いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第454週

2023年07月29日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第454週

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■ 今週のビンゴ:村上春樹 ー 柳井正

 

新潮社の季刊誌『考える人』の2010年夏号は、「村上春樹ロングインタビュー」が載っている。一方、この誌にはユニクロ広告が大きく出ている。さらには、冒頭のインタビューには柳井正であった。

さて、早稲田大学国際文学館=通称村上春樹ライブラリーというものがある;

早稲田大学国際文学館は、東京都新宿区の早稲田大学構内に開館されたミュージアム。村上春樹の文学を中心として研究を図る。通称村上春樹ライブラリー。wiki


Google[村上春樹ライブラリー]

このパトロンが 柳井正なのだという;

2019年、早稲田大学国際文学館の開館に伴う建物改築の費用(約12億円)を、全額寄付すると発表した。wiki

       ▶早稲田大学 web site: 村上春樹ライブラリーに柳井正氏支援

村上春樹 と 柳井正は 1949年生まれ(共に早生まれ)。ふたりは早大で同時期にいた。村上は文学部、柳井は政経学部。紛争の時代あったが、柳井は完全ノンポリだったとのこと。

柳井は村上春樹の作品の愛好者なのだという:私たちが"村上春樹の小説"を愛読する理由 

■ 今週借りて読んだ本:『村上春樹をめぐる冒険』

 
Amazon 村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉 単行本 – 1991/6/1

笠井潔、加藤典洋、竹田青嗣の三人は1947-1948年の生まれで、村上春樹と同じ世代。4人とも大学紛争/1968年「革命」の当事者あるいは周辺者。笠井潔、加藤典洋、竹田青嗣の三人は村上春樹の初期作品(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルドワンダーらんっど』)に肯定、否定を含め共感・感心する。理由は、これらの作品の主人公あるいは登場人物が<大学紛争>への関与者であり、そのことがその後の人生に影を落とし、空漠感と寂寥感に充ちた生活を送ること。そして、「また世に出ずる日の誉」(???)。笠井潔、加藤典洋、竹田青嗣の三人は<紛争後>、1970年代は雌伏の時期を過ごし、村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューした1979年から数年後の間に、あいつでデビューする [1]。

[1] この3人について、『近代日本の批評』(昭和編 下)で浅田彰は次のように述べている;

しかし、  八三年に 竹田青嗣の『<在日>という根拠』、 八四年に 笠井潔の『テロルの現象学』、 八五年に加藤典洋の『アメリカの影』と、 典型的な全共闘世代の批評家が出てきて、 人間主義に回帰し、自我と世界だの、観念と現実だの、 60年代的というか 19世紀的というか、いや ほとんど 中学生の文学少年並みの話を展開してしまうわけです。その退行ぶりは驚くべきものだと思う。とにかく、「 ね、わかるでしょ」 でいきたいと言うんだから。 

笠井は『風の歌を聴け』についてこう書いている;

あれは一九八〇年ぐらいに書かれた手記という設定の小説です。過去八年間の自分の生活が、重要なものから逃れて、あるいは重要なものを隠蔽して暮らしてきた結果とても荒廃している。逃れてきたものに直面しなければならないところに追い詰められたのだとうことが、まえがき的な部分(に書いてある)。『村上春樹をめぐる冒険』

さらに、笠井潔は云う;

まさに 村上春樹が こだわってきた一九七〇年前後ー 象徴的には『風の歌を聴け』の主人公の恋人が自殺した七〇年三月になるのかもしれませんがー 七〇年という年号に象徴される全共闘と連合赤軍の時代を 二十歳前後で通過して、そこで見るべきものは全て見てしまった、 あるいは解くべき謎は全て提出されてしまったという印象があり、長いこと それから逃れられなかったからです。 二十歳前後の時代に突き当たった 問題、例えば 解放が虐殺に、革命がテロリズムに転嫁する必然性や、 その根拠であるらしい 観念の累積と倒錯の必然性などについて考えるだけで精一杯で、他のことに関心を向けるとゆとりがない。そういう感じで この二十年間生きてきたような気がする。それが 去年あたりから急にほぐれてきた、そんな精神生理 感覚があるんです。  『村上春樹をめぐる冒険』

つまり、全共闘運動参加者が熱中し、(今となっては[一部から])挫折したといわれ、その後、散じりになっていった運動。そして、その一部は、「内ゲバ」、「連合赤軍事件」、「東アジア反日武装戦線の爆弾テロによる一般人虐殺」となったあの運動。その経験、挫折、その後のこと。竹田青嗣は云う;

村上春樹が書こうとしていたのは、 言いかえれば『 風の歌を聞け』の、いわば 隠蔽していたように見える「本当のこと」というのは、 笠井さんが言うように直子の自殺自体ではない。 つまり、一方で自分のなかに空虚な情熱に対する感性もある。もう一方で真面目な社会観というか、 社会を変革しようというものに対する理解もある。けれども、 自分はそのどちらにもはっきり寄り添えない。 ただ、全共闘に触発されたある情熱が自分の中で時代の推移とともにどう変異していったか、その変異どういう意味があるのかという問題が、 いちばん書きたいところだったのだと思います。  『村上春樹をめぐる冒険』

加藤典洋も『風の歌を聴け』を読んで受けた印象をこう云っている;

 これは明らかに 全共闘の時期の経験から書かれている小説だなと受け止めました。笠井さんの言い方で言うと 本当のことについて書かなければならないという志があるのに、実際に書かれているのは ラブアフェア 的なもので、もちろん そこに安直にかけないということもある。  
 ただ僕の場合、 まったく逆じゃないけれども、ちょっと違う。何か書かなきゃならないというモチーフがあって、だけれども、 実際はつまらないことを書いている。すごいすごく自分にとって大事なことがあるけれども、 それは書けない。 しかし、書けないから、別のことでそれを言おうとしているという感じではありません。大事なこと(?)を書く 代わりにささいなことを書いている。 書き手にとっては大切なこと、 むしろ ささいな女の子とどうした という感じの物語として提示したところに、 村上春樹の新しさを認めたわけです。 だいたい 笠井さんと同じだと思いますが、あることを「書かないこと」が「書くこと」なのだというか、 そういう あり方が六十年代の後半の経験の書き方として僕には新しく思えた。 『村上春樹をめぐる冒険』

村上春樹は『風の歌を聴け』で書いた; 今、僕は語ろうと思う。 

でも実際の作品には、大学でのいきさつについては描かれていない。ただ、「鼠」が機動隊に前歯を折られたことと、そのいきさつを鼠は語らないことが描かれている。

この時代に村上春樹が早大でどのように過ごしたかは、作品以外でも、本人は詳細を語っていない。ただし、この時代の認識について書いている。例えば、1984年;

