いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

札幌郊外のキャンプ・クロフォードの映像:冬を迎える孤児たちへ 札幌<時の話題>、あるいは、棄てられた混血児?

2024年01月11日 17時42分36秒 | 札幌

NHKアーカイブス 冬を迎える孤児たちへ 札幌<時の話題> という動画を見つけた。動画はニュースであり、1951年11月に札幌に駐屯していた米軍が孤児のために寄付を集め、孤児施設を訪問し孤児たちと戯れる映像。YouTubeではないのでblogに貼れない。リンク先で動画を見てほしい。この動画に註をつけてみた。上の建物はキャンプ・クロフォード(当時)の教会(Post Chapel (駐屯地教会))。白く太い4本の柱が特徴的。この建物は現存する。 ↓ 現在の姿


画像出典 https://poros.exblog.jp/13580634/
なおこの建物、基地の建設費は日本人の負担でした:「日本占領米軍に払ったわれわれのお金」


Google map

動画のNHKによる解説;

放送年:1951年

札幌郊外のキャンプ・クロフォードのチャペルでは、兵隊さんたちが孤児たちのための募金に応じています。この温かい企ての会長、オズボーン領事夫人はスタイロン少将らと共に、11月7日、市内の天使院に、寄る辺ない子どもたちを訪ねました

スタイロン少将とは、1951年11月の時点で札幌郊外のキャンプ・クロフォードに駐屯していた米国オクラホマ州兵の第45師団の師団長[1]。この部隊は同年の4月に札幌にやって来た[2]。その理由は、朝鮮戦争の勃発でキャンプ・クロフォードにそれまで駐屯していた米国第7歩兵師団が朝鮮半島に出兵し、空白になっていたからだ。

[1] 札幌市中央図書館-新札幌市史デジタルアーカイブ:占領軍の交代
[2] 1951年、札幌に進駐した米軍 ;第45師団(オクラホマ州兵)

したがって、この寄付を行ったのは第45師団(オクラホマ州兵)の軍人たちで、映像にみえる軍人は同部隊の所属員に違いない。なお、「オズボーン領事夫人」は調べ切れていない。おそらく、米国国務省の札幌駐在組織(領事)の夫人であり、この寄付を第45師団と共に行った。あるいは、呼びかけて実施させたのかもしれない。

孤児

寄付を集めたのは、札幌郊外のキャンプ・クロフォードの教会、すなわち、現在 札幌市南区真駒内17番地の陸上自衛隊真駒内駐屯地の「中央講堂」である。一方、映像に出てくる孤児院は、キャンプ・クロフォードから離れた北12条東3丁目の天使病院と思われる。映像に出てくる;

天使病院の歴史がネットにあった;

戦後のベビーブームを迎えた昭和22年は、他方では混血児の誕生など複雑な世相を生みつつあった。
(中略)天使病院ではすでに院内にベビーホームを設け混血児をはじめ、幸の薄い子供達50~60人の世話をしていた。(天使病院 100年史)

このニュース映像では明言していないが、孤児たちの少なからずが、米兵の子供なのだ。

どんな米兵の子供か?

寄付を行ったのは第45師団(オクラホマ州兵)の軍人たちだが、混血孤児の父親は彼らの中にはいないだろう。なぜなら、第45師団(オクラホマ州兵)はこの年(1951年)の4月に来たからだ。「十月十日」を考慮すると彼らの子供ではない。前任部隊の子供だ。第45師団(オクラホマ州兵)の前に札幌にいた米軍部隊をまとめる。

第77師団   1945年10月~1946年2月 キャンプ・シーデンバーグ
第11空挺師団 1946年2月~1948年4月 キャンプ・クロフォード
第7歩兵師団     1948年4月~1950年6月 キャンプ・クロフォード
キャンプ・クロフォード事実上の空白:(警察予備隊)
・第45師団(オクラホマ州兵)1951年4月~ 

まとめ 

この混血孤児がどうなったのか?はわからない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。