いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

My Sweet Load; 今日の看猫 2011/11/29。そして、『シカト教育』

2011年11月29日 06時31分11秒 | ねこ

寒い季節が来ました。愛猫家の皆さまもお布団の上に猫ちゃんが乗っかちゃっていると思います。

(猫が重い ⇒夜悪夢にうなされて目が覚めると、大量の猫がベッドの上で寝ています。 http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467425.htm?from=popin

重いのはともかく、寝返りも打てないので、ちょっと安眠妨害です。

↑ My sweet load  おいらのかわいいうめちゃん@4キログラムくらい。
Hm, my load
Hm, my load

My Sweet Lord

My Sweet Lord

 


全然関係ない話; すごいね、『シカト教育』って...。 産経新聞:加藤氏「民主に『シカト教育』できるか」盟友のあの人もバッサリ

でも、これはある意味いい点を、無意識に・無定見に、穿っている。

このもどかしさをぶつけると、加藤さんは、衆院選で初当選したころの昭和の思い出を語り出した。

 「自民党には『シカト教育』ってのがあったんだ」

 シカト?無視?

  「僕が初当選からまだ3年目くらいかな。ある農村の養豚地帯に行ったのよ。僕の目の前で、農家は『大変だ、大変だ』と繰り返す。それを聞いた僕は、『明日 僕は党の農林部会で訴えてあげる。農林省の役人にも、現場を知らないとダメだ、農家は苦しんでいると伝えよう』と約束したんだ」

 「正義感 にあふれた僕は翌日、農林部会で農家の窮状を訴えたわけ。ところが渡辺美智雄や中川一郎という農林族の先輩は、僕の演説を聴いていない。『シカト』だ。隣 人と私語さえしている。ある人は『トイレ』。ある人は『選挙区から県議が来ている』と中座する。そこで僕は『ああ、話していることは意味ねえんだ』と悟っ たんだ」

 このとき、親切な先輩がこう忠告してくれた。

 「加藤君、農家の窮状なんて先輩たちは何百回も聞いている。それだけじゃ物事動かないって、みんなとうに知っているんだよ」

■子供の学校における「いじめ」の問題は難しい。「いじめ」は多様な面がある。本当に攻撃的で他人を虐待することに快楽を覚えるのでやっている子供もいるのだろう。でも、そうではない動機もある。

ひとまず、いいか悪いかの問題から離れて話を進める。そして後で善後策を書く。

そうでない動機とは、他人に対してそのひとに変わってもらいたい時に発動する。これが結果「いじめ」になる。

具体的で、典型的なのが、シカト。無視することだ。なぜその人を無視するかというと、その人のある部分に我慢ならない。できれば是正して欲しいからだ。

上記加藤の例がこれだ。日本社会では大人になってもこうだ。

宮台真司が言っている「誰か何とか言ってやれよ問題」というのがあるらしい。

上記の場合、親切な先輩が忠告してくれたのだ。

でも、誰にも何にも言ってもらえず、周囲と折ありがつかず、気付かず、勘違いしたまま...幸せになれない人がいる。

こうなるのだ→ 愚記事; -自分さがしの果てに、見つけたよ

●じゃーどうすればいいのかというと、その勘違い野郎に伝えてあげればいいのだ。忠告。

でも、今の世の中、他人への忠告ほどリスキーなものはないだろう。

そういう人に「ホント」のことをいうと、それが真実を穿ち過ぎているために、ほぼ恨まれる。

ん~、難しい問題だ。

石を投げるられる者は、幸いだ。

 

 


小泉純一郎による対北朝鮮外交とは何だったのか? ひとつの思いつき

2011年11月27日 17時34分29秒 | 日本事情

―本文と関係ない画像; 筑波山麓の初冬の果実たち@ひと粒と九十九粒と―

●11/24、元外交官だった田中均さんが、"「悪の枢軸」の今"という文章をネットで公開[1];

「悪の枢軸」の今 "http://allatanys.jp/B001/UGC020009720111122COK00951.html

現在リンク切れ。 内容のコピペは愚記事最下部にあり。

■田中均さんは、小泉訪朝直後の2002年、売国奴!と「保守派」・「右翼」から大罵倒された。ついには自宅に爆発物がしかけられた。この際、現職の東京都知事(もちろん、石原慎太郎さん)に、「テロされて当然だ!」みたいなことを言われた。

さて、2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝と金正日国家主席との首脳会談を準備したのが、田中均。

その経過を記した本、『外交の力』(Amazon)は2009年に出版されている。外交官の本なので、ためにする情報発信(=プロパガンダ)であることは織り込むべしとして、それなりに準拠する。