そして六八年から七〇年にかけての、あのごたごたとして三年間がやってきた。十九歳から二十一歳までのあの時代は、僕にとって混乱と思い違いとわくわくするようなトラブルに充ちた三年間だった。神戸近郊の小さな街から東京にやってきて僕は早稲田の文学部に通い、何度か恋をし、そして結婚した。二十一の時だ。(『マイ・ロスト・シティー』、スコット・フィッツジェラルド、村上春樹 訳、1984年、「フィッツジェラルド体験(村上春樹)」)

一方、2010年には大きく時代を振り返り、書いている;

 そして60年代は何かにつけ理想主義的な傾向が強かった。 ケネディの政権が生まれ、 公民権運動があって、 反ベトナム戦争の運動があって、 ビートルズとボブ・ディランがいて、 六八、九年の学生運動の盛り上がりがあって、 ヌーベヴェルバーグだとか ジョン・コルトレーンだとかサイケデリックだとか、 カウンターカルチャーだとかで世界が揺さぶられていた。
 だいじなのは、その頃の二十代の青少年は基本的に未来を信じていたということです。 いまの大人はばかで貪欲で、意識が低く、何も考えてないから、 愚かしいことがいっぱい 行われているけれど、 われわれのような理想主義的で先進的な決意を持った世代が大人になったら、世の中が良くならないわけがないと考えていた。いまになってみれば ずいぶん 浮世離れした話だけれど、 当時の若い人はだいたいそう 信じてたんです。 
 
Don ' t trust over thirty, なんて言ったって、 みんなはいつか三十代になるじゃないかとからかわれても、 僕らは全然違う 三十代になるんだ という確信があった。学生運動がつぶされても、それでもまだ、 われわれが会社員になれば会社自体が変わるんだと思って、多くの人は髪の毛を短くして会社に入った。少なくとも僕のまわりにはそういう人が少なくなかった。 しかしそれで社会が変わったかというと、 何ひとつ変わらなかった。 結局は右肩上がりに乗っかってせっせと働いて、 バブル経済を作っただけ。 
(「村上春樹ロングインタビュー」2010年)

「学生運動」の詳細については書いていない。上の2010年の文章で興味深いのは、時代認識で状況を描くくために言及されているのが、主に米国であること。あとは、英仏。村上春樹は十代の頃からアメリカ人気取りで生きていたのか?この点おもしろい。団塊の世代は、born in the Occupied Japanの人々である。ただし、多くの団塊の世代の人々はビートルズとボブ・ディランなぞ聴かずに歌謡曲を聞いていたのだ。そもそも1947年生まれの高校進学率は70%であり、大学進学率は20%である。

なお、1946年生まれで早大にいた呉智英も1970年代の雌伏の時期を経て、1981年に書いている;

あの時代。政治的にも文化的にも熱気がうずまいていた。全共闘だけにかぎっても、積極的に参加した人だけで一〇万人はいただろう。そういった人たちの、今”何もしていない”ことの照れくささ、しかし、絶対にまちがっていたとは思わないこだわり、では、どう発言したらいいのかといういらだち。こういう"潜熱"を孕んだ夥しい"不穏分子"が日常生活を送っているのだ。― 呉智英センセの『封建主義、その論理と情熱』の「やや妄想的な あとがき」 1981年 [引用元愚記事]

呉智英も村上春樹的「心情」で過ごしていたのだろう。

■ 語たりづらいこと; 江藤淳ー秋山駿、無条件降伏論争番外

村上春樹が初期作品群の原点であるはずだが、隠蔽していたように見える「本当のこと」=語たりづらいこととはどのようなものであるか?参考となる文章が2つ見つけた。江藤淳と秋山駿だ。無条件降伏論争のふたりではないか!

秋山駿の文章は笠井潔の文章からの孫引きだ;

 いま社会に対する否定的な感情と言われたものを、秋山駿は日本赤軍のテルアビブ空港事件に触れたあるエッセイで、「れわわれのなかのあるタイプの青年が、自分を過激な行動にゆだねていくその発条には、必ずこの三つのもの ー 生の直接性と、果てまで行こうとする意思と、絶対を問うということ、その三つのものへのひどい渇きがある」(「渇いた心の語るもの」、冬樹社『考える兇器』所収)と書いている。僕はこれを読んで、さながら自分のことを言われている気分になりました。(『村上春樹をめぐる冒険』)

一方、江藤淳も云っている;

実際この社会では、あらゆる行為がいつの間にか現実感を奪われてしまう。学生の暴力行為が、「革命ごっこ」としか見えないのは、かならずしもテレビのせいだけではない。彼らの反体制運動が、一九六七年秋以来過激化してとどまるところを知らないのは、彼らのあの手に届かぬものに対する欲求があり、なにかを経験したいという渇望が熾烈だからであろう。 江藤淳、 『「ごっこ」の世界が終ったとき』、初出、『諸君!』 1970年1月号

■ 今週の購書


Amazon [批評の戦後と現在―竹田青嗣対談集 単行本 – 1990/1/1 ]

竹田青嗣の対談集。江藤淳との対談が入っているので、購入。江藤淳との対談は竹田ばかりでなく、加藤典洋が参加。対談は1985年に行われた。雑誌、「文藝」、河出書房新社。背景は、今から見ると、この年、河出書房新社から江藤の『江藤淳 文学集成 全5巻』が出版された。その営業的配慮で行われた面もあると推定できる。

対談において、江藤の上位的配慮、同情、あるいは、教育的配慮、指導、叱責を当時三十台末のふたりは受ける。端的に加藤典洋が江藤淳論を、清水幾太郎との比較で、滔々と述べるも、江藤から「あなたは非常に文学的でないね。型で考えているじゃないですか。それはだめだよ、君。型で考えちゃだめだ。一つ一つの文章を味わっていかなきゃだめなんだ。」と云われる。「文学的でないね」ではなく、「非常に文学的でないね」ってすごいよね。

この対談での江藤の発言からわかったことは、講談社の『江藤淳 著作集 正、続 全11巻』は、江藤の判断で1984(1983年?)年に絶版した。正の第5巻が品切れになった。講談社はこの切れた正の第5巻を増刷する予定はない。つまり、全11冊が新『江藤淳 著作集 正、続 全11巻』品として揃わなくなった。そこで、絶版としたとのこと。そして、1年経って、河出書房新社から『江藤淳 文学集成 全5巻』が出た。

おいらは、箱から出して、裸にして身近な棚に置き、いつでも見れるようにしている。講談社の『江藤淳 著作集 正、続 全11巻』は1985年(頃)札幌の弘南堂で買い、『江藤淳 文学集成 全5巻』は同じく札幌の薫風書林で買った。1986年。つまり、刊行されたばかりだ。(薫風書林&弘南堂

