した3代目。大東戦争中の時期が背景の『暁の寺』では主役となる。現実では、タイ王国は1943年の大東亜会議にワンワイタヤーコーン親王(wiki)が参加。

▼ <本多繁邦>は、印度で、死(Θάνατος, Thanatos)に直面し、性(ἜρωςErōs)に覚醒

1945年の3月からの米軍による東京人の大量焼却に先立ち、対米英開戦前に印度のベナレスに行き、遺体を荼毘にふす情景に印象を受ける。これは本書で「本多のベナレス体験」といくどもも言及される。その描写は読書感想で言及する人が多い。印象深いと。

 屍は次々と火に委ねられていた。縛めの縄は焼き切れ、赤や白の屍衣は焦げ失せて、突然、黒い腕がもたげられたり、屍体が寝返りを打つかのように、火中に身を反らしたりするのが眺められた。先に焼かれたものから、黒い灰墨の色があらわになった。ものの煮えこぼれるような音が水面を伝わった。焼けにくいのは頭蓋であった。たえず竹竿を構えた隠亡が徘徊していて、体は灰になっても頭ばかり燻ぶる屍の、頭蓋をその竿で突き砕いた。(『暁の寺』、8章)

 ジン・ジャンの卓上に張り出している胸は、あどけない顔つきにも似ず、船首像のように堂々としていた。学生風の長袖のブラウスの下には、見ないでも、アジェンダ洞窟寺院の壁画の女神たちの肉体が隠されているのがわかる。(『暁の寺』、30章)

▼ 敗戦利得者<本多繁邦>と斜陽族

”解放”と”獲得”だけが戦後であって、”敗北”と”剥奪”が戦後ではないという認識はあきらかに片手落ちである。とは江藤淳の戦後文学批判である。

<本多繁邦>は戦中には戦争に動員されることもなく(50歳前後)、戦災で家を焼かれたり、親族を失うわけでもなく、敗戦を迎える。さらに、敗戦での法改正により巨万の富を得る。敗戦利得者。これと対照的に、かつての知人、物語の華族であった登場人物たちは没落し、過去の所業が暴かれ、醜態を晒す。例えば、宮は皇族離脱の後、旧華族の宝飾品などの販売を始める。

▼ 変態へと変態した<本多繁邦>

 戦後、巨万の富を得た<本多繁邦>は、性的嗜好の変態性が顕在化する。得た富にあかせて自宅には客室に覗き穴をつくったりする。一方、外でも覗きを行い、世間に発覚してします。経済的には「上昇」するも、道義的には没落する。さて、敗戦前は顕在化しなかった性欲の顕れとして、<本多繁邦>の「巨乳」・巨尻好きが描かれる。描いているのは三島由紀夫だ。1970年に「巨乳」という言葉はほぼない。

安田理央は、1983年頃から『BACHELOR』誌で「巨乳」という表現が使われたことが、この言葉が世に広がる発端となったのは間違いないとしている[24]。この言葉自体は、『平凡パンチ』1967年8月28日号において、ジェーン・マンスフィールドの胸を表現する際に使われている[20]。 巨乳の誕生 wikipedia

一方、この作品(『暁の寺』、37章)に、一対の巨きな乳房 とある。さて、「巨乳」フェチを描く三島は上記のように、印度で巨乳を印象付けられたと書いている。⇒これだ!(愚記事:インド人は、おっぱい星人)。

▼ 綾倉聡子と久松慶子によるダブルパンチ:根元的滅亡

この物語の「落ち」がすごい、というのは有名な話。おいらも、実は、「豊饒の海」を読む前にこの落ちを知ってしまった。なので、今回4巻を読むとき、最初に最後を読んで、「春の雪」を読み始めた。最後まで読んで、最後の綾倉聡子の一撃にも劣らず、その前に久松慶子の一撃もあり、衝撃を受けた。

■ 今週の購書


横浜散歩:十日市場駅 ⇒ 長津田みなみ台 ⇒ 長津田駅

2023年03月05日 11時18分57秒 | 東京・横浜

JR十日市場駅から長津田駅まで散歩。途中は、谷戸をつぶした造成住宅地をみる。谷戸の谷であった部分が「長津田みなみ台緑道」となっている。尾根の一部残りが小高い場所として残置されていた:「長津田みなみ台公園」。