●小泉純一郎さんは田中均を信頼している。

きれいな君臣物語である。

小泉訪朝は田中にとって、自らの準備したシナリオに、千両役者が演じてくれたのだから、うれしかったのであろう。

一方、田中均は、小泉の靖国神社参拝には反対であった。なので、執拗に小泉に田中は靖国参拝によるデメリットを説いている。

これに対し、小泉は粛然と却下。断固、靖国参拝を続けた。 決断する政治家。

臣下・田中は首相の決断であるので、最終的には従った。ここで、従うとは、田中が、役職を賭すまでもない、あるいは諌死するまでもないと考えたということなのだ。 保身する役人。

小泉も役人ってそんなもんだろうと、靖国参拝を続けた。

美しい君臣物語である。

半端な政治家なら、官僚の veto にびびって、腰が引けるのだろう。

役人というのは自分たちの脚本通りに政治家が動いていれば、おだてこそすれ、特に政治家にさらなる情報を与えたり、あえて異論(悪魔の代理人的見識:愚記事;悪魔の代弁者)を示したりしないが、一端役人の脚本通りに政治家が動かなくなると、執拗にデメリットを入説し、偽情報も含め、事実上の強迫を行う。

小泉はこういうのには乗らなかったのだろう。

さて、小泉純一郎による対北朝鮮外交とは何だったのか?

つまりは、なぜ北朝鮮は日本との対話にのったのだろうか?その合理性を説明しなければならない。

そのために、「そもそも小泉純一郎による対北朝鮮外交とは困難なものであった」ということ。上記リンクで田中均はいっている;

北朝鮮についても小泉純一郎元首相の訪朝は外交交渉による事態の打開を日本が模索した結果である。米国のネオコン勢力と言われた人々は同盟国日本の首相 が北朝鮮という「ならず者国家」を訪問することに賛成であったはずはない。この時もアーミテッジ国務副長官やパウエル国務長官というネオコン勢力とは一線 を画す人々がブッシュ大統領に直接働きかけをし、小泉首相のブッシュ大統領との強い関係もあり、米国の異論を押さえ込むことが出来た。イランや北朝鮮の例 は、これら諸国を国際場裏に引き出し対話を進めることによって彼らの変化が出てくることを期待した訳だが、残念ながら未だ明確な成果を見るには至っていな い。 

つまり、今から見れば、ネオコン絶頂の頃だ。ネオコン・ブッシュ・米国が今にも悪の枢軸討伐に出陣しそうな雰囲気の時代。当時も、中東と北東アジアの二正面同時作戦を遂行しようという風潮もあった。

●そこで、おいらの思いつき。

北朝鮮の金正日は、米国の対北朝鮮開戦を現実性のあるものと認識した。そして、それを恐れた。

北朝鮮@2001の外交目標;大目標;米国の対北朝鮮開戦を阻止する。 小目標:米国の軍事・外交政策の最新生情報を入手する。

戦術: ①ブッシュの"子分"である小泉純一郎と国交樹立をうたい文句に交渉に入る。

     ②日朝交渉の準備をしていた外交官の田中均から米国情報を提供してもらう。

金正日の狙った効果; もし米国が対北朝鮮戦争を始めるならば在韓米軍ばかりではなく在日米軍の出動は不可欠。そこで、首脳会談に始まる日朝交渉を開始しておけば、日本政府は米国の対北朝鮮戦争に協力することが国際信義上しずらくなる。もし、日本政府が米国の第二次朝鮮戦争に協力しなければ、米国も開戦を躊躇せざるを得ない。

一方、田中均から、ネオコンの動向などワシントン情報などの米国インサイダー情報を提供してもらう。もっといえば、ピョンヤン・金正日⇒ホワイトハウスへのチャネルをも、田中均@日本外務省から得ようとしたのではないだろうか?

以上が、日朝首脳会談が2002年に実現した理由、背景に関するおいらの思いつき。それも北朝鮮サイドの思惑。

そして、日本サイドの思惑。

田中均さんが何か成し遂げたったのであろう。 そういうことは、おいらは、悪いとは思わない。功名心が駆動力となって策が発せられ、遂行されるのだ。

そして、小泉さんの思惑。小泉さんは第二次朝鮮戦争を避けたかったのではないだろうか? ネオコンと直接相対して、こいつらホントにやっちまうんじゃないだろうか? そうなれば、戦争ができない日本の政治はマヒすると考えたのだ。そして、第二次朝鮮戦争を避けたかったので、田中均さんの野望のシナリオの役者をやったのではないだろう? 策謀家チェイニーの邪念をかわしたのだ。

と、ぼんやり、おいらは、考えてみた。

あるいは、主権のありかを明徴化するための大示唆行動だったのだろうか? ⇒愚記事; 主権とは例外状態における決定権である -カール・シュミット-

蛇足; 大連、満鉄マンホールは、日本人の参拝名所になっているのだろうか?