なお、この後、今日に至るまで、江藤の全集は刊行されていない。したがって、江藤の文章を探すのは、結構、大変である。そもそも、本になっていない文章、しかもその存在は有名な文章がある。例えば、「新人福田章二を認めない」。

▼ 柄谷行人

竹田青嗣と柄谷行人の対談で、柄谷が云っている。小説というのは長編である。長編小説を書くには体力、知力、精神力の持続が1-2年間必要である。そのためには根本的に、身体的に変わる。「世界を問い直すということが、単に作品だけの問題ではなく、その人の書く姿勢から、その人の時間から、すべてにおいて変わってくるのではないか」と云っている。こういうことは日本の作家には時間的に無理である。日本の現実は連載である。理想的には、書き下ろしにしなければいけない。書き下ろしの長編を1-2年かけて書くことは、日本の作家にはできない。

これは1986年の発言である。今となっては、村上春樹は書き下ろしの長編を1-2年かけて書くという流儀(スタイル)でやっている。規則正しい生活と毎日の運動、ランニング。今では村上春樹を特徴づける最も重要な属性であるとみんなが知っている。

■ 今後の探求 

上記、『村上春樹をめぐる冒険』で、加藤典洋は「村上の中には「喪失」のモチーフが」あると云っている。この喪失のモチーフとは上記御三方の1970年代のほとんど何も書けず/何もかかず過ごしたこと。これは、上記御三方と村上春樹、そして、高橋源一郎に認められる。

大塚英志の『村上春樹論 ーサブカルチャーと倫理ー』には、「庄司薫はデレク・ハートフィールドなのか」という文章がある。作家、庄司薫は1969年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を取るが、実は、1958年に『喪失』でデビューした。この時、江藤淳から「新人福田章二を認めない 」と評された。そして、「消えた」らしい。そして、庄司薫として復活する。一方、村上春樹の『風の歌を聴け』に登場する米国人作家デレク・ハートフィールド [wiki]はこの『風の歌を聴け』の参照である。そのデレク・ハートフィールドは8年2か月活動した。最期は、御承知の通りエンパイアステートビルから飛び降りる。そして、庄司薫の活動期間も8年2か月なのだという(川田宇一郎、「由美ちゃんとユミヨシさん」、大塚英志の『村上春樹論 ーサブカルチャーと倫理ー』より孫引き的に知る)。

庄司薫=福田章二と村上春樹。 共に、江藤淳に認められなかった作家である。(江藤には村上春樹論はない。そもそも、読まないといっている。もっとも、礼儀正しく、丁寧に、「拝見いたしません」と述べている。[愚記事より]) なぜ、江藤淳は村上春樹を認めなかったのか、方や、春樹はプリンストンへ赴く。認知闘争(struggle for recognition)なのか? 今後の探求課題だ。


新しい街でもぶどう記録;第453週

2023年07月22日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第453週

■ 今週のよその猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の=スティック(stick)

サンザシ のお菓子 山査条 200g 甘酸っぱい 中華お菓子 中華食材 おつまみ 間食 を購入

山楂=サンザシ wikipedia   今年4月にサンザシを初めて食べた。今週、また、注文した。輸入会社は横浜の会社(友盛貿易株式会社)であったが、購入先は愛知県の会社だった。横浜⇔名古屋を、無駄に、往復したのだ。このサンザシは山楂条とある。条とはスティックの意味。条とは別に、巻、皮がある。

■ 今週のもったいない本舗

8月のカレンダー。「もたろう」がスイカを食べている。ただし、「おにさん」はいない。


包装封筒の裏側の図案。

■ 今週の購書


村上春樹、『若い読者のための短編小説案内』

村上春樹は、1991-1993年(湾岸戦争の頃)に米国のプリンストン大学にvisiting lectureとして滞在した。プリンストン大学といえば、江藤淳が1962-1964年に滞在した場所だ。その江藤の滞米記は『アメリカと私』(上記では著作集「西洋について」に収録)にある。その後、第3の新人たちの作品群を以て『成熟と喪失』。一方、村上の滞米記は『やがて哀しき外国語』、そして、プリンストン滞在中に大学院生相手のゼミで第3の新人たちの短編を読んだ。その産物が、『若い読者のための短編小説案内』。

村上春樹を全く認めなかった江藤淳がプリンストンで重なる・ぶつかる。ここで、ぶつけるとは村上が、自分を認めない江藤に、ぶつけているのか?と「仮説」をもって読んでいきたい。

『若い読者のための短編小説案内』で取り上げられている短編をいずれも読んだことがない。小島信夫の『馬』の項を読んだ。『馬』に対する村上春樹の読み方が書いてある。よかった。登場人物たちの構造が、『アメリカンスクール』と同型とも読めることが指摘され、主人公の性格造形が解説されている。読みとしては、このある種ファンタジーの物語での疑問点、あるいは、これはどういう意味であるのか質問を立てて、考えいく。この『馬』は読みやすいが、その意味するところは考えなければ理解しがたいと村上春樹は云うが、それはまさに村上春樹の作品群のことである。つまり、小島信夫の『馬』を一材料として、読みやすいが考えなければならない物語の読み方を具体的に教えているのだ。これからは、このように、村上春樹の作品群を読んでいくことも重要だと。

■ 今週の「お達者」: 長寿・基辛格は支那との誼から出でて、皇帝より長生き

中国の習主席、北京に「旧友」ヘンリー・キッシンジャーを歓迎

1972年に79歳の毛沢東に会った。そして、100歳となったキッシンジャーは今週北京まで出向き、習近平に会った。(91歳の時の画像はこっちの記事で)

 1971年
2023 年 7 月 20 日

国営メディアによると、習主席は木曜日、キッシンジャーに対し、「中国国民は友情を大切にしており、我々の旧友と、中米関係の発展促進と中米国民の友情強化に対する中国の歴史的貢献を決して忘れない」と語った。 。

「これは両国に利益をもたらしただけでなく、世界を変えた」と習主席は続けた。「中国と米国は再び岐路に立たされており、双方は再び選択を迫られている。」

 米国では物議を醸しているが、キッシンジャーは中国では依然として高く評価されている人物である。その配慮は今回の旅行中に存分に発揮され、水曜日に終了したジョン・ケリー米国気候公使の訪問中に受けた歓迎とは対照的だった。 アルジャジーラ・ニュース

■ 今週の「投石権」

罪なき者のみ石を投げよ  ヨハネ福音書

  

現存の米国大統領で祖先が奴隷主でなかった者はトランプだけだ、との報道。一方、米国では奴隷制を「米国の原罪」とみなす風潮もあるとのこと。バイデン氏、米国は現在「この国の原罪」に直面していると語る。といことで、「原罪なき」トランプさんが、石投げまくり=人種差別言動しまくりということだ(???)。

議員、大統領、知事、判事など米国の指導者100人以上の先祖に奴隷所有者がいることがロイターの調査で判明した。アメリカの「原罪」と自分たちの関係について積極的に語ろうとする人はほとんどいない。 ロイター通信社記事

米国の政治エリートの先祖の少なからずが奴隷主であったという史実の判明。議員の20%の祖先が奴隷主だという。これは全米国民の平均を示しているのだろうか?おそらく、違うだろう。奴隷主の子孫が、何らかの社会的利点があって、政治エリートになりやすいのではないか?