1;十日市場駅、2;十日市場スポーツ会館、3;長津田みなみ台公園、4;県営長津田団地、5;御前口、6;長津田駅、A;魚屋路 ・横浜十日市場店、B ;むさしの森珈琲・長津田みなみ台店

■ 1;十日市場 ⇒ 2;十日市場スポーツ会館

■ ⇒ 3;長津田みなみ台公園

▼ この辺の中古住宅価格

長津田みなみ台7(十日市場駅) 5580万円

▼  長津田みなみ台公園

■ ⇒ 長津田みなみ台緑道


■ ⇒ B ;むさしの森珈琲・長津田みなみ台店

■ ⇒ 県営長津田団地

■ ⇒ 長津田駅

 


新しい街でもぶどう記録;第433週

2023年03月04日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第433週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のおしネコ

■ 今週の訳あり:愛媛いよかん

■ 今週の鮫

魚屋路 チョウザメの握り (web site) 。 やや歯ごたえがある。

チョウザメは高知産なのだという。おいらは、最初、この春のフェアでキャビアを載せたチョウザメの握りを知った時、もしかしてロシア産?と思った。つまり、ロシアの外貨欲しさに乗じて、買いたたいたのではないかと。違った。高知産。土佐でチョウザメが捕れるのか。

昔、小学生の時、昔は石狩川にチョウザメがのぼっていたと聞いたことがあった。1970年代末期のNHKのローカル・ドキュメント番組で見た。興味深かったのは、ただのドキュメンタリーではなく、そのNHKの取材者が「幻のチョウザメ」を捕獲する冒険者を演じて、芝居がかったように石狩川で釣りをするのだ。妙に、記憶に残っている。

■ 今週の旬

むさしの森珈琲 国産フレッシュいちごのパンケーキ (web site)

お寿司、パンケーキともにすかいらーくグループの株主優待券をお持ちの<荊の簪を挿した御方様>の奢りです。

■ 今週の富士山

■ 今週の洗濯物

■ 今週の知らずの「聖地訪問」@2015

映画「ブルージャイアント」なるものについて、ラジオで、少しきいた。少し気になったのは主人公が仙台の出身で川辺やでサックスの練習をしたとのこと。ネットで調べた。サックスの練習場所に「アンダーパス」という説明があった。心当たりがある。調べてわかった結果、これは漫画の原作があり、映画では仙台時代のシーンはでてこないようだ。調べると、何のことはない、漫画『ブルージャイアント』の主人公・宮本大は「青葉二高」の高校生。ネットで見つかった漫画『ブルージャイアント』の「聖地巡礼」を行ったweb siteでは、川内大工町が出てくる。養ちゃん食堂の交差点だ。『ブルージャイアント』に出てくるのは、パン屋「定進堂」。愚記事(養ちゃん食堂)には載せなかったが、2015年の川内訪問で「定進堂」を撮影していた。

 

愚記事(養ちゃん食堂)で話題にしたのは定進堂の向かって左隣(南隣)の高林商店だ。昭和末期にこの店をおいらは利用していたと。そして、『ブルージャイアント』に出てくるらしいパン屋の定進堂。


出典:藤崎×漫画「BLUE GIANT」 ジャズフェスに合わせ、原画展や限定グッズ販売

ある情報によると、定進堂は100年前からあるという。昭和末期、ここを通ったはずのおいらには、記憶がない。この画像で写っている定進堂のビルは昭和末期にはなかった。定進堂のビルの向かって右隣りの木造の店(この下の画像の下の画像:2023年の現在は無い)は魚屋さんだっと思う。そして、魚屋さんと高林商店の間には豆腐屋さんがあったと記憶している。利用した記憶もある。この豆腐屋さんは毎夕17;00頃リヤーカーを引いてラッパを吹いて、あの豆腐屋さんのラッパを吹いて、川内を回っていた。昭和の末期だ。でも、パン屋の定進堂は記憶が全くない。

↑ 2015年  ↓ 2023年のGoogle Mapより

仙台二高の方向を向く。この通りには「手前から魚屋さん、ブリキ屋さん、八百屋さん、米屋さんでした」( ブログ 気ままな歳時記様記事 「昔を懐かしんで、仙台市川内明神横丁」)とのこと。