田中均、『外交の力』の104ページにある;

交渉の始まり

 二〇〇一年(平成一三年)秋、私は中国大連の飛行場に降り立った。東京からは直行便でわずか二時間の距離である。はじめての地なので、町中を見て回ることにした。いまだ旧満鉄本部の建物は残っており、マンホールには満鉄の刻印が刻まれたままである。

これだ↓

愚記事;中国21 大連 旧満鉄本社 満鉄マンホール


[1]以下、将来のリンク切れに備え、勝手にコピペ;

「悪の枢軸」の今(1/4) 田中 均 日本総合研究所国際戦略研究所理事長 元外務審議官


 10年前の2002年1月、ブッシュ米国大統領は一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮は「悪の枢軸」であると表現し、その後、イラクでの戦争に突入し ていった。当時、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォビッツ副長官といった所謂「ネオコン」勢力と言われた人々の最大の論点は、テロ や大量破壊兵器の拡散はそれを助長するような「ならず者国家」の存在であるとし、「レジーム・チェンジ」が必要であるとした。
 米国はサダム・フセイン政権を打倒することには長い時間を必要としなかったが、その後イラクの治安を維持するのに長い戦いを余儀なくされた。米国の失敗 の原因はよく練られた占領政策がなかったことであると言われる。ドイツや日本の場合には数年がかりで練られた占領政策がイラクの場合は僅か60日であった という。多大の人命を犠牲にしたイラク戦争は当初開戦の理由となった大量破壊兵器の存在がなく、武力行使の正当性に疑義が生じ、米国の道義的な立場を著し く傷つけ、そして多大の戦費は今日の膨大な財政赤字の原因を作った。このようなイラクの「レジーム・チェンジ」と対照的であるのが、チュニジアで始まった アラブの春といわれる民主化の流れである。
 エジプトやリビアにも押し寄せた大衆運動は、長期にわたって続いてきたムバラク政権やカダフィ政権を 打倒した。米国の圧倒的軍事力といった外部の力ではなく、国内の力によって打倒されたのである。今後エジプトやリビアに民主的な政権が誕生していくのを望 みたいが、少なくとも「レジーム・チェンジ」のコストはイラクとは比べ物にならない。

「悪の枢軸」の今(2/4)


 東アジアではミャンマーが民主化の道を歩みだしている。ミャンマーの変化が真実のものかどうか見守る必要があるが、このような変化も直接的には外からの 力によってもたらされたものではない。私は2002年及び2003年にヤンゴンを訪問し、自宅軟禁下のスーチー女史に面会するとともに当時の軍事政権のナ ンバー3であったキンニュン将軍(軍事評議会の書記の後首相)と長時間、ミャンマーの民主化のロードマップについて話し合った。
 キンニュンは不十分ではあったが民主化についてのロードマップを示し、同時に民主化された暁に軍がどのような扱いを受けるかが軍の最大の関心事であると 語った。私はスーチー女史に対して、総選挙で勝利したスーチー女史が政治指導者として政治の表舞台に出ることは当然であるが、そのためには軍の将来につい ての合意を作ることが必要であることを述べたのを昨日のことのように思い出す。
 結局しばらく経ってキンニュン首相は更迭され、民主化の流れは頓挫するに至った。当時望んだスーチー女史の解放、政治犯の釈放、政府とスーチー女史の協 力関係の構築といったことが次々に実現されていくのを見て感慨が深い。現在の大統領は軍人出身であり、議会でも軍の特殊な地位を認めている訳で一気に民主 化が図られているとは考えられないが、好ましい方向に向かっていることには間違いがない。ミャンマーが韓国やインドネシアの辿った軍事独裁から民主化の道 を進むことを期待したいと思う。 

「悪の枢軸」の今(3/4)


 ブッシュ大統領が悪の枢軸と述べたイランや北朝鮮はどういう推移をたどっていくのだろうか。
 イランの核開発問題は先日の国際原子力機関(IAEA)レポートに示されている通り、より緊急性を高めており、北朝鮮問題はこう着状態である。イランに ついても北朝鮮についても、そもそも近隣諸国との地政学的要因もあり、米国が軍事力を行使して「レジーム・チェンジ」を試みる蓋然性は高くはなかったが、 日本はイランについても北朝鮮についても外交交渉による事態の打開に努めた経緯がある。イランの核問題について日本はイランとの対話のパイプを活用して交 渉による解決への働きかけを続けた他、米国を巻き込むべくG8の枠組みを活用するよう米国に働きかけた。ネオコン勢力の高官たちは強い反対をしていたが、 パウエル国務長官が押し切ってくれた。残念ながら当時進展するかに見えたイラン核問題もイランにおける大統領の交代で頓挫してしまった。
 北朝鮮についても小泉純一郎元首相の訪朝は外交交渉による事態の打開を日本が模索した結果である。米国のネオコン勢力と言われた人々は同盟国日本の首相 が北朝鮮という「ならず者国家」を訪問することに賛成であったはずはない。この時もアーミテッジ国務副長官やパウエル国務長官というネオコン勢力とは一線 を画す人々がブッシュ大統領に直接働きかけをし、小泉首相のブッシュ大統領との強い関係もあり、米国の異論を押さえ込むことが出来た。イランや北朝鮮の例 は、これら諸国を国際場裏に引き出し対話を進めることによって彼らの変化が出てくることを期待した訳だが、残念ながら未だ明確な成果を見るには至っていな い。 