ところで、こういう問題、すなわち奴隷主の子孫であることはどうでもよいことではないか!というコメントが日本で見られた。しかしながら、米国議会は日本の「性奴隷」(米国議会の呼称)問題を糾弾し、決議寸前までいった。さらには、2007年に安倍首相はブッシュ大統領に謝罪したのだ(「従軍慰安婦問題の謝罪」、ブッシュ大統領が安倍首相を評価 - 米国)。

さらには、第2次安倍政権の時は、靖国神社参拝を米国政府・米国駐日大使から干渉された。米政府、安倍首相の靖国神社参拝に失望を表明 自分たちの悪行は棚に上げて、自分たちが世界で一番偉いと思っていやがる。奴隷主・虐殺者・強姦魔がつくった国の奴隷主の子孫のくせに!

そもそも、敗戦後は、われら日本は文明の名のもとに裁かれた。先住民を虐殺、掃討し、土地を奪って、奴隷主たちが創った国々(米国ばかりでなく豪国など侵略国家)に日本は「裁かれた」のだ。人道への罪。もちろん、東京裁判は、訴求法で実施された。何より、東京裁判は空襲・原爆による大量虐殺の後、実施された。

こういう状況であるので、ブーメランが直撃している米国政治エリートの今後の反応が楽しみだ。

なお、日本人が初めて米国と出会ったとき、米国はまだ奴隷制があった。福沢諭吉は奴隷制のある米国に行った。それでも、かの地を「文明」の国といったのである。これがおいらの人生で屈指の「ぎょっと」していることで、この「無知の涙」を解明したいのだが、進捗は遅い。

ところで、おいらが福沢諭吉に興味があるのは、諭吉が訪米時にはまだ奴隷制があり、そもそも米国は先住民の駆逐と虐殺に基づく。そんな連中の社会を「文明」といって、ありがたがるのだ。これがどうにも不思議だ。第428週

そして、『通俗国権論』という本に国際社会は「檎獣の世界」と書いてあると渡辺利夫が『士魂』という本で書いていると知る。「檎獣の世界」にしたのが、「毛唐」さまの文明なんだから、真似しなくてもいいんじゃかのか?と思わなかったのだろうかというおいらの疑問。第340週

▼ 進捗は遅いのだが、福沢諭吉、『文明論之概略』の冒頭、第2章に書いてある。意訳概略;

西洋諸国を文明というけれども、詳細をみると、文明というには至らないこともある。例えば、戦争。戦争はこの世の最大の災いである。その戦争を西洋諸国は常に実行している。外交は権謀術数である。ただし、一般にこういう情勢をみわたすと善盛に向かっていく勢いだけがある。決して今の状況をみてこれが最良と考えてはいけない。数千年後、世界の民の知徳が向上したとき、今の西洋諸国の状況をみれば、ああれむべき野蛮の嘆きをするにちがいない。文明は限りなく改善しうるので、今の西洋諸国をみて満足してはいけない。

つまり、現状はベストではないが、将来改善するだろうと云って、「やりすごしている」のだ。でも、現実は、その改善を待っているうちに、絶滅させられたり(タスマニア人)、半減以下まで掃討されたり、植民地化されたりしたのだ。この福沢諭吉の言は全く無責任の期待であったと云わざるを得ない。

■ 今週の統計: 日本事情・平等性の程度

クレディ・スイスの2022年グローバル・ウェルス・レポートによると、ロシア、ブラジル、インドにおける不平等格差は極めて高い。信じられないことに、ロシアの富の58.6パーセントは、国民の上位1パーセントの富裕層によって支配されている。ブラジルではその割合は 50% 近くですが、インドでは 40% をわずかに超えています。 クレディ・スイスの世界富データブックによると、2021年に純資産100万ドル以上の人口が最も多かったのは米国(2万4480人)で、次いで中国(6190人)、日本(3366人)、英国(2849人)、フランス(2796人)、ドイツ(2683人)となった。出典

■ 今週の訃報:偽毛唐運動活動家

木滑良久さん死去 「ポパイ」「ブルータス」の初代編集長

東京府出身。15歳で敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。1954年3月、立教大学文学部史学科卒業。学生時代から出入りしていた平凡出版(現在のマガジンハウス)に1955年3月に入社し、1965年から1980年まで『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任した。wikipedia

木滑良久(きなめり・よしひさ)。初めて知った。でも、『POPEYE』『BRUTUS』等の創刊者と知り、ググった。15歳で敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。というくだりは、親米派鑑賞家のおいらはうれしかった。

・ 「ポパイ」「ブルータス」を創刊した木滑良久マガジンハウス元社長が死去


新しい街でもぶどう記録;第452週

2023年07月15日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第452週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の「お芙美さんに何があったのか?」

ブログの訪問履歴から世間がわかることがある。特に、訃報など。今週は林芙美子関連記事にアクセスがあった。何かあったのだろうと思い、ググると、おそらく、これだろう;

林芙美子“放浪記” (2)お人好しの嫌われ者 

▶ 愚ブログにおける林芙美子関連記事群

■ 今週読んだ物語:『海辺のカフカ』、村上春樹、2002年

父殺しの物語。作品そのものは別として、作者の村上春樹が父殺しを想起したことについて書く。この作品は2002年に公表された。今から、21年前。時代は、9.11テロから1年目の頃。今からみれば、イラク戦争に向かっている頃だ。愚ブログは始まっていない。つまり、相当「昔」だ。一方、村上春樹は2020年に『猫を棄てる』を出版。父についての思い出を語っている。

 この2020年の『猫を棄てる』を読んだあとでは、20数年前の『海辺のカフカ』の意味合いも違って見えるだろう。

 村上春樹はフィッツジェラルドの翻訳を出版した時、フィッツジェラルドの人生を丁寧にたどった上で作品紹介を行い、人生と作品の関係を説明している。決して、人生抜きでテキストそのものだけが重要だなどとは云っていない。

