平成31年4月30日、靖国参り。雨なのに、人がたくさん来ていた。
東急電鉄・こどもの国駅(上図、K)から武蔵陵墓地(同、M)まで約26kmを散歩した。多摩丘陵を縦断した。東急電鉄・こどもの国駅は横浜市で多摩丘陵に一番入ったところ。武蔵陵墓地は多摩丘陵のほぼ西端。
1 こども国駅 ⇒ 4 小野路町出口、多摩尾根付近
1 ⇒ 3
東急電鉄こどもの国線終点、こどもの国駅。
丘陵地の奥へ入っていく。
(おそらく1980年代頃に)造成された住宅地。
この住宅地(横浜市奈良)の隣は川崎市岡上。川崎市の飛び地がある。のどかな丘陵地農村地域。
住宅開発されていない川崎市岡上を下りながら北上。
朝陽を浴びてまどろむ猫に会った。
鶴見川。東京都町田市能が谷付近。この鶴見川の両脇が比較的平坦地。鉄道や主要幹線が走っている。丘陵地の中の谷筋。
谷筋を走る鶴川街道
3 ⇒ 4
峠にあったキャノンスポーツパーク (造成して平地にしてある)。
4 南多摩尾根幹線道路・多摩南野 ⇒ 8 野猿峠
町田の小野路町を抜け峠を越えて、 南多摩尾根幹線道路の多摩南野交差点に出ると、風景は変わる。町田の小野路町は近代以前の風情を思わせる丘陵地の風景であるのに対し、そこから南多摩尾根幹線道路を挟んで北側の多摩市は人工的開発が施された風景。上の地形図のA-A'が南多摩尾根幹線道路。町田市と多摩市の行政境界とほぼ重なる。そして、北側の多摩市側地域は平坦。以前から不思議に思っていたのだが、今、ネットをググると、果たしてこの新開地(多摩ニュータウン)は丘陵地を切土・盛土で平坦化した造成地と確認できた。以前は造成地に違いないだろうと思っていた。でも、切土だけだろうと勝手に思っていた。それにしても切土だけでこんな平坦にできるのだろうかと不思議に思っていた。でも、今、確認した。盛土で谷を埋めていたのだ。大丈夫なんだろうか?一般的に、谷を埋める盛土は地盤の弱さが問題となる。
黄緑色地域が「大規模盛土」造成地
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/takuzou/pdf/takuzou03_s22.pdf
多摩南野交差点
南多摩尾根幹線道路を西へ
鶴牧団地
南多摩尾根幹線道路は低地にある。幹線道路を掘りこんで作ったと思うだが、団地の方が盛土だったら...
メタセコイア通り (google)
小田急、唐木田車両基地
道が下る。相模原台地に向かって下るのだ。おいらはこの先右折。
八王子市に入る。
西の相模原台地方面ばかりでなく、北も大栗川が流れる谷筋に向かい下り坂。
大栗川を渡り北上。
野猿街道。再び丘陵に入り坂を登る。
由木めぐみ 野公園
8 野猿峠 ⇒ 10 小比企町
野猿峠から低位の面に下る。
北野付近
湯殿川
北野街道
10 小比企町 ⇒ 13 武蔵野陵
野猿峠(8)から下って9の北野へ。そこから川で谷となった筋を10へ。実はこの10-11あたりは小比企丘陵と云って多摩丘陵とは区別されるらしい。10から11へは坂を登る。11の京王高尾線のめじろ駅付近は高度の開発されている。造成地なのだろう。そして目白台から再び坂を下り、今度は浅川が作る谷筋に降りる。ここは台地面らしい。
目白台に登る坂。
めじろ台駅。
京王高尾線
目白台から低位面におりる坂。
東浅川公園。メタセコイアの並木。
中央線を渡る。
いちょう並木。
これは昭和の看板と思われる。なぜなら、多摩御陵とは大正天皇の陵のこと。昭和時代には、武蔵野陵はなかった。なお、大正天皇は史上初めて東国に葬られたすめろぎさま。
けやき並木
武蔵野陵:昭和天皇のみささぎ
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも、あけぼのすぎは伸びにけり
■ 与太話
吉田松陰の辞世の句、身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂、において、武蔵と大和は対になっていて、大和魂というくらいだから大和は真正なもの象徴。一方、武蔵は松陰ら反幕府派にとって僭主である徳川将軍が根城とする辺境、野蛮の地ともとれる。さらに、身と魂も対となっている。そんな化外の地である賊の国で死んでいくとも精神性は妨げられないということなのだろう。
それにしても、松陰が望んだ天皇中心の政治の結果、すめろぎさんが武蔵に葬られるとは予想だにしなかったであろう。
<天皇、あけぼのすぎ [メタセコイア]、発見と復古>
さて、その松陰の時代に突如勃興した尊皇思想。(学習院大学教授[当時]の)井上勲は云う;