「悪の枢軸」の今(4/4)


 数年前、保守的論考で著名なロバート・ケーガン氏とソ連の変化が米国の軍事経済的圧力という外からの力によるものかゴルバチョフやエリツィンといった政 治家の行動がもたらしたものかを巡って激しい論争になった。確かにケーガン氏の言うようにソ連が発展しようのない環境を米国の軍事力が作ったことも事実で あろうが、ソ連の賢明な政治家の存在がソ連の解体を導いたことも否定できない。
 私はイランや北朝鮮といった国でも政権の本質的変化をもたらすのは国内の力でしかないと思う。勿論国際社会が結束をして変化を慫慂(しょうよう)する環 境を作ることはいかなる場合でも必要であるが、同時に、政策を変えるきっかけをつかむことも重要である。特に北朝鮮に関しては権力の継承も近いと見られて いる。もっとも、ミャンマーでおこっていることが政権の交代をきっかけとして北朝鮮でも起こるかもしれないと期待するのは楽観的に過ぎるのであろう。


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 32週目

2011年11月26日 11時25分54秒 | 草花野菜

↑ 採られなかったぶどう。

↓おいらのみかん。甘みが増すのを期待して、もう少し待っている。

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保護国の幸せ; 降伏と幸福の間には....

2011年11月24日 20時19分33秒 | 日本事情

■保護国(protectorate)。

保護国の認定は難しいと知る。なぜなら、わが国は保護国ですと宣言して国があるわけでもないからだ。例えば西尾幹二センセは、わが国日本を「アメリカの事実上の「保護国」にある立場」と言っている(愚記事; 事実上の「保護国」)。そして、ブータン。以前は典型的保護国(protectorate)としてブータンが例に挙げられたような記憶がある。

wikipediaのprotectorate(保護国)に興味深いことが書いてある。保護国(protectorate)には二つの意味があるのだと。ひとつ目は競合する大国の間で(A国とB国)、X国が、敵のB国にに奪われそうになった場合、A国が出兵して占領する。あるいはいつでも出兵して支配できるようにしている。この場合X国を保護国という。この場合A国にはX国の内政を支配する意図はない。

二つ目が、内政も従属下に置く場合。ただし、X国は建前上王国だったりして、建前の「主権者」はX国王だったりする。

第一の例が第二次世界大戦直後からの日本。戦後日本はA国が米国で、B国がソ連。

第二の例は大韓帝国。A国が大日本帝国で、B国がロシア。

そして、ブータン。複雑な保護国外交。

ブータンは、A国がインドで、B国が中国。 「国内にインドの軍事顧問団と陸軍部隊が駐留している」wiki)。

さぼった大臣が、謝りに行って分かったことは;

ブータン国王の宮中晩餐会を一川防衛大臣がさぼって、ばれた件。報道によると、東京のブータン総領事館に謝りにいった。そこで対応したのが、「日本大使を兼任するナムゲル駐インド大使」。駐日ブータン大使はいないのだ、なぜなら、ブータンはインドの保護国だからだ、と思った。いちおう調べた。

どうやら違う。 駐日ブータン大使はいるらしい。天皇陛下に信任状を棒呈している。あの儀装馬車列をなしたのだ。(wiki; 信任状捧呈式

でも、東京にいないのだ。 インド常駐、と書いてある。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/1/0114_09.html

つまり、「駐日」ブータン大使はデリーにいて、東京ではインド大使がブータン大使を代行しているのだ。

↑ まつがい、まつがい、大まつがい!