 村上春樹の人生で、最重要なのは、彼が小学生の頃父が息子に自分のチャイナ出征時代にチャイナ兵(以下、支那兵)の処刑に「立ち会い」、支那兵が殺され、死んでいく様子を聞かされた。それが、村上春樹の心障(トラウマ)になっていると告白している(『猫を棄てる』)。この心障(トラウマ)が原因で村上春樹は中華料理を食べられないと伝えられている。さらには、デビュー作以来、チャイナへの、独特の、こだわりが表現に組み込まれている。村上春樹は父親と確執があり、父親の死に際まで没交渉であった。その原因は必ずしも上記の心障(トラウマ)であるとは明言されておらず、別の原因(父が村上春樹に「エリート」街道を進むことを望み、息子が拒否した)が述べられている。しかし、この支那兵の死はのちまで村上春樹の心を占めていたことは、イアン・ブルマーにより伝えられている。そもそも、村上春樹は自分の父親について絶対人にしゃべらなかった(妻の証言)。理由は、上記のように、自分の父親が日帝侵略兵士であり、虐殺に携わっていたからだ。そして、息子は父のチャイナでの所業について詳しくは知らないらしい。知ろうとしなかったのだ。

父親に中国のことをもっと聞かないのか、と私は尋ねた。「聞きたくなかった」と彼は言った。「父にとっても 心の傷であるに違いない。 だから僕にとっても 心の傷なのだ。 父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかもしれない。」
 私は黙っていた。彼はなおも続けた。「僕の血の中には彼の経験が入り込んでいると思う。そういう遺伝があり得ると僕は信じている」。村上は父親のことを語るつもりはなかったのだろう。 口にしまってしまって心配になったらしい。 翌日電話をかけてきて、あのことは書きたてないでくれと言った。 私は、あなたにとって大事なことだろう、と言った。彼は、その通りだが、微妙な問題だから、と答えた。

(イアン・ブルマの『日本探訪 村上春樹からヒロシマまで』における春樹への直接インタビューを元にした文章(1996年))

こういう作家としての個人的背景があって、父殺しの『海辺のカフカ』がある。もちろん、現実の村上春樹が父殺しを願望しているということではなく、父殺しを想起しているということ。その想起には現実の父親、および父子関係を前提としている。その想起を作品にしたかったと考えることは自然だと思う。つまり、『海辺のカフカ』の前提、背景を考える一視点となる。

『海辺のカフカ』の中で、父親の所業の解釈が見える。アイヒマン。あの「凡庸な悪」のアイヒマンだ。第15章。大島さんの山荘の本棚から選んだ本が、アドルフ・アイヒマン [wiki]の裁判について書かれた本。

アイヒマンはヨーロッパ全土の150万人を超えるユダヤ人を占領下ポーランドおよび占領下ソ連の絶滅収容所やその他の殺害現場に移送する中心的人物でした。(ソース)

その本には大島さんの書き込みがあった。「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力から始まる。

移送その他の「ユダヤ人問題」を担当する部門の長官であったアイヒマンと村上春樹の父親、徴兵された兵士を比べるのは極端かもしれない。でも、『海辺のカフカ』では、このあと、この山荘の奥の「森」という物語の設定上、「異界」ともいうべき空間で、逃亡したに違いない日本兵と主人公は会う。その日本兵ふたりのひとりは大学に通っていた若者だ。もちろん、これは村上春樹の父親が(大学に入る前の)学生時代に徴兵されたことに対応するに違いない。つまりは、一兵卒の兵士たちが、「想像力」を働かせてか、逃亡する物語を村上春樹は「想像」している。

▼ 川口大三郎事件

村上春樹、『海辺のカフカ』、2002年には、モデルとして、「川口大三郎事件」が採用されているとされている。川口大三郎事件とは、「1972年(昭和47年)11月8日に東京都の早稲田大学構内で発生した革マル派による早稲田大学第一文学部の男子学生へのリンチ殺人死体遺棄事件」[wiki] のこと。村上春樹は1968年に早稲田大学・文学部に入学、1975年に卒業している。したがって、この事件の時、村上は在学している。入学後からの数年についてこう云っている:

そして六八年から七〇年にかけての、あのごたごたとして三年間がやってきた。十九歳から二十一歳までのあの時代は、僕にとって混乱と思い違いとわくわくするようなトラブルに充ちた三年間だった。神戸近郊の小さな街から東京にやってきて僕は早稲田の文学部に通い、何度か恋をし、そして結婚した。二十一の時だ。(『マイ・ロスト・シティー』、スコット・フィッツジェラルド、村上春樹 訳、1984年、「フィッツジェラルド体験(村上春樹)」)

いわゆる「紛争」からは1970年に離れたらしい。その原因は次の文章からうかがわれる。つまり、反差別論とその実践が状況を変えたのだという;

 しかし、それ以上に重要なのは、 津村(喬)の反差別論が全共闘運動に与えた「影響」であろう。 反差別論は、つまるところ 厳格な (古典 左翼的)倫理主義と結びつく。七〇年を境として反差別が新左翼の課題となっていったとき、全共闘のアナーキーな高揚を担ったノンセクト・ラディカルが、 津村的反差別論を嫌って運動から離れていったのもゆえなしとしない。彼らはある意味では、津村から「人民」に依拠しない プチブル 急進主義であると言われて 排除されていったのだが、しかし、 文革を始めとする 「人民」 闘争の欺瞞が暴露されつつあるとき、 全共闘 の 「人民」 闘争への改変は果たして 正しかったのかどうかー 改めて問われる必要がある。
「文春」VS「朝日」論争はどちらに軍配があがるのか?、呉智英、絓秀実、における註[➊津村喬の問題]『保守反動思想家に学ぶ本』、1985年. この註➊は、津村喬の問題だ。(笑)へのものである。

 愚記事より

この原因推定は、村上春樹、『海辺のカフカ』の次のくだりと整合的である。この場面は、フェミニスト団体の2人の女性(背が高い女性と背が低い女性)が私立図書館の調査を勝手に行い、フェミニズム適合度審査の結果と指摘点を、管理人の大島さんに伝える;

「つまり、あなたは典型的な差別 主体としての男性的 男性だということです」と背の高い型ほうが苛立ちを隠しきれない声で言う。
「男性的 男性」と大島さんはまた繰り返す。
 背の低いほうがそれを無視してつづける。「社会的既成事実と、それを維持するためつくられた 安直な男性的論理を盾に、あなたは女性というジェンダー 全体を二級市民化し、女性 が当然 受けとるべき権利を制限し剥奪しています。意図的に というよりはむしろ非自覚的にですが 、そのぶん かえって 罪が深いとも言えます。あなたがたは他者の痛みに鈍感になることによって、男性としての既得権益を確保しているのです。そしてそのような無自覚性が、女性に対して社会に対して、どれほど悪を及ぼしているのかを見ようとはしません。 洗面所の問題や閲覧 カードの問題はもちろん 細部に過ぎません。しかし 細部のないところに 全体はありません。まず 細部から始めなくては、この社会を覆っている 無自覚性の衣を剥ぎとることはできません。 それが私たちの行動原則です 」
「それはまた、すべての心ある女性の感じていることです」と背の高いほうが無表情につけ加える。