井上勲、『王政復古』p66
「天皇」は幕末に発見されたのである、と。この「天皇の発見」に発する政治運動を尊王攘夷運動というとのこと。そのひとつの結果が、王政復古である。
ところで、松陰が見たこともないのが、あけぼのすぎ。あけぼのすぎ(和学名)=メタセコイア(通称)が発見されたのは1943年頃、チャイナ奥地、四川省(現在、湖北省)。ただし、化石種としてのメタセコイアは日本人植物学者三木茂によって日本での植物遺物(化石)として報告されていた。つまり、四川省で生きている化石として発見されたということ。かつて「日本」列島にはメタセコイアの森があった。しかし、人類登場前に日本のメタセコイアは絶えた。
さて、現生種のメタセコイアは発見後まもなく敗戦直後の日本にももたらされた。植物学者のひろひとさんも苗木をもらった。そして、戦後日本に広くメタセコイアの木が植生することとなった。メタセコイアの復古。
昭和天皇はあけぼのすぎが好きだったらしく、かつ、戦後の隠喩として御製に詠んでいる。
ということで、昭和天皇陵にはあけぼのすぎが植わっていたのでした。
■ 今週の看猫
■ 今週のよその猫
この三毛猫、久しぶりに見た。元気だったんだ。(まつがい; いいとこの猫かも)
■ 今週の武相境斜面
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の水面
■ 今週の恐竜の末裔
■ 今週の商業惹句
驚くほどのこの現象! ⇒ Amazon
■ 今週の草木花
■ 今週の被挟撃国の両岸外交
4月24日 4月26日
米中に挟撃される日本。二股外交と揶揄はしない。現実外交なのだ。「悲しいまでに凡庸」だった青年が日本政治の頂点に君臨し、この国の姿を変容させるまで 安倍晋三氏のルーツを探る、という記事があった。アベちゃんは元来ウヨでもなんでもないという話。おいらは以前から、われらが安倍ちゃんは、リアリズム=身過ぎ世過ぎ主義者=両岸主義者へと、『美しい国』から、進化・深化しているんだよ、と指摘している。ウヨというのは憑りつかれるもので、憑りつかれるとほとばしるものが生じる。アベちゃんにはそういうほとばしるものがない。営業ウヨなのだ。それなのに、パヨがアベちゃんをウヨ扱いするので、ウヨがアベちゃんがウヨと誤解しているのだ。パヨとアベちゃんの共闘。
■ 今週の日本大手メディアの非報道
http://www.globaltimes.cn/content/1147664.shtml
二階・習会談は一帯一路会議の前に行われた。日本のネットニュースではあまり報道されていない。特に事実関係。一方、遠藤誉さんの「中国に懐柔された二階幹事長――「一帯一路」に呑みこまれる日本」のような評価記事が目立つ。
http://world.huanqiu.com/article/2019-04/14800351.html
一帯一路会議もそう。事実関係(何か国、指導者は誰が参加とか)の日本語報道が(少)ない。
遠藤誉さんの「“一帯一路”国際シンクタンク」結成を提唱:「新国連」を立ち上げる勢い、が目立つ。
https://twitter.com/globaltimesnews/status/1121994904111144960
マハティールも参加しているんだね。イタリア首相も。
敵を知り己を知れば百戦危うからず、なのにね。
■
集計日 | 2019年4月27日 | 集計期間 |
合計 | 6,917 | 1,687 |
日付 | 閲覧数(PV) | 訪問者数(IP) |
4月20日 | 1,013 | 236 |
4月21日 | 845 | 211 |
4月22日 | 824 | 215 |
4月23日 | 822 | 288 |
4月24日 | 880 | 217 |
4月25日 | 1,109 | 284 |
4月26日 | 1,424 | 236 |
部分根扱ぎをしたぶどうさん1本がまだ芽がでない。
■ 今週の看猫
■ 今週の武相境斜面
↓ 別の日
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の草木花実
藤棚初期
■ 今週の季節限定
去年、冬になって売ってないことに気付いた『キングドーナッツ レモン』。今週、売っていた。季節限定商品と知る⇒ 丸中製菓株式会社 キングドーナッツ レモン
■ 今週の可燃物
石造りなので、こんな火災になるとは想像もつかなかった。さて、耶蘇の教会、聖職者たちの淫行で「恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」ろうか?