アタマ悪いな、おいら。やっとわかった。「日本大使を兼任するナムゲル駐インド大使」という新聞報道の意味は、ブータン人のナムゲルさん@外交官(外務省の表記ではナムギャル閣下)はブータンからのインドへの大使でもあるし、同時に、日本への大使でもある、ということなのだ。兼任。つまりは、デリーで日本問題を処理しているのだ。そして恐らく、今回国王夫妻の来日に同行し、ブータン総領事館に、たまたま、いたのだ。

駐日インド大使様は、 アロック・プラサド 大使(google)なのだ。

「日本大使を兼任するナムゲル駐インド大使」という新聞報道の意味を、「保護国であるブータンの外交権を駐日インド大使が代行している」という意味とおいらが解していたことは、相当「保護国ブータン」という”偏見"にイカ@レテいた証左である。

でも、ひょっして、このナムゲルさんは、100カ国位の大使を兼任しているかもしれない。それで「宗主国」のデリーにいる。
こういう妄想を否定するデータをまだ確認していない。

降伏と幸福の間には....

うーん、ブータン大使はやっぱりデリーにいた方が幸せなので、国民総幸福量増大のためにデリーでがんばっているんだろうか?

蛇足

今回のブータン国王ワンチュク殿下の訪日で喜んでいるブロガーが、同時にダライラマの大ファンだったりする例が多いのですが、wikiのブータンの歴史を見ると、

チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。なんてのがあります。

 

 


今日の看猫 2011/11/22,; 親水、あるいは遺伝子が大規模に被曝するまで

2011年11月22日 20時12分32秒 | ねこ

■ヨタ話。 親水、遺伝子、ウラン

親水性という言葉がある。科学の業界用語。hydrophileの支那文字使用の日本語訳。

hydrophileは、hydro=水 (ハイドロスプロール現象とかのハイドロ)、phileは、好き。philosophyのソフィア好きの好き。

hydrophile=水が好き。 

ちなみに、日常語で親水というのがあった。親水公園の親水。水にしたしむ。

親水公園をhydrophilic parkと訳しては変だろう。でも結構ある→google。日本語のページが多い。なんか典型的日本人的英語という感じ。でも、中国のページもある。 water parkというとまた少しイメージが違う。人造的、遊園地的。日本語のあの「親水公園」ではない。

でも、hydrophilic parkっていつでも浸水公園ってイメージ。

●今日のヨタは、「遺伝子が大規模に被曝するまで」。 

「遺伝子が大規模に被曝するまで」という現象は水の惑星ならではと気付いた。

よく宇宙科学関連のニュースで、生命存在の可能性!とかいう記事を見ると、ただ水の存在の可能性のことだったりする。いつのまにか、生命の存在が水の存在とすり替わっているのだ。水があれば生命が発生するわけでもなかんべ。ただ、生命の起源と維持、存続には水が不可欠だということだ。

さて、ウラン。ウランって宇宙の視点からみるとその存在度は低い。以前愚記事で地球で一番多い元素は酸素で、次がシリコンだ!と書いた(愚記事;石ころの半分は酸素であり、残りの半分以上はシリコンだ)。そのシリコンの存在度を100万とした場合、ウランの太陽系での存在度は0.23なのだ。つまりシリコンの100万分の0.23しか、ウランは存在しないのだ。つまり、1億に2.3だ。日本人のなかの二人くらいの稀な存在度ということだ。

ウランというのはそれくらい太陽系には少ない元素である。その元素を集めて、さらにその中のウラン235を集めて燃やしているのが原子力発電に他ならない。そして爆発させるのがゲンバクだ。ウラン235はウランの中の0.7%である。だから、上記の「1億に2.3」のさらに約100分の1である。100億の中の2.3がウラン235同位体だ。まぁ、とにかく存在度が異常に低いといいたいのだ。

で、その存在度がそもそも低いウランをぬんげん様がなぜ手に入れられるかというと、最後のウラン235と238を分離する技術はホモ・サピエンスさまのたまもの[1]としても、そもそもウランがこの地球のある局所には異常に濃集しているのだ。濃集しすぎて核分裂をしていた天然原子炉の話は以前書いた(愚記事; 太陽の下に新しきことなし; 原子炉、ダイヤモンド、そしてGE。 天然と人工の間で... )。

で、なぜ地球のある局地にウランが濃集しているかというと、ウラン鉱床があるからだ。じゃーなぜウラン鉱床がそこにあるのか?なぜお月さまや火星にはウラン鉱床がない「はず」なのか?それは水の有無である。

たとえ話。コーヒーを入れる。豆を引いて、フィルタ―に入れ、お湯を注ぐ。コーヒーが落ちる。このコーヒーは、お湯がコーヒー粉のある種の物質を溶かしこんで、かつ、コーヒー粉から分かれて生じたものである。お湯=高温の水がコーヒーの成分を抽出したのだ。

ウランは地球の中でその存在度は異常に低いが、いろいろな作用の累積の結果、濃集する。ウラン鉱床。このウラン鉱床とは地中でウランを溶かしこんだ高温の水が地表でウランを"吐き出した"結果できた。つまり、水の役割は地中でウランを溶かしこんで来ては地表に運び、集めたのだ。