「差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというものは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。ただね、僕がそれよりもさらにうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めてふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。」

そして、話は、続く。主人公の田村カフカが母親と目される佐伯さんの20年前の恋人がある党派から(人間違いで)殺された事件(つまり、川口大三郎事件のような事件)について、大島さん(佐伯さんお部下:図書館管理人)が見解を述べる:

でもね 、田村カフカくん、これだけは覚えておいたほうがいい。 結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういった連中なんだ。 想像力を欠いた狭量さ。空疎な用語、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、 簒奪された理想、 硬直したシステム。 僕にとってほんとうに怖いものはそういうものだ。 僕はそういうものを 心から恐れ憎む。 なにが正しいか正しくないかー もちろん それも とても重要だ。 しかしそのような 個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合 取り返しはつく。しかし 想像力を書いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。 宿主を変え 、かたちを変えてどこまでもつづく。 そこには救いはない。 僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない 」

■ 今週の購書

江藤淳の対談集、『文学の現在』。1989年。買った理由は、江藤淳の村上春樹への見解が述べられているから。江藤には村上春樹論はない。そもそも、読まないといっている。もっとも、礼儀正しく、丁寧に、「拝見いたしません」と述べている。村上龍は、そのデビュー作、『限りなく透明に近いブルー』をサブカルチャーとして「全否定」したことは有名である。1976年。一方、村上春樹に関しては、読みもしないというのである。

▼ ジェイ・ルービン(wiki)は、日本文学研究者で村上春樹の翻訳者としても有名。そのジェイ・ルービンと江藤淳が一緒に写った画像がある。

左から、ジェイ・ルービン(wiki)、江藤淳、マサオ・ミヨシ (wiki)


マサオ・ミヨシ、吉本光宏、『抵抗の場へ』より 

■ 今週、借りた本

右側2冊は竹田青嗣、加藤典洋、そして笠井潔など村上春樹と同世代、団塊の世代で、かつ、村上春樹のデビュー作、初期作品を評価した人たち。つまりは、活動家「崩れ」で、1970年代の沈黙を、村上春樹同様、強いられた人たち。1979年の村上春樹のデビュー作品を、活動家「崩れ」のその後の人生と理解していた人たち。『村上春樹をめぐる冒険』、『村上春樹のタイプカプセル』。前者は1991年に刊行された。後者は前者を踏まえて1992年に行われた合宿座談会の本で、刊行は2022年。だから、タイプカプセル。

一方、大塚英志のもの3冊。村上春樹の作品の物語構造についての論。端的に云って、村上春樹の作品はパターン化された構造に還元されるもので、その構造に自分語りを注入している「内容がない」ものという見解(らしい)。『村上春樹論ーサブカルチャーと論理』、『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』。あと、1冊は、江藤淳論。『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』。なお、大塚英志のこれらの本は中古価格が高い。貴重らしい。


新しい街でもぶどう記録;第451週

2023年07月08日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第451週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の半額

藤フード 大福 公式web site

■ 今週の最後の一袋、あるいは、多彩な飴包装紙

「キャンロップ ヨーグルト」、佐久間製菓株式会社。同社は、廃業 (google)。もうこの商品はつくられないので、最後のひと袋となる。

■ 今週のインドーイラン

イランが上海協力機構に正式加盟(google

中国とロシアが主導する枠組み、上海協力機構の首脳会議がオンライン形式で開かれ、核開発をめぐってアメリカなどと激しく対立するイランの正式加盟が承認されました。

中国とロシアが主導する安全保障や経済協力の枠組み、上海協力機構の首脳会議は4日、オンライン形式で開かれ、中国の習近平国家主席のほか、ロシアのプーチン大統領も出席し、ロシア国内で武装反乱が起きてから初めての国際会議の参加となっています。

会議の冒頭で、議長国インドのモディ首相は「インドは議長国として、多方面にわたって上海協力機構の協力関係を強めようと絶え間ない努力を続けてきた」と述べ、この枠組みを発展させていく考えを示しました。(NHKニュース)


出展 出展 

現在、インドとイランは基本的に建設的に外交関係を進めているようだ。一方、問題はある;

インドは1979 年のイスラム革命を歓迎しませんでしたが、その余波で両国間の関係は一時的に強化されました。しかし、インド・パキスタン紛争におけるイランの継続的なパキスタン支援と、イラン・イラク戦争中のインドのイラクとの緊密な関係は、二国間関係を大きく緊張させた。wiki

何より、因縁としては、過去に軋轢があった。これは近隣国家間の摩擦といえるだろう。現在も、インドは隣国のパキスタンや中国とそれぞれ国境紛争を抱えている。そして、インドはイラン(ペルシア)から侵攻されたことがある。1739年に、インド(当時はムガール帝国)はペルシア帝国に襲われた:


愚記事 襲われるデリー

現在、イランはイスラム原理主義国家で、パキスタンの背後にいる。インドは現在ヒンドゥーナショナリズムの勃興で国内のイスラム派との軋轢が起きている。潜在的には「文明的衝突」の因子はある。イランの核武装の動機は、イスラエルや欧米に対抗したいことに加え、対インドでもあると以前どこかで読んだ。

ということで、上海協力機構(SOC)は結構呉越同舟ではある。それにしても、SOCはユーラシア大陸を覆ってしまった。残るは、ヨーロッバ「半島」のみ。

■ 今週の「偽毛唐」

これぞ阿Qの大きらいな人物、銭旦那の長男だ。この男は前に城内に行って洋式学校にはいり、どういうわけか、そのあと日本へ行った。半年たって帰ってきたときは、足も西洋人のように膝がまっすぐになっていたし、辮髪もなくなっていた。阿Qは、あくまで「にせ毛唐」とよび、また「毛唐の手さき」と呼んだ。(魯迅、竹内好 訳、『阿Q正伝』)


Google ニュース  中国 王毅 人種差別

王毅氏は続いて「中国・日本・韓国の友人が米国に行けば彼ら(米国人)は誰が中国人で日本人で韓国人なのか区別がつかない。欧州に行っても同じこと」とし「私たちが頭を黄色に染めて鼻筋を通して高くしたところで西洋人になれない。自分たちのルーツがどこにあるのかを知らなければならない」と話した。ソース

Yahooニュースへのコメント

■ 今週の「Z」

(一部)ネットスラングで「Z」(ゼット)とは財務省のこと。財務省の政治家やマスコミへの「御説明に上がります」=入説大作戦は有名。一方、子供層への「洗脳」大作戦も実施中と知る。財務省の方から学ぶ!