■ 今週の気付き;「トマス・アクイナスとノートルダム大聖堂は同い年」
トマス・アクイナスは1225年生まれ(wiki)。一方、ノートルダム大聖堂は1225年完成(wiki)。トマス・アクイナスは、チェスタートンをして「トマスがアリストテレスに洗礼を授けた」と言わしめた。つまりは、トマス・アクイナスは、"異教・異学"であったアリストテレス哲学をキリスト教神学に「繰り込んだ」。すなわち、古代ギリシアからキリスト教世界へは伝えられず、イスラム世界に伝えられたアリストテレスの文献のラテン語訳を元にトマス・アクイナスは、キリスト教神学を更新した。トマス・アクイナスは、パリでも活躍した。そして彼の業績を讃えた絵(部分)は現在パリにある(下);
トマス・アクィナスの勝利(聖トマス・アクィナスの栄光)
ベノッツォ・ゴッツォリ 1471年 ルーヴル美術館
中央がトマス・アクイナス。その両脇がプラトンとアリストテレス。そして、下に「打ち倒された東方賢者」=イスラムの哲学者のアヴェロエス。えげつない西洋中心主義の発露である。トマス・アクイナスはアリストテレスをギリシア語原典で読んでいなかった。イスラム経由のラテン語訳で読んだ。そして、ラテン語人がアリストテレスを読解するためには、先駆のアラブ哲学者アヴェロエスなどの註釈書が必要だったに違いない(愚記事)。
一方、ゴシック建築であるノートルダム大聖堂のイスラムの影響については下記ネットにあった;
「ゴシック建築」と言う言葉は、活字の「ゴチック体」と同様、ゴート風のという形容詞で、古代西ゴート王国に由来する名前が「あえて」名づけられています。 理由は「イスラム」という本当の名を隠すためにほかなりません。 [1]
[1] 伊東乾 ノートルダム大聖堂火災、人類は何を失ったか 焼け落ちた尖塔とバラ窓の起源、イスラムとゴシック建築
つまりは、同い年のトマス・アクイナスとノートルダム大聖堂は共にイスラム文明の文明的衝撃(インパクト)を背景にしているのだ。当時、まだイベリア半島(今のスペイン)にはイスラム王朝があったのだ。パリと地続きだったのだ。
そして今、パリなどフランス全土はイスラム文明からの移民のインパクトに洗われている。
■ 今週のコスプレ
東大の入学式での上野千鶴子の「祝辞」が話題になった。そのニュースでおいらが驚いたのはコスプレだ。こんな格好は昔からはやってないだろう、ググると、これは「アカデミックドレス」といって、
国立大学では、大阪大学が1992年(平成4年)6月19日から用い始め、これ以降、東京大学では2004年(平成16年)3月の卒業式を機に用い始めた。
とのこと。新入生は昔からこうだったと思うのだろうか?