以上、おとぎばなし的ではあるが、とにかく、地球は水があるからウラン鉱床があるのだ。もちろん、水があればウランが濃集するわけでもなかんべ、というわけではある。しかし、水の惑星地球には水の条件にあわせて地球が断続的に冷えることで熱を放出しているので、高温高圧の水(蒸気・超臨界H2O)が地殻をかけめぐっているのだ(⇒こういうイメージ)。

20億年前は、地球の局地でわずかにできたそのウラン鉱床も昔は勝手に核連鎖反応をしていたのだ。

そして、遺伝子。タンパク質という生体高分子。水なしに遺伝子が生成、発達することは考えられないことは、自明。

生物が多細胞として本格的に地球上で繁茂しだしのは5-10億年くらい前らしい。つまり地球ができて45億年という時間スケールからみて、かなり最近だ。

その理由の一つが放射線の減少との説。放射能が減衰して、ぼくらは生まれた。

もちろんずーっと、遺伝子は自然の放射線を浴びてきている。

それを、ひっくりかえしたのが、ぬんげんさまのウラン235の濃縮と、非自然核分裂の実行にほかならない。

そして、遺伝子が、最近5億年の間で、最も被曝した。マリアさまもだ。

せっかく、減衰している放射線を増大させているのだ。

真に「反動的」である。ぬんげん、マンセー!

■まとめ;  水は舟を載せ、又舟を覆す 

恐るべし、水!

 


 

[1] 大日本帝国陸海軍は原子爆弾の開発を実施した。実行者は仁科芳雄や荒勝文策、湯川秀樹らである。彼らは、ウランの同位体分離を全くできず、母国が核攻撃で壊滅するのを木偶の坊のように見送っていた。でも、彼らは幸せだったのであろう。なぜなら、大日本帝国の瓦解後、栄達を得たからである。

 

 

 


(美術)展の配剤? - 新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである -

2011年11月20日 18時42分32秒 | 筑波山麓

― 新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである - ヘーゲル (→google

■ おいらは新聞を朝に読まないわけではない。が、数カ月前の「新」聞である。

愛猫のうんこ処理のための古新聞を、朝、歯磨きの最中にながめるのだ。

おもしろいね、新聞。

見つけたよ、天の配剤; 毎日新聞2011年(平成23年)6月7日(火)の茨城ローカル紙面。

記事では、「取手美術作家展」が開かれていますよ、という記事。

その「取手美術作家展」の記事の左下に別の記事がある。

つくば・強制わいせつ容疑で筑波大生逮捕

後方から近づき、胸を触った、と報じられている↓

まとめ; このシンクロを見よ!!! 天の配剤に驚く。

TPP騒動で比較優位問題などが語られている。そういえば、アダム・スミス→ヘーゲルの系譜があったなと思い出す。

もしかして、「ヘーゲルというのは超観念的な哲学者。一方、アダム・スミスは経済学者。だから両者は共通点なんてないだろう」と思ってないだろうか?

史実はヘーゲルはアダム・スミスを読み込んでいたのだ。ヘーゲルは哲学にもあわせて、社会の現実について探究していたのだ。

だから、ヘーゲルって、マルクスなみに、ジャーナリスティックで現世好きだった。 今なら、絶対ブロガーになっていただろうっていう「人間型」。

ヘーゲルは、アダム・スミスを文献学的に勉強したばかりでなく、イギリスの現状そのものに興味があり、時評まで書いていたのだ。

比較優位問題といのは、「世界」の中でどう「分業」していこうかという問題。

アダム・スミスは、『神の見えざる手』によって、社会での分業が生じているのだと言う。 天の配剤!

そして、一方、世界で「分業」を担うといことは、世界的に認めらることになる。

逆に言えば、世界で「分業」を担えないといことは、世界的に認められないことになり、淘汰の運命を甘受しなければいけない。
(「淘汰」!、ダーウインだ。ここでも、えげれす思想が...すごいぞえげれす!)

つまり「承認」の問題なのだ。 「承認」されないものは死ぬ。あるいは、死を免れてとなる。

「生か死か、それが問題だ」 (またえげれすだよ)。

分業→承認;アダム・スミス→ヘーゲル問題だ。

ぬっぽんの農民さまは、「世界」なぞなんぼのもんじゃ!、おらたちは「世界」から「ひきこもって」勝手にやるんだぁ!と息巻きているのだ。

そしてその「ひきこもり」にかかる費用は日本国民の中の非農民の税金で賄えと言っているのだ。

さらには、吉野家の牛丼やユニクロや百円ショップで消費生活を営む低所得の都市部の日本人が「外国」の安い米を食べることを禁じるように政府にくぎをさしている。このせいで、都市部の低所得の日本人は牛丼などのコメ部分のコストダウンから受ける恩恵を失している。ユニクロや百円ショップの商品はグローバル化で安くなった。食料品だってもっと安くなるはずなのに(といってもコメだけかな?でも、主食だし。)。

「食料安保」とかいうけれど、都市部の低所得の日本人は考慮されていないのだ。「食料安保」とはぬっぽんの農民さまと、土にまみれたことなぞ一度もないお役人さまの方便であることは言うまでもない。お役人さまはぬっぽんの農民さまを出汁(ダシ)にして、食いものにしているのだ。

さらには、都市部の低所得層の日本人は、別途税金を取られ、その税金は農村部の無駄な公共事業にも使われている。水のたまらない農業用ダムとか(→google)。

■分業のグローバル化は、「世界」における「分業」化の無理=労働力の商品化の無理!という問題に引きつがれていく。

アダム・スミス → ヘーゲル → □□□□ 問題だ。

<天の配剤!なんて予定調和的なものなんぞは幻想だ。分業の世界化は「資本」の鉄を貫くような運動法則により促進されるもので、自然社会=共同体社会をかみ砕きながら進行し、そして恐慌を繰り返すであろうと、>マルクスセンセはおっしゃいますた。

ここで、我がくぬ・ぬっぽんでは、TPP問題で、西部邁の内弟子の中野剛志センセが「暴発」しちゃっていることは、周知。

アカなのか?「保守」なのか?

えげれすで御遊学あそばされていた中野剛志センセの行く末はたのすむ(楽しみ)だ。

●追記@2011/11/29

おいらはかつて、「米国はアジアの平和なぞ望んでいない。」と主張している。

米国の意図(の重大なひとつ)は、TPPによる日中分断なのであろう。

そうだからこそ、「普遍原理」としての「世界的分業」は蔑ろにできないのである。

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 31週目

2011年11月19日 10時16分20秒 | 草花野菜

■北海道からの便りに貼ってあった切手;アスパラ&メロン

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.11.18(金) 2409 PV 157 IP 7957 位  / 1655489ブログ
2011.11.17(木) 1094 PV 179 IP 6164 位  / 1655163ブログ
2011.11.16(水) 1165 PV 149 IP 9414 位  / 1654877ブログ
2011.11.15(火) 1142 PV 193 IP 5737 位  / 1654529ブログ
2011.11.14(月) 1358 PV 176 IP 7510 位  / 1654156ブログ
2011.11.13(日) 1687 PV 183 IP 6037 位  / 1653792ブログ
2011.11.12(土) 1464 PV 181 IP 5853 位  / 1653449ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.11.06 ~ 2011.11.12 8726 PV 1228 IP 6892 位  / 1653449ブログ
2011.10.30 ~ 2011.11.05 10289 PV 1374 IP 6102 位  / 1650945ブログ
2011.10.23 ~ 2011.10.29 9313 PV 1227 IP 6957 位  / 1648419ブログ

ある日、つくばで; 今日、廃業する人。 (怪童が行く・つくば学園西大通番外編)

2011年11月17日 19時07分44秒 | 筑波山麓

怪童が行く; つくば-牛久 学園西大通り、そして、らぁめん 喜乃壷(きのこ)  に続く、

怪童が行く・つくば学園西大通番外編。学園西大通りの洞峰公園向かいの二の宮にて。

文具・事務用品の株式会社ヌマジリが、廃業処分をやっていた。 閉店セールではなく、廃業処分

そのさばさばした心意気に感動した。紅白の垂れ幕も、よい。場所はここ↓;

つくばでは沼尻という名の会社名が多い。沼尻産業とか。この株式会社ヌマジリは同じ沼尻でも別会社なのだろう。

つくばの沼尻姓は、つくば山麓の北条小田家の家臣に由来するつくばの名家らしい(→Google

■怪童が行く・つくば学園西大通番外編2。

新しい信号機ができつつあった。場所はここ↑;

学園西大通りは洞峰公園の交差点など信号付きのあらゆる交差点にいつも花束が飾ってある。

これは学園西大通りのほとんどの交差点で死亡事故があったことを物語っている。

さて、気象研と産総研の西事業所の門の間には、信号がなかった。横断歩道はある。研究学園都市建設後の研究所移転時から産総研の西事業所で働いている人(Aさん)に、10年前においらが、聞いたところ、その横断歩道で死亡事故は聞いたことがないという。そうなのだ。あんな恐ろしい学園西大通りの横断ではあるが、信号がないほうが、案外事故はないんじゃないかと思う。ちなみに、そのAさんはその研究所が移転前は川口にあったので、家は東京だ。定年まで東京からつくばまで常磐線で通っていた。