■ 今週の「アカ」、「アオ」、「シロ」、「クロ」

ミッフィーの作者、ディック・ブルーナ(wiki)の作品。作品名は不明。モンドリアンの作品を見るミッフィー。使用色彩が、赤青白黒。 (⇒蛇足:オランダのルッテ政権崩壊 国王と今後の対応協議 [google])

■ 今週の読んだ物語

村上春樹、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

おもしろく、読みやすかった。でも、話は、わかるが、実は、難しい。なぜそんなことになるのか、という点、これは何をもの語っているのか、疑問はたくさんでてくる。そういう、謎解きは、たくさんネット上にもあって、楽しんで読んでいる。そういう読み方もあるのかというものが多い。

ひとつ印象深かったのは、父が子に伝える「物語」。これは、村上春樹の『猫を棄てる』に決定的に語られる、父から子に伝える物語を想起させる。そして、この『色彩を持たない』での灰田が語る父が伝えた物語の意味の解釈も難しい。そして、灰田は自分の父の物語を他人、すなわち多崎に伝えるのだ。そして、村上は自分の父の物語を『猫を棄てる』で公知とした。

謎が多い物語ではあるが、特に村上作品として突出しているとおいらが感じたのは、カトリックと悪霊。登場人物はカトリック信者であるとは語られていない。でも、5人はカトリックの慈善団体の活動でつながっている。ただし、登場人物の「アカ」は同性愛である。ということは、カトリック信者ではなさそうだ。でも、富裕である「アカ」は隠れてカトリックの慈善団体に寄付をしている。そして、悪霊だ。「シロ」には悪霊がついていたとうのだ。これは、引いた。そして、巡礼。

『色彩を持たない』でずっと「流れる」曲は、今では、YouTubeで容易に聴ける;

■ 今週の竹雀(仙台伊達家の家紋);千葉卓三郎

色川大吉、『自由民権』と荒井勝紘、『五日市憲法』で、千葉卓三郎wiki)を知る。これはビンゴだった。本ブログでの鍵語句「仙台伊達家」、「戊辰戦争」、「敗残」、「ロシア正教」、「大槻盤渓」など。

つまり、「五日市憲法」草稿を書いた千葉卓三郎は仙台伊達家の末端家臣で、戊辰戦争に参戦、敗残後何とか身を立てようと「七転」し、最後に民権思想とその結実の「五日市憲法」草稿に至る。

その「五日市憲法」と千葉卓三郎を歴史から今に蘇らせたいきさつの詳細が荒井勝紘、『五日市憲法』にある。

面白いのは、千葉卓三郎は、戊辰戦争で敗残し「復員兵」としても行き場がなく、信奉すべき新たな思想を探す。そして、最後は、民権思想へたどり着く。これは、学徒出征し、敗戦。復員兵となる。そして、山村工作隊・民商専属民と展開する色川大吉の青年期の軌跡と重なる。

▼1968年に勉学と研究にいそしんでいた学生と教官の話

この荒井勝紘、『五日市憲法』で興味深かったのは、1968年問題。この五日市憲法の発見は1968年のことだ。この年に勉学と研究に励んでいたという物語だ。この頃は、紛争の季節であったはずだ。例えば;

  
新宿騒乱事件から50年 あのときの若者たちは今      東京教育大学の無期限スト

荒井勝紘、『五日市憲法』を読むと、「68年革命」とか、大学紛争とか、どこ吹く風?。色川大吉は「威厳」を以て、学生をビシバシ指導している。

なお、仙台の(旧制)高等学校で下級であったはずの永井陽之助はこの時期の大学紛争で消耗し、「研究者としては終わった」と山崎正和は云っている。その点でも、色川大吉はどこ吹く風、であったのだ。すなわち、1968年の五日市憲法草稿があった蔵を開けたのち、百余の土蔵を開けたそうだ。


新しい街でもぶどう記録;第450週

2023年07月01日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第450週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の当たり年

枇杷をいただいた。今季2回目。うかがうと、今年は枇杷の当たり年とのこと。そして、来年以降は(相対的に)不調となるとのあらかじめの御言葉もいただく。

■ 今週の願い;巷の七夕短冊より

■ 今週の米国産

■ 今週の紫

■ 今週旧キャンプ・クロフォード

先週に続き、ニュース;

https://www.youtube.com/watch?v=ZvN9OR0n_zs

この「駒岡射撃場」は、キャンプ・クロフォードから少し離れている。丘陵部の森林地帯を開いた地区。正式な文書を今は確認できないが;

1945年(昭和20年)、日本の敗戦に伴い、アメリカ軍の演習場として接収される。その後、日本国外から引き揚げてきた人々がアメリカ軍と折衝を行い、緊急開拓地としての認可を得た。

1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると、その余波でアメリカ軍の実弾演習が激しさを増したため、一部の入植者は再買収されて離農し、駒岡小学校は精進川沿いに移された。 (wiki

とある。「引き揚げてきた人々がアメリカ軍と折衝を行い、緊急開拓地としての認可を得た」話は、唐木田真、『三反百姓子倅の足跡』 非売品 にある。

■ 今週の太陽:夏至、あるいは、「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」

今週、夏至。つまり、今年の半分経過。この半年は、なぜか、物語三昧;

 

年明けから三島由紀夫の最後の作品群の『豊饒の海』四巻を読む。その動機は、昨年末に『金閣寺』を読んで、いろんな人の三島論を読みたくなった。そのためには、『豊饒の海』四巻を読まないと、ネタバレ状態になるので、読んだ。

そのあと、村上春樹へ。これも、村上春樹論を読むためには主要作品を読まねば。そこで、『ねじまき鳥クロニクル』第1~3部とその兄弟物語の『国境の南、太陽の西』、そして、『アフターダーク』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『街とその不確かな壁』、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読む。「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」は、ブックオフで実現。いい時代だ。あづまでも物語に不自由しないのだ。

■ 今週のビンゴ:村上春樹ー佐々木マキー秋野不矩ー西部邁・・村上春樹

これらの絵は、おいらには、37年前から目に入っている。今さら、描いた人が、佐々木マキさんと認識。この方が男性であるとさえ知らなかった。佐々木マキ(wiki)。その佐々木マキさんに「表紙の仕事」という文章があった。1989年、『ユリイカ』臨時増刊、「村上春樹の世界」。佐々木マキが村上春樹のデビュー作の表紙(佐々木はダスト・カバーと云っている)を描くことになった理由は、村上が佐々木の作品の『ガロ』での読者・ファンであったからとのこと。佐々木は書いている;

 すると編集者がやってきて、 「村上さんは<神戸でアメリカン・グラフィティ>を書きたかったそうです」と言うじゃないか。
 なるほど。ウルフマン・ジャック ならぬ<犬の漫才師>が DJ の<ラジオ  N・E・B のポップス テレフォンリクエスト>か。 私は須磨の海辺のラジオ 神戸の建物を思い出した。 この局の人気番組は日曜夕方からの<電話 リクエスト>だった、 
 
私は<神戸でアメリカン・グラフィティ>というのが すっかり気に入った。 それなら私も自分なりの <神戸でアメリカン・グラフィティ>を描いてみよう そう決まると、あとは簡単だった。二日で仕上げた。手法は一種のモノタイプ(一点だけの版画)である。

一方、佐々木マキ(wiki)を読んでいると、下記あった;

実験漫画に行き詰った佐々木は、漫画よりも印刷条件がよく、また比較的自由に絵を発表することができることから絵本を描きたいと考えるようになり、その話を聞いた大学時代の恩師秋野不矩から福音館書店の当時の社長松居直を紹介される。

秋野不矩 [あきの ふく](wiki)。知ってる。西部邁の自伝に出てくる。きれいな絵だとわかったので、今度、浜松市秋野不矩美術館(wiki)に行きたいと思っていた。西部邁の自伝に下記ある;

秋野不矩さんがリーダー、 私がマネジャーということで、  最年少は十三歳、 最長老は(不矩さんの)七十七歳という 複雑な構成の十四人の団体によるインド旅行が企てられたのは、私の発案によることであった。不矩さんが、 周囲の者たちにインドを 味わせてやりたいと切望しているようにみえ、で、 それに少しでも力添えできればとの趣旨でインド行きを企画したわけである。 

その旅行は最初から最後まで失敗だったのである。 要するに、 インドを「見開かれた眼」でまじまじとみつめるものが少なかったということが原因となり、 参加者の意思がてんでばらばらになったのだ。 事実、 その旅の途中で「皆して思わずインドを語る」といったような場面など一度も生じなかった。 (西部邁、「鄙びと雅びが渾然となって」、『サンチョ・キホーテの旅』)

そして、バトンは西部邁から村上春樹に渡らないのだが、西部が村上について語っている/番組企画上語らされているのがこの動画で見られる;

YouTube 西部邁・佐高信の学問のススメ 村上春樹 『1Q84』について、語っている/番組企画上語らされている。

■ 今週読み終えた物語:積読(死蔵)36年、あるいは、化石燃料の使用停止

今週、村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読んだ。この作品は、1985年。おいらは、1986年に『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』を読んだ。1986年に突然村上春樹を知ったのだ。この後、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を買った。おもしろくないので、読まなかった。内容も知らなかった。聞くに、新刊の『街とその不確かな壁』は、1980年に発表された『街と、その不確かな壁』の「書き直し」とのこと。なお、『街と、その不確かな壁』の別の「書き直し」が『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』と最近しった。別に、おいらは、村上春樹マニアではないので、知らなかった。ところで、『街とその不確かな壁』はいずれブックオフで100円になったら読もうと思っていた。なので、まずは、死蔵されていた、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』でも読もうと考えてた。6月あたま頃。そうしたら、6/10に、なぜかしら、なんと、『街とその不確かな壁』が、ブックオフで950円で売られていた。さらに、スマホアプリで100円引なので、実売価格850円。買った。ごめんよ、村上春樹と新潮社。今、Twitterで、ブックオフを利用するのはしかたがないにしても、買ったと公表するなとの意見が飛びかう。ゆるしてください。買った本は、新品同様であった。もちろん、線引き、汚れ、折れなど全くなかった。なお、この日、おいらが買った品以外に5-10冊程度『街とその不確かな壁』は並んでいた。売値は2,200円だった(定価2,700)。なぜ、この品だけ中古価格の半額であったのか、今だに、謎である。

『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』。やはり、おもしろく、飽きることなく読んだ。したがって、若いころ読めなかったおいら、面白く思わなかったおいらは、自分が変わったのだ。「安田講堂の生き残り」という表現とか全共闘崩れの雰囲気を示唆する物語と再認識する。もっとも、安田講堂では、誰も死んでないし。というのもは大人げないので、「安田講堂の生き残り」とは、安田講堂で挫折した者どもでその後の人生をがんばっている人たちということなのだろう。プロット毎は大変面白く、読ませる。ただし、それがどう統合されて物語を形成しているのか?わかりずらいとの評がある。確かにそうだ。そして、面白いプロットを統合して物語をはっきりさせるのが読者の「楽しみ」だ。ただし、よくよく考えなければならない。村上作品は読みやすい。だから、容易に読み終わってします。でも、自分で考えて統合して物語を確認しないといけない。さらには、繰り返し読むと、統合が熟し、物語が違って見えてくる。

鼠と影:この『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』は1985年(阪神タイガースが優勝し、日航ジャンボ機が堕ちた)の作品。一方、鼠が死ぬ『羊をめぐる冒険』は、1982年。つまり、鼠が<<村上世界>>から消えて、影が登場する。もっとも、前述の『街と、その不確かな壁』を除いて。『街と、その不確かな壁』には、おそらく、鼠は出てこないのだろう。

<<村上世界>>における、鼠と影の意味、その役割分担を考えなければならない。なお、江藤淳は「全共闘」運動、あるいは、"68年騒動"の瓦解の直前に云っている;

間もなく沖縄・反安保闘争の挫折を主題にした小説が数限りなく書かれるであろう。そしてそれは、いわゆる「経験」が経験の影にすぎなかったという残酷な認識に到達したものでないかぎり、すべて私小説の実質感と抑制を失った”私小説の影”のようなものになり、しかも決して私小説の限界を超えることがあるまいと思われる。  江藤淳、 『「ごっこ」の世界が終ったとき』、初出、『諸君!』 1970年1月号

つまり、「全共闘」運動、あるいは、"68年騒動"に挫折したものたちが書くであろう小説について、あらかじめ批判しているのだ。

村上春樹の初期作品の登場人物たちは、「全共闘」運動、あるいは、"68年騒動"に挫折したものたちに違いない。そして、村上春樹は正面から「」を登場させたのだ。おいらは、村上は江藤のこの文章を知っていると思う。そして、村上の作品は江藤への事前批評への応答だと妄想している。

『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読んで気づいたのが、石炭すなわち化石燃料を、堂々と!!!(???)、使用している。一方、『街とその不確かな壁』では、化石燃料は使用されず、薪(林檎の木)が使われている。俗な『街とその不確かな壁』評で、世界の評価に村上はどう対応するか見ものだというものがある[1]。性や暴力などの表現、あるいはテーマが、(広い意味での)ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)=ノーベル賞にふさわしい思想に反しないこと、あるいは、整合しているかということ。化石燃料追放は、その路線?とおいらが下種に勘ぐってしまった。