■ 今週の左翼歴史学者の沈黙
「NHKが「皇室の祖先は天照大神」と報道」とのこと。
もちろん、ウヨのおいらは大歓迎なのだが、「左翼」が騒ぐと身構えてしまう。
でも、杞憂だった。左翼の歴史学者が騒いだとうことは聞かない。時代は変わったものだ。ひと昔前の元号法案、ふた昔前の建国記念の日の制定の時など、左翼歴史学者が元気だった。
最近だって、天皇陛下や皇族の神武天皇陵参拝にも誰も騒がない。いい時代だ。
■
集計日 | 2019年4月20日 | 集計期間 |
合計 | 7,034 | 1,775 |
日付 | 閲覧数(PV) | 訪問者数(IP) |
4月13日 | 1,138 | 325 |
4月14日 | 1,467 | 321 |
4月15日 | 989 | 262 |
4月16日 | 952 | 187 |
4月17日 | 821 | 212 |
4月18日 | 708 | 211 |
4月19日 | 959 | 257 |
愚ブログに、2004年9月5日の愚記事;デリーキラー城コスプレというのがある。昨日、このコスプレは、シーク教徒の武術である「ガッカ」(wiki)の衣装らしいと、下記tweetをきっかけに、わかる。
Amid tensions more than 1,890 Indian pilgrims arrive in 、by foot to celebrate Baisakhi religious festival https://t.co/dRHC2YwBzx pic.twitter.com/GQlqiwFEyi
— Al Jazeera English (@AJEnglish) April 15, 2019
15年前のデジカメ画像を見直して、画像を出してきた。改めて、貼る。
■ 今週の看猫
■ 今週の武相境斜面
まだ、桜は残っています。
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の草木花
■ 今週のレコンキスタ(失地回復)の確認、あるいは、ずっと「こどもの国」で...。
画像はAFPニュースより。天皇・皇后両陛下 ゆかりの地「こどもの国」へ (google)。
天皇・皇后両陛下が訪れた「こどもの国」は1965年(昭和40年)に開園。ただし、造成は1962年に始まり、もっと云えば、その準備はそれ以前からなされていた。そもそも敗戦前、現「こどもの国」は日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった(wiki)。そして、戦後は米軍に接収され、朝鮮戦争(1950-1953)中は活発に稼働した。
講和条約後の1957年の神奈川県の米軍基地面積は38,251千平米(38,251,000平米)[1]。安保条約改定の1960年は27,978千平米となった[1]。現在(2009年)の神奈川県の米軍基地面積は20,839平米[1]なので、1/3しか減ってない [X]。
[X] でも、沖縄の約1/10か。沖縄県の米軍基地面積は229,921千平米(2015年)[2]。
この現「こどもの国」と比較できるのが(同じく多摩丘陵にある)稲城の旧日本陸軍多摩 火薬製造所であり、戦後米軍に接収され、現在でもレクレーション施設として米軍に管理されている[3]。つまりは、未だに失地回復できていない。
すなわち、「こどもの国」は米軍から返してもらえた土地ということになる。この返還交渉での米軍への説得は、"皇室が「こどもの国」にするから"との論理でなされた(らしい)[4]。「こどもの国」設立の計画が1959年で、米軍からの返還が1966年。翌年に起工。明仁皇太子は造成地訪問。
出典:天皇陛下とこどもの国
つまり、立川基地⇒昭和記念公園(関連愚記事:国営昭和記念公園 参り 2018)など米軍からの返還地は(皇室関連)「公園」にするという戦後の皇室流儀 [α] の嚆矢となるのではないかとおいらは睨んでいる。すなわち、米軍はそもそも基地を返したくないし、たとえ返すとしても、「日本軍」の基地としての利用を忌避したのではないか。
「こどもの国」の設計は、浅田孝(wiki)。建設コンセプトについては、「浅田孝の子供に対する環境開発の手法に関する研究 」という論文がある。
報道によれば明仁天皇の「こどもの国」来訪は今回で11回目とのこと(皇后陛下は14回目)。これは明仁天皇の「こどもの国」への"思い入れ"を示す。計画当初から自らが携わった事業だからだ。
マッカーサーの呪い
明仁天皇は靖国神社に御親拝せず譲位しそうである。「こどもの国」へは11回行ったのに[A]。われらネトウヨ絶望!である。そしてわれらウヨ脳は気づくのだ。マッカーサーは云った;「日本人はまだ生徒の段階で、まだ12歳の少年である」と。そして、明仁天皇は1933年生まれだから(wiki)、敗戦時12歳なのだ。
平成の御代も終わるのに、日本は未だマッカーサー憲法を戴き、米軍に安全を依存している。もちろん、これこそが「こどもの国」にほかならない。日本は「こどもの国」であれ!という呪いが解けないのだ。子供が減っているのに。
ところで、35年前、"日本は「こどもの国」であれ!" という呪いに自縛している人もいると西部邁は云っている;
西部 浅田君なんか、スキゾキッズというでしょう。自分のことを坊やだというわけです。僕はね、おそらくキッドであることをやめようと思ったのは、小学校六年の卒業式だから、十三ですか。かなり深い記憶がある。[5]
ここでの「浅田君」とは浅田彰(wiki)であり、彼自身云っている;
奇妙な老成と温室育ちの幼さを兼ね備えたかに見える彼らの間でこんなことを考えていると、自分だけが成熟しそこなった小うるさいガキのように思えてくる。ますますつのる違和感。[6]
でも、こども、ガキは御本人さまだけとのこと。やはり、「こどもの国」は理想的な場所で特権的な少数者の国ということか。浅田彰さまにとって日本は「土人の国」なのだから。
とまれ、米朝中露と核武装国家に囲まれて、どうするのでしょうか? 令和の日本。
[1] 『米軍基地と神奈川県』、栗田尚弥、有隣新書、2012
[2] https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/seisaku/kichikankyo/documents/guideline_02_chapter02.pdf
[3] http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-uchi/haibutu/index4m.html
[4] 後日、根拠を示したい。
[5] 『対談 大衆論』、西部邁、富岡多恵子、草思社、1984
[6] 『構造と力』、浅田彰、1983
[A] 敗戦時、陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所の長である軍人は、妻と、所内で自害したとのこと(『田奈の森―学徒勤労動員の記』 (Amazon))。まさか、天皇陛下がしばしば来るので、あの世で驚いているだろう。
[α] 「武器を楽器へ」と唱えた喜納昌吉の影響を受けた(???!!!)「基地を公園へ」の思想。
■ 今週の100年
ニュースで、韓国臨時政府 100年 (google)、って云っていた。 すなわち、1919年4月11日、「大韓民国臨時憲章(朝鮮語版)」を採択し「大韓民国は民主共和制とすること」と規定した(wiki)、に由来するとのこと。場所は上海。 そういえば、おいらは、この「臨時政府」を、通りがかりで、見たことがあるなと思い出し、デジカメ画像を探した。2012年の上海参りでのこと。その画像を貼る;
停車しているバンの鼻先の白い玄関。
でも、今、ネットで見ると、臨時政府は赤レンガの建物。⇒ google画像 。
違いの原因は不明。推測するに、白い玄関の向かって左の小路を入っていくとあるのだろう。
<まとめ> コリアンにとっての<神武天皇陵>は上海にあるのだ。
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集計日 | 2019年4月13日 | 集計期間 |
合計 | 6,842 | 1,676 |
日付 | 閲覧数(PV) | 訪問者数(IP) |
4月6日 | 918 | 196 |
4月7日 | 927 | 219 |
4月8日 | 1,223 | 312 |
4月9日 | 1,099 | 302 |
4月10日 | 950 | 250 |
4月11日 | 868 | 220 |
4月12日 | 857 | 177 |
■ 今週の看猫
■ 今週の武相境斜面
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の花
■ 今週の図案
■ 今週知ったこと;「Tokyo Rose」 は一般的に使用される。
Tokyo Roseは先の大戦での日本から米兵へのプロパガンダ放送の女性アナウンサーのこと(wiki)。アナウンサーのアイバ・戸栗・郁子は米国人なので、米国にとって国家反逆者となる。このTokyo Roseという語句が、=「国家反逆者の発するプロパガンダ」という意味での用法が一般的だと知った。ジョン・マケイン(wiki)がベトナムで捕虜になった時、米兵に向けて放送したとの史実で使われている。
今知った。"(最近では忘れ去られそうだが)東京ローズの名は、ベネディクト・アーノルドに次ぐ裏切者として、国民の関心の中で高い位置を占める"そうだ (ソース)。東京ローズは米国で有名だったんだ。裏切者の代名詞として。
なお、ベネディクト・アーノルドとは「アメリカ側の将軍である時にニューヨークのウェストポイント砦でイギリス軍へのその引渡しを画策したことで知られている。この謀略が未遂に終わった後はイギリス軍に仕えた」(wiki)だって。
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集計日 | 2019年4月6日 | 集計期間 |
合計 | 7,523 | 1,743 |
日付 | 閲覧数(PV) | 訪問者数(IP) |
3月30日 | 1,227 | 344 |
3月31日 | 933 | 233 |
4月1日 | 825 | 191 |
4月2日 | 980 | 176 |
4月3日 | 1,439 | 320 |
4月4日 | 1,292 | 280 |
4月5日 | 827 | 199 |