 


「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館

2011年11月13日 20時07分44秒 | 筑波山麓

 

「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館に行く。

20世紀の日本人洋画家だなぁ~って感じ。「本家」の西洋絵画の影響を受けた結果としての、その変遷がとてもわかりやすい。
彼ら、「在日」の日本人洋画家って画集でピカソをみたのだなぁ~と、考えればわかることを、改めて認識する。
つまりは、本展示での榎戸庄衛の持ち物としてのピカソ画集。

戦前期の洋行の意義を考えさせられる。その点、パリに行った岡本太郎、そして軍隊生活にぶちこまれた岡本太郎との違いがわかる。

そして、日本の20世紀、つまりは昭和の時代の作家という面も濃厚。
おいらの趣味としては、大好きです。
同じく土器、埴輪をキュビズム的抽象的扱っていますが、岡本太郎ほどぶっとんでなくて(参考愚記事;⇒岡山駅 『躍進』)、穏健です。きれいです。
年代順にどうぞ;


『緑蔭』 1938 (昭和13)年

1940年、つまりは昭和15年に東京と札幌でオリンピックが予定されていた。恐慌と戦争の時代が来て、頓挫。

実は、昭和の恐慌の前には経済成長があり、日本でもプチブル層ができてきた[#1]。この絵はそういう「戦前日本のプチブルの小春日和」の模様なんだろう。プチではなくもう少し立派なブルジョアさまかもしれないが。

[#1]日本の大ブルジョアのことを忘れているわけではない。当時の世界で一番の格差社会は日本である(例えば→三井)。オノ・ヨーコとかそういう出自である(⇒関連愚記事; ■君は、ブルジョアを見たか?)。

戦後高度成長を経てこういう風景が、薄められて拡散し、庶民にも一般化する。

そして1964年(昭和39年)に東京オリンピックが、本当に、開催される。札幌オリンピックは1972年(昭和47年)。

(参考愚記事;① 1964東京五輪の東京砂漠  ; ② おいらが、畏れ多くもひろひとさん御臨席の場に、衆の一滴としてあったのは、1972年2月3日のことである。

「予期せぬ」恐慌と戦争が来たため、「プチブルの小春日和」の一般化は四半世紀遅れたのだ。でも、今考えてびっくりするのは、時間をかければ元の軌道に戻ったということだ。今後はこういうことはないだろう。破綻の結果がずるずると....

↓20世紀前中半期的抽象画へ;

『うみのさち』 1957 (昭和32)年

こういう絵よくみるよね。っていうか、まんま、クレーだよね。ミロ風味も入ってる。

↓そして、現代抽象へ;

『てのかみ』 1966 (昭和41)年

『あるシュール画家の像』 1970 (昭和45)年

■そして、今回の展示ではあまりなかったのですが、戦時期の作品があります。

戦場には行きませんでしたが、内地の飛行場などで取材した作品があります。きれいです。

第1回航空美術展(⇒Google)に出した作品があります。

疎開先で描いた雨引観音での絵が今回展示されていました。

●余談; 思わず昭和の成仏のために;

ネットで検索サーフィンしていたら、見つけた;

 十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 榎戸庄衛筆「秋果豊収」の絵はがき)〕

 この絵は光線ばかりにとらわれている作品だそうです。ギタギタですって。こうやってみると人間の危っかしい描き方ばかりが眼について、女の人などひざを 一寸押すと、それきりガクリとゆれそうね。本当の動きの為に全身の筋肉を緊張させて爪先だっている女の弓なりの体などは本当に美しいのに。こんなアトリエ のうそでごまかして。ブリュウゲルの写真版のいいのがあってペンさんが貸してくれ、台紙に入れて今日出来上りました。この画家の健全な面が発揮された絵で 収穫の図です。色彩も非常に新鮮です。お目にかけられないのがざんねん。

ここよりコピペ; 宮本百合子、獄中への手紙、一九四二年(昭和十七年)

知らなかった。絵画の話題が多い、「宮本百合子、獄中への手紙」。網走御大は(←まちがい。ちゃんと巣鴨拘置所の顕治宛って書いてあるね)、絵葉書で目の保養をしていたらしい。昭和17年にはまだ巣鴨にいたのだ。網走はその後か。
(関連愚記事; "北海道って空襲がなかったから網走にいた宮本は妙に安全だったというわけ")

なお、この「秋果豊収」は昭和17年の作品なので、新作がすぐ絵葉書になって、それを批評しているのだ。ただし、絵葉書はモノクロなのだ。

今回の展示にも絵葉書が披露されていた。

ちなみに、「秋果豊収」とは、こんな絵だ↓ 色彩も非常に新鮮です。お目にかけられたのが幸